第11話

階段を駆け下りながらジャージを羽織ってエントランスに降りた。

駅に向かう出入口ってどっちだっけときょろきょろしていると見覚えのある横顔を見つけた。


「いた!大塚さん!」


甘めのトップスにデニムというシンプルな私服姿の彼女が私の声に振り向く。

紙パックのジュースを飲みながら掲示物を眺めていたらしい。普段この体育館は武道や格闘技のいろいろな団体が使っているみたいで、入会者募集のビラがたくさん貼ってある。


「来てくれたんだ。ありがとう」

「うん。ここ、家近くて」

「そうなんだ。でもせっかく来てくれたのにもう負けちゃった」

「相手の子、強かったね。いい膝蹴りだった。間合いの取り方も」


ニーリフトは2回食らったけどどっちのことだろう。

どちらにしても思い出しただけでちょっと息が詰まる。特に最後のはきれいに入れられた。

大塚さんは日本拳法やってたからキック上手いのかな。


「ねぇ、見てみてどうだった?大塚さんならあの子とどう戦う?」


坂本美音に蹴られたところを無意識にさすりながら聞いてみる。

大塚さんは顎に手を当てて考えた。こういう仕草がやけに様になる。


「プロレスのルールわからないから、どうだろう。でも蹴りだったら負けない、かな。膝以外の蹴りはモーション大きかったから多分捌けるし、こっちから何発か打てばいいの入れれる、かな」


打撃戦、自信あるんだ。カッコいいな。

大塚さんが戦ってるところも見てみたい。

武道とか格闘技の経験者は見ただけである程度実力わかっちゃうんだな。


「プロレス、どうだった?おもしろかった?」

「生で見たのは初めてだけど、うん。迫力あった。前田さんもカッコよかった。押されてたけど、途中の投げ技ものすごかった」

「ありがとう。じゃあさ、やろうよ!大塚さんも!」


やっぱりこの子と一緒にプロレスがやりたい。

これまで一生懸命武道やってた子だもん。お互いが知らないことを教え合えるはずだ。


でも大塚さんの目線は斜め下を向く。乗り気でないことはわかった。

一試合見ただけで観客を魅了させられるような試合はまだ私にはできていない。それでもきっと興味を持ってくれたとは思う。

大塚さんは躊躇いがちに言った。


「前田さん、今は一人で練習してるんだよね」

「うん。まあね。今はまだ部員が私しかいなくて」

「どうしてそこまでできるの?」


中学の頃も言われたことがある。

何をそんなに本気になってるの?と嘲るような。


でも大塚さんはそんなつもりで言ったわけじゃないことは目を見ればわかった。純粋な疑問なのだ。


「勝ちたいの。それまでに練習したことを全部、試合でぶつけたい。前よりも成長して、勝てなかった相手に勝ちたい。それが、えっと、上手く言えないけど、とにかく楽しいの。それで皆んな倒して全国大会行くんだ」


自分の力を存分に出し切ることが、自分の体を思いのまま操れることが、快感なんだ。彼女もそれを知ってるはずだ。


「全国大会に行った後はどうするの?」


高校生の全国大会に出ることは目標だけどゴールじゃない。そこから私のプロレスは始まるんだ。考えただけでわくわくする。


「私の試合を観た人が熱狂してくれるような試合をする!リングから目が離せないような、息をするのも忘れてしまうような試合!そんな最高の女子プロレスラーになるの!」


思わず言葉に熱が入る。

小学生の頃の夏休み、たまたま父親が連れて行ってくれた女子プロレスの試合が強烈に脳裏に焼き付いている。いつかあんなふうに、私もリングに立ちたい。


でも大塚さんはふと俯いた。


「私、そこまでの覚悟も夢も無い」


夢っていつからあったんだろう。

私だって最初からあったわけじゃない。


「前に誘った時に言ってたよね。プロレスやったって何の役にも立たないって。そうかもしれない。私はこれからもずっとプロレス続けるつもりだけど、そうじゃない人もいると思う。辞めていく人にとっては将来役に立つものじゃないかもしれない」


中学の時の女子プロレス部は入部者は多かったけど、辞めていく人も多かった。

全員が自分のようにプロレスに没頭していくわけではないことはわかってる。


もし自分がプロレスを辞めたとしたら、ドロップキックをする機会は一生ないだろう。


でもそんなの今は関係ない。


「でも、自分が楽しいと思ってやってるなら、絶対無駄じゃない。どう役に立つかは後からわかることだと思うの」


協調性が培われるからと言ってチームスポーツを始める人を見たことがない。いたとしてもたぶん続かないだろう。バレーボールもサッカーも、それが好きで楽しくて、夢中になって練習して、その中で協調性が培われるだけなんだ。


「私も夢とか目標とか、誰もが納得するような動機も、最初は無かったんだ。なんとなくカッコいいなーくらいで。その時はまだ本気じゃなかったかもしれない。でもとにかくやってみたかった。大事なのはそういう、ちょっとした好奇心だけだと思うの」


プロレスをやりたいって言った時、両親には止められた。いざやってみると観るのとは違って嫌になってしまうのではないかと言われて何も言えなかった。


でも私は今こうして都大会に出ている。

小さかった私のちょっとした好奇心が私をここに連れてきたんだ。


「今日の試合観ておもしろそうだって思ってくれたんだったら、それがちょっとした好奇心、なんじゃないかな」


戸惑いがちだった大塚さんの表情が自然な顔つきになった気がした。

真っ直ぐ私を見る目はとても綺麗だ。


「だから大塚さんもやろう!プロレス!」


私が差し出した手を大塚さんが見つめる。

日本拳法をやっているときに何か思うことがあったのかもしれない。でも何かに夢中になる感覚はきっと知っているはずだ。

少しして顔を上げた大塚さんが言った。


「じゃあ......やってみようかな」


細く白い手が私の右手を握り返してくる。

囁くようなか細い声とは裏腹に力強い手だった。

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