Episode12

(31.)

 葉月宅から学校までにかかる時間はおよそ20分。

 そして、僕が少女になった日に教室前にいた時間は7時40分を過ぎていたはずだ。

 その時間に瑠璃は背中を叩いて声をかけてきた。

 つまり、そのくらいの時刻に登校しているのだと考えていいだろう。


 登下校は瑠衣と同行しているらしい。

 ようするに、瑠璃が家を出るまえーー7時20分よりまえに待機しておけば大丈夫だと考えられる。

 そう推測した僕は、朝飯もろくに食べず早足で葉月の住むマンションに向かい、7時には辿り着いて待っていた。



 周囲にはマンションの入り口、左右はコンクリート壁に挟まれている。つまり直進しか道はない。

 隠れることなんて不可能だろうし、さすがに朝から堂々と殺人を犯さないだろう。

 ……犯さないよね?


 話を聞くと、ちょっとした弾みで相手を刺しそうな性格にも思えてしまうけど、それは単に僕が、強姦という行為が命で償うほど重い罪だとは思えないからだろう。被害に遭う寸前だった瑠衣や、同性のありすからしてみれば、死んで当然の行いなのかもしれない。


 もしも自分が犯されたらと想像してーーすぐにそれをやめた。

 いや……めちゃくちゃキモちわるい。


 そもそもの話。

 もともと僕は性自認も身体も共に男だったから、相手が男だという時点で、たとえイケメンだとしてもありえないとなってしまう。


 僕と男がやるのに和姦というのは存在しない。

 ……そういえば、和風があるのなら、洋風や中華もあるのかな?

 洋姦や中姦ーーないだろうけど、いつか調べてみようか。


 などとくだらないことを考えながらも、念のため辺りの警戒は怠らない。

 マンション付近に昨日の女が近寄らないか気にかけている。


 見た目は同輩か1~2年ほどの先輩といえるが、僕はあのひとの同年代らしさにはまったく目が行かず、真っ先に危険人物というイメージが先行してしまった。それ以外の特徴を見ようとしていなかったらしい。

 姿を思い出せても、不気味な笑みをした怨念みたいな女性の顔のアップばかりが再現されてしまう。思わず身震いする。


 たしか歳上だけど愛嬌を感じさせるような可愛い先輩ポジションになり得る造形だったのになぁ……雰囲気(イメージ)って大切だね。

 入り口付近でひとが出てくるたんび確認していて思った。

 これでは僕が不審者として通報されかねないじゃないか。


「……よね、あんたは。まったく、寝ることだけは本当に好きなんだから」


 そのとき、ちょうど瑠璃の声がマンション内から聞こえてきた。

 つづいて、瑠衣がなにか返事をする小さな声も聴こえた。

 瑠璃と瑠衣の声量に差があるせいで、一瞬瑠璃の盛大な独り言だと思ってしまったことは勘弁してほしい。


「あれ、豊花だ」 


 瑠衣は自宅前で待機していた僕を疑問に思わないのか、凄い嬉しそうに表情を輝かせてくれた。

 だが、その隣のーー。


「どうしたの?」


 ーー瑠璃は、怪訝そうな顔つきで僕を見つめていた。

 それが普通の反応だよね、うん。ごめんなさい。


 喜ぶ瑠衣を見て考えてしまう。

 これは素直で良い子というのが正しいのか、疑うことを知らない無知な子というのが正解なのか。

 単に迎えに来ただけでこうも喜ばれると、嬉しいながらも恥ずかしさが勝ってしまう。

 当たり前なことをして褒められたときの恥ずかしさに似ているような気がする。

 それも、人助けなどではなく、普段は散らかしたままの部屋を気まぐれに片付けただけで何故か親から褒められたときに抱く、なんとも言えない、そんな感情。

 だからこそ、つい余計な思考をして照れを隠そうとしてしまった。


 瑠衣は僕に飛び付くように向かってきた。

 本人も勢いをつけすぎたと気づいたのか一瞬慌てるが、どうにか両手で支え、瑠衣が倒れるのを防いだ。

 くっ!

 自分のほうが体重が軽くなってしまっているせいか、ちょっとしたタックルを食らったみたいな感じで倒れそうになる。


「ご、ごめん」

「いや、大丈夫だよ。それより、瑠衣こそ怪我してない?」

「ん、平気。豊花、来てくれたの?」


 瑠衣もこちらに手を伸ばしているため、なんだか軽く抱き合っているみたいな格好になり気恥ずかしい。

 って、来てくれたのーーって?


「どういう意味?」

「朝も、一緒に登校、してくれるの?」

「え、ああ、そういう意味か。そうだね……うん、きょうは特別にね、うん、そうそう」


 ぎこちない返事になってしまう。

 うっかりありすについて言おうとして、すぐに慌てて口を閉じる。

 瑠衣は無条件でありすのことを信頼していそうだし、ありすについて知っていたら昨日ときょうで態度くらい変わるはずだ。瑠衣からありすについて聞かされないってことは、ありすはやはり瑠衣に遭遇していないのだろう。


「ちょっと、いくらマンションの住民しか通らない道だからって、いつまで抱きあってるのよ」

「え、あっ、ごめん」


 たしかに、すぐに離れなければ抱き合ったポーズのままだ。恥ずかしい。

 瑠衣も離れたくらいじゃなにも言ってこないし、特に気にせず微笑んでいる。

 瑠璃はなにかを考える仕草をする。


「友達よね? まさか、いくら元が男だからって、もうそういう関係に?」

「いや、ち、違うってば!」


 瑠璃にジト目で見られてしまう。

 瑠璃は瑠衣に質問のターゲットを変えた。


「瑠衣、別に豊花が好きなら好きでいいんだけど、いまの豊花の体は女なのよ? もしかしてそっち系の趣味があるんじゃーー」

「!? 姉、さんっ! ゆ、豊花は、男、だ、よ?」


 慌てすぎー!

 言葉がいつも以上に途切れすぎだから!

 僕でも焦っているのがまるわかりだ!


「……そ、そうよね。ま、まあ、別に悪いことじゃないんだし気にしすぎよね。ただ、豊花が原因なら、その、私にも責任があるからさ……。あと、結婚するまではちゃんと純潔を守らなくちゃいけないわよ。同性だとしてもね。嫁入りまえの娘なんだから、OK? 私はそのあたり厳しく相手も見定めるから、たとえ同性でもしっかりと身持ちは……い、いやべつに疑ってなんていなのよ、わかる?」

「……」

「……」


 嫁入りまえの娘って、純潔を守るって……瑠璃は少し古風な女性の考え方をしているようだ。

 瑠衣はなんのことを言われているのかわかっていないのか、姉が急に慌ただしくなったからか、ただただ姉を見つめて固まっている。

 だいたいーー。

 

「瑠璃さ、最初に会ったとき、僕に胸を触らせたのは例外なの……?」


 未だにどうしても忘れられない。

 僕の初のパイタ~ッチ、イェイ、の相手が瑠璃になったことを。

 仕方ないだろう。緑のブラジャーが未だに脳裏に焼き付いて離れないのも……。


「あれは思いつきだし、そもそも男のままなら触らせていないわよ。しょせん同性になってるんだし襲うにも襲えないでしょ? 第一これでも第二級異能力特殊捜査官なんだもの、反撃手段くらいは心得てあるし、同性相手くらいなーーら、じゃなく、そうね、うん、豊花が、特別。おっぱい、触れた。あ、ぺちゃぱいだ。私の妹、嘘吐かない。私より大きい、おっぱい」

「え、姉さん? 姉さん、頭平気? 頭、大丈夫じゃない?」

「……」


 いや、どうして後半妹を憑依させちゃったの、このお姉さん?

 しかも、純潔とか嫁入り前とか身持ちとか言っているひとから出るとは思えない単語を吐き出し、定期的に胸を揉んでなにかを頷いて確かめている。

 ……しかも、ちらりと僕を見た直後に『ぺちゃぱい』と言ってきた。喧嘩を売られているのだろうか?

 喧嘩といえば、瑠璃が瑠衣から心配されるなんて珍しい。ただ、心配の仕方が喧嘩を売っているようにしか思えないのが難点だ。『頭大丈夫?』って……。


 あと、二人とも平均的な胸のサイズだと思っていたけど、意識して見てみたら、たしかに瑠衣のほうがちょっとだけ大きいような気がします。はい。

 それと、あなたの妹さんは僕と会うまえから、ありすと会ったときから、あちらの世界に目覚めていますよ。そこは高確率です、ご安心ください。


 あ、でも今のが嘘なら、たった今うそ吐いたことになるなぁ。

『私の妹嘘吐かない』ーー本当に?

 いや、瑠衣がそうだとまだ決まったわけじゃないし、嘘とは限らないんだけどさ。

 でも瑠衣の部屋にあった本を読ませてもらったかぎりだと……ねぇ?

 とにかく嘘かはわからないけど、瑠璃の知らない瑠衣の秘密はあるけどね。そのせいで瑠衣は悩んでいる真っ只中だし……ま、とりあえず。


「二人とも、そろそろ歩かない?」

「……ん、豊花、正しい。豊花は言った、ひとは歩くのみなるぞ」


 元々この話題から逃げたがっていた瑠衣は、神の子の台詞みたく僕を表した。

 たしか、ひとはパンのみに生きるにあらず、だった気が……歩くのみになったらいやだ。


「……はっ! そ、そうね、立ち止まる必要なんてない。……ただ、一応訊いておきたい。豊花は本当に瑠衣と一緒に登校するためだけに、わざわざ学校から離れた位置にある家(うち)まで来たの?」

「……うん、とりあえず」


 おっぱいおっぱい言ってから、しばらく自身の胸と妹の胸に視線が行ったり来たりするだけになってしまっていた瑠璃は、ようやく意識を取り戻し最初の疑問を訊いてきた。

 やっぱり、なにかあるんじゃないかと疑いの眼差しを向けられてしまっている。

 しかし、ここで真実を話せば瑠衣を裏切ることになってしまう。まあ、いざとなればべつとして、今はまだ説明する必要はないだろう。


「ふーん……まあいいけど。私、そういう仕事をしてるから、判断が得意になってるって言ったのに、そういう選択をするってことは、それだけの理由(わけ)があるんでしょ?」

「……ごめん」


 つまり、さっき瑠衣の言ったことが嘘だったらバレているな。

 そして調べているからといって、自分が衝撃を受けたときに見繕えるようになるわけではないというのがさっきの流れでわかった。

 まあいいか。これで、いざとなったら瑠衣に内緒で瑠璃に相談する切っ掛けができたわけだ。

 瑠衣に伝わったとしても、弁明すればきっと許してもらえるはず。


 マンションまえの道を抜け、隣に公園がある人気の薄い細道を歩いて学校へと向かう。

 しばらく歩いていくと、最近やたらと働くようになった勘が働いた。

 といっても、誰かに見られている気がしただけだけど。

 僕は咄嗟に振り返り背後を確認した。


「えっ?」


 人気がほとんどないからすぐに気づけた。

 後ろにつづく道の先に、ちらり、と昨日の女性がいることに。


「なに、いきなりどうしたのよ?」

「豊花?」

「い、いや……なんでもない。遅刻しそうだし、急ごうよ」


 もしも相手に三人まとめて殺す気があるなら、とっくに殺られていてもおかしくない気がする。

 じゃあ、狙いは瑠衣ひとり?

 ターゲット以外の堅気は狙わない系の殺し屋なのか、はたまた目立ちたくないからなのか。

 いや、おかしい。

 目立ちたくない殺し屋にしては、話を聞くかぎりそこまで慎重なタイプだとは思えない。

 強姦致傷未遂だとはいえ、突発的に二人も殺した相手だ。


 しかし、結局のところ学校に着く頃には、ありす(仮)はどこかへ消えていたのであった。





 



(32.)

 なにごともなく、いつものように昼を食べに瑠衣の教室に向かうとき、裕璃が視界に入った。

 あれだけのことがあったのに、裕璃は警察にも学校にも言わなかったのだろうか。

 あれだけのことをされたのに、裕璃は学校に来るのが辛くないのだろうか。


 ……いや、辛くないわけがない。

 以前みたいに溌剌としていて、どこか天然も混じっていた元気な姿は、そこにはもう、なかった。

 裕璃は暗い表情を浮かべており、弁当も出さず、食堂に行くでもなく、ただただ四限目の国語の教科書とノートを出したままぼーっとしている。


 ふと、こちらに顔を向ける。

 すると、“無理やりつくっていますよ”とまるわかりな痛々しい笑顔をして、小さく手を振ってきた。

 表情筋が震え、今にも笑みがなくなり泣き出しそうな顔ーー。

 つい頭に血が上り罵ってしまった僕に対して、それでも関係を壊したくないのか、拒絶しようとする意思さえ見せない。


 たしかに瑠衣を否定されたことは頭にきたけど、裕璃を否定されたときに瑠璃に対して怒りが湧かなかったのは、単に裕璃が嫌いになったからとは言えないかもしれない。

 恋愛感情というものはあまりにも薄くなってしまったけど、それでも幼馴染みとして、友情という意識までもが消えたとは言い切れない。


 だって、いまの裕璃を見ていると、昨日まではほとんど自業自得だという感情さえ抱きそうだった。

 なのに、いまでは純粋に可哀想だと……どうにかしてあげたいだなんて、思ってしまう自分がいるんだから。


 それでも今は、瑠衣の問題を解決するほうが先決だ。

 単純に友情度の高低差以前の話。瑠衣を取り巻く出来事は、最悪命に関わる危険性がある。

 だから僕は、裕璃に関わらず教室の外に出た。

 

 ーーだから……“だから”が今の行動の理由になるのか?


 返事も反応もしない理由は、本当に“だから”なのか?

 いまだに僕が一方的に拗ねているだけじゃないのか?


 彼女自身の行動の自由に対して、『いずれ裕璃と僕は恋人関係になる』と空想していた絵空事が裏切られたから、僕は酷く落ち込んだし悲しみを抱いた。

 だから裕璃を許せないーーそれは、正しい感情なのだろうか。

 今はもう、その悲しみは解消している。

 呆気ないくらい早いスピードで、その悩みは綺麗さっぱり解決した。

 その時点で、綺麗さっぱり水に流してもよかったんじゃないか?


 終わった話より、これからの話をしたほうがいいに決まっている。

 裕璃を憎んでしまった僕を、今の僕が許して受け止める。

 過去(まえ)の僕を、現在(いま)の僕が許そう。許したうえ、もう裕璃を憎むのはやめようよ、と説得すればいいんじゃないかな……。 


 一年の教室を覗くと、まだ瑠衣しかいなかった。 


 思えば、異能力者保護団体に行った際、急に腕を捕まれ自身の胸に触らせてきた瑠璃のインパクトで、既に裕璃に対する悲哀は若干飛ばされた気がする。現金な奴だと自分でも思うけど。

 あれ以来、裕璃以外の異性とまともな関わりがはじまったんだっけ。

 あの翌日の朝に、瑠璃に話を聞いてもらうという、普通ならそうそうないシチュエーションで慰めてもらったりもしたなぁ。


 普段、昼を共にしている裕璃と食べづらい雰囲気だった休み時間、一緒に食べようと誘ってくれるとも思わなかった。

 もしや僕に惚れているんじゃ、などと恥ずかしい勘違いをしそうになったっけ……まあ、実際は妹のためだったんだけど。ただ、ちょうどいいタイミングで教室から誘い出してくれたのは事実にちがいない。


 あの時点で、頭の中にある裕璃に抱いていた気持ちはなくなっていき、その居場所に瑠璃が入れ替わり、悩みの種は霧散して次第になくなっていったような気がする。


 ……ん?

 僕のなかにあった裕璃の居場所? 裕璃へ抱いていた気持ちが瑠璃へ移った?

 って、それじゃまるで、僕は瑠璃のことがーー。


「った!?」


 いきなり背中を叩かれ、僕は驚いて振り向く。

 そこには、あの朝みたいにーー。


「もう迎えに行かなくても来てくれるんだ? ということは昨日も来てくれたんだね」


 ーー笑顔の瑠璃の姿が、そこにはあった。

 もしかしたら、瑠衣に向けている想いと、瑠璃に抱いている感情は別なのかもしれしない。

 だって、この胸の高鳴りは、性欲といった異性に対して常にある欲情が発端ではない。


 ああ、そうか。僕は自然と思っていたんだ。


 ーー同性の知人ではなく、僕を恋愛対象になり得る人間として見てほしいと。

 ーー僕以外の異性と仲良くならないでほしい、他の人と親しげに話している瑠璃なんて見たくないと。

 ーーもっと瑠璃の力になりたい、遠慮せずに頼み事を言ってほしいと。

 ーー“瑠衣の友達の豊花”でも“妹と同じ異能力者の豊花”でもない、瑠璃のなにかの杉井豊花として認識してほしいのだと。

 ーー瑠璃はなにが好きで、なにが嫌いなのか。どういう異性が好きなのか、どういう男は苦手なのか。同性のままではダメなのか……もっと、もっともっと、瑠璃のことを知りたい。

 

 今まで自分でも、この胸にある気持ちに気づけなった。

 わからなかった、けど、もう、わかってしまった。

  

 「ま、まあ、うん。昨日は瑠璃、来なかったからさ」


 もうダメだ。

 一度それだとわかると、単なる会話でさえ緊張してしまう。


 裕璃とだって最初はそうだった。ひとりぼっちの根暗な僕を見捨てず、情けないことをしても、恥ずかしいことをやらかしても、怒られて泣いた姿を見ても、気持ち悪いと誰かに笑われても、常に味方でいてくれた彼女の姿に、いつしかこれと同じ気持ちを抱いていた。

 そのときは長年共に居たから大丈夫だったけど、瑠璃とはまだ、付き合いが浅い。

 だから無駄に緊張してしまう。


「そりゃ昨日は“未確認飛行(そらをとぶ)色情狂(サイコレズ)”と“結晶(アイス)売(う)りの少女(おんな)”を追わされていたもの。学校には来れないわよ」


 だから会話するだけでもーーそ?


「そ、空を飛ぶサイコレズ? あ、アイス売りの少女? なに、その蔑称みたいな名前や絵本のタイトルみたいなの」


 耳のなかに狂った名前が入り、緊張していた心がどこか隅へと追いやられてしまった。


「追ってる奴らの非公式ながら、保護団体の捜査班の間でよく使われている呼び名というか通称というか……まあ、捜査班で共用している名前みたいなもの。長年捕まえられない異能力犯で、本名が判明していない奴らは、次第にわかりやすい別称(ニックネーム)が付けられるの。昨日、私が担当した犯罪グループも、ひとり以外本名不詳な奴らばっかりだし」

「なんだか犯罪者には思えない名前なんだけど……?」


 空を飛ぶのも同性愛なのも犯罪じゃないし、アイスを売るのが犯罪ならコンビニすら犯罪団体になってしまう。


「空を飛ぶ、つまりは異能力を使っていることになるし、空中飛行なんて異能力も未登録。つまり、異能力の乱用および故意の未登録状態維持で、法律を犯していることは確定してるの」


 ……つまり、いまの僕も法律違反に適応されていた可能性もあるのか。

 いや、空を飛ばなきゃ死んじゃうとか、常に空中に浮いているわけじゃなくて、意識して使っているからダメなのか。

 ただ、使える力を使ってはいけないなんて、なんだかちょっとだけ理不尽に感じてしまう。


「アイスは違法薬物ーー覚せい剤の隠語。それを売る女だから、アイス売りの少女」


 理不尽でもなかった。

 間違いなく犯罪者。そしてその仲間ってことは犯罪者に違いないだろう。

 今一、異能力の乱用って言葉には未だに慣れないけど。


「……幽体の差異は片方視認できたけど、オーラまで視認できなかったから、特殊取締捜査宣言のまえに、任意捜査の協力依頼からはじめようとしたんだけど……全然ダメ、アイツらには話が通じない。同じ日本語のはずなのに会話が成立しないの、わかる? まだムカつく、あの屁理屈ババア。緑のかまってちゃんもうざったいし、あいつ空飛んでる癖に異能力霊体付いていないのも謎なのよね。ああ、もうイラつく。先輩無視してこっちこないでよ、なんか居心地悪くなるし……」

「……へぇ、そうなんだ」


 よくわからないけど、本当に呼び名どおりなら、先輩とやらが男だから、女である瑠璃にかまってもらおうとしたんじゃないかな。その緑髪のかまってちゃんは。

 となると、先輩がどんな人間なのか凄い気になってくる。瑠璃に好意を抱いていたりしたらどうしよう。

 余計なことで戸惑いだしてしまう。


「で、中に入らないの? このままだと昼休みが終わっても起きないから、瑠衣を早く起こさなきゃ」

「あ、うん、そうしようか」


 その先輩について、訊くタイミングを逃してしまった。


 と、いきなり視線を感じた。

 いや……実際には“誰かに見られている気がする”という直感がしただけだ。つまりは勘だ。

 最近、やたらと頻出する直感が働いたことで、僕は廊下を見渡す。


「ひぃ!?」


 ーー心臓が止まるかと思った。


「どうしたのよ急に、らしくないけど見た目には合っている可愛らしい悲鳴をあげちゃって。なに? 瑠衣から女らしくしろってまた言われたの? 瑠衣のやつ、まさか本当に同性を……」


 瑠璃がなにかぶつくさ言っているけど、それは現状を知らないからだ。

 我が目を疑い、まぶたを擦り、再び廊下を見る。

 状況は変わっていなかった。


 そこには、昨夜や今朝に目撃した、ありすらしき女性の姿。

 

 学校の制服を着て生徒に紛れているけど、顔を見ればわかる。

 さすがに今朝見たばかりの顔くらい、僕だって忘れない。

 実際に風守高校の生徒の可能性は、瑠衣の話が真実ならありえない。あの人物がありすだと仮定するなら、だけど。

 ありすというひとは、たしか中学校にも通っていないらしいし。


 そもそも瑠衣が初対面の時点で高校生という印象を抱いたのなら、中学校未修で高校転入になる。有り得るか? いや、そんな偶然、あり得ないだろう。

 だいたい今朝、制服なんて着ていたか?

 着ていたら、それが目に付いて警戒しようという気になっただろう。


「おーい、いきなりどうしたの? 豊花ー、聞こえてる? ちょっとちょっと、いきなりどうしたのよ、そんな怯えた顔して。私のせいなら謝るけど、いや、なんにもしてないのに謝りたくはないけど」

「ごめん瑠璃。ちょっと、打ち明けたいことがあるんだ。瑠衣には秘密で……」


 こちらが一年B組の後ろ側の扉付近にいる一方、向こうは1年C組の黒板がある教室の入り口の前にある壁に背を預け、誰かを待っているふうに装っている。

 しかし、体が少し斜めを向いており、教室の中には視線が行っていない。

 直視ではないものの、こちら側を窺っている。

 

「なに? 早くしないと私達もお昼抜きになるよ……まあ、うん、話して。今朝からなにか気にして妙にそわそわしていたのって、きっとそのせいでしょ? 怯えてるからさ、おかしいなー、まさか本当にロリコンに襲われたんじゃーーって気になってたし」

 

 ありすらしき人物と目が合った気がした。

 向こうもこちらを気にしているのか、視線が交わる。

 緊張し過ぎて固まりそうだ。


「誰かと話をするときはちゃんと相手の目を見なさいって習わなかったの? だいたい、なに見てるのよ? あのひとが好きだから瑠衣とは友達のままの関係でいたい、って断ってほしいなら別にいいけど……」

「いや、ごめん。昨日あった出来事、瑠衣の話、手短に説明するから、一緒に打開策を講じてくれない?」

「は、はい? 打開策? 出来事? なにがあったの?」

「実はーー」


 要所要所を省きながら、重要な点を纏めて瑠璃に明かすことにした。

 なぜなら、学校内は安全な領域だと勝手に安心しきっていたのに、それが崩されたから。

 学校に居るうちに手出しされなければ、登下校だけ気をつければいい。なら、どうにかなるんじゃないかと思っていたけど……なんてバカバカしい。


 第一、きょう守り抜いたからと言って、誰が明日は襲わないと明言したんだ?

 瑠璃みたいに夜にひとりで外出しないと、瑠衣は言っていたか?

 だいたい、休日はどうしようもないだろう。

 それに、瑠衣と間違えられて瑠璃が殺される可能性もあるじゃないか。


 もっと早めに伝えてもよかったほどだ。ぐずぐず悩んでいるからこんな事態になる。

 うう、なんだか精神まで弱まっている気が……いや、誰だってマジもんの殺し屋がいるなら恐いだろう。

 怖い……怖い、怖い、怖い怖い怖い!


 緊張から、噛んだり声が高くなったりしてしまうせいで、変な声や口調になっているだろう。だけど、かまわない。説明するのが先だ。

 暑いのに体が振るえる。

 暑いからか汗が止まらない。

 冷や汗も止まらない。


 ありすは、瑠璃に勝らずとも劣らない容姿ではある。

 見た目だけならかわいいと評されるだろう。

 かといって、纏っている危うい空気がなくなるわけじゃない。なにか、理由はわからないけど、普通と異なる危険な気配が漂っているのだ。

 僕が勝手に抱いるだけかもしれない。でも、一度ついた印象はなかなか変えられない。


「ーーというわけなんだ。だ、だから、今そこにいるひとが金沢(アイツ)が依頼した、こ、殺し屋かもしれない! どうしよう? どうすればいい!?」

「……あのアホ。邪魔どころか迷惑かけやがって……わざわざあの裕璃(アホ)助けにいったの? ……へぇ。助けに行っちゃったんだ?」


 瞬間、背筋に寒気が走った。

 話を聞き終えた瑠璃は、普段とは異なる表情をしていた。口元は微々たる笑みを浮かべているが、目はまったく笑っていない。直立したまま動かない、乾いた光なき瞳を持つ人形。

 瑠衣が秘密を隠していたこと、ありすという殺し屋について、裕璃の強姦被害の悲壮感、それらを聞いて訊いてきた質問の返答。それらを聞かせると、瑠璃の表情がなんともいえない怒りに変わっていた。

 瑠璃の豹変した表情に気づいた僕は、固まってしまい、なにも言い返せない。


「……そっかそっか……へぇ……助ける必要あるんだ? 裕璃(あいつ)にはわざわざ教えてやったのに……無視してヤリチンのほうの金沢(かなざわ)に従ったのは……自分でしょ? 今から金沢に裕璃を差し出して……二度と僕たちは邪魔しないですご自由に……くらい言ってきたら? 1%の可能性でも、解決するならやるだけの価値はあるんじゃない? あはははっ」

「ちょ、ちょっと待ってよ瑠璃!? いまは打開策が先決でしょ? それに、あのさ、裕璃はあくまで被害者なんだからそんなことできるわけなーー」

「うるさい……返事しないでいいから口閉じて? そのくらいもできない? ……大人しく棒のあるほうの金沢に従ってりゃいいんだ。自らアイツに寄ったんだから……金沢が面倒臭がられているのは穴のあるほうの金沢がいるからだとわからないの……わからないか……あいつ大学生だし……」


ーーはて、これはおかしなことになったぞ?ーー


 え?

 な、なんだいまの?

 僕じゃないのに頭が勝手に思考を開始した!?

 

ーーきみは言っていたはずだ。きみはたしかに赤羽裕璃に向かって『助けないほうがよかった!?』と怒鳴り責めていたはずだ。思考、感情、直感、感覚、どれを用いたにせよ葉月瑠璃と解は同じに至った。そこにどのような差があるのか教えてほしいものだが。きみに瑠璃を責める権利はないはずだが? さて、困った、私には理解できない。いや、ああ、なるほど、そういうことか。ようするにきみは葉月瑠璃に対して、私の裕璃(もの)に怒っていい人間は所有者である私だけだ、と暗に伝えたいわけか。なるほど、なるほど、実に人間らしい妬みや怒り、歪んだ愛や憎悪の感情だ。ーー


「違う! 理解できなくもないだろ? ただ、ただ僕は」

「うるさいって言ったでしょ? ……少しは黙りなさい。いま考えてるんだから。わかった?」


 思考が混線した叫びに対して、瑠璃は淡々と宥めてきた。

 違う!

 いまのは瑠璃に言ったんじゃない!

 勘違いしないでほしい。僕は、僕はただ、僕はただ……僕はただ僕に言っただけなのに?

 ーーいや、おかしい。なんだよそれ?


ーーそんなことよりいいのか? 金沢が二つに分裂したぞ? 無視してもいいものなのか、私は気になるが。あながある金沢と、棒がある金沢に。それにしても、きみはもう、私を忘れてしまったらしいな?ーー


 は? もしかしておまえ、異能力霊体か!?


 以前とは異なる感覚だったせいで気づけなかった。

 なぜなら、前回は単に脳内に聞こえる声へと返答しているだけだった。

 それが今回、まるで自分で考えているように勝手に頭に流れ、それまでの思考が強制停止して他の思考が不可能になったからだ。


ーーひとつの存在になる日は、どうやら遠くはないらしい。喜ばしいことではないか。怒りや憎しみ、悲しみは大事にしてほしい。いつまでも抱えて離さないようにしてくれよ? すぐに手放さないほうがいいのだから。可能なら、異能力の勘違いを直すと、さらに速く同調できてなおのこと素晴らしいぞ。ーー

 

「まさか……豊花も瑠衣の障害になるとは……あの子に近寄るなとは言える。だけど既に瑠衣とは仲良し。無理かな……ありすだかと別れたから泣いていたみたいだし……あの子は…………落ち着け……落ち着こう……葉月瑠璃……私は瑠衣じゃない……瑠衣は私でもない……私は姉だから妹を助ける……それ以外は妹にも平等に考えろ……葉月瑠璃を捨てる必要は皆無……わかったな? ……うん、わかった。ーー豊花?」


ーーそれにしても面白いな、これ。いまだかつてこのような事象なかったぞ。相性の問題か? 私が成長したのか? ははは面白い! 面白い。ーー


「豊花! ーー聞いてるの?」

「っ!?」 


 瑠璃に名前を呼ばれて、ようやくまともな思考を異能力霊体から取り戻せた。

 あのまま乗っ取られるんじゃないかと思った……よかった。

  

「ありがとう。で、な、なにかな」

「なぜお礼? で、私が考えるにさ? 直接言えばいいと思う。追い出すのもいいし、ありすってひとだと確信できないなら質問してもいいし、それでいいんじゃないかな?」


 瑠璃は眉を潜めまぶたを閉じたまま腕を組むと、すぐに目を開け人差し指を立てながら提案した。

 いつの間に変わったのやら、あの乾き果てた瞳をした無機質な状態から、いつもの瑠璃の柔和でわかりやすい表情に戻っていた。


「え、あ、う、うん? いや、それって危なくない!?」

「いいから、悩むよりかは行動したほうがマシじゃない。聞くくらいなら平気よ。さすがに校内で暴れるわけないだろうしね」


 瑠璃は気にせず、ありすと思わしき女生徒に向かって歩く。

 僕も遅れながらそれを追う。


 異能力霊体に悩まされた直後なのに、既に意識の外にそれについては追いやっていた。

 目の前の問題を解決するのが先だ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る