Episode05

(13.)

 いつの間にか寝てしまったらしい。

 目を覚ましたら、もう翌日の朝になっていた。

 たしか昨日は、あのあとすぐに帰ってきて……そうだった。

 異様に疲れたから、昼寝から起きてすぐ、再び布団にダイブしちゃったんだった。

 心の準備ができないまま、普段なら家を出る時間がやってきてしまった。


 ーーあっ!


 制服を取り出そうとして、ふと気づいた。 

 いつも着ている制服を、今の自分が着れるのだろうか?

 急いで昨日から着たままでいたショートパンツを脱ぎ捨てて、制服を取り出す。

 試しにズボンに足を通してみたが……。


「ゆ、緩すぎー!」


 ブカブカどころの話じゃない。

 これじゃベルトを限界までしめても、手で押さえていなくちゃストーンっと落ちてしまう。

 そもそもズボンから足がちゃんと出てくれず、裾を踏んでしまっている。

 しまった……学校にも連絡しておくべきだった。


 いくら異能力者になったら問題解決が優先だからといって、女体化するだなんて思わないだろう。

 仕方ない、今から連絡すればまだ間に合うかもしれない。

 僕は携帯を取り出し担任の先生に電話を入れた。


『もしもし、豊花くん? どうしたの~? 昨日からなんの連絡も来ないから心配してたのよ~?』

「す、すみません、雪見(ゆきみ)先生。その、実は一昨日、異能力者になってしまって、昨日は保護団体に行っていました」

『あれ~? あなた豊花くんじゃないわね~?』


 声が女だからか、早速訝しげに問われてしまった。


「いや、その、異能力の内容が女の子になって戻れなくなるというものなんです」


 うわ~、いちいち最初から説明していかなくちゃいけないって、もう面倒くさくなってくる。


『あらあらそうなのね~、でも~、それならそれで連絡くらいしてくれないと困るじゃな~い』

「す、すみません」


 社会の梅沢(うめざわ)がペチャクチャ言っていたから連絡しなかっただけーーだなんて言えるわけないか。


「それで困った事がありまして」

『なにかしら~?』

「僕の異能力の内容はさっき言ったとおり、小柄な14歳の女の子になるというものです。つまり体格なんかも縮まっています。なので今まで着ていた制服のサイズがまったくあわなくって」

『まあまあ、それは大変ね~』

「……私服で登校してもいいですか?」

『そうね~、制服を新調するにしても~今からなんて間に合いっこないし~、そうするしかなさそうだから、いいんじゃないかしら~?』

「わかりました。ありがとうございます」


 なんだか雪見先生はふわふわしていて、本当に大丈夫なのか心配になるけど……まあ、担任に言うのが普通だろうし、その担任が大丈夫と言ったのだから、大丈夫でいいだろう。


「それじゃ、これから着替えて登校します」

『はいは~い、遅刻しないようにね~?』


 そう言葉を交わし通話を切ると、僕は一番楽に着れそうなワンピースに手を伸ばし、ささっと着替えた。

 そこで、昨日忘れていたことを思い出した。


「ぱ、パンツ、買うの忘れてた……」


 つまり、この身体に合うパンツは、一昨日から履きつづけていた物しか存在していないことになる。

 そして、そのパンツの裏地を見ると、なぜだか染みが少し着いているのだ。

 ケツだって、アソコだって、たしかに綺麗に拭いていたはずなのにーーなぜかスジのような染みができてしまっていた。


 だが、選択肢はもうふたつしかない。

 ノーパンか、汚パンツかーーそのどちらかひとつ。

 ワンピースにノーパンは、パンチラしにくい服装なのにも関わらず、どうしても気になりそう。


「もういい、考えたったしょうがない!」


 仕方なく、僕は洗濯知らずの汚パンツを履いたままにするのだった。

 ようやく着替え終わったが、なんだか大半をパンツの葛藤に使ってしまった気がする。

 鞄を持つと、部屋から出て外へと向かう。


「豊花、朝ごはん食べていかなくていいの?」


 母さんが心配そうに声をかけてくる。

 食べていきたい気持ちもあるけど、もう時間的に無理だ。


「着替えに手間取っちゃったから食べる時間ないや、ごめん」


 手間取った、ではなく、戸惑った、のほうが正しいかもしれないけど。

 なんにせよ今日の帰りには、必ずパンツを購入しなければ!

 僕は急いで靴を履くと、玄関を開け放ち外へと出た。






(14.)

「えーーゆ、ゆ……り?」


 マンションから出て最初に目に映ったのは、いつもそこにいるひとの姿ーー。

 一緒に登校するために待っている裕璃が、そこには居た。

 変な言葉が口から漏れてしまった。


「ん? あれ、あなたは……?」


 裕璃は僕を見て、なにやら目を細めた。

 こんな見た目じゃ、誰だって僕が豊花だなんてわからないだろう。

 だいたい、どうして彼氏ができたっていうのに僕なんかと登校しようとするんだ。

 彼氏からしても、気に入らないんじゃないかな……。

 思わず立ち止まってしまう。


 しかし、なにかを言おうとしても、なにを言えばいいのかわからなかった。

 その空気に耐えられず、僕は裕璃を横切り学校へと歩きはじめた。


「ごめん、ちょっといいかな」

「え?」


 まさか声をかけてくるとは思わなかった。

 そのせいで、咄嗟に振り向いてしまう。


「ねぇ、きみ、杉井豊花って名前のお兄ちゃん、知らないかな?」

「……」


 どうやら、豊花の知り合いかもしれないと、そう考えたみたいだ。

 杉井豊花はここにいるのに……。


「知らないか。急にごめんね」

「……彼氏はいいの?」

「え?」


 つい……つい思っていたことが口から漏れてしまう。

 恋人がいる癖に僕と登校するなんて、僕からしたら嫌でしかない。


「彼氏がいるのに僕なんかと登校しちゃっていいのか、って聞いているんだよ」

「あ、あれ、え、きみって、いったい?」

「はぁ、また説明しなくちゃいけないのか……」


 しょうがない。

 どうせ、学校に着けば判明する事実だ。

 説明しない、だなんて意地をはってもなんの意味もない。


「まず最初に言っておく。僕は杉井豊花だ」

「え、あ、うん……うん?」

「つまりーー」


 僕は歩きながら、一昨日から始まった一連の流れを裕璃に説明した。

 理解しているのか、理解できていないのか、とにかく裕璃は頷きながら聞いてくれた。


「ーーというわけで、こういうことになった」

「あー、だから昨日学校に来なかったんだ? ずっとマンションの前で待っていたのに、酷いよ。ちょっとくらいさ、ほら、声くらいかけてくれてもいいんじゃない?」


 なんだか無性にイライラした。


「あのさ……裕璃の質問には答えたんだから、今度は僕の質問に答えてくれないかな」

「え? なんか言ってたっけ?」

「だから、彼氏はどうしたのって聞いているんだよ! ……わからない?」


 普段なら出さないような大声を出してしまった。

 女になっても、未だに裕璃に対して複雑な感情を抱いたままだ。

 元から裕璃とはそういう関係じゃなかっただけの話だろう?

 ……僕が勘違いしていただけなのに、なぜだろう?

 裕璃に当たってしまいそうになる。


「えー? 彼氏だからって、別にずっと一緒に居なくてもいいじゃない? 金沢(かなざわ)先輩も、恋人としての時間とプライベートの時間は分けたいって言ってたもん」


 ーー金沢先輩。

 そいつが、裕璃をたぶらかした男か。

 どんな人間なんだろう?

 酷いヤツじゃないだろうか?

 ーーそんなことばかり考える自分は、もっと醜い人間のように思えてくる。


「その、金沢先輩って、どんなひとなの?」


 小さな体躯に詰められた僕の心臓の鼓動が、徐々に早くなっていくのがわかる。


「んー? 今の豊花相手にーー小さな女の子相手に言うのは腰が退けちゃうなー」

「いいから、そんな言いにくいひと?」

「うーん、えっとね……やさしくて、強いひとだよ。エッチなのがたまに傷だけど」


 ……エッチって……いま、言わなかったか?


「え、エッチ?」

「うん、すぐ身体触ってくるし、お家デートにすると、大抵エッチだけで終わっちゃうんだもん。金沢先輩のダメなところかな」


 僕のなかで、なにかが崩れる音がする。

 お家デートだと、エッチだけで終わっちゃうーーそれってつまり、そういうことをしているって意味だろう。

 しかも、何度もしているみたいだし。

 僕の抱いていた裕璃に対するイメージが、木っ端微塵に砕け散るのを体感する。

 裕璃が、あの裕璃が、見知らぬ男のあれを舐めたり、何度も腰を打ち付けあったりしているーーその姿を想像しただけで、胸が空虚になる錯覚がした。 


「どーしたの? 豊花にはまだ刺激が強かった? ごめんね」

「……付き合ってからどれくらい経つのか、正確には聞いていないけど……」

「ん? 付き合ってから、そろそろ一ヶ月になるよ?」


 ……ダメだ、もう考えるのはやめにしよう。

 どう考えても、その金沢先輩というひとは、やりたい盛りの男にしかおもえない。

 まだ一ヶ月経っていないのにエッチばかりする状況ーーつまりは、会えば必ず一回はするのだろう。

 それでいて、一緒に登校するっていう、恋人にはありがちなシチュエーションは避けている。

 そんなやつが、そんなやつが……いいひとだって言えるのか?


 だけど……僕にはもう、なんの関係もない。

 裕璃が好き好んで自分から付き合った相手なんだ。

 とやかく言える立場じゃない。


「ど、どうしたの、豊花?」

「いや、なんでもない。でも、僕はもう、裕璃と一緒に登校しないようにするから」

「え? ど、どうして? そんないきなり……べ、別に金沢先輩は好きにしててもいいよって言ってるんだよ? 変な遠慮はしないでいいーー」

「僕が裕璃と一緒にいたくないってことだよ!」


 もう、耐えられなかった。

 怒声で遮ってしまった。

 小学生の頃から仲良く遊んで過ごしてきた、僕の初恋のひとが、別の男とイチャイチャしたりエッチしたりする話なんて、とても聞いてはいられない。


「……え? な、なんで……え、私、悪いことした? あ、そしたら、謝るから」

「先に行くから、もう朝、マンションまで来ないでね」


 どうやら、想像以上に裕璃はショックを受けたらしい。

 振り向いて裕璃を見ると、早足で歩く僕を呆然とした顔つきで見ながら立ち止まっている。

 ごめん……でも、僕も傷ついたんだよ?

 好きな女の子にいつの間にか彼氏ができて、その彼氏と性行為していることさえ聞かされたんだよ?

 胸が……苦しくなる。

 なにも喋らなくなくなった裕璃を置いたまま、一足先に学校へと向かった。







(15.)

 校門に入った段階で、既に周りから注目の的になってしまっていた。

 14歳の少女が、しかも私服のままで高校に入ってきたのだから無理もない。

 走り歩きで職員室に向かった僕は、まずは雪見先生に声をかけた。


「本当に豊花くんなの~? びっくりしちゃうわ~、なにもかも別人じゃな~い」

「あ、あはは……あの、これ。渡したほうがいいかと思って」


 僕は雪見先生に『異能力者保護団体申請完了証明書』なるカードを差し出す。


「あらあら、たしかにこれがあれば~、他の先生方にも説明しやすいわ~」

「放課後までに返してくれれば大丈夫なので、いろいろお願いします」

「りょうか~い。豊花くん、先に教室に行って待っててね~。クラスのみんなには、ちゃんと説明するのよ~?」

「わ、わかりました……」


 クラスメート34人全員が理解できるまで、この身体の説明をしなければならない……だと?


「失礼しました」


 まあ、言われたとおりにするしかない。

 僕は職員室を後にして、自分の教室へと向かった。

 自分のクラス、二年A組へ……そういえば、隣のB組には葉月さんがいるんだったっけ?

 なんだか葉月さんのことを考えていると、裕璃に対して怒っていた気持ちが少しだけ和らいだ。

 ちょっとだけ、B組を外から覗いてみる。

 周りの目が気になるけど。

 どの席に座っているんだろう?


「せいっ」

「うっ!?」


 バシーンッ、と豪快に背中から音が鳴る。痛い……。

 背中を誰かに叩かれ、思わず背筋を伸ばしてしまった。

 誰が叩いたんだと振り向くと、そこには昨日知り合った相手ーー。


「昨日ぶりじゃない、杉井」


 ーー葉月の姿が、そこにあった。

 なんだろう、この気持ち?

 妙に緊張してしまう。


「どう、うまくやっていけそう? それとも無理そう?」


 今しがた探していた相手ーー葉月瑠璃。

 なんでなのかな?

 葉月さんのことを見ていると、やたらと動悸が強くなるし、手汗が滲んできてしまう。


「えっと、まあ、頑張って受け入れてもらうよ。おはよう、葉月さん」

「だから“さん”は要らないってば。うーん、なんか昨日より元気ないように見えるんだけど? なんか、心ここにあらずって顔してる。そんなにかわいいんだから、もっと笑顔になりなさいよ」

「あ、あはは……その、ちょっとだけ、ショックな出来事があっただけだから、すぐに復活するよ」


 それは、異能力と無関係な問題。

 いくら愚痴ろうと、いくら考えようと、解決しない悩み。


「なに? 言ってみてよ? 相談くらい何だって乗るって言ったじゃない。保護団体で会った縁だし、そのくらいしてあげるって」

「いや、その……異能力とはなにも関係ないからさ」

「べつに異能力に関係ないから相談しちゃダメだなんて言ってないけど? なんでもいいから悩みの種を言ってみてよ。ほら、あと8分でチャイム鳴っちゃうわよ?」


 そんなに言うなら……。

 

「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ聞いてくれるかな?」

「なに?」


 僕はいったい、誰に、なにを、相談しようとしているんだ?

 葉月と関係ない人物、葉月と無関係の問題、独りよがりな悩み……それを、どうして単なる同級生に言おうとしている?


 でも、誰かに吐き出したかったんだ。


「幼い頃から好きだった幼馴染みがいるんだけど、このまえ、その子から『彼氏できたよー』って聞いちゃってさ。彼氏がどんなひとなのか気になって聞いてみたら、その、えと……彼氏と、そういうことをしているって聞いちゃったんだ。そしたら、なんだか胸が苦しくて、ついつい怒鳴っちゃって……僕が勝手に好きだっただけで、とやかく言う資格なんてないのにさ、変だよね? ごめん、こんなつまらない話で」

「……そいつ、なんなの?」

「え?」


 意外な反応だった。

 てっきり、ぐずぐず悩む僕を笑うか、叱責するものかと思っていた。

 なのに葉月は、幼馴染みーー裕璃のことを聞いてきたのだ。


「あのさ、はっきり言って頭おかしいよ、そいつ。どんなヤツなの? 名前は?」

「待って待って! 裕璃は、僕に好意を向けられてるって気づいてないから言ってきただけなんだよ。裕璃からすると僕は単なる幼馴染みだし、そういう話もノリでしちゃったんだよ、きっと」

「へ~、裕璃っていうのね、そいつ。私と名前の響きが似てて嫌になるな……。杉井、あのね? 別に、彼氏つくったアピールはどうでもいいの。でもね、幼馴染みに『彼氏ができましたー』なんて言う必要はないし、それだけならまだしも、『彼氏とセックスしましたー』なんてビッチですって自ら言い出すアピール、普通しないから! 親しき仲にも礼儀ありーーって言葉を知らないのね。裕璃って子に伝えておきなさい」


 な、なんでだろう、女の子がダイレクトに『セックス』だとか『ビッチ』だとか言うのは、ちょっと気になってしまう。

 でも、なんだか葉月は怒っているように見えた。

 そういった話題は嫌いなのかな?

 でも、葉月みたいに可愛くて明るいと、彼氏なんてよりどりみどりな気がするけど。


「いや、まあ、今さっき、ちょっと怒鳴っちゃったから……伝えることはできないかな」


 というか、さすがに見知らぬ人物からの伝言が届いたら謎過ぎる。


「良い判断したじゃない。頭も股も緩い女のことなんかでぐずぐず悩むなんて時間の無駄よ。裕璃ってやつは見たことないけど、今の杉井のほうが断然かわいいと思うし。いや、ぜったいそうだから。だから、もうそんなこと考えないようにしなさい」

「う、うん……わかった」


 チャイムが鳴りはじめる。


「……せっかく……に……友達が……じゃない……」

「え?」


 チャイムのせいで、葉月がなにを呟いたのか確認することができなかった。

 なにも解決していないのに、葉月にいろいろ言われただけで、裕璃への執着が薄れた気がする。

 不思議な気分だ。


「それじゃ、またあとで」

「うん? え?」


 またあとで?

 言葉の言い回しで、適当に言っただけかもしれない。

 だけど、今日、葉月にもう一度会えるかもしれないと思うと、なぜだか気分が明るく晴れる気がした。

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