6話 理性と食欲

 貯蔵庫の中に食材が何も無いと知ってから数時間後、ファウストとイリスは魔界の中心地区に広がる繁華街、サキュバス族の長ローズが仕切る店に来ていた。

 店の外見は派手に派手を塗り重ねたような、ギラギラとした装飾が目立つが、店内は複数の小部屋に区切られこれといった装飾などが無いシンプルな作りだった。

 体のラインが浮き彫りになるピッタリと肌に密着した衣装を身に纏うサキュバス達が、店に訪れている客を見定めながら店内を闊歩する姿が目立つ。

 甘い香りを放つお香がいくつも焚かれ、煙が店内を充満している事でより一層官能的な雰囲気が溢れ、所々から男女の濃密な会話や如何わしい音や甘い声などが漏れ聞こえる。

 そんな店の奥に構えられている部屋が、ローザの部屋だ。

 ローザの部屋では、空腹でご機嫌が斜めのイリスが、自分達がこの店に来ている経緯をローザに説明しており、感情が昂った勢いで拳をテーブルに打ち付けた。

「ほんとに有り得ないんだけどっ!」

 バンッ――――。

 叩かれた衝撃で、テーブルがカタカタと揺れる。

「ちょっと、壊さないでくれる? その中に大事な薬品とかが入ってるんだから」

「あ、ごめん」

 イリスの相手をしているローザは面倒臭そうにその話に相槌を打ちながら、ファウストに依頼されている薬品を作っていた。

「彼が人間の食べ物しか食べられない事は分かるけど、あなたは人間の食べ物に拘る必要ないんじゃない? 体内の作りは魔族と一緒なんでしょ?」

「っ、だって美味しいんだもん……」

 イリスは口を尖らせながら、出された茶を啜る。

「確かに、彼が作った料理は絶品だけど、そんなに拘る必要があるかしら?」

 ローザは向かい側にある棚に指を指すと、棚の扉が開かれその中から、乾燥された何かが出てきた。

「ほら。コレなんかオススメよ」

「魔界の食べ物は全部パサパサしていて嫌だ……」

 イリスは目の前に出された乾燥した何かを、嫌そうに指で突く。

「あら。美容健康に効くって、サキュバス族の間では人気なのに」

「魔族は結果しか求めないから嫌なんだよ……。だいたい、コレが何から出来てるとか知ってるわけ?」

 乾燥した何かを『物体A』と名付けよう。

 その物体Aの表面はカチカチに乾燥しているが、半分に割ると中から甘い蜜がトロリと溢れ出てくる。

「さぁ? 効果があるなら何でもいいじゃない」

 ローザはそう言うと、何の躊躇いもなく物体Aを半分に割り、ジュルリと艶かしい音を響かせながら中の蜜を吸い出した。

「うへぇえ……」

 正体が知れない物を良く食べられると、イリスは呆れた表情をローザに向ける。

「コレね、本当に凄いのよ。中の蜜を少しでも舐めるだけで体が芯からポカポカ温まるの」

 言われてみれば、ローザの頬がほんのり赤みを帯び始めていた。

「仕事の前にコレを食べると、ほんとに凄いんだから」

 高揚した頬に、熱を帯びた瞳、少しずつ乱れる呼吸。

 明らかにローザの身に異変が起きていた。

「いや、それって――――」

 異変を感じ取ったイリスは言いかけた言葉を飲み込み、口を紡ぐ。

 余計な言葉を口にして、面倒な事に巻き込まれるのは御免だった。

「ま。私にはあんまり効かないんだけどね」

 先程の甘い空気を帯びた様子と打って変わって、ケロリとした様子のローザは何でも無さそうに、残りの蜜を啜った。

 物体Aの正体が何なのか、何となく察したイリスは出された物体Aを自分から遠ざけた。

「それより、ファウストはどこに行ったの?」

 つい先程まで一緒に居たはずのファウストの姿が見当たらず、イリスは辺りを窺う。

「あぁ、彼ならさっきアレクに捕まっていたわよ」

「なっ! それならもっと早く言ってよ!」

『アレク』という名前を聞いた途端にイリスは慌て始めた。

 するとイリス達がいる部屋の外が騒がしくなり、まさかと思ったイリスは部屋の扉を開けると、ファウストと一人のインキュバスが取っ組み合いを繰り広げていた。

「なぁ、ちょっとだけだから! 減るもんじゃないし良いだろ?」

「だから! 俺にそんな趣味は無いって言ってんだろ!」

 さすがインキュバスと言うべきか、世の女性達が無視する事が出来ない程の整った顔立ち。

 上品さを持ち合わせた甘い顔のインキュバス族の長『アレク』が、心底嫌そうな態度を取り続けるファウストに縋るように絡む。

「本当にちょっとだけでいいんだ! 俺はアンタの精気の味を知りたいだけなんだよ!」

「っ、気持ち悪い事言うんじゃねぇよ!」

「分かったから! なら、俺がアンタの好みの女に姿を変えるからそれでいいだろう?」

「はぁ? 姿を変える?」

「俺はインキュバスだぜ? 相手の好みに合わせて姿を変えて素敵な夢を見させるのが仕事だからな」

 するとアレクは指をパチンと鳴らすと、一瞬の間で女性の姿へと変化した。

「なっ…………」

 その姿を見たファウストは言葉を失った。

 腰まで伸びたファウストと同じ、光を透通すブロンドの髪と空と同じ色の瞳、瓜二つの姿がそこにあった。

 ファウストがもう一度会いたいと心の底から望んでいた相手が、突然目の前に現れたのだった。

「アンタの記憶に一番残っている女の姿に変えてみたんだけど、なんかお前とそっくりだな」

「な、なんで……リュドミラが……」

「ふふんっ! さすがインキュバス随一の変身魔法の実力者だな」

 アレクは変身した姿をいたく気に入ったのか、鏡に映る自分の姿をうっとりとした表情で見つめていた。

「どうだ? この姿ならアンタもその気になるんじゃないか?」

 変身した姿でファウストに抱き着いたアレクは、上目遣いでファウストを見上げた。

「やめろ…………」

 ファウストは抱き着いてくるアレクを強く突き飛ばし、呪文を唱えた。

「ゲート、宝物庫」

 ファウストが呪文を唱えると、黒い霧が発生しその霧の中から鉄製の重厚そうな扉が現れ、ファウストはその扉に手を翳した。

 ギギギギィッ――――。

 音を立てながら扉が開き、ファウストはその中から禍々しいオーラを放つ魔剣を取り出した。

「お前っ! 魔剣を取り出すなんて卑怯じゃねぇか!」

「イリスからの許可は降りてる。宝物庫にある武器は好きにしていいってな」

 ファウストは最終警告だと言わんばかりに、魔剣の剣先をアレクに向けた。

「さっさとその変身魔法を解け。これ以上、その姿でおかしな事をすればその大事な顔を斬り落とす」

「なんでそんなに怒ってんだよ! 分かった、元の姿に戻るから……」

 ファウストに迫るアレクは、この繁華街をローザと共に仕切るインキュバス族の長で、『モノ好きアレク』等とも呼ばれている。

 通常のサキュバスやインキュバスは自分が気に入った精気を求めるのだが、アレクは好み関係無く様々な精気を求めそして収集している精気コレクターであった。

 そんなアレクにとって元大英雄ファウストの精気がどんな味をしているのか気にならないわけがなく、収集癖のあるアレクは喉から手が出る程ファウストの精気を欲しており、精気欲しさにファウストの周りを常に嗅ぎ回っては今みたいに「少しでもいいから」と縋っている。

 これまでに数々の迷惑を被ってきたファウストは我慢の限界を迎えていたが、相手が相手な為にどうする事も出来ずにいた。

 魔剣を構えるファウストと、それでも諦めきれないアレクの二人の思いが衝突し合い、店内にいる客達が両者のやり取りに好奇心を擽られ二人の周りを取り囲み始める。

 一触即発かと思われた中、飽きれた表情のローザが騒動の渦に割って入った。

「店の中で揉めるなんて、営業妨害で訴えてもいいのよ?」

 ローザの登場により、面倒なのが来たと顔を顰めるアレク。

「アレク、大通りの一部の店の売上が悪いから見直せって言った件、どうなったのかしら? 確か、今日その報告を聞ける日だったはずよね」

「……あ。やべ」

「ファウストも。依頼されていた薬が出来たわ。子供の相手をするの面倒だから早く主人を連れて帰ってちょうだい」

「……あぁ。今回も急な依頼をして悪かった」

「本当よ。この世界で、この私を急な調薬で振り回すのはアナタだけよ」

 ファウストは数粒の薬が入った小瓶を受け取り薬代を支払おうとした時、ローザに止められた。

「今回の支払いは要らないわ。その代わりとして、私が次にアナタにお願いした事を絶対に受けてちょうだい」

「…………それは絶対にか?」

「えぇ。絶対によ」

 絶対に面倒な事に巻き込まれると分かっているが、今回の騒ぎでローザに迷惑をかけたという事もあり、従う他がないファウストは渋々頷きイリスを連れて繁華街を後にした。





 ファウストとイリスは繁華街から少し離れた場所に移動し、ファウストは食料の調達をする為に人間界へ向かう準備をしていた。

「ねぇ、私も一緒に行きたいんだけど」

「駄目だ」

「なんでよ! 私このままだと、お腹が空きすぎて死んじゃうじゃない!」

 駄々をこねるイリスに対し、ため息をこぼすファウスト。

「腹が減ったからって死ぬ魔族がどこにいるんだよ」

 ファウストは不貞腐れるイリスを冷たく遇い、ローザから貰ったばかりの変身薬を飲み込んだ。

「そもそも、俺が人間界へ向かうだけでもリスクがあるのに、魔王のお前を連れて行ける訳が無いだろ」

「人間界に行ったら絶対に美味しい食べ物食べるんでしょ? 私も食べたい!」

「……そんな余裕ある訳が無いだろ」

 いくら説得しても「行きたい」の一点張りのイリスに何を言っても聞かないと諦めたファウストは、小瓶の中から薬を取り出しイリスに飲ませた。

「いいか? 向こうでは、俺の言う事を絶対に守れよ。あと、面倒事は起こすな」

「っ、絶対に守るわよ! あー、お腹空いたなぁ。向こうで何食べようかなー」

「本当に分かってるんだろうな?」

「分かってるわよ! 魔力だって悟られないように制御するし、人間との接触も控えるから」

 人族から敵対視されている魔族の王を連れて人間界に行く事がどんな事を意味するのか、果してイリスは本当に理解しているのか、ファウストは胃を痛めながら変身薬の効果が現れるのを待った。

 程なくしてローザから貰った変身薬が効き始め、少しずつ体に変化が現れ始めた。

「あー、あー……」

 ファウストの柔らかで甘い声がガサつき、背丈も拳一つ分低くなり美しいブロンドの髪が赤みを帯びた髪色へと変った。

「何しているのよ」

「声質の変化を確かめてるんだよ」

 薬が完全に効き、自分の本来の姿はどこにもない事を確認したファウストは、ふとおかしな事が起きていると事に気づいた。

「……なぁ。イリス、お前。ちゃんと薬を飲んだか?」

「え? 飲んだけど……」

 確かに強引だったが、イリスに薬を飲ませた覚えがあるファウストは何も変化が起きないイリスを見つめ、そして面倒な事を思い出した。

「そういえば、この前。状態異常は効かないって言ってたっけ?」

「あ……」

 魔王故なのか、自分に状態異常は効かないと自慢げに話ていたイリスをふと思い出したファウストは、何度目か分からないが再び大きなため息をこぼした。

「はーーーーーー。お前はやっぱ留守番だ」

「なんでよっ!」

「なんでって、人間離れをした見た目のお前を連れて食材の調達なんて危険すぎるだろ!」

「変身薬が効かなかったのはちょっとした事故でしょ? 私はもうお腹が空いて死んじゃいそうなの! こんな状態の主人を残してアンタだけ人間界で美味しい食べ物を食べるなんて絶対に許さないから!」

「許さないって言ったって……」

 こうなったイリスは面倒で、この状態が暫く続く事を嫌という程知っているファウストに残された選択肢は二つ。

 数日間に渡るイリスのご機嫌とりか、危険を承知でイリスを連れて人間界に向かうか。

「………………………………っ、分かったから」

 ファウストは長い時間をかけて答えを選んだ。

 流石のファウストも、イリスのご機嫌取りに数日間も費やすのには耐えられなかった。

「本当に、余計な事はするなよ?」

「分かってるわよ! ちゃんとファウストの言う事を聞くから!」

「はぁー、心配だ…………」

 はしゃぐイリスを前にファウストは頭を抱え、人間界に向かう準備を進めた。





「ゲート。人間界、王都クレスチナ 東の町」

 準備を終えたファウストと、待ちくたびれたイリスは魔術を発動させ、食材を調達する為の目当ての町に扉を開いた。

「……魔術って本当になんでもありだな」

 魔術を発動させているファウストは、しみじみ呟いた。

「人間界にいた頃、どこから魔族が現れるのか多くの学者達が議論していたけど、こんな簡単にどこにでも行けるなんてな」

 ファウストが今、発動させている『ゲート』という魔法は、自分が望む場所へ現在地を繋ぐ事が出来る魔法だ。

 魔族が人間界へ侵攻していた時にもこの魔法が使われていたようで、魔法に疎い人族は突如として現れる魔族になす術が無かった。

 とても便利な魔法だが、この魔法を発動させるには繋げたい場所の強いイメージが必要になる為、知らない場所に繋ぐ事は出来ない。

「今はもう、この魔法の使用を制限しているじゃない」

 魔界に連れられたファウストが、扉の魔法の存在に気づいた頃には既に扉の魔法は禁忌の魔法とされ、魔王イリスに使用を認められた一部の魔族のみしか使うことの出来ない魔法になっていた。

「使用を制限したから、もう簡単に魔族が人間界に現れる事は無いはずよ」

 イリスにとってはちっとした気まぐれなのかもしれないが、そんな魔王の気まぐれで人間界に束の間の平和が訪れた。

 その証拠に、ここ数年間の間で人間界で魔族の姿を見たという話を聞いた事が無い。

「いつまでもそこにいないで、早く行くわよ」

「あ、あぁ……」

 ゲートの向こう側から、懐かしい香りがする。

 我慢ができない様子のイリスに手を引かれ、ファウストは扉を潜った。

 久方ぶりの人間界。

 目の前には青い海が広がり、海岸に住む鳥たちが翼を広げ声を高く上げながら飛んでいる。

「……懐かしいな、この磯のにおい」

 人間界に来たという実感が少しずつ沸き始め、肺一杯に空気を吸いこんでいると隣から呻き声が聞こえてきた。

「うぅ〜〜〜っ」

「……何してんだ?」

 隣では、イリスが眉間に皺を寄せ鼻を抓みながら蹲っていた。

「この臭い、まだ鼻が慣れない……」

 魔界には存在しない磯のにおいがイリスには抵抗があるようで、何とも言えない表情を浮かべていた。

「そのうちに慣れる」

「っ、早くこの場所から離れようよ……」

「残念だったな、この町は海に面しているからどこにいてもこのにおいはするぞ」

「えっ……」

「辛いなら防御魔法を使えばいいだろう?」

「でも、人間界で魔法は使わないって決めてるし……」

 いい加減なようで、しっかりとしてるイリスに感心しながらファウストは用意していた布をイリスの首周りに巻き付けた。

「……これは?」

「海辺の町は冷たい風が吹くから体が冷えるんだ。だから、この町の人達はこの布を首周りに巻いて寒さを凌いでる。それに、少しは海のにおいも気にならなくなるだろ?」

 熱を外に発散させないように、体温をこもらせる素材でできた布はこの街の特産品でもある。

 町に溶け込むには、その町に暮らす人達と同じ格好をするのが手っ取り早い。

 昔誰かから教わった内容がまさかこんな形で活かされるとは思っていなかったファウストだが、暖かそうに布に顔を埋めるイリスに何かの役に立ったのなら良いかと感じた。

「ありがと……」

「行くぞ。屋台の飯が食いたいんだろ?」

「っ、そう! 私もうお腹ペコペコなの!」

 顔を輝かせるイリスと共に、ファウストはこの町の中心地へと向かった。

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