16 袋のねずみの袋
背筋がぞくぞくする感覚はひさしぶりだった。
残念ながら暗い視野はうすあかりににじんでいて本領を発揮できそうな雰囲気はない。
それでもザウターやティファナの足手まといになることだけは避けなければならないとバドは奥歯をかみしめる。
しかも〈鹿の角団〉と絡んでいる以上、ここでの失敗はチャンスを棒にふるだけですむとはかぎらないはずだ。
巨大ねずみがザウターの配下たちによって、目前の部屋(大倉庫)に追いつめられたことは確かだという。
周到な計画があるようだし、そもそもザウターたちにはバドにはない機転や才知があるようだったので、その事実を疑う余地もなかった。
ザウターとティファナは、大倉庫の扉を開けて踏みこんだ瞬間にみがまえた。
二人の盗賊の背中に、バドは複数本のひもをたばねるような集中力の凝縮を感じた。
「気をつけてね――」
ティファナがバドに向かって小声で警告した。
「ねずみちゃん、このお部屋にいるよ」
「――おれにはさっぱりわからないんですけど」
バドもちいさな声で話す。ザウターに聞こえたらいけない気がした。
ザウターたちの脇からのぞくと、やはり内部は倉庫然とした倉庫だった。
部屋には床から天井まである高い陳列棚がいくつもならんでおり、ダンボール箱に入れられた細かな物資が積みあげられたり、収納されていない道具や工具が雑然と置かれたりしていた。
仮に追いこまなくても、逃走するねずみならここに入りこむのではないかと思えるような部屋だった。
「んふふ」
ティファナが細い肩をゆらした。
「きみは経験があまりないんだ、ふふ」
「え?」
バドはとまどったが、要するに実戦経験がないということを指摘されたのだと気づいた。
事実そのとおりなので、口をつぐむ。
ねずみと戦った経験もないし、そもそも人間とだってけんか以上の闘争はまずしたことがないのだ。ザウターたちの背中が急に大きくなった気がする。
バドは気おくれしたが、微動だにしない二人にならう。
二人はおそらく巨大ねずみの気配(もしくは殺気)や臭跡といったものを肌で感じているのだろう。
ザウターが二歩、三歩とあゆみを進めて室内に入った。
ブーツを履いているのに物音ひとつたたないのがふしぎだった。
ティファナもするすると、もの静かな移動でザウターの背中につづく。
バドも慎重に(それゆえにぎこちない動きで)それについていく。
倉庫特有の積年のほこりの匂いが鼻をつく。
「大立ちまわりができる環境ではないので、どちらかといえば敵に有利だ」
ザウターがつぶやいた。
「……はい」
バドは自分に向けられた忠告にうなずく。
少なくとも大剣を武器とするザウターには不利だろう。
バドは素手だったが、大きくふりかぶれないという意味ではおなじだった。
しかし、ザウターの剣の長さや幅、攻撃範囲などを思えば、バドのほうが活躍の機会にめぐまれていることは確かだ。
バドは思わずにやりとする。
するとその瞬間――バドの背中に痛みが走った。
「ぐっ!? な、なんだ!?」
「油断するな――」
ザウターの叱咤がとぶ。
「ねずみは相手の気のゆるみを見逃さない。寝盗みが語源といわれているくらいだからな」
バドはおそらく爪でひっかかれたであろう背中の患部をさわろうとしたが、手がまわらなかった。
巨大ねずみの爪はバドの灰色のコートをえぐり、服をこえて地肌に到達しているようだ。
出血で服が背中にはりつく。傷つけられたことに対する怒りと、不注意に対する自己嫌悪でバドは顔が赤くなる。
「くそっ! ――たかがねずみのくせに」
バドはこぶしをにぎって、ザウターよりまえに踏みだす。
「あっ? 逆上しちゃった?」
ティファナが頓狂な声をだしたが、もはやバドには聞こえていなかった。
脚を動かすにつれて血が身体じゅうをめぐり、どんどん興奮してきた。
あたまのなかがまっしろになり、バドは間近にある収納棚を蹴りあげる。
その棚に置かれていた品物がいくらか落下する音が響く。
「ねずみのくせに調子にのってんじゃねェ! 出てこいよ! 一発でのしてやる!!」
バドはあたまに血がのぼっていたが、同時にそうなっている自分を多少理解していた。
臆している自分を糊塗するためにそうしているようなところもあったのである。
すると、まるでバドの挑発に返事をするかのように、たちならぶ棚の奥のほうで物音がした。
物資が地面に落下する音だった。
巨大ねずみが逃げるさいに品物にぶつかっているようだ。
しかしその落下音がまるで、啖呵をきったバドを嘲笑しているかのように聞こえ、バドはいきりたちながらそちらを向く。
巨大ねずみはどうやら棚の上や下の物品の影にかくれて移動しているようだ。
物音のするほうに敵がいることはまちがいない。重い荷物が地面をたたくような音が、連続的に部屋の奥に向けてこだましていた。
「ふん、あせって気配をかくせなくなったな!?」
バドは床を強く蹴りあげて走りだす。物音を追いかけて雑多と散らかった棚の合間をくぐりぬけ、やがて部屋の隅にたどりついた。
部屋のすみの死角になっている物陰でねずみの物音(気配)が静まる。
バドは口角をあげる。
(なんてわかりやすいやつだ――)
大きくても所詮ねずみだ。部屋のすみっことは、逃げこむ場所が安易すぎる。
バドは手近にあった角材をひろいあげる。
いい具合に先端が鋭利に削れていた。
血がめぐり、背中の傷がズキズキ痛んだ。
(これで串刺しにしてやる)
バドは呼吸をととのえ、足音をおさえながら目的地に近づく。
巨大ねずみは逃げるそぶりもみせず、身じろぎひとつしていないようだった。居場所がばれていないと思っているにちがいない。
「うすらばかどぶねずみが! バレバレなんだよ!!」
ほくそ笑んだバドは、充分にためをつくってから、大きく跳躍して、物陰にひそんでいる巨大ねずみのまえに跳びだした。
「ん――!?」
しかし、ねずみがひそんでいるはずの死角には、なにもいなかった。
ねずみはすみっこに追いつめられたことで、焦燥のうかぶギラギラした眼でバドをにらみつけているかと思ったのに、そこには少し大きめの土嚢があるだけだったのだ。
ねずみがいるはずの場所に、砂ぶくろ――バドの背筋が一気に凍りつく。失態を犯したことはわかったが、それがどれほどのものかさえ一瞬では想像できなかった。
バドは通路をふりかえる。
巨大ねずみが移動するさいに発していたにぶい音が聞こえたあたりには、例外なく大小のサイズの砂ぶくろが落ちていた。
そして、部屋のすみ(死角)に視線をもどす。
そこにはいちばん大きな土嚢がある。落下した衝撃でふくろが少しやぶけて、土砂がこぼれだしていた。
ようやく悟った。
バドは巨大ねずみのしかけた罠にまんまとはまってしまったのだ。
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