35 幾千の夜の魔法
まるで登山のように、もどるときは全員無言だった。
尖塔の螺旋階段をくだるさい、ルイでさえ、愚痴すらこぼさなかった。
中庭に入ったところで、順番で見張りをして仮眠をとった。
宝石のかけらを土壇場でうばわれてしまった喪失感と、一日を通して移動しっぱなしだったという蓄積疲労が全身に重くのしかかり、全員の脚をとめたのである。
ルイは寝ているときは夢すらみなかった。
起きているときはずっと満月と星空を眺めていた。
色とりどりの星が、たちこめたうすい雲のあいまにゆれていた。ときどき流れ星をみたようにも思えたが、たぶん目の錯覚だった。4時間とか5時間とか、そういった時間があっという間に過ぎていった――。
休憩をとったあと、ルイたちはふたたび歩きだした。
城の本館に入ってからも、全員の靴音だけが規則的にこだましていた。
ベノワがいなくなったせいか罠がいっさい動作しなかったため、城のなかは静寂につつまれていた。
全体的にどこか落ち着いた印象をうけ、行きで感じたような息がつまるような切迫した空気は感じられなかった。単純に気分のせいかもしれなかったが、ルイにはよくわからなかった。
先頭を歩いていたルイはときどきアルバートたちをふりかえったが、ルイと目が合ってもだれもなにもしゃべらなかった。
そして、長い歩行を経て、ルイたちは正面扉までもどってきた。昨日、扉から入ってからどれだけの時間が経過したのかはもう数えたくなかった。
扉を開け放つと、朝のゆるやかな風が頬をなでた。
夜はうっすらと明けようとしており、星は徐々にすがたを消して、東の空は赤紫色にそまっていた。
太陽の気配を感じるにつき、満月は少しずつ白みがかっていった。
思いきり吸いこんだ朝の空気はとても澄んでいて、ルイはあらためて草原の丘にいることを実感した。
ひろがる丘の光景もまだ完全にめざめておらず、遠くの山嶺も森も河も、まだ眠りについているような美しさだった。
ルイのすぐうしろにいるアルバートが「ふわぁ」とあくびをする。
ふりかえると、だらしない顔で伸びをしていたが、もう蹴る気力もなかった。
ディレンツァは周辺を見渡していて、ブルーベックは眠たそうに目をこすっていた。
ディレンツァが丘を一望している理由はすぐにわかった。
城門のすぐそと、丘のそこかしこにテントやコテージがいくつもならんでいたからだ。
どれも暁のなか、風景になじんでいたため、つかれ目のルイには一瞬、うずくまっている動物の群れのようにみえた。
その一群は寝静まりかえっているようなものもあれば、朝の支度をしようとしているものもあった。
ぼんやりみつめていると、「昨夜の月蝕を観察にきた人々だろう」と、ルイのとなりにきたディレンツァがつぶやく。
ルイはディレンツァの横顔をみて、うなずいた。
ルイたちがしばらく黙ってその光景を見おろしていると、近くのテントからでてきた人がふと、ルイたちが城から現れたことに気づき、愕眸しながら「あ、よくみれば、王子さまじゃないか!」とアルバートに手をふった。
アルバートは一瞬きょとんとしたが、「ん? あ、あー、街の酒場でお世話になった人ですね?」と急に愛想のいい商人のようになって、揉み手をしながらテントに近寄って、その声を聞いて集まってきた人々にまざり、世間話をはじめた。
「なんだい、王子さまも天体観測にきていたのかい?」「え? まぁ、そうでもないんですけど、あは」「そういえば昨日、月蝕のあとに怪鳥をみたんだよ」「へぇ、そうなんですか。え、怪鳥?」などと、どうでもいい話題でもりあがっていた。
ルイがお手あげのポーズをしながら「困ったもんよね」と苦笑をもらし、ディレンツァをうかがったが、ディレンツァは興味なさそうにルイをみただけだった。
同意してもらえなかったが、ルイにようやく会話をする元気がでてきた。すがすがしい酸素を吸ったからかもしれない。
「ねぇ、なんだかんだで、私にはよくわからないのよ」
ルイが困惑ぎみに話しかけると、ディレンツァは無言で腕組みをする。ルイはつづきをうながされたと解釈した。
「私って、なにかすごく思いちがいをしていたのかしら?」
「……ほう」
ディレンツァが関心を示した。
「それは?」
「あのとき――ベノワの身体にもぐりこんじゃったとき、私ね、あの人の内面をみたの。内面って、思い出というか記憶というか、なんかそういう感情をともなった映像みたいなものよ。そのときのベノワは、ずっと私が想像していたような陰険な人じゃなかったの。あの人がこのお城を建築した理由って、宝をかくしたり、それをねらう侵入者をいたぶるためじゃなかったのよ」
ルイがみずからの口べたを呪いながら、たどたどしく説明すると、ディレンツァは思いのほか大きくうなずいた。
「なんていうかな……邪魔されたくなかったのよ。あの人はきっと、添いとげられなかった初恋の人の思い出を大事にするために外界との接触をたとうとしたんだわ。私、その想い人のことは映像としてみたの。みたというかみせられたようなものなんだけど。それで、最後にみたあの人の記憶って、この城の尖塔の部屋で、その女の人といっしょに楽しそうに暮らしてるものだったのよ。でもその女の人ってね、ベノワがこっちに移住するまえに亡くなってしまっていて、ベノワはどうやってもその人とここで生活することなんてできなかったはずなの。それなのに、同棲している光景をみせられたんだ。よくわからないんだけど、ベノワのあたまのなかでは、体験したことと夢想がいっしょくたになってしまっていたのかもしれない。狂っているっていう自覚もあったみたいだし……」
ルイは右腕の二の腕を左手でさする。
「それに、そんな悲しい過去を披瀝してまで私たちを追いかえそうとしたのに、なんであんなにあっさりあきらめてくれたんだろう? 宝石のかけらを盗賊たちが盗んでしまったからかな? ああ、それにそもそも、宝石がどうしてあんなに簡単にみつかったのかもよくわからないの……」
ルイがひと息つくと、ディレンツァはまぶたをふせた。ルイは口をつぐんで、みずからの腕をこすっていた。
すると「……ルイが話してくれたようなことについては、私もずっと考えていた。それにいま、ルイが教えてくれたことでなんとなく想像できることもある」と、ディレンツァが突然話しだしたので、ルイははっとしてディレンツァをみる。
「ベノワについて私たちが知ることのできる情報は、噂の伝聞なり第三者の記録なり、要するにあいまいなものだけだ。そもそもベノワは草原の国にとって要人であったことは確かだが、どうやら〈星のふる丘の街〉では反感をもっていた者も多かったという話だ。いずれにせよ、後世につたえられた人物像は少なからずゆがんでいる可能性があり、資料としてはあてにならないと思われる」
ディレンツァは目を閉じて、ずっと考えこんでいるふうだった。
「そうしてみると、たとえば城もそうだが、目的と結果がいれかわったかっこうになっていると予想できる。城は当初、来客を迎えるためのものだった。ベノワも、みずからを訪ねてくる客を冷遇するために、わざわざあんな部屋数の多い城を造ることはないだろう。ルイのみたベノワの記憶のことも加味するなら、歓待するつもりはなかったにせよ、客をあしらうためにこんな派手な建物を用意するわけはない。長居しづらいように城内はうす暗かったが、部屋自体は立派で、礼節を欠いているわけではなかった。盗賊対策についても同様だろう。殺傷を目的としていたわけではないんだな。現に罠はいずれも、先へ進もうとするときだけ発動するようになっていたし、もどってくるときは無反応だった」
ルイは「あ、そういうことだったんだ」とつぶやいた。帰途で城が静かだったのは、ベノワが消えたせいだと勝手に思いこんでいた。
「出現したベノワが盗賊たちではなく、われわれに反応したのも、おそらく王子が一歩さきにベノワに近づこうとしたからにちがいない。そして、われわれを襲撃してきたようにみえた行動の真意も、ルイがみたように、ベノワはただ、われわれの宝石取得をあきらめさせたかっただけなのだろう。接触したルイは、ベノワの率直な心の裡をみせられたようだしな。ただベノワは異性のルイではなく、王子にそれをみてもらいたかったのかもしれないが……」
ディレンツァは目を開けてルイをみる。
ルイは自分を抱きしめるように腕を組みながら動揺した。
そういえばアルバートが最初に動いたのはルイが蹴ったからだったし、突進してきたベノワはまっさきにアルバートと対峙していた。ディレンツァの指摘が本当なら、ベノワにもアルバートにも悪いことをしたようでうしろめたかった。
「ともかく結果的に、ルイがみてきたように、ベノワはだれにも邪魔されずに、みずからの研究に没頭する選択をした。城は閉鎖し、わずかな召使いにしか顔をみせなくなった。それはやはりだれかの相手をすることで集中できなかったということもあったのだろう。とにかく、そうまでして孤独な尖塔に入りこむことで、ベノワは研究にいそしんだ。それはひとえに、ルイがみたという想い人と時間を共有するためだったんだな」
ルイは頚をかしげる。
「すべて憶測でしかないがね。ベノワはあらゆる学問を研鑽して、想い人と過ごすための方法を模索したんだ。そして、〈伝説の宝石〉のかけらを用いることで、それを達成したのではないかと思う」
「え? それって!?」
ルイは目をぱちくりさせる。
「……ん? どういうこと?」
「王子には話したのだが、私はベノワが魔法使いではないかと考えた。月蝕のときにすがたを現したベノワは、生前の意識を顕現させた魔力のかたまりのようなものではないかと。ベノワの肉体は死後埋葬されたはずだし、あのローブからみなぎっていた魔力は、常人のそれとはだいぶ異なる膨大さだった」
「うーん? それって、たとえばベノワは精霊みたいなものだったってこと?」
ルイは眉間にしわをよせる。ディレンツァは「まぁ、そんなようなものだろう」とあごに右手をそえてつづけた。
「ベノワは魔法を体得したあと、宝石のかけらに着目した。これは私も想像していたことだが、〈伝説の宝石〉の、すべて集めると夢が叶うという奇蹟は、ちからの増幅による結果ではないかと思うんだ。つまり宝石には微小な魔力を増大させる効果があって、たとえ使用者が魔法使いでなくとも、個人が強く願ったことでさえ実現させてしまうような圧倒的なちからを秘めているのではないかと……」
ディレンツァはふたたびルイから視線をはずす。
「だから、そのかけらのひとつしかなくとも、たとえ微弱でも、同様の効能は付与されているにちがいない――ベノワはそう仮説をたて、それを検証し、やがて宝石のかけらを最大限に利用して自分だけの世界をつくりだしたんだ」
「うーん?」
ルイはディレンツァの横顔に問いかける。
「自分だけの世界?」
「そう……以前教えたとおり、この地方はいにしえの悪魔を封じこめた神聖魔法の影響で、月が通年で終日、沈むことなく空に浮かんでいる。そこでベノワは月の光の魔力を〈荒城の月〉で増幅させることで、みずからの空想の世界を月あかりにつくりだし、そのなかにみずからの意識を投じていたのではないだろうか」
「えー? うそ?」
ルイは思わずのけぞったが、ベノワとミシェルが幸せに過ごしていた情景を思いだすと、複雑な気持ちになる。
「そんなこと……できるの?」
「少なくとも私にはできない」
ディレンツァは鼻をこする。
「とてつもない才覚と病的なまでの意思と不屈の忍耐がそこにあったと思われる。まァ、ルイの言葉を借りるなら単純に狂っていたともいえなくはないな」
ディレンツァは二回まばたきをする。
「だからルイがみたという光景は現実だ。あるいは現実であり夢だったということだな。おそらくベノワがつくりだした夢の世界は、月あかりのなかにある。ただそこにはベノワしか入ることができない。ゆえにベノワにとっては現実だが、われわれにとっては夢でしかない。そういうことになる」
ルイは両手で両頬をおさえながら地面をみつめて、「うーん」とうなった。あたまがごちゃごちゃしてきた。
「とっぴな意見で、なにがなんだか……まさかディレンツァがそんなことまで考えてたなんて――そういえばディレンツァって、最初からちょっと思わせぶりなところがあったものね。進みかたに迷いがなかったし」
ルイは顔をあげて、ディレンツァをみる。
ディレンツァは渋面だった。
「しかし、どれも不確かな推測でしかない。パズルのピースを手にとったり、はめたり、はずしたりするようなものだな。それにできあがった構図が完璧なものとも思ってない。……たとえば当初、目的地として、ベノワの部屋があやしいとにらんだのは単純だ。ベノワを偏屈な人間ではないと仮定すれば、うばわれてしまうかもしれないリスクのある貴重品は身近に置いておくだろう。たいていの人ならそうするにちがいないからな」
ディレンツァは遠くをみる。
「――そもそものはじまりは〈鹿の角団〉が沙漠の国を襲撃したあとからだ。連中はすぐにつぎの目的地をここに選んでいた。私たちは月蝕があることを〈星のふる丘の街〉にくるまで知らなかったが、盗賊たちは宝石にねらいをしぼっていたわけだから、当然情報としては把握していたと思われる。月蝕が宝石に関係していたり、それを証拠づけるものさえ手に入れていたのかもしれない。〈月の城〉に〈荒城の月〉があるとして、長いあいだ部外者の手にかかってもみつからなかったのに、それでも発見できるという自信なり根拠なりがあるなら、私たちもそれを追いかけるほうがいい」
以前聞いた経緯とおなじ内容だったが、まえよりずっとルイにもわかりやすかった。
「宝石のありかについては――」
ディレンツァはつづけた。
「そもそも長い歳月、城の内部に、物理的に宝石をかくしつづけるというのはきわめて難しいだろう。それはつまり、人の手でふれられないところにあるのではないか、そう逆説的にとらえられなくもない。そして、盗賊たちは月蝕に焦点をしぼって行動している。月蝕は、月が影に閉ざされてしまう現象――」
「――もしかしたら、ベノワは月あかりに宝石をかくしていたんじゃないか?」
ルイがひきうけると、ディレンツァは首肯した。
「月光のなかというと誤解しがちだが、たとえば暗雲がたちこめて月が覆われている状態とはちがって、月蝕のときは、月面が太陽光を反射できなくなってしまうことが問題なんだ。つまり、地上から月がみえなくなるからではなく、月に光が当たらなくなってしまうから魔法がとぎれてしまうのだな」
ルイは脳裏でイメージしながらうなずいた。
「全部あとづけの発想だがね。とにかく、月蝕により、月の光が完全にとだえる。それによって一時的に魔法がとけてしまう。ベノワと宝石のかけらは、この世界にすがたをさらしてしまうわけだ。ちなみに月蝕はそれほど頻繁には起きないし、皆既月蝕ともなると発生しない年もある。そもそも月蝕時に、城の尖塔に侵入者がいたことはまずないだろう」
「……それに月蝕が起きていたら、私だったらそっちに気をとられて宝石どころじゃないわね」
ルイは考えこんだ。ディレンツァはうつむく。
「ルイとの会合のあとベノワが消えてしまったのは、説得をあきらめたのではなく、月蝕が終了したからだろう。ただ月がふたたびすがたをみせるまでのあいだに、宝石のかけらは盗まれてしまったから、ベノワの意識がもう一度、空想の世界にもどることができたのかどうかは不明だな……」
ディレンツァはそれきり口を閉ざした。
ルイはしばらくディレンツァの仮説を反芻させてみた。
しかし、本当のところは結局、だれにもわからないことだった。
それは目のまえのだれかが、どんな想いを胸に秘めているかわからないことと、よく似ているように思えた。
ルイはふりかえって、城を仰ぐ。敷地の奥に建っている尖塔はずいぶん遠くにみえた。最上階はさらに遠い。
そして、そこで幸福の笑みをたたえていたベノワを想像した。
ベノワがもし、もちうる能力や残された時間のすべてを費やして初恋を叶えたのだとしたら、それはやはり偉業ではないか。
幾千の夜を孤独に過ごし、ただひとつの目的のためだけに邁進したことは賞賛に値することだった。
ルイは目を細めて、尖塔の最上階にピントを合わせようとした。しかし、風にゆれる前髪が目にかかって邪魔をしたりして、なかなかうまく像をとらえることができなかった。
ルイはベノワに対して、場ちがいで見当ちがいな言葉をたくさん投げかけてしまったことを少し恥じた。終始ベノワのことを誤解していたようだ。
それでも、たとえ宝石のかけらをなくしてしまったことで、ベノワがみずからを想ってくれているミシェルが待っている世界にいけなくなってしまったのだとしても、どこか、だれにもふれられないところで、ベノワの意識が、ミシェルとともにほほえみ合ってくれていたらいい――ルイはそんなことを思ったりした。
そして、ふと見やれば、太陽が稜線の向こうにあたまをのぞかせていた。
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