3 星をさがす子どもたち

 その都市が〈星のふる丘の街〉と呼ばれる理由は、文字どおり街が〈星のふる丘〉に興されていたからだった。ただしそこが〈星のふる丘〉と呼ばれるゆえんは、その丘にじっさいに星がふるせいではない。


 広大な土地だったので、流星が落ちることも確率的にはありえないことではないが、星がふるというのはただの比喩だった。

 伯爵都から離れた辺境であり、天候や気候が一年を通して比較的安定しているという環境条件もあって、丘からのぞむ空はいつでもとても美しいのである。


 つまり、「星がふるようにみえるほど美しい」という形容と賛美がそのまま名称として用いられたかっこうだった。

 この言葉を最初に残したのは、建国の雄カークランド公が最初に調査隊を率いてこの地方に赴いたさいに同行していた牧師マイニエリだった。

 牧師は自室に数々の絵画を飾っており、そのなかにこの丘と満天の星空をモチーフにしたものがある。そしてその絵画の表題もまた〈星のふる丘の街〉だった。


 以来、吟遊詩人や楽師などによって、〈星のふる丘〉を題材にした多くの詩作や楽曲が創作されている。

 積年の開拓事業そのものが難航していたこともあいまって、製作された創作物はファンタジックなものや現実の苦しみを癒すようなものが多かった。


 そのなかでも特に有名なものがひとつの寓話だった。


 その筋は「ある日、逃げだした飼い犬を追いかけて外出した少年が〈星のふる丘〉で道に迷ってしまう。迷子になった少年は泣きながらさまよい、陽が暮れた頃に〈月の城〉までやってくる。つかれ果てた少年は城壁によりかかって星空をみつめる。そして明星がきらめく頃、少年は夜空に流れ星をみつけ、やがてそれが近くに落ちるのをみる。立ちあがった少年が星の落ちたところまで近寄るとそこには逃げだした飼い犬がいて、少年は飼い犬にみちびかれて帰途につき、そのまま幸せに暮らした」というものだった。


 この寓話が絵本としてひろまり、いつしか「月の城で流れ星を手にした者は幸せになる」という迷信がうまれた。

 〈星のふる丘の街〉ではだれも信じてはいないが、だれもが知っている話として生活に浸透していた。


 寓話にありがちな、いかにも幻想めいた話だったが、旅にでて、草原の国をおとずれ、〈星のふる丘〉において雲ひとつない夜空を仰いだ者には、その寓話の著者の気持ちやそれを自然にうけいれていった国の民の気持ちは理解できる。


 夜空のもとに寝そべっているとき、星屑のひとつでも手もとにおりてきたなら、それはとても幸せなことの予兆ではないかと感じられる純粋なかがやきがそこにはあって心が洗われるからだった。


 もっとも、ひと晩を星空のもとでぼんやりと過ごして、なにごともなく夜明けを迎えられるほど丘は安全ではない。

 街も強固な柵でかこってあったし、城の周辺にいたっては、猟師たちですら単独では行動しない規則をつくっているぐらいだった。


 城は街から徒歩で半日はかかる距離にあって孤立しているため、獰猛な草原オオカミの群れや腹をすかせた巨大な灰色グマもいれば、オークの葉を身につけた性格の悪い木人や、旅人を誘惑して生気を吸いとる半妖の乙女といった危険も多数存在した。


 開拓初期の頃に森の奥へと追いやられた蛮族たちが、徒党をくんで出現することもしばしばだった。

 星空をめぐる寓話ほど、ロマンティックなところではないといえた。


 そう、(だから危険なのだ)とローチは思った。


 ローチはもうずっと高熱にうなされており、意識が朦朧として、まるで白昼夢をみているかのように浮ついた状態だったが、友人のブルーベックが街からすがたを消したという話を耳にしたとき、まっさきにブルーベックは城に向かったのではないかと案じた。


 ローチが原因不明の熱病で苦しんでいることを、だれよりも気にかけていたのがブルーベックだったからだ。

 

 それにローチは、以前ブルーベックとともに絵本を読み、「いつかもっと大人になったら、みんなで城を探検して流れ星をみつけて幸せになろう」と約束したこともあった。


 ブルーベックは街に古くから伝わっている迷信を頼って城へと単身赴いたのではないかと推察できた。

 心やさしいブルーベックにとって、幸せとはローチを快復させることにほかならない。

 ローチはブルーベックの純粋さをよく知っていた。

 ブルーベックなら、迷信の信憑性など気にせず、危険をかえりみないで行動を起こすことさえ充分にありえた。

 

 ローチは閉じたまぶたの奥に、歩き去っていくブルーベックのうしろ姿を想像した。

 それはとても現実感をともなっていた。


 ローチは思わずうめき声をあげた。

 ほかの友だち(たとえばブラウンやチャーリー)ならそんなことは夢にも思わず、迷信は迷信であり、迷信は寓話からうまれたもので、寓話のできごとはあくまで幻想で、幻想だからこそ物語となっていると当然のように承知していて、無謀なことはいっさいしないはずだった。

 流れ星ひとつで原因不明の病気が快方に向かうなどという夢は、ただのまぼろしだった。


 ローチがまぶたにちからを入れると、歩き去っていったうしろ姿のブルーベックの幻影がぐにゃぐにゃになって消えた。


(どうしよう……)


 問題は山積みだった。

 ブルーベックが危険な丘に一人ででかけたことだけではなかった。

 突如ゆくえをくらませたことで、街の人たちがブルーベックに嫌疑をかけていたのだ。


 ローチの父親もまた、そう噂する人々と同様に、ブルーベックがなにかしらの悪さをしたせいでローチが熱病にかかってしまったと思いこみ、怒りをあらわにしている。


 ローチはある朝めざめたら熱をだしていて、当初はだれもがローチの赤ら顔を風邪だと思ったが、その夜からローチの熱はさらに高まり、ひと晩過ぎても一向にひかず、その夜になっても、やがて一週間経っても、ローチの熱はさがらなかった。


 ベッドに横になっておとなしく静養していたが、節々の痛みや絶え間ない吐きけに、体力はどんどんうばわれていった。


 街の薬師や教会の牧師もローチの容態を診察にきたが、症状がきわめて単調な、それでいて強い病だったため、あらゆる医学書を参考に木の実や薬草をあつめても、動物の内臓などを煎じても、あるいは女神に祈りをささげても、よい効果があらわれることはなく、対処のしようがなかった。


 徐々に痩せていくローチをみて、だれかが「まるで呪われているみたいだ」と感想をのべた。

 結果それが引き金になってブルーベックが疑われることになってしまったのである。


(どうしよう――)


 ローチは両手をにぎりしめたがまるで握力がなく、無力感が湧いた。

 みずからの指や手首に裏切られたような気さえする。

 

 ベッドのシーツに接している背中が汗ばんでいた。とても不快だった。

 頚が熱くなって、のどに痛みがはしる。

 むすんでひらいてをくりかえしても、手の指がまるで自分のものではないような感覚がした。


 口もとから知らないうちに吐息がもれる。

 それを苦悶だととらえたローチの母親が、冷たい水の満たされた容器から布をしぼってローチの額にそえた。水滴のはねる音が、いつかみずうみで遊んだときのことを想起させた。


「だいじょうぶだからね」


 母親がつぶやいた。

 ローチは母親の顔をみるため、少しだけ目を開けた。

 

 熱がもたらす蜃気楼のように視界はゆれていて、母親の表情や輪郭はぼやけていたが、それでもローチを安心させるように柔和にほほえんでいることはわかった。


 ローチはブルーベックについて、母親に相談してみようか考えてみた。

 今般のことで、激情をもってブルーベックをののしり、聞く耳をもたなくなっている父親よりはずっと相談しやすいことは確かだった。


 ローチの母親はブルーベックへの偏見はもっていない。父親がブルーベックを非難するときはいつも、悲哀の表情をしていた。


 それは単純に母親が女性であり、ブルーベックが子どもだったからだろう。

 ブルーベックが街にやってきたときから、母親は包容力をもって接していた。

 極端に身体が大きくても、ブルーベックはローチとたがわぬ10歳に満たない少年なのだ。


 ブルーベックは巨人族の子どもだった。


 巨人族は、火の国の山脈地帯に集落を築いており、公用語と古代語を使用し、手先が器用で、なにより文字どおり巨大な体躯をもつ部族だった。

 巨体でもきわめて温厚な種族だったため、かつてはその特異性をいみきらう人々から迫害されて、雪の国のきわめて定住しづらい雪原の領内に追いやられたことがあるという暗黒歴史をもっている。


 赤ん坊の頃は身長体重ともに一般的な人々とあまり大差はないのだが、なによりも成長率がちがっている。男女ともに10歳あたりを起点にして急成長をはじめ、20代を過ぎる頃には2メートルをこえる者も多く、王都の保管記録では10メートルに達する巨漢も確認されていた。


 個体差はあれど骨格も丈夫で、筋力も頑強な者が多い。

 たぐいまれな容姿から無骨で粗暴な部族にみられがちだったが、長い人類史をみても荒くれ者だった巨人は少なく、その割合はふつうの人間たちのそれより少ないくらいだった。


 全体的な傾向としては非好戦的で温厚な性質だったし、生活習慣や文化などをみても水準は高く、人種としても優れたところが多かった。

 自然に対する造詣も深く、道徳観や倫理観も同様で、巨人族の集落の近くにはたくさんの精霊や妖精たちが棲んでいるともいわれている。


 ブルーベックも例にもれず善良な性格をしている。

 10歳を直前にして体格はすでにイノシシのように大きく、腕力は巨石をかち割れるほどだったが、心は内気で虫も殺せないほどやさしく、草花に話しかけながら手入れをしているところをローチはよく垣間見た。

 ヤツデの葉のように大きな手で細心の注意をはらって鉢をあつかう様子が、どこかいとおしくみえたこともある。


 ローチの友人であり同世代のブラウンやチャーリーが、その身体的特徴をからかったりしても、自分よりあたま何個ぶんもちいさな少年たちに、ブルーベックはいつでも少し淋しそうにほほえむだけだった。

 ブルーベックが腹をたてているところをだれもみたことがなかった。


 ブルーベックの情けないはにかみを、まなうらに思い描きながら、ローチはやはり母親にも相談をしないことにした。

 街のだれにも、みずからの心意はつたわらないだろうとローチは考えた。


 ブルーベックの気持ちを思慮して行動できるのはローチだけ。

 それに謎の熱病にかかったローチを心配しているからこそ、父親や街の人たちも視野狭窄になっているといえる。

 だからだれかに相談をもちかけ、ブルーベックのゆくえをもとめることはできなかった。


 しかしそれは、不毛な荒野を歩くような結論だった。

 だれも悪くないから余計に、迷路にさまよいこんでしまったようないきづまりを感じ、ローチはふたたび無意識にうなった。


「――苦しい?」


 母親がローチの瞳をのぞきこんできた。母親の像がぐにゃりとゆれて、反射的にローチは二度まぶたを閉じる。

 

 ローチのまばたきを肯定にとった母親は、ローチの胸に手をそえて「もうすぐ王都から有名なお医者さんがくるからね」と言った。


 その言葉にではなく、母親の手の感触にとても安心し、ローチは自分の鼓動を聞いた。みずからが生きていることを実感する。


 すると住居の玄関ドアのノッカーの音がした。

 そして、ふた部屋をへだてていたので会話の内容は聞きとれなかったが、父親が医師とあいさつしている声がくぐもった音として聞こえた。


 街の薬師の処置では埒が明かなかったため、先日教会の牧師が王都に書簡をおくって専門の医師を要請したのだ。


 しかし、助かる可能性が高まる喜びよりも、ローチは自分のために多くの人が尽力していることをもうしわけなく思い、どこかおさまりが悪い気持ちを味わってもぞもぞした。自分がお荷物になっているようでたまらなく気後れする。


「ちょっと待っててね」と、母親が来訪者を出迎えるためにベッドわきの椅子から立ちあがり、部屋からでていった。


 ドアが閉まって部屋に一人になると、とたんにたくさんの音が聞こえてくるような錯覚がした。


 来客に関係した家の物音だけではなく、窓のそとを流れる風、街路樹にとまるスズメのさえずり、隣家の人たちの世間話や子どもたちのはしゃぐ声、はずれの牧場の馬のいななきなど、午後の生活の音がまざまざと耳にとびこんできたような気がする。


 ローチはふたたび目を閉じて考えた。

 ブルーベックが城に向かったことはまず疑いようがない。


 ローチの知るかぎり、ブルーベックにはほかにいくところがないのだ。

 そして、ブルーベックを危険から守り、かつ街のみんなの誤解を解くにはブルーベックを連れもどすしかない。


 そうしたうえでローチがみんなを説得するしかなかった。

 身体の自由がきかないいまとなってはとても難しいことだったが、諸問題を解決するためにはそうするしかないと思えた。


 ローチは腰にちからを入れる。

 入れる端からどこかへ霧散していってしまうような倦怠感におそわれた。

 あたまをもちあげると、そのままの勢いで前のめりに倒れこんでしまいそうな身体の芯の弱さを痛感する。

 ベッドのきしみがどこか遠くから聞こえてくるようなよそよそしさだった。


 ローチの母親が布を浸していた容器がサイドテーブルに置いてあり、ローチはその水面をみた。

 水に映った顔がゆがんでみえたのは、水面がかすかにゆらいでいたせいか、意識がゆれていたせいか、判断がつかなかった。


 ローチは意を決して立ちあがった。

 全身のそこかしこに疼痛がはしる。


 玄関のほうには父母や、いまやってきたばかりの医師がいる。

 たち話がもりあがっているのか、すぐに部屋へくる気配はなかったが、ローチが起きあがったのがみつかれば、すぐベッドに押しもどされてしまうことが推測された。

 

 ふと、ローチの目に母親が摘んできたすずらんの鉢植えがみえる。

 うなだれているような白い花弁が頼りなかった。

 ツグミとサギが遠くでつづけて鳴いて、ローチは熱のせいでうるんだ瞳で窓のそとをうかがった。風のなかで鳥たちが遊んでいるような気がした。


 生まれてからずっと過ごしてきた草原に、さざなみのように吹きわたっている風の音色は、いままでとおなじような、それでいていままでとはまったくちがうような音をしていた。

 ローチはこころもとなさに胸をおさえた。

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