1 風の丘の旅人たち 

 高いところから吹いてくる風に、足もとにひろがる丈の低い草花がゆれる。

 そよそよとこうべをたれる碧の音色に、草原の国をおとずれた旅人は、みずからの足音もまた風につつまれていることを知る――。


 ――――


 丘のまんなかでルイは、風にあばれる長い髪をおさえつけながら目を細めた。スカートも気にしたほうがいいだろうかと少し悩む。


 となりでアルバートはブーツにからむ多年草をふりほどこうと、ふとももをあげたり足さきをふったりしている。踊っているピエロのようで滑稽だった。


 そのさらにとなりでは、ディレンツァが鋭い視線でレンガ造の住居がたちならぶ丘の街を見据えている。


 住居からは炊飯の煙があがり、街じゅうから生活の音が聞こえて、牛や馬、ニワトリといった家畜の鳴き声がそれにまざって響いている。

 長らく街らしい街にたち寄らなかったので、ルイはその光景にはりつめていた緊張の糸がゆるむのを感じて少しだけ安心した。


 そこは〈星のふる丘の街〉という呼称の、文字どおり牧歌的なたたずまいをした地方都市だった。


 ルイはとなりで踊るピエロを無視してディレンツァの顔を横目でうかがった。

 ディレンツァが街をみてなにを思索しているのか、これからなにを判断するのかを知りたかったのだが、あいかわらずすました横顔からはなにも読みとることはできない。

 涼しい顔つきは、かつて沙漠の国で宮廷魔法使いとして副王の参謀をしていた頃と少しも変わっていないのだろう。


 ルイたちが沙漠の国から旅立って、最初に来訪したのが草原の国の西部に位置する〈星のふる丘の街〉だった。滅亡した沙漠の国から逃れ、オアシスで親切なキャラバンに救われて、ひろい砂漠をわたり、国境につらなる山脈をこえて、草原の国の領地に入るまで二週間かかった。


 草原の国を旅路の最初の目的地に選んだのはディレンツァだった。一行は〈伝説の宝石〉のかけらをすべて収集することを目的に旅をはじめた。


 6つある宝石のかけらは6つの国(王都および5つの属国)に分散しており、そのなかのひとつ〈荒城の月〉をもとめて草原の国まで赴いてきたのである。


 つまり、〈荒城の月〉がこの土地にあるとディレンツァが断定したわけだったが、ルイにはその根拠は知らされていなかった。おそらくアルバートも聞き及んでいないだろう。


 ディレンツァは沙漠のキャラバンで突如、目的地を草原の国にさだめ、ルイもアルバートもなにもあてはなかったので異存なくそれにしたがった。

 そして、日頃冷静沈着なディレンツァがめずらしく強行を勧めたため、一行は徒歩および馬車でせわしなく行路を進んできた。


 依然そうなるにいたった経緯は不明だったので、ルイはそろそろディレンツァの意図が知りたいところだったが、街に到着したいまになってもディレンツァの口はひもで結われたみたいに固く閉ざされていた。


 根が陽気なルイは寡黙で感情の起伏のないディレンツァが少しだけ苦手だったので、いまだにディレンツァについて知っていることは名まえと出身地と、かつての地位ぐらいだった。うかつに話しかけると「うるさい」と叱られそうでこわかった。


 ルイは目線を変えてアルバートをうかがってみたが、アルバートは神経質そうに雑草を気にしているばかりで、行路についての疑問はまるでないようだった。


 どこか悠長なアルバートの顔を眺めているとだんだん本物のピエロのようにみえてきて、あきれて「ふぅ」とため息をつくと、ディレンツァがふいにルイをみて話しかけてきた。


「……盗賊たちだ」


「え?」


 ルイは思わずたじろいだが、なんとなくそれを悟られるのがいやで、顔をしかめたのは砂ぼこりが目に入ったせいにした。

 ルイが手の甲で目をこすっていると、ディレンツァがルイのそばまで歩いてきて話をつづけた。


「戦火をまぬがれたあと、キャラバンにいた商人たちから盗賊たちの動向を聞いた。〈鹿の角団〉の残党たちの一部が幹部の意向をふまえて、つぎの目的地を〈月の城〉としていたという話だ。盗賊たちはそれにそなえて、商人たちから物資を調達したのだな。盗賊たちのゆくてには宝石のかけらがあると判断していいだろう。よって、私たちもそれに追従したほうがいいのではないかと考えたのが、ここをめざした最大の理由だ。それ以外にも理由がないわけではないが、根拠があるのはそれだけで、そもそも〈荒城の月〉が本当に〈月の城〉にあるのかどうかもさだかではない。王都の保管記録に、昔この土地に存在していたという記載があるという話は聞いたことがあるが、だれから聞いたかも憶えてはいない」


 ディレンツァはそれだけ話すと黙りこんだ。


「……なるほど」


 ルイは呆然としながらうなずいた。

 そもそもディレンツァがルイの疑問を察していたことに驚いた。

 しかし、言葉少なのディレンツァがわざわざ話しかけてくれたのだから、その好意に対してルイは明るい調子で応じることにした。


「〈月の城〉って、だれも住まなくなってだいぶ経つから、荒れ果ててもいるし、なにより悪い噂も多いのよね?」


 ルイが高い声で訊ねたけれど、ディレンツァはかるくうなずいただけで、返事をすることもなく、もう一度街のほうへ視線をそらしてしまった。


 ルイは一瞬むくれたが、ディレンツァが無視をしたのではなく、要は不確かな情報には関与しないという性格の問題だったので、怒りをおさえてディレンツァの目線にあわせてふたたび街を眺めた。


 遠くの森から流れてきている河と、街はずれのみずうみ、高台にある牧場や草葺の家畜小屋、ステンドグラスのめだつ教会、街道沿いには商店もならんでいて、何台もの馬車が走り、中央の広場では住人たちが集まって日常を謳歌している。


 遠くを見まわしてみたが、つらなる丘の向こうにあるはずの〈月の城〉はまだみえない。

 農家のわきにひろがるとうもろこし畑が青々としている。

 住居の煙突からあがる白いけむりにつられて、ルイは空を仰いだ。牛の声が響いた。


「なんだか、のどかなところだね……」


 ふと、アルバートがまぬけな半笑いでつぶやいた。

 ブーツにからまった草がようやくとれたようだが、ルイにとってはアルバートがピエロであることは変わらない。そもそも〈伝説の宝石〉のかけらを収集するのは、アルバートのためといっても過言ではないのだから。


 アルバートは亡沙漠の国の王子だった。第一王子にして、王位継承者である。

 しかし、外遊していたさいに、祖国が盗賊組織〈鹿の角団〉に襲撃されて一夜のうちに滅ぼされてしまったのだ。


 〈鹿の角団〉は、沙漠の国で国宝として祀られていた〈伝説の宝石〉のかけらのひとつ、〈沙漠の花〉を略奪するために夜襲をしかけ、それに成功した。

 国をあげて抵抗した沙漠の国は〈鹿の角団〉の容赦ない攻撃に遭い、人民もふくめ王族たちも壊滅的な打撃をこうむった。


 外遊していたアルバートと、それを補佐していた宮廷魔法使いのディレンツァは帰途のさなか、戦火をみてあわてて駆けつけたが、アルバートの親族たちもまた虐殺され、二人が王族としての唯一の生き残りとなった。


 踊り娘として沙漠の国をおとずれていたルイと邂逅したのはそのときのことだった。

 嘆いていても国の復興がままならないことを悟った一行は、〈鹿の角団〉に奪われた宝石のかけらをとりかえし、さらにほかのすべてのかけらを収集して沙漠の国の栄光をとりもどすことを誓ったのである。


 〈伝説の宝石〉は「6つあるかけらのすべてを集めると夢が叶う」という伝説を秘めた宝石だった。

 その伝説が真実かどうかはだれも知らなかったが、〈鹿の角団〉がそれをねらうぐらいだから信憑性はあるのではないかと一行は判断した。

 ゆえに〈鹿の角団〉に逆襲をする意味もこめて、ルイたちもまた〈伝説の宝石〉を収集する旅にでることにしたのだ。


 旅路は困難なものになることが予想された。一夜にして沙漠の国を滅亡させるほどの能力をもつ〈鹿の角団〉をだしぬかなくてはならないうえ、宝石のかけらをすべて収集した人物を少なくともルイは知らない。

 100年まえ、王都の建国王が中央集権をなしとげたさいにそれを利用したという主旨の古い詩が酒場などで歌われたりしているが、まるで現実味がなかった。

 

 だからルイにとって、アルバートに情熱がうかがえないことは不服だった。

 情けない半笑いなどもってのほかだった。尻でも蹴りとばして叱咤するべきなのかもしれないとルイは衝動的に思ったが、空も青く、ひさびさの解放感に気分がよかったので、なんとかがまんしたすえ許してやることにした。

 アルバートが情けない顔をしているというだけで腹をたてていたら身がもたないという説もある。


 ルイはずっと遠くの空をみた。

 太陽と、それから少し離れた尾根ぎわに白い月がうかんでいる。まるで太陽の明るさに照れているかのようにおとなしい印象をうける月だった。


 入国後すぐに、この地方では一年を通して月が沈まないのだとディレンツァが教えてくれた。朝晩、ずっとどこかしらに月がただよっていた。それは太古の悪魔を束縛するための禁呪のせいだなどと解説してくれたのだが、ルイはもう詳細を忘れてしまった。


 そして、それら天体を中心にして、もこもこしたやわらかそうな雲が空に散らかっているのを眺めた。

 なにもかもがはじまったばかりだった。


 ふいに一陣の強い風が吹いた。

 思わず身体の向きを変えてしまうくらいの疾風だった。


「うわっ」と、少し遅れてアルバートが動揺の声をあげる。


 まばたきをくりかえしたルイの瞳には、空のなかでたくさんの風の妖精がほほえむのがみえた。

 心が昂ぶった。

 冒険のはじまりというのはきっと、草原を吹く風のようなものなのだろう。


(わくわくしている)


 心にこみあげる感情を押しかくすことができそうもなかった。


 ルイはいつでも、そういった突発的な衝動に身をまかせて生きてきた。

 合図の指笛を吹いてから、ルイは心が突き動かされるまま丘を駆けだした。

 アルバートがルイの突然の奇行に驚いて「えー?」と叫びながら眉をしかめる。


「どうしたの? なんで急に!?」


 アルバートの叫びが背中から遠ざかっていった。


(――なんでだろう?) 


 ルイは走りながらちょっとだけ考えたが、すぐに風に身をゆだねた。

 心を動かす衝動に理由をつけることはナンセンスだ。走りだすことに答えなど必要ない。

 足取りとともに呼吸がはずんだ。きれいな空気が肺を満たして、鬱屈した気持ちを吐きださせてくれているようだった。


(私は風――。だれにも束縛されない自由な羽根よ?)


 まるでリードから解放された飼い犬のように躍動しながら走っていくルイをみて、アルバートとディレンツァはいったん顔を見合わせたものの、結局二人ともなにもいわずに黙ったままルイに追従した。


 ルイが独断で行動することはめずらしくないし、なによりもうすぐ夏を迎える陽気のなか、旅人たちのゆくてには青空がひろがっている。

 たとえばそれが束の間のものだったとしても、ゆくすえを案じる旅人にとってはきっと、うれしいにちがいなかったからだ。

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