第8話 元許婚の苦労話を聞くアレクシス嬢

「悪いがイスはない。しかし淑女を地べたに座らせるわけにもいかない。今はこれで我慢してほしい」


 そう言って着ていた上着を脱ぎ、柔らかい砂地の上に敷いた。

 アレクシスはそこに笑顔で座る。遠慮はしない。遠慮をしようものならイバンの気遣いを不意にしてしまうからだ。


「お気遣いいただきありがとうございます。とってもふわふわですわ」

「喜んでくれてなによりだ」


 それから慣れた手つきで野営を始める。

 アレクシスの風下で火を焚いた。それから水を汲み、お湯を沸き始めた。


「あの、もしよろしければなんですけど、紅茶などは」

「おあいにく様。行くと一言くれれば上等品を用意したのだがな」


 イバンは軽装だった。山に入るために必要最低限の装備を揃えた程度。その中で矢だけは潤沢に用意していた。


「イバン様はどうしてこの森に? それもおひとりで」

「俺よりも先にお前が話すべきだと思うんだがな……まあ、いいだろう。一応は監視だな。この森が冒険者の腕試しに使われているって知ってるよな? 領主として領地で好き勝手にされるわけにもいかん。だからこうしてたまに領主である俺自らが足を運んで度を超す馬鹿をやってたら止めるようにしてるんだ。わかってくれたか?」

「いいえ、わかりませんわね……やはりそれしきの仕事は部下に任せればよろしいのではないでしょうか」


 その指摘にイバンは頭をかく。


「……やはりお前には隠しごとは無理のようだな。すまない、悪気はない。ただお前にだけは格好悪いところを見せたくなかったんだよ」

「事情があるのですね?」

「事情も何も、俺の実力不足に尽きる。俺がこの領地を任された経緯は知っているだろう? 


 治世を敷かれても野心を持つ者は少なからず現れるもの。それが運悪く、イバンの母方の叔父だった。

 そしてこの暗殺計画をいち早く察知したのがイバン、未然に防ぐために奔走したのがアレクシスだった。

 この一件でアレクシスとカルロスが急接近を果たす。皮肉にもすでに恋心を抱いていたイバンが助ける形となってしまった。また許婚の契約もこの事件をきっかけに解消となった。

 彼の不運はこれで終わりではなかった。一家をまるごと処刑、最低でも国外追放の処分が下されかけた。それを止めたのが幼少期から交友のあった、ほかでもない殺されかけたカルロスだった。王室の威光が届かない、異民族が入り混じる南方への左遷を命じた。この処分の過程は強権的なものであり、貴族の一部からの不満や非難も少なくなかった。

 命は救われたものの、境遇は決して良くなかった。そもそも盤石とはいえない土地。部下の中には言葉が通じない者もいた。それにやる気のない、金で雇われただけの身も。

 そこに都会育ちのぼんぼんを頭に据えて、仕事が回るかと問えば答えは決まっている。


「……というわけで部下に命じても動いてくれないので俺が直々に出向いているというわけさ」

「まあ、私の知らないところでそんな大変なことが……気にかけたつもりでしたわ。苦労はするでしょうがイバンなら乗り越えられると信じていましたが考えが甘かったようですわね」


 カルロスと結婚すれば一国を任されたも同然。自分のことのように重く受け止めた。


「悪いことばかりではないさ。王都にいたら一生わからなかっただろうが、こうして自然に囲まれて暮らすの、意外と性に合っているというか、楽しいんだよな」


 王都にいた頃よりも頬肉が若干落ちたイバンだったが、目は星空のように輝いていた。


「お、そうだった、干し肉があるんだ。なんと俺が獲ったイノシシで作ったんだ! 若干味はワイルドだがそれがまたなんとも……なんて、口に合わないか。もう一国の姫様だもんな」


 ルンルンと出した干し肉。しかし腕のある料理人が作る生ハムと比べればあまりにお粗末な見た目。急に恥ずかしくなり元の場所に戻そうとするが、


「いいえ、当然いただきますわ!」


 アレクシスはがっちりと掴んだ。


「ジビエ! 一度食べてみたかったですの!」


 一国の姫になるとは思えない食いつきの良さに、


「お、おう、それならどうぞ。というかジビエなんて言葉よく知ってるな」

「いただきますわー! うんうん、たしかに噛み切れませんが、そこがまたたまりませんわ! あ、でも、ちょっと血の味が残ってますわね……これに関してはもっと後処理を頑張ってくださいまし」


 忘れてはならないがここは死と隣り合わせの危険な森。お気楽に食レポをするアレクシスははっきりといって異常である。

 しかしその姿に、イバンは懐かしさを感じられずにはいられなかった。


「……お前は変わらないでいてくれるんだな」

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