幾星霜

 始まりの抵抗を覚えている。


『——ティアの邪魔は、させない。ここから先には、一歩たりとも進ませねえ!』

『盟友の魂の誓い、決して違えてなるものか!』

『だから、テメェはここで死にやがれ!』


 取るに足らない三つの命。息を吹き掛ければ消えるような、弱々しい蝋燭の火だった。

 でも、彼らは僕の計画を阻み、そして今もなお僕を煩わせている。



 二度目の抵抗を思い出す。


『言っただろう? 足掻くって』

『——あの日できなかったことを! 今日こそ、私たちは可能性を繋ぐ!!」


 十二人の無駄な足掻きだと思っていた。始まりの日、動けなかった臆病者の儚いままごとだと。

 だが、それは僕にかつてない深傷を負わせた。計画を全て、白紙にしなければならないほどの損害を受けた。



 三度目の抵抗が邪魔をする。


『僕の世界を……ううん。私の“運命”を傷つけさせはしない』

『お前を、ここから先へは進ませない。私の全てで、止めてみせる』


『——じゃあね、エト。愛してるよ』


 たった一人が僕を阻んだ。

 四肢を砕き、胸を貫いた。それでも女は、僕に撤退を強制するほどの、計画の後ろ倒しを余儀なくさせるだけの損傷を与えてきた。



 ……旅を、してきた。

 長い長い旅を。

 僕の思考と肉体は、すでに常人とは異なるものになっている。でも、感覚というのは中々くれないんだ。

 だから、とても長い時間が経った。


 ようやく、ここまできた。最後のピースが揃ったんだ。


「……始めよう、《英雄叙事オラトリオ》。僕たちの遥かな旅の、その終わりを」


◆◆◆


 小世界イルナ。

 『四封世界』フリエントと同じ第二大陸に存在する、大部分を砂漠に覆われた世界。

 そんなイルナだが、ひとつ特筆すべき特徴がある。

 この世界には、統治者が存在しないという点だ。

 点在するオアシスにある小規模〜中規模の集落は統治機構を持たず、関係も極めて希薄。

 各々が、世界中央部に存在する穿孔度スケール4の異界に冒険者が挑戦する際の中継地点としての役割を果たすことで辛うじて経済を成り立たせてきた。


 統治機構が存在せず世界としてまとまりがないという点においては、それこそかの『弱小世界』にすら劣るだろう。

 それでも異界から産出された様々な資源を基盤に兵装は充実しており、悲しいことに、その一点のみで異界を持たないリステルに総合力では勝っている。

 さりとて、比較対象にリステルが挙がるほどに不安定な情勢のイルナが今日まで生き延びてきた理由。

 それは単純に、世界間のの役割を果たしていたからである。


 第二大陸はフリエント以外に著名な世界がなく、残る世界はおよそ百を超える小世界群で構成されている。

 言ってしまえば各世界の保有戦力には限度があり、さらに言えば、世界間の力関係は拮抗している。

 そんな緊迫した情勢下、脅威となり得ない世界と隣接しているというアドバンテージは計り知れない。

 早い話、誰もが前後左右を警戒する中で自分だけ背後を確認しなくていいというのは、精神的負荷が大きく軽減される事象だ。


 ——つまり、小世界イルナは長い間、大きな戦いを経験していない。

 備えはあっても、その使い方を知らない。

 ……そもそも、今回彼らを襲った災害は。それに対抗する存在たちは。


 生半可な備えなど塵芥に等しい、暴力の権化なのだから。


◆◆◆


 赤き轟雷が天から降り注ぐ。

 無差別に見えるようで、しかし確実に生命体を貫き焼き滅ぼす雲竜キルシュトルの雷に。


「僕、戦闘向きの力じゃないんだけどなあ」


 右手に持つ天秤を繰り返し左右に傾けながら、『悠久世界』エヴァーグリーン所属の〈片天秤〉ジゼルは文句をダラダラと垂れていた。


「キルシュトルの相手とか、ここずっとアハトかタルラーの仕事だったんだけど?」


 特に戦闘において、同じ〈異界侵蝕〉の中でも桁違いの実力を有する同僚二名の名前を挙げて、刻刻と降り注ぐ雷と咆哮からオアシスを守り続ける。

 そんなジゼルの視線は、オアシスの外れで悶え苦しむ銀髪の青年、エトラヴァルトに向けられている。


「僕の計画じゃ、竜の相手は全部〈黎明記〉に任せるつもり……というか彼が出るべきだ」


 概念昇格という、ジゼルが知る限り三名しか使い手が存在しない、一時的に世界の法則を馬鹿げた異能。

 竜殺しの物語を用いた概念昇格を、ジゼルは《終末挽歌ラメント》グレイギゼリアと《残界断章バルカローレ》ロードウィルに掌握された竜種の対抗策に使うつもりでいた。


「あーもうまったく」


 要するに、他人を頼る気満々だった男は、アテが外れて絶賛苦戦中だった。


「どうしてこう上手くいかないかなあ」


◆◆◆


「民間人の保護は無理ね。エトは気に病むでしょうけど、割り切るしかなさそう」


 砂の海を泳ぐヨルムンガンドに対して、魄導はくどうで生み出した鷲の背に立つカルラは渋面を浮かべた。


「《雲竜》、《界竜》、《融和竜》……最後のヤツは詳しく知らないけど、同格と考えると……ちょっと手こずるわね」


 以前の復活の際、ヨルムンガンドの単独討伐を達成したカルラではあるが、それあくまで完全な一対一の状況を作れていたである。

 かつて、《繁殖の王》を親友の亡骸から引き剥がした時、カルラは期せずして竜の“核”を叩く術を感覚的に習得した。

 エトラヴァルトやアハトの“竜殺し”ほどではないにせよ、その特異技能は竜と相対する上で絶大なアドバンテージを得る。


「でも、そもそも……ヨルムンガンドのヤツ、こっちを攻撃する気がないのよね……」


 積極的に地上への攻撃を行うキルシュトルとは違い、ヨルムンガンドはオアシスを囲うようにとぐろを巻いて傍観に徹していた。


「十中八九、《終末挽歌ラメント》ってのが指示出してるわね」


 ならばとカルラは、自分がここでヨルムンガンドに睨みを効かせているうちは数的有利は確保できると判断する。

 本来であれば頭数そんなものは危険度15の竜を前になんの意味もなさない。が、ここに集うは全員が一騎当千の〈異界侵蝕〉、及び相性差次第ではその怪物たちを打倒しうる戦力だ。

 筆頭のエトラヴァルトとシンシアが原因不明の……《英雄叙事オラトリオ》の影響によるものと推測される行動不能に陥っているのは不味い事態ではあるが、拮抗を維持するのは今のカルラたちにとっては決して難しくない。


「とは言っても、向こうの限界がわかんない以上、どっかで仕掛けないとダメなのよね」


 カルラは視線を、中層雲を席巻するキルシュトルのさらに上へ。

 肉眼での目視こそ叶わないが、絶えず迸る力の奔流が超高度での激戦を物語っている。


「あの竜人次第、ね」


 どうにも複雑怪奇な縁で共同戦線を張ることになった、全世界の宿敵たる【救世の徒】を率いる〈竜主〉の動きで決まると。

 ——そう、考えた直後。


 遥か上空、成層圏から一直線に落下した影が町外れの砂漠に凄まじいクレーターを生み出した。


「……うっそでしょ」


 その一部始終を、ほんの少しだけ視認したカルラは渇いた笑いを上げずにはいられなかった。

 遥か上空からの急降下。白き竜を大地に撃墜する極彩色の竜人の姿に、共闘関係であることを理解した上で震えがした。


「私の弟子、あんなのにどうやって負けを認めさせたのよ……」


◆◆◆


 圧倒、その言葉すら不適切と思わせるほどの一方的な戦いだった。

 竜人同士の戦いは、〈竜主〉ジークリオンによる一方的な蹂躙で決着する。

 砂漠に腕力と加速のみで作り出された撃墜痕クレーターの中心には、翼を捥がれ、四肢と尻尾を砕かれた《融和竜》イルルネメアがいた。

 喉を含む全身を絶えず極彩色の結晶で抉り返されて再生を阻害される竜人は、危険度15の魔物と言うにはあまりにも矮小だった。


「度し難い」


 否——それ以上に、竜の主が圧倒的だった。

 カルラが激戦と錯覚していた力の放出は、ただの一方的な蹂躙。

 ジークリオンは、かすり傷ひとつ負うことなく、《融和竜》イルルネメアを行動不能に追い込んでいた。


「この程度の戦力で、俺様を封じられるとでも思ったか」


 エトラヴァルト、シンシアの両名にみせた水晶外殻の奥の手すら使わずに、純粋な速度と膂力……身体能力ひとつで完封したのだ。


「感情に訴えかければ、俺様を鈍らせられるとでも考えたか?」


 怒気を滲ませる吐息を吐き出して、遥か遠くの『四封世界』を睨みつける。


「——ああ、いかるとも。当然だろう、我が友の歩みを愚弄されて平然とできるほど、俺様は寛容ではないのだから」


 それは、絶対強者の殺意。

 極彩色の鱗で全身を鎧う竜人は、空と海を占有するかつての同族に抉るような覇気を飛ばした。


「来い、哀れな死体共」


 その挑発に、二頭の巨竜が反応した。


『———ォォォォォォオオオオオオオオオオオ!!!!』

『キュララララ——!』


 縦長の瞳孔が極彩色の竜人を捕捉する。

 その他一切の脅威を無視して、最大の脅威を赫雷ととぐろを巻いた砂塵が強襲した。


 “天候”と“重力”。

 本来であれば生命の干渉が及ばない領域を“概念”をもって制する、“危険度15”の竜の本領。






 凌駕したのは——果たして、〈竜主〉ではなく。


「…………見つけ、た」


 それは、いつの間にかそこにいた。

 オアシス上空、カルラとほぼ同高度——否、彼女の視線の先に。


「は……?」


 鬼の麗人は、コマ送りのようにその場に現れた、全身を錆びた鎧で覆う何者かに瞠目した。


「まさか…………殿は」


 乱入者を認めたジークリオンは、驚愕と共に彼の持つ最大の敬称を呟いた。


 空中に立つそれは、背負う大剣ではなく、左腕を覆う鎧に巻き付いた鎖へと右手を伸ばす。


「…………主よ、今ひととき、お力を」


 右手を覆う錆びた籠手の先が鎖に触れた刹那。

 砂漠の大地を突き破り、無数の巨大な鎖が《雲竜》と《界竜》の全身を貫いた。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!』


 砂漠を塗り潰すほどの鮮血を吹き出し、巨竜が絶叫を上げる。


「ここは、貴様らの根城では、ない」


 くぐもった声を出す鎧の人物が左腕の鎖を撫でると、暴れる竜を調伏するように鎖がより一層激しく全身を縛り上げた。

 ——まもなく、二頭の竜の叫びが途絶える。

 キルシュトルとヨルムンガンドは事切れたように項垂れ、鎖に縛られた姿勢のままピクリとも動かなくなった。


「貴方、一体…………」


 鎧の人物は愕然と呟くカルラには見向きもせず、オアシスを見下ろし……目的の人物のもとへ急降下する。


「なっ……ちょっ、待ちなさい!」


 制止の声も聴かず、それは——今なお灼熱に苦しむエトラヴァルトから少し離れた場所に着地した。


「ああ…………見つけ、た」

「——動くな!」


 一歩、近寄ろうとした錆びた鎧の足を、イノリの険しい声が止めた。

 二頭の竜を行動不能に追い込んだ、それだけで味方だと断定するほどイノリの警戒心は鈍くなかった。

 目の前の鎧の興味関心がエトに向いていることを察したイノリは、即座に魔剣を抜いて動きを牽制する。


「そこから一歩でも近づいたら、お前を殺す」

「………………矛盾の、娘。よく、似ている、な」

「……? 何、言ってるの? 私のこと?」

「安心、しろ。危害は……加えぬ」


 イノリの疑問には答えず。

 鎧の人物が胸の留め金を外すと、背中の大剣が音を立てて砂の上に落下した。


「声さえ、届けば……それで、いい」


 鎧の人物の異様な登場にオアシスの各所に散っていた共闘者たちが次々と集まってくる。

 その中には、ストラに肩を貸してもらっているシンシアの姿もあった。


「姿を、見られた……だけで、いい」


 くぐもった声は、感極まったように揺れていた。

 確かな緊張感の中、魔剣の切先は常に鎧の首元へと向けられている。

 鎧の人物は、皆に見守られながらゆっくりと膝をつき——エトラヴァルトにこうべを垂れた。


「お待ち、して……おりまし、た。主の、希望」


 錆びた鉄が擦れる鈍い音を立てて、深く、深く。額に砂がつきそうなほど、深く。


「幾、星霜……待ち侘び、この身、朽ちるとも」


 鎧の目元の錆びが、まるで涙のように剥がれ落ちる。


「貴方、を……待って、いた。《英雄叙事オラトリオ》……の、完遂者」

「完遂、者……?」


 胸を押さえながらもなんとか顔を上げたエトが疑問を呟く。

 だが、その疑問に鎧は答えない。


「どうか……解放、を。……長き、悪夢の……終焉、を」

「お前は、何を言って……?」

「…………」


 この質問にも、鎧は答えなかった。

 ただ静かに、頭を下げて、まるで感極まったように声を震わせるだけだった。


「お前……誰だ?」

「……ぁぁ」

「敵か、味方か?」


 エトは、胸の灼熱を堪えながら、問う。


「その兜は、外せるか?」


 正体を明かしてほしい。そんな意味のこもった問いかけ。


「…………否」


 果たして、帰ってきたのは否定だった。


「我に、顔は…………ない。我、は……」


 ゆっくりと。

 錆びた全身を軋ませて立ち上がった鎧は、今度は立膝をつき、騎士のように拳を胸に当てた。


「は…………?」

「なんで——」


 驚愕は、エトとイノリのものだった。

 さらにはストラとシンシアも、声こそ出さなかったが、目を見開いて驚きをあらわにする。


 なぜならその敬礼は——


「我が、名は…………


 鎧の騎士は、敬礼のまま。



 最も広く親しまれる、御伽話の騎士の名を告げた。

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