過去の栄光

 七強世界が一つ、神秘宿す『幻窮世界』リプルレーゲン。


 第一から第四大陸のいずれにも属さない、四つの大陸に囲まれるようにして存在する“第五大陸”に唯一存在する世界である。


 滅亡惨禍では最前線で大氾濫スタンピードを食い止めた実績のある、強力無比な世界。


 そして……フェレス卿がつい先ほど、『イノリの姉に関する手がかりを得られる』と断言した世界。


 コツンと左手の甲に触れたイノリの手は冷たく震えていた。

 ——だから、俺は意識的に彼女の手を握る。


「……!」


 痛いくらい強く、強く握り返される。


「——源老! 救難の理由は!?」


 騒めきに負けないように声を張り上げると、俺の質問の答えを求めようと幾分騒ぎが収まった。


「……わからぬ、というのが現状だ」


 源老の表情は苦渋に満ちていた。


「送られてきたのは、救難信号ただ一つ。解析した者によれば、それ以外の情報は僅かばかりもないそうだ」


「親父。『幻窮世界』を外から観測できねえのか? そんだけ切羽詰まってるんなら、何かしら見つけることだって——」


「——それはできんのだ、ライラック」


 ラルフの疑問に答えたのは、ベラムと並んで源老の傍を固めるリントルーデだった。


「『幻窮世界』は、世界全体を“幻”が包み込んでいる。真っ当な観測は叶わない」


 現状、幻窮の内情を知ることはできないのだと、リントルーデの情報が補完する。


 原因不明、しかし緊急を要する救難信号。

 そして、発信元は観測不可能……軍を派遣することもままならない状況に、将校を始めとした参加者たちが押し黙る。


 

「……やはり、【救世の徒】ではないのか?」



 そんな中、誰かがポツリと呟いた。



「幻窮は“無限の欠片”を保有している……これを狙ったと考えるのが自然ではないか?」


「それは早計ではないか? 他の七強……或いは《終末挽歌ラメント》のような単独存在の可能性も捨てきれん」


「しかし現状、七強が動いていないのは確認済み」


「奴らの行動理念からも矛盾しない」


「《終末挽歌ラメント》の行動をエトラヴァルト殿ですら把握できない以上、奴は問題の主軸に置くべきではない」


「ならば何もわからない今この瞬間、【救世の徒】を主犯と想定することこそ愚考ではないか?」


 将校たちは口々に意見を交わす。

 『海淵世界』を支え、先の戦争を生き延びた彼らの言葉は的確だった。


 だから、《終末挽歌ラメント》のことに関しては本当に申し訳ないの一言に尽きる。

 《英雄叙事オラトリオ》のことが明るみになり、《終末挽歌ラメント》との関係性も示唆される今日なのだが。


 俺自身、結局のところそれらの正体を把握できずにいる。

 ——二十年以上一緒に在りながら、だ。


--<エト様、突然の念話失礼します>--


 俺が謝罪の気持ちでいっぱいになっていた時、脈絡なくストラから念話が飛んできた。


--<『幻窮世界』の現地調査を提言するのはどうでしょう?>--


--<ってのは……俺たち四人で?>--


 周りに気づかれないように——と言ってもリントルーデを始めとした実力者には気づかれているが——俺はさりげなくイノリと二歩下がり、ストラと視線を交わす。

 理知的な赤錆色の瞳は、器用に瞬きで肯定を示した。


--<はい。現状、『海淵世界』に動かせる戦力はいません>--


--<だから俺たちが動く、か。確かにありだな>--


--<戦力的にも申し分ありません。私とラルフが超短期決戦型、イノリが短期決戦型という欠点にさえ目を瞑れば、全員が〈異界侵蝕〉との交戦経験があり、エト様に至っては〈勇者〉と矛を交え、そして生き延びたという事実があります>--


 俺は、必死に震えを堪えるイノリの様子からも、それが最善手だと……いや。


 ここでその手を選ばないと、きっと。


 イノリが壊れてしまいそうな、そんな危うさがあった。

 だから既に、これ以外の択はない。


--<けど、大義名分はどうする? 救難信号があるって言っても、表向き動く理由は必要だろ>--


--<それなら問題ありません。わたしたちにはがいます>--


--<源流血族がいれば外交問題もちょっとは無理できるってことか>--


--<それに、皆の記憶に新しいエト様が動くとなれば他世界へのアピールにもなります。源流血族と英雄が共に救難に応じたとなれば、特に『極星世界』が動くに足る理由になります>--


 ストラの言うことは事態の芯を的確に捉えていた。

 確かに現状、俺たちが取れる最適の手段と言えるだろう。


--<わかった。リントルーデに繋いでくれ>--


 ストラは頷き、リントルーデへ導線パスを伸ばす。

 青髪の武人は流石の勘でこれを捉え、一度瞬きをしてからニッと笑った。


--<リントルーデ、頼みがある——>--





◆◆◆





 俺たち四人による救援作戦は源老によって正式に承認された。

 出発は20時間後……翌日早朝だ。

 セタスの幼体に船を引かせる形での移動なため、うちのバカ道化師が用意した頓珍漢なイカダ航行ような命の危機はなく安心である。


「ありがとね、エトくん」


 セーフハウスに戻る途中、イノリは彼女らしくない、しおらしい態度でそう言った。


「私の事情、汲んでくれたんでしょ?」


「当たり前だろ。それに、お前だけのじゃない。事情だ。そう決めただろ、運命共同体」


「……うん。ありがとう、相棒」


 少しだけ背筋を伸ばした彼女の頭を軽く撫でる。

 二ヶ月間音沙汰のない兄の捜索状況、うちの宰相の意味深な発言に重なるように届いた『幻窮世界』からの“世界の危機”。

 俺が想像していた以上に消耗していた彼女は、俺の手を跳ね除けることはせず、そのまま身を委ねていた。


 そんな俺たちの前を歩くストラが振り返り、一番後ろを歩くラルフに呼びかけた。


「ところでラルフ、『幻窮世界』について教えていただきたいのですが」


「ストラちゃん、世界関連はとりあえず俺に聞いとけばいいと思ってない? 流石に幻窮は管轄外だぞ……」


 そうは言いつつも、ラルフは流石の知識量で『幻窮世界』の情報を引っ張り出した。


「まあ……そうだな。一言で言うなら“元最強の世界”だ」


「「「元最強……?」」」


 ラルフから飛び出た予想外の単語に、俺たちは疑問から声を揃えた。


「最強って、『始原世界』か『悠久世界』じゃないの?」


 若干持ち直したイノリの問いに、ラルフは首を横に振った。


「それは“今の最強”だな。七強世界の枠組みができる前……滅亡惨禍が起きる前のことだ。幻窮はかつて、12〉を擁して絶対的な強さを誇っていたんだ」





◆◆◆





 不可侵の世界だった。

 世界全域を幻が包み、まともな観測は不可能。世界に到達することすら困難と来た。


 よしんば攻め込めたとしても、12人の〈異界侵蝕〉とそれに次ぐ実力者の群れに悉く潰走を余儀なくされる。


 たとえ七強世界であろうと。

 それが歴代最強の〈勇者〉を擁する今の『悠久世界』であろうと関係ない。

 『幻窮世界』リプルレーゲンは、絶対的な力をもって星の頂点に君臨していた。


 唯一の救いは、『幻窮世界』が積極的に侵攻を行う世界ではなかったことだろう。


 そも、戦力を諸世界に派遣したのは滅亡惨禍が最初で最後。

 しかし、この一度の派遣で『幻窮世界』は大量の戦力を失ったと記録されている。


 そうして力を削がれた幻窮は七強に連なりながらも、他世界との関係を持たず、幻の領域の内側に今も閉じこもり続けている。




◆◆◆




「……とまあ、これが俺が知るだけの情報だな。文献が古すぎて正直なところ眉唾物だけどな」


「……いや、思ったよりずっとやべえ世界なんだが」


「「右に同意」」


 極端に情報が少ない世界だとは知っていた。他世界との交流がないことも。

 だからと言うべきか、“元最強の世界”に偽りない情報に、俺の顔はきっと引き攣っていた。


「おねえの情報、そんな世界に本当にあるのかな……?」


 閉鎖的世界であるという事実に、イノリはフェレスの助言に懐疑的な声を漏らす。


 気持ちはわかるが、大丈夫だろう。


「多分、情報があるのは本当だ。アレは誤魔化すけど嘘は言わないから」


 あると、見つかると言ったのだからそうなのだろう。


「あとは、とんずらする前に内界観測くらいしてってくれりゃ良かったんだけどな」


 そうすれば現地で完全手探りになることはなかったんだが……多分、未來視が関わっているんだろう。

 こう考えると俺への情報もほぼ確実に絞ってるんだろうな……となるが、いつまでも愚痴っているわけにはいかないので切り替える。


「みんな、現地での作戦はどうする? 親父、俺たちに丸投げしてきたけど」


 今回の作戦は事前の予想がほぼ不可能なため、行動は俺たち四人に一任されている。


「まずは現地での情報収集でしょうか? 可能なら、結界外部からの観測も試したいですね」


 なので、ストラは至極真っ当な意見を述べた。


「なるべく固まって動いたほうがいいな。完全に未知の場所だから」


 当然、ラルフは現実的な提案をした。


「出たとこ勝負じゃないか?」

「出たとこ勝負じゃないの?」


 心のままに、俺とイノリは脳死で回答し、足を止めたラルフが頭を抱えてうずくまった。


「——そうだった! この二人、本質的にギャンブラーだった……!!」


「「いやあ、照れるなぁ」」


「褒めてねえ……!!」


 最近は外側からスケジュールガチガチだったから表面化していなかったし、なんだかんだラルフやストラがいたから誤魔化せていた。


 が、俺とイノリは駆け出し冒険者の頃、異界について一切の下調べをせずに突撃した前科持ちである。

 なんなら俺の師匠ことカルラ・コーエンは約80年前の記憶を頼りに行動計画をアドリブする。この辺の雑さは師弟お揃いだ。


「ドヤ顔してんの腹立つ……!」


 真面目に考えろ——と、とても真っ当な意見を述べるラルフに、俺とイノリは顔を見合わせてから頷いた。


「未知が俺たちを待ってる」

「おねえには悪いけど、久しぶりに“冒険”っぽくてワクワクしてるところはあるよね」


「冒険狂いどもめ!!」


「まあ、流石にもう無策で行くつもりはねえよ」


 ラルフを揶揄うのはこの辺にして。


「このあと、《英雄叙事オラトリオ》に幻窮に関わる記述がないかもう一度洗い出してみるから。現地での動きは船の中で考えればいい」


「……まあ、それが一番妥当になるか」


 渋々な具合で納得したラルフを立たせ、俺たちは帰路を急いだ。





◆◆◆





 『幻窮世界』の救難信号は、文字通り全世界へと広まった。

 異界を所有しない『弱小世界』ことリステルにすら送られたこの信号は——当然、海淵以外の七強世界も受け取っていた。




「……それで、出払ってる私に貧乏くじが回ってきたのね?」


 ——『

 通信を受けた女……〈戦火余燼デッドエンド〉ラスティ・ベラは、向こう側の相手にやや不機嫌な声をぶつけた。


「世界同士の馴れ合いに二度も私を使うなんていい度胸してるわね、新しい指揮官様は。でもまあ……


 明らかに機嫌が悪いラスティから肯定の言葉が出たことに、通信の向こうの相手は驚きを見せた。

 そんな相手の態度にラスティが特に言及することはなく。


 理由を尋ねられた彼女は、ただ一言。


「だって、面白いものが見れそうなんだもの」




◆◆◆





「うちから出せる戦力はねえよ。下手に動きすぎたからな、悠久からの報復を警戒しなきゃならねえ時期に戦力割いてられるかよ」


 『幻窮世界』に関する資料を指先で弾きながら通読した『極星世界』ポラリスの〈魔王〉ジルエスターの決断は、“静観”だった。


「他全部の七強が動くってんなら別だがな。正直、あの鬼人ふたりを海淵に送ったのだって肉切ってんだぞ? これ以上他にかかずらってられん」


 一刻も早く豊穣の地に関する問題を整理・解決しなければならない。ゆえに動かせる人材はいない……そこまで考えて、〈魔王〉は鼻を鳴らした。


「あの馬鹿がさっさと帰ってきてりゃ、違う対応ができたんだがな」


 不在の懐刀は、きっとまたどこかで迷子になっているのだろうと。

 ジルエスターは大量追加された資料の山への憂鬱を込み込みで盛大にため息をついた。





◆◆◆





「目標、『幻窮世界』リプルレーゲン」


『——ハッ!』


 『覇天世界』を統べる主天のたった一言に、全ての天使がこうべを垂れた。





◆◆◆





「まみえるか、《英雄叙事オラトリオ》よ」


 『悠久世界』エヴァーグリーン、大図書館の地下。

 〈残界断章たびびと〉ロードウィルは、紙とインクの劣化から香る独特の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。


「お前には、求める権利がある。知る義務がある。逃れられぬ責務と、立ち向かうべき運命がある」


 舞い踊る無数のページの断片。


 表向きは禁書庫として封鎖され、しかし実態はロードウィルの私室として機能する大図書館の広大な地下を、遍く物語未満の欠片たちが埋め尽くす。


「儂は、お前を導こう。《英雄叙事オラトリオ》よ、《終末挽歌ラメント》よ。ここに……結末を。我らが世界の果てを。五千年前の約束の結実を、どうか儂に見せてくれ」


 そうして老爺は、幻に包まれ神秘に満ちた世界へとその足を向けた。





◆◆◆





 世界のどこかで、誰かが祈っていた。


 その祈りを知り、悔恨に命を費やす者がいた。


「我が生涯ただ一人の主よ……今、お迎えに上がります」


 忠臣は『四封世界』フリエントにて至上の敬礼をし、今、騒乱の渦への踏み出した。

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