悠久vs海淵⑪ 新生の焔
海の青より深き青。
深海を思わせる、しかし昏くはない、温もりを感じさせる青。
ライラックの心臓を中心に燃え盛る青き焔。
自らの頬を撫でた青の火の粉の残滓に触れたリンカは、その残滓の行先を無意識に目で追った。
「あったかい……綺麗……」
両軍が戦いの手を止め決戦の趨勢を見守る。
ライラック、ザイン、シャクティ。
三者が視線や歩幅、重心の移動で読み合い、牽制し合う中で。
「…………ふぅー」
脈打つ焔で世界を青く染め上げるライラックが息を吐き出し。
誰かの鎧に付いた雫が滴り落ち、水溜まりをちゃぽんと揺らした。
——刹那、絶奏。
シャクティの全身が唸る。
「『アニマ・アパッシオナート』!!」
弦が弾ける。
聞く者の心を震わせる絡み合う無数の音階が刃となり、ライラックとザインへと殺到した。
だが、両者動じず。
「『魔剣装填』ッ!」
「海の焔よ!」
豪炎の魔剣と深き海炎が音の刃を引き千切る。
「師匠、俺が前を張る!」
「いいぜ、やってみろ!」
噴火と見紛うほどの踏み込みで大地を蹴り砕き、大戦斧と剣を構えたライラックが音の刃を意に介さず爆進。
「オオッ!」
劇場の楽譜を突き破り大戦斧が横一文字に切り払われた。
汎用防壁を濡れた紙のように容易く千切り、調律を試みたシャクティの双眸が衝撃に揺れる。
「何——!?」
間一髪、障壁の展開を中断したシャクティが大きく退いた。
「逃さねえっ!」
距離を取られればシャクティの独壇場——音響結界の構築と海炎への調律が終わる前に最短で叩くべく、ライラックとザインが追撃を仕掛ける。
「寄越せリンカ!」
「言われなくても!」
ザインの絶叫にすかさず魔弾が三射、さらに間を開けて三射。
合計六発、六閃の魔剣が超速の剣技をもって振るわれた。
「剣本体を抑えれば!」
しかし、〈異界侵蝕〉。
音の概念を有するシャクティは魔剣そのものへの対処を諦め、ザインの剣と魄導にのみ焦点を絞る。
結果、魔剣の“魔弾”のみが特化防壁を潜り抜け、その先で二重の防御を敷く汎用防壁によって完全に霧散する。
「チッ……! 練り込みが甘いか!」
剣と、魄導と、魔法。
三つの要素がいまだに独立……魔剣として不完全であるがゆえの防御にザインが舌打ちした。
「どうするのさザイン!」
後方、リンカのやや不機嫌そうな声にザインは左手で『もってこい』と合図を送る。
「やることは変わらねえ! 枯れるまで寄越せ!」
「女の子に枯れるとかあんま言わない方がいいって前に言ったじゃんっ!」
文句と共に魔弾が供給される。
未だザインを脅威と見做すシャクティと視線が交錯し、その横で海炎が燃え盛った。
「シャクティ!」
大戦斧を振りかぶったライラックに名を呼ばれたシャクティは海炎への調律を実行し——
特化したはずの防壁は、いとも容易く青き焔に食い破られた。
「何故……!?」
迫る大戦斧を右手で直接掴み取り、シャクティは焼け付くような痛みに表情を歪めた。
「なぜ防げない! 威力、規模の上昇を認めよう! 魄導の会得も、業腹だが事実だと受け止めよう!! だが!!」
二閃三閃と刻まれる歪な二刀の斬撃、その悉くがシャクティの防壁を撃砕し男の体を吹き飛ばす。
「なぜ、僕の調律を受け付けない!? 波長が、音階が合わない!? 道理に合わないだろう!?
“音の概念”をもってしても完全な一致に至らない海炎の異常な波形に、戦いが始まって初めて膝をついたシャクティが狼狽した。
「道理もなにも、当たり前だろうが!」
絶えず波長を変化させる、発現者のライラックですら制御ができない海炎が激しく揺れる。
制御の不能はライラックの未熟さからくるものではなく、炎の性質ゆえに。
「この炎は海だ! 俺の、俺たちの! 母さんの……クソ親父の生きた海そのものだ! 捨てたあんたに、理解できるもんじゃねえ!!」
同じ潮は1日とてなく。創世から今日に至るまでの長い長い年月、常に形を変えては変わらず生命を見守り続けてきた海。
ライラックという人間の魂の故郷の発露。
それこそが“海炎”。
海を離れ、悠久に身を置き背を向けたシャクティには、ついぞ理解することが叶わない音色である。
「ライラック! 僕は、認めない……!」
妄執。
味方である悠久軍の兵士ですら悍ましさを覚える、執拗なまでの源老への、兄への執着。
「それでいいさ! 俺もあんたを認めねえ!」
怒りと、裏切りに至った過程をラルフはよく理解できる。
ただボタンを掛け違えただけなどという浅い問題でないことも、無論。ライラック自身、歩んだ道のり次第では同じ選択にたどり着いた可能性すらあると理解していた。
だが、それゆえに認めるわけにはいかなかった。
犯してはならない過ちを犯した目の前の血族を。
自分の答えを見つけた今のライラックは、認めてしまうことはできなかった。
「理解できる! だけど、同情も共感もしねえ!」
「なにを、今更……!」
武器を握る拳が強く震えた。
「あんたは、あんただけはダメだろ! 隣にいたんだから! 一緒に育ったんだから! クソ親父がバカみてえに口下手なこともわかったはずだ! あんただけは、隣に居続けてやらなきゃだめだったんだよ!!」
「ライラックぅ……!!」
言葉がシャクティの調律を乱す。
ほんの一瞬ブレた音階の隙を逃さず、ザインの魔剣が防壁を突破する。
「ラルフ! 畳みかけろ!!」
「ああ!」
極彩の魔剣と青炎が入り乱れ、シャクティの苦し紛れの防御を粉砕。
「おおっ!」
一気呵成に攻め立てたライラック渾身の石突きがシャクティの胸部を穿った。
「カハッ……!?」
折れた肋骨が肺に刺さったシャクティが溢れる血潮を吐き出し、
「『アパッシオナート』……!」
苦し紛れにヴァイオリンを地面に叩きつけた粉砕させ、生まれた破砕音を増幅させラルフたちを後方への押し戻した。
「ハァッ、ハァッ……!」
服の内側で赤黒く変色した右胸を押さえて、口元の血を拭ったシャクティがわなわなと声を震わせた。
「僕が、寄り添うべきだった……? そんなこと……
激昂する。
「食事の時も、謁見の合間も、毎日、毎日毎日毎日毎日!!」
胸の痛みも血痰混じりの唾も気にすることなく、シャクティは〈異界侵蝕〉としての威厳をかなぐり捨てて叫び散らした。
「何度だって尋ねたさ! 何度も問い糺したとも! だが! あの男が答えを返すことはなかった!! 心を失った怪物は! 僕の声に、音に! 一度だって耳を傾けようとはしなかった!!」
「——随分と仮面が剥がれたなぁ!」
怒り狂うシャクティの隙を逃さず、ザインの魔剣が炸裂した。
しかし、シャクティにはもう防御の気概はない。
シャクティは両腕を高らかに掲げ、十本の指を眼前の中空に叩きつけた。
「『
重厚なオルガンの音色が響き渡り、シャクティの内で黒く濁る憤怒と憎悪が増幅される。
一小節奏でられる度に音符という名の武装が生まれ弾け、新生する。
「ライラック! 僕は君を認めない! 信じない! そんなこと、あってはならない!!」
認めてしまえば、シャクティという人間の全てが瓦解する。
「今更、あの男にどんな音を奏でればいい!? ライラック!! 君と僕はやはり同じだ!! 君も同じように——絶望する!!」
その一線だけはどうしても譲れないと、〈楽采狂騒〉は告解の大聖堂を背に幻想の鍵盤にしなやかな指を叩きつけた。
「「〜〜〜〜っ!?」」
海炎と魔剣を同時に弾き飛ばし、衝撃に抉れた大地に無数の譜面が走る。
先ほどまでとは明らかに違う、明確に殺しにきた〈異界侵蝕〉の全力にザインが挑発的に笑った。
「ハッ! やっぱり本領じゃなかったみてえだな!」
「君たちに使うつもりは、正直言ってなかったよ……!」
苦肉の策だとシャクティは唇を噛み締める。
「哀れな甥よ……! せめてこの僕が、絶望を知る前に引導を渡してあげよう!!」
意地と指令を天秤にかけ、シャクティは紙一重で後者を選んだ。
「いらねえよ、そんな身内の贈り物未満……!」
燃え盛る炎のような魄導を漲らせ、海の焔にその身を包んだライラックが声高に宣言する。
「何年かけても理解してやるさ。俺は、必ず!!」
海炎は、ライラックの決断を後押しするように優しく揺れ。
眼前の敵を倒すための力を与えるように、激しく燃え盛った。
「第七王子として! 母さんと、クソ親父の息子として!」
圧縮——解放。
大地を溶解させるほどの熱量の権化が顕現する。
「この一撃で——アンタを倒す!」
新たなの力の目覚めは、いかんせん、遅すぎた。
ライラックの体はすでに限界を迎えつつある。
急場の治療によりほんの少し騙せていた怪我による内臓機能の低下。
傷ついた肺での呼吸だけでは海炎の出力に長く耐えることはできない。
「『母なる海の伝承と裁きに揺れる』!」
だからこその一撃必殺。
大戦斧を大地に横たえ、ライラックは両手で剣を大上段持てる力の全てを吐き出し、荒れ狂う大海を彷彿とさせる大火炎を顕現させた。
「リンカ! お前まだ余裕あんだろ! 絞り出せ!」
「無茶苦茶言うなぁ! 『炎奏せよ、不夜の情熱』!!」
ザインの無茶振りにしっかり応え、リンカは自分の全魔力を絞り出しザインの剣へ猛火を供給する。
約一年、共に練習を重ねてきた魔法と剣の共鳴率は他の魔法とは一線を画す。
炎の勢いはライラックの海炎に届かず。しかし、剣の鋭さ、完成度は〈異界侵蝕〉ですら脅威を覚えるほど。
灰炎と海炎が大聖堂と向かい合う。
合図は、シャクティの演奏。
「グランドフィナーレだ! 万物を、忌まわしい記憶も、その残響も! 僕は粉砕する!!」
「「させるかよ——」」
同じ呼吸。
同じ歩幅。
同じ踏み込み。
同じ太刀筋。
「「——燃やし尽くす!!」」
師弟の斬撃が、厄災と激突した。
美しくも恐ろしい大合唱が響き、大地と海を揺らす。
優勢は——
シャクティが奏でる全ての音が。
灰炎によって減退した大合唱が、青き焔に飲み込まれてゆく。
「何故だ……その、炎は……!?」
「言っただろ……これは、海だ……!」
その名は、“海炎”。
万物の故郷、潮騒奏でる始まりの音。
「海は、全てを包み込む……! あんたの、音だって……!」
「ふざけるな……そんなものが……!?」
シャクティの耳に、望郷が——遥か昔、揺籠の中で聞こえた波の音が響いた。
「捨てたはずだ、僕は……!」
震える声で呟いたシャクティの完璧な旋律に、一小節のミスが生じた。
一瞬の揺らぎ。
しかし、拮抗を破る致命の一撃だった。
その瞬間、海炎が全てを包み込み。
シャクティの大聖堂は、瞬きの間に燃え尽き、崩れ去った。
◆◆◆
その光景を、膜を一つ隔てた小世界の片隅で観測していた男がいた。
「ンッフフ! 全く容赦がないですねえ。滅ぼす気がないなら、加減してくれればいいものを」
無数の頁が世界を覆い尽くす異様な景色。
左腕の肘から下を失ったフェレス卿は、下手人である老人、《
「留守を破ったゆえ、多少の戦果は必要でな」
ロードウィルは空白の
「嘘をつくなら、やはりいらないのでは?」
「いやなに。最近は妙に忘れっぽくてのう。
だからと言って左腕を持って行く必要はないだろう、と。
物騒なことを平気で宣うジジイ相手にフェレスは割と本気で怒りを覚えた。
「それはさておき……どうやら、
全然さておいて欲しくないし、議論の余地は大いにあるのだが、たしかにさておき。
フェレスは抱いた怒りも割とどうでも良くなるほどに待ち焦がれた一つの
「ええ、おかげさまで。たった今、未来が一つ、確定しました」
本来二つあった分岐点のうち、一つは見事にフェレスの望む方向へ舵を切った。
「それと同時に、私の
もう一つ。
本来ならこの先に待ち受けていたはずの分岐点はたった今、ライラックの手によって握りつぶされ、運命は一つの結果を提示。
同時に、フェレスの未來視を完全な暗黒へと誘った。
「この戦争で、
告げられた未来に、ロードウィルが僅かばかり驚き、『ほう』と呟いた。
「それはまた、随分な未来を見たものだ。しかし……お主はそんなに悲しんでおらぬな」
エトラヴァルトという
助言に留まらず、自らを〈異界侵蝕〉の前にまで赴かせるという危険に晒してまで援助をする相手の死亡。
リステル存続に欠かせない存在の欠落は、フェレスにとって痛手以外の何物でもない。
にもかかわらず、道化は悲しまなかった。
「なぜじゃ?」
「簡単ですよ。
すっかりロードウィルへの警戒を解いたフェレスは、自らの願いの一端を口にする。
「私はね、老爺よ。私の視た未来を超える存在に出会いたい」
「……見えるが故の、我儘じゃな」
「そうでもありません。この星が辿るはずだった二つの未来。それが今、暗黒に落ちた」
隠しきれない期待があった。
「ンッフフ。私はね、見たいのですよ。完全な未知、誰も知り得ない未来というものを」
遠視の魔眼によって覗き見をするフェレスは、ロードウィルに提案する。
「……見ますか? 老爺」
「遠慮しておこう」
「それは残念」
悠久と海淵、二つの世界の戦いは、これより
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