悠久vs海淵⑦ 〈金剛壊勿〉vs
——予感がした。
久しく感じていなかった“直感”が、俺の胸の内で騒ついた。
ここが、未来の分岐点だと。
三分間のリミットは、今、この瞬間にやってきたと。
中央戦場側から迸る凄まじいプレッシャーが誰のものか、俺には考えるまでもなく理解できた。
「……戦ってんだな、ストラ」
俺は荒い呼吸を無理やりに整えて、もはや原型を留めていない砕けた大地の上に立つ5人の金一級冒険者へ不敵な笑みを向けた。
「……どうした、息荒くなってるぞ? もう限界か?」
かなり削られている自分を棚上げし、虚勢を張って中央戦場を指差した。
「俺なんかに
「……ハッ! 下手な煽りだな、エトラヴァルト」
同じく、俺によってかなりの消耗を余儀なくされている金一級の中の一人が俺の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「お前を放置しておく方がよっぽど悪手ってやつだ!」
その使命感と意志の強さに確信する。
俺は、フェレス卿の言っていた“三分間”に関わることができない。
その未来の分岐点において、俺は蚊帳の外の観客であることは、疑いようがなかった。
「そうか……残念だ!」
強く息を吐いて剣を構え直せば、打てば響くように、5人の金一級も呼吸を整えて迎撃の構えを取った。
「信じてるぞ、ストラ」
小さく仲間への信頼を呟き、俺は金一級の男へ猛然と斬りかかった。
◆◆◆
三分間のリミット。
エトラヴァルトの直感は正しく、フィラレンテと対峙するストラが有する三分間は、この戦争の結末を左右する重要な分岐点である。
だが同時に、もう二つ。
それぞれの戦場に、分岐に関わる戦いが存在した。
時は、ストラが『概念模倣』を使う前——〈異界侵蝕〉たちの同時進軍から僅か五分後にまで遡る。
◆◆◆
何秒、何分……いや、何時間経っただろうか。
イノリは、既に疲労からくる痺れによって感覚を失った四肢をだらりと脱力し、霞む視界の中心に辛うじて金髪色黒の男……〈金剛壊勿〉ギルベルト・エッケザックスを捉える。
「どうした! お前の力はそんなものではないはずだ!」
無瑕……欠点のない完全な状態。
常に自らを万全の状態で固定する概念の保持者。
そして、イノリと同じ無限の欠片を保有すると豪語する〈異界侵蝕〉。
千の砲弾が無意味だった。
万の弾丸が無価値だった。
それ以上の、万人の魔法が、奮戦が。悉く無為に帰した。
右翼、ギルベルトとイノリの周りに立っている者はただの一人もいなかった。
悠久軍はギルベルトに前線の一切を任せて後退。エトラヴァルトによって圧迫された後方支援の支援に回った。
そして海淵軍は、ギルベルトという名の瑕疵など存在しない重戦車によって蹂躙され、予備隊を含めた3万の兵士——つまり、全軍の10%が敗走した。
ただ一人、逃げることを許されなかったイノリは。
ギルベルトが見せる“左眼”への執着によって辛うじて生かされていた。
「お前は無限の欠片を扱いきれていない! 受け入れるのだ! そして昇華するのだ!!」
「あなたは、何を言って……?」
朦朧とする意識の中、耳鳴りに混ざって聞こえるギルベルトの言葉にイノリが困惑を示す。
あらゆる攻撃を、呪いを、一切合切無力に貶めるギルベルト。
過酷な戦場でただ一人消耗を知らない男は、
「小細工などに頼るな! お前は“無限”のなんたるかを理解していない! 尽きることのない力の源泉に触れていない!」
敵に教えを授けるなどという奇行に走るギルベルトが力強く拳を握った。
「さあもっと見せてみろ! その眼を輝かせろ!」
超加速から肉薄。
ギルベルトは丸太のような右腕をイノリの脳天へと振り下ろす。
対するイノリは魔眼を起動。
時計の針を回し、自らの時間を加速させ世界を置き去りに、ギルベルトの腕から逃げるように右へ飛んだ。
「っづう……!」
度重なる魔眼の使用に脳が悲鳴をあげ、激痛が重く精神を蝕んでゆく。
しかし、痛みにうずくまる暇はない。
「確かめさせろ! お前の眼が真に“無限の欠片”ならば!」
ギルベルトの容赦のない追撃にイノリは再び、連続で魔眼を起動。
無瑕の概念による絶対的防御を誇る〈金剛壊勿〉に魔眼による拘束は意味をなさない。よってイノリは自らの時間を加速することにのみ焦点を絞り、通常ではあり得ない緩急を用いてギルベルトの攻撃から必死に逃げ回っていた。
「限界など訪れないはずだ! 苦痛など感じぬはずだ! 証明して見せろ! 俺の勘が間違ってなどいないことを!!」
「はぁっ、はぁっ……! 好き勝手、言って……!」
引き裂かれそうな頭痛で思考は粉微塵に。
ギルベルトが何を言っているのか、イノリには何も分からなかった。
何秒、何分……何時間経った。
一秒、二秒と数えることすらままならない体たらく。
徐々に狭まっていく視界と浅くなる呼吸に、イノリは迫り来る死の足音を幻聴した。
「いいの……!? 私なんかで、遊んで……!」
「安心するといい! 俺の役目はあくまで戦力の炙り出し! 来ないというのであれば、万全を期してお前の真価を測れる!」
「まったく……嬉しくない、なあ……!」
減らず口を叩きながらも、イノリは半ば反射的に魔眼を起動しギルベルトの手加減を多分に含んだ殴打の連続から逃げ続ける。
限界は、唐突に訪れた。
「……………?」
不意に両膝の力が抜けて、イノリはその場に崩れ落ちた。
「……あ、れ」
感覚を失った両足。
神経の命令伝達が阻害されたわけではなく。
ただ、それを司る脳が限界を迎えた。
度重なる魔眼起動に、イノリの脳は既に、半ば潰れかけていた。
「っぷ——」
イノリの口から大量の血が溢れて、膝をつく彼女の真下に血溜まりを生み出した。
「あ……、ぁ…………」
地面についた両手が血に滑り、パシャ、と音を立ててイノリの身体が血溜まりに沈む。
その様子に、ギルベルトは落胆とともにため息をついた。
「……呆気ない。もう限界だというのか? それとも、俺の勘が間違っていたと?」
一歩一歩、威圧するように。
イノリの危機感を刺激するように、わざとらしい歩みでギルベルトは血溜まりを踏み締めた。
「……っ、ぁっ」
しかし、イノリは糸が切れた人形のようにピクリとも動かず。
ギルベルトは、大きな左手でイノリの頭を掴み上げ、目線を合わせた。
「同胞だと、俺の中の欠片が叫んでいたが……勘違いだったようだ。だが、その眼は使える。宣言通り、抉り取らせてもらうぞ」
ギルベルトは容赦なく、無抵抗のイノリの左眼に人差し指を突き込んだ。
◆◆◆
——『イノリちゃんはさ、永遠の命って欲しい?』
遠い記憶の彼方。
イノリは、愛する姉の言葉を聞いた。
廃墟の屋根上でそう問われた幼き日のイノリは、姉が……リンネがなぜそんなことを聞くのか分からなかった。
——『いらない。兄ぃとお
——『それじゃ、私とシンくんも一緒にいるとしたら?』
——『……それなら、欲しいかも』
——『おっ、手応えあり』
リンネは迷う仕草を見せたイノリの頭を優しく撫でる。
——『それじゃあ、イノリちゃんはどうやって生きたい?』
——『……お葬式の後だから、こんなこと聞くの?』
立ち昇る煙に混ざる肉と骨の焼ける嫌な匂いに、リンネは『そうかも』と曖昧に答えた。
——『あの人、お医者さんになりたがってたでしょ? イノリちゃんは何になりたいか、気になったんだ』
——『何になりたいとか、よく、分からない』
——『そっか……』
残念そうにするリンネに、イノリは少し時間をおいて、『けど……』と続けた。
——『私、生きたい。兄ぃとお
◆◆◆
その時、全身を貫いた壮絶な悪寒に、ギルベルトはイノリから手を離し大きく距離をとった。
「…………、なんだ?」
受け身も取らずに血溜まりに沈んだイノリは、直後。
ぐぐ……と両手に力をこめてゆっくりと立ち上がった。
「…………」
その表情は虚ろで、半開きになった口を放置したまま、イノリはコテンと首を横に傾け。
「『
空間に、刻を司る眼が
全く同時——否。
眼が
ギルベルトとイノリが立つ空間一帯の時間が隔絶した。
「これは……結界か!?」
ギルベルトの視界を、薄暗闇の膜が満たす。
無数の時計が不規則に踊り狂い、非常に遅々とした秒針を刻んでは停滞する。
外の景気が、緩やかという言葉ではあまりにも生ぬるい停止を見せる。
かつてイノリが『魔剣世界』レゾナで吸血鬼の紅蓮と対峙した時を遥かに凌ぐ強度と規模の時間結界。
内と外、世界の時間の流れを断絶させる暴挙にギルベルトは思わず笑みを浮かべた。
「……いいぞ! まだ牙を隠していたか! 俺を前に隠すその胆力! 気に入っ——」
その先の言葉は紡がせず。
空間に浮かぶ“魔眼”がギルベルトを睥睨し、時計が加速。
瞬間、ギルベルトの周囲に散らばっていた武器の残骸が一瞬にして蒸発した。
「なんっ……!?」
自身へと降りかかる膨大な“圧”。それが時間であるとギルベルトは察し。
自分が今無事なのは、鍛え上げた“無瑕”の力があるからだと否応なく理解した。
「一瞬で鋼が腐り落ちるまで時間を加速させやがったのか……!」
ギルベルトは驚愕し、同時に歓喜する。
「間違いない。お前のその左眼は無限の欠片だ! ——そして!!」
無防備に前進するイノリに対して、ギルベルトは豪快に笑った。
「お前、“概念”を持っているな!? 察するに、“時間”に関わる何かを!!」
「…………迎えに」
テンションを上げるギルベルトに対して、イノリは不気味なまでに静かに。
ギルベルトではない、どこか遠くを見て、呟く。
「迎えにいくから……待ってて」
「トんでやがる……いいぞ、いいぞ小娘! 間違いない! お前は今ここで殺さなくてはならない存在だ! この俺が認めよう!」
魄導を漲らせ、ギルベルトは今日一番の覇気を放出し指を鳴らした。
「〈金剛壊勿〉ギルベルト・エッケザックスが! この無瑕の身体でお前を撃滅しよう!!」
「お
瞳の端から涙を流したイノリが加速——ギルベルトの知覚を許さず、渾身の前蹴りが男の鳩尾に叩き込まれた。
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