囚われし

「〈勇者〉か、それ以外か……」


 リントルーデの言葉を反芻したエトラヴァルトは、自分の中に浮かび上がった幾つかの疑問点を整理する。


「質問いいか?」


 無言で頷くリントルーデ。『答える用意はできている』という視線にエトが問う。


「まず第一に……というかこれがいちばんの疑問なんだが。どうして『悠久世界』の目的が戦力の炙り出しなんだ? あんま考えたくないけど、『海淵世界』を滅ぼしにきてるって可能性もあるだろ?」


 危うい断定だ、と指摘する。

 そうあってほしいという願望を、エトは大いに理解していた。

 そうでなくては、絶望的な戦力差の戦いに身を投じなくてはならないことを知ってしまったから。

 歩兵がいくらいようと関係ない、七つの災害が海を蹂躙する光景。〈勇者〉アハトの力をその目で見てきたエトには、鮮明に想起できた。


「そうだな。貴殿の疑問は最もだ」


 リントルーデは苦い表情をする。


「だが、そうあってくれと願う他ないのだ」


 〈異界侵蝕〉の中にも格の違いがあるように、七強世界の中にも格差が存在する。

 『始原世界』と『悠久世界』。二つの最強と、それに次ぐ『覇天世界』。そして、その下に控える海淵、極星、幻窮、四封。


 この星の平穏は、絶妙なバランスの上で成り立っていた。


 ——小石が湖面を揺らす程度の小さな小さな衝撃で崩れるほどに。


 そして、『構造世界』バンデスの滅亡は、隕石の衝突にも似た絶大な衝撃を全世界に波及させた。


「はっきり言おう。俺たちは、未だに『悠久世界』の真意を掴めていない。この時節で全面戦争を仕掛けてきた理由が、俺たちにはわからないのだ」


「だから、憶測に縋るしかないのか」


「……情けない話だがな」


 本当に情けないと、リントルーデは自らの勘の悪さを呪った。


「しかし、『悠久世界』が戦力の分散を行う可能性は高いと俺は見ている。これは憶測ではなく、他の七強世界の姿勢によるものだ」


 始原は使者の一人こそ飛ばしたが、それ以外は傍観を宣言している。

 極星は海淵に書状を送った。

 幻窮、四封は不干渉を明言。


 そして唯一、主天が統べる『覇天世界』のみ、未だ立場を明らかにしていない。

 全天を制する。『覇天世界』は、こと侵略戦争において全ての世界を凌駕する機動力を有している。


「そして現状、『覇天世界』は『悠久世界』の上空に滞空している。まるで挑発でもするようにな」


 リントルーデはここに、半月前に〈勇者〉と主天の間でがあったことを明かす。

 その事実に、エトの表情が変わる。


「悠久が考慮すべき相手は、【救世の徒】だけじゃないってことか」


「そうだ。【救世の徒】の動向に関係なく、悠久はある程度防衛に人員を裂かなくてはならない」


 本国を無防備にできるほど、『覇天世界』はぬるい相手ではない。

 リントルーデはかの天空を統べる世界の脅威を知っているからこそ、この予測がただの願望ではないことを確信していた。


 そして、もう一つ。

 源老と第一王子ベラム、そしてリントルーデしか知り得ない“書状”の内容を加味することで、この予測を観望から確実な未来へと引き寄せることができる。


 だが、書状の内容は外部には。そのため、不信が募るのは致し方のないことだった。


「……大体理解した」


 道化師フェレスとの対話に慣れていたからだろうか。エトには、リントルーデが何かを隠していることが読み取れた。

 だが、この期に及んで隠すのであれば、それは隠さなくてはならない理由がある。

 それを肌感覚で理解したエトは、それ以上の追求をしなかった。



 そうして幾つかの質問を終え、エトは『器を慣らしに行く』と会議室を去った。

 ラグナは武器の調整に、ノルンは疲れからさっさと睡眠に。

 残ったリントルーデは、おもむろにイナの右腕の裾を捲り上げた。


「リンちゃんのえっちー」


「茶化すな」


 捲り上げられた袖口に刻まれた禍々しい痣。

 鱗のようにも見えるその“呪い”の進行に、リントルーデ腕に力が入る。


「大丈夫だよリンちゃん。この戦争は、まだ無茶できる」


 痣を隠したイナは、逃げるように身を捩ってリントルーデの手を振り払った。


「だからリンちゃん、まだ平気だよ」


 まだ、その約束を果たす時ではないと。

 イナは表情を強張らせるリントルーデに笑いかける。


「私は、〈円環者〉としての役目を果たす。私はまだこの戦争で終わる気はないよ。だから、リンちゃん」


 その時が、来たのなら。


「リンちゃんは〈守護者〉の役目、ちゃんと果たして。——必ず、私を殺してね」


「……ああ、わかっている」


 苦渋に満ちたリントルーデの返事に、


「全然わかってないじゃ〜ん!」


 イナは軽い調子でケラケラと笑った。




◆◆◆




 人口太陽が傾き始め、淵源城ノアは徐々に夕焼けに覆われてゆく。

 深海を透写するノアの天井に映る人口太陽は、湖面に浮かぶ月のようで、二つの同一の天体が鏡合わせ動く景色は、地上では決して見られない幻想的な眺めだった。


 俺は時計塔の上からぼんやりと街を眺めていた。夕飯までには時間があって、かと言って異界探索の翌日に日課の基礎鍛錬以上のことをやる気にはなれず。

 結局ブラブラと城下町を散策して、夕暮れの街を眺め黄昏ることを選んだ。


 器の拡張は済んだのだろうが、案の|英雄叙事《オラトリオ》が占有している。基礎身体能力が上昇した実感こそあるが、それ以外、劇的に変わった感覚は残念ながら訪れなかった。


「……戦争か」


 つくづく、嫌な単語だと思う。


 命を、土地を奪い合う。

 そこに慈悲はなく、あるのはただ、屍山血河と成れの果て。


「なんで、進んで人殺しなんかしなくちゃならねえんだよ」


 思わずこぼれた本音。


「——あら、随分と後ろ向きな発言ね?」


「!」


 応える誰かがいるのは、正直予想外だった。

 俺の感覚を、直感をすり抜けた女が時計塔の屋上に姿を見せた。


「『極星世界』の使者さんは、戦争に否定的なのね?」


「アンタは……」


 赤と青の混じった艶のある長髪。

 光を吸い込むような漆黒の、返り血で彩られたように深紅が模様を描くドレス。


「確か、ラスティ・ベラ」


「あら」


 俺が名前を覚えていたことに、ラスティは意外そうにぱちくりと瞬きをした。そして、嬉しそうに笑う。


「覚えていてくれたのね、エトラヴァルト」


「出会い頭に殺気飛ばしてくるような奴、忘れる方が難しいだろ」


「あら、ごめんなさいね。癖でついヤっちゃうのよ」


 悪びれもせず、ラスティは俺の警戒を意に介さず隣に並んで欄干に飛び乗り腰を預けた。


 ——話をしましょう。


 雄弁に語る視線から目を逸らし、俺は両腕を欄干にもたれ掛ける。


「活躍、知ってるわよ」


 無言の肯定と受け取ったのか。

 ラスティは夕焼けに目を細めて話し始めた。


「冒険者の旗頭。与えられた役割に疲れちゃったのかしら?」


「そんなんじゃねえよ。元々、人を斬るのは嫌いだ」


「なのに、戦争に行くのね。立場が許さないのかしら、リステルの英雄は」


 ——一体、どこまで知っているのか。


「アンタ、なんで俺の身の上話に詳しいんだ?」


 訝しむ俺に、ラスティは妖艶な笑みを向ける。

 挑発的な視線が俺を射抜く。


「貴方はもう、答えをしっているんじゃなくって?」


「……〈異界侵蝕〉」


「正解よ」


 もう、驚きはしなかった。

 化け物というのは、案外身近にいるものだ。

 まして、有史以来初めての七強世界同士の全面戦争。

 他の七強からの使者、或いは間者として送り込まれる者が常人であるはずがない。


 ラスティは、空恐ろしい覇気で屋上を満たし、わざと俺を威圧する。


 背筋を、一筋の汗が伝った。


「〈戦火余燼デッドエンド〉。それが私の異名よ」


「そりゃあ、随分と物騒な異名だな」


「あら、私は結構気に入ってるんだけど?」


 肩にかかった髪を払ったラスティは『あと、私の所属は『始原世界』よ』とついでのようにぶっちゃけた。


「言ってよかったのか?」


「今更隠すことでもないわ。それに、私だけ一方的に知っているのはフェアじゃないもの」


 七強世界の尋常ならざる情報網は、弱小世界所属の俺のことすら知っているらしい。

 ……と、卑下するには少々この名前は売れすぎたのだろう。


 図らずも当初の目的——名を揚げるが達成されつつあることを知った俺は、奇妙なむず痒さを鼻で笑い飛ばした。


「で、そんな大物がなんの用だ?」


「聞きたいことがあるのよ、英雄さんに」


 その言葉の響きは真摯で、不思議と、ちゃんと聞かなくてはと感じさせた。

 無意識に背筋が強張る。


 ラスティは、深海の夕焼け空を見上げた。


「命を奪いたくない貴方は、なんで戦争に向かうのかしら?」


 問いかけられる。


「戦争は大勢が死ぬわ。そんな場所に、貴方はどうして進んで行くのか。教えて欲しいのよ」


「行かないと、戦わないと守れないもののために」


 答えは、旅の始まりから得ている。

 俺の即答に、ラスティは重ねて問いかける。


「その結果、人殺しになったとしても?」


「そうだ。その結果、誰かの守りたいものや目の前の命を踏み躙ることになっても、俺は戦争を選ぶ」


「そう。それじゃあ最後にもう一つ」


 瞳に冷たい光を宿し、トーンの下がった声でラスティは三度問いかける。


「その思想が真実なら、貴方はたくさんの命を散らすわ。虐殺者、なんて呼ばれるかもしれない。そんな汚名を被っても、あなたは戦争を……戦いを選ぶのかしら」





◆◆◆





 エトラヴァルトがラスティ・ベラと邂逅を果たしていた頃。

 ストラは、彼と同じように違う建物の屋上から夕焼けの深海を眺めていた。

 繰り返した無茶な鍛錬と実験で全身に包帯を巻いたストラは周囲から大きく浮いており、同様に夕焼けを楽しんでいた他の人々は彼女を気味悪がってその場を離れた。


 残されたストラはそのことにも気づかないまま、一人物思いに耽る。


「あれ? スーちゃんじゃん! どしたんこんなところで?」


「……! イナさん?」


 思考の海から無理やり引っ張り上げられる姦しい声に肩を震わせたストラが振り向くと、イナ・ヴィ・エルランはにこやかに両手をブンブンと振り回した。


「はいはいイナちゃんだよー! どしたのさスーちゃん。こんなところで一人で。他のみんなは?」


「エト様はブリーフィングの後、未帰宅です。イノリは異界探索で魔眼を酷使しすぎてダウン中、ラルフは思うように戦えなかった不満からひたすら汗を流してます」


「おおう見事にバラバラだ。で? スーちゃんは黄昏てたけど。どったん? 悩み事?」


 軽い調子のイナに絆されるように、ストラは曖昧に頷きを返した。


「そう、ですね。……悩み、かもしれません」


「ほほーう?」


 ストラの洩らした言葉に、イナの瞳がキラリンと輝いた。


「なになに、何を悩んでるのさ。イナちゃんに相談してみなさいって! これでも長生きなんだから!」


「……そう、ですね。聞いてもらってもいいですか?」


「え、マジ? いいの?」


「自分で誘っておいて驚かないでくださいよ……」


 明らかに、本当に聞かされるとは思っていなかったイナの反応にストラは半眼で苦言を呈して嘆息した。


「はあ……ここまで頼んだ手前話しますね」


「よーし、ばっちこい!」


 『……こいつ本当に大丈夫か?』という疑念に満ちた視線を送ったストラは、もう一度ため息をついてから自分の両手に視線を落とした。


「今、新しい技術を開発しようとしているんです。属性流転カラースイッチの応用なんですけど。


「えっ、超凄いじゃん。完成度は?」


「おおよそ、8割ほど」


「超絶すごいじゃん!?」


 “技術の開発”——当たり前のように繰り出されたとんでも事案に、イナですら思わず真顔になった。


 魔法とは数千年に渡り無数の世界で研究が繰り返されてきた技術であり、その練度は剣術で喩えるなら達人程度は優に超えているとされる。


 そんな現代の魔法体系の中から新技術を生み出すというのは、仮に既存の魔法に多少のアレンジを加えたようなものであっても多分に賞賛されるべき行為であり、とどのつまり、に持ち込んでいいような事案ではないのだ。


「ただ少々、人道に反すると言いますか」


 しかし、前提になってしまったものはしょうがない。

 イナはめちゃくちゃに驚きながらもストラの言葉の続きを待った。


「この技術は、人としてあまり褒められたものではないんです」


「うーんと。その技術は、戦争のために?」


「狭義の意味では、そうです」


 ストラの横顔には恐怖の色が窺えた。

 それが何に由来しているのか。イナ、すぐに理解できた。


「……そか。スーちゃんは“異端者”になることを恐れているんだね」


「……!」


「その表情、正解みたいだね」


 目を見開き、細かく刻むように全身を震えさせるストラに、イナは優しく笑いかける。


「スーちゃん。ちょっとでいいから私の自分語り、聞いてってくれない?」


「イナさん、の? ……はい。相談に乗ってもらっている身ですので」


「それ対価がない限りは聞かないって……あっそういうことだよね、ごめんね」


 無言で『そうだが?』と伝えて来る瞳に勝手にダメージを受けたイナは、切り替えて腰にぶら下げた鞭剣を持ち上げた。


「スーちゃん、これ何に見える?」


「えっと……武器、でしょうか」


「ぶっぶー! 不正解!」


 模範解答をしてくれたストラに、『やーい引っかかったー!』と過剰におちゃらけるイナ。

 すぐにスンと無表情になった彼女は、そっと鞭剣の腹を撫でる。


「正解はね、“竜”だよ」


「………………、はい?」


 イナが何を言っているのか理解できず、ストラは思い切り大きな声で疑問を口にしてしまった。


「イナさん何を……りゅ、竜?」


「そだよ。円環竜ウロボロス。今は封印されてこんな形になってるけど、これでも元は危険度15の竜だったんだよねー」


「イナさんは、竜を使っているんですか……?」


 エトから聞いたイナの戦闘スタイル。

 変幻自在の鞭剣を用いたオールレンジアタッカーであると。

 その武器が竜である事実に、ストラは困惑を隠しきれなかった。


「使ってるというか、使われてるというか」


 珍しく儚げな表情を浮かべたイナは、轍の竜ウロボロスの柄を強く握り込み。


「私は、この剣に呪われてるの。私は——将来的に竜になる。そういうに組み込まれちゃったの」


 そして、自らの定められた終着点を告げた。

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