ファーストエンカウント

 酷い目に遭った。


「あんのクソ師匠にクソ魔王め……!」


 馬車に揺られる中で思わず漏れた俺の怨嗟に、同様に疲弊した三人が乾いた笑いを浮かべた。


「転移門の不合意使用、タブーだったんですね……」


「危うく捕まるとこだったなあ」


「カルラさん、絶対面倒くさがったよね?」


 転移直後、俺たちは揃って転移門の不合意使用で拘束された。

 『極星世界』から『海淵世界』に宛てた封蝋付きの文書がなければ問答無用で罪人扱いだったことだろう。


「魔王のことだから、『封蝋あればいいだろ』って魂胆だったんだろうな……」


「あとはアレじゃねえか? 少しでも『悠久世界』に情報が届くのを遅らせるためとか」


「「「ああ〜」」」


 ラルフの推測には一定の信憑性があった。

 というのも、冒険者ギルドの本部は『悠久世界』エヴァーグリーンにある。

 各世界にあるギルド支部の情報は本部に集約されるため、使用人数や理由など、詳細な情報が『悠久世界』に届くことになる。


 もちろん、この使用違反はすぐに悠久に届くだろう。だが、“情報の精査”という僅かなズレが生じる。

 一分一秒の情報の鮮度が未来を分ける戦争において、このズレと情報精査への労力の消費はそこそこ重めのジャブになる。


「エトの故郷……リステルの庇護も、多分この辺の面倒をかけるからって意味があるんじゃねえかな」


「それはあるかもなー」


 見上げた空は、一年前に旅に出た時と同じ晴天。違うのは、小鳥を喰らう猛禽類がいないことくらいか。

 形を変える雲をぼんやりと観察する横で、イノリが「そういえば」と呟いた。


「前から思ってたけど、ラルフくんって結構政治に詳しいよね?」


「……そうか?」


「わたしもそう思います」


 イノリの言葉にストラも同意を示した。


「レゾナでの一件、リディアさん曰くラルフがかなり正確に『絡繰世界』の手口を言い当てていたと」


「へえ」


 仲間の意外な才能に……いや、案外そうでもないのかもしれない。


「異界について詳しかったり、ラルフってなんだかんだ博識だよな」


「……ああ」


 俺の純粋な賛辞に、ラルフはふっと目を細めた。


「『ラルフくんって賢〜い!』、『なんでも知ってるんだね。かっこいい〜!』って褒められたくてな……」


「「「どこまでもブレないなこの男」」」


 あらゆる原動力が“モテる”という一点に収束し特化した男だ。あまりにも面構えが違う。


 もういっそ、そろそろ報われてもいいのではないだろうかとすら思う。

 しかし、そうもいかないのが奴に根付く呪い。

 ラルフ本人に非がない受動的な性的接触……否、異性との接触に対して因果を捻じ曲げるような力強さで悲劇へと舵を切る意味のわからない呪いだ。

 最悪の呪いと言い換えてもいいかもしれない。


「ラルフ」


 俺の呼びかけに、ラルフは儚い表情を向ける。


「魔王曰く、呪い関連は『四封世界』が強いらしいんだ」


「……つまり?」


「戦争終わったら四封に行こう」


 ——ブワッ、と。凄まじい勢いでラルフの両目から涙が溢れた。


「エ゙ドオ゙オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙! お゙ま゙え゙は、俺の親友だあ゙!!」


 暑苦しく胸に抱きついてくるラルフを受け入れる俺に、横と正面に座るイノリとストラが訝しげな目を向けた。


「エトくん、なんか優しいけどどうしたの?」

「ラルフに弱みでも握られましたか?」


「君らってかなり遠慮を知らないよね?」


 イノリもストラも、なんだかんだかなり毒を吐くタイプだったりする。そんな二人の容赦ない物言いに、俺は首を横に振った。


「ただの気分だよ。でもまあ……これから面倒かけることになるのが確定してるから」


「「面倒……?」」


 首を傾げる二人と男泣きするラルフを連れて馬車に揺られ、半日後。

 俺は、一年ぶりに故郷に——『弱小世界』リステルに帰ってきた。





◆◆◆





「まず第一に約束して欲しいんだが。ここから先、何を見ても驚かないでくれ」


 馬車を降りたエトの第一声に、イノリたちは揃って首を傾げた。


 静かな湖畔。少し離れた場所には、リステルで唯一“都市”と呼べる王都が見える自然豊かな場所。

 涼やかで過ごしやすい気候。


 そんな故郷に帰ってきたにも関わらず、エトラヴァルトの表情はひどく曇っていた。


「エトくん? どうしたの?」


「ああ、いや。……うん」


 要領を得ないエトの生返事に、三人は眉を顰める。


「この時間だと、多分。がいるんだよなあ……」


 エトが遠い目をした、直後。

 湖にぶくぶくと気泡が湧き出した。


「「「……うん?」」」


「——ああ、やっぱりか」


 エトが諦観に目を覆ったその時、水面を突き破って全裸の褐色男が飛び出した。


「獲ったど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


「「「!!?!?!!?!????!?」」」


 80cmはある大物を両手で鷲掴む全裸男は、燦々と照りつける太陽を覆い隠し、満面の笑みで獲物を天に突き上げ着地した。


「いやあ、良い大きさじゃあ! 身も引き締まっとるし今日はご馳走じゃのお!」


 褐色の全裸男は絶句する三人の目の前で自分の局部を隠すこともせず——というか存在に気づくことなく生臭さを漂わせる大ぶりな魚に頬擦りをする。

 鋭い鱗に擦り付けても問題ないように闘気で皮膚を強化するという謎の器用さを見せる男は、はたと動きを止めてイノリたちを見た。


「おん? 客か? 珍しいのうこんなちっこい世界に……」


「え、あの。私たちは、その……!」


 気づいたとしても別に自分の姿を顧みない豪胆な男は、イノリたちの横、身を震わせるエトを認めて表情を輝かせた。


「……おお、おお!? エトラヴァルトやけ! ひっさしぶりじゃのお! 元気にしとっ——」


「生臭え体洗って来い! めちゃくちゃ元気だよ馬鹿野郎〜ッ!!」


「たぁあああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」


 一蹴。

 魄導を纏ったエトラヴァルトの容赦のない回し蹴りが脇腹に突き刺さった全裸男が、体をくの字に曲げて情けない断末魔と共に吹っ飛ばされて湖の中心で最大な水柱を立てた。


「「「…………」」」


 感情を失った三人の前で遺留物ドロップアイテム(80cm超えの魚)を掴み上げたエトは、爽やかな笑顔で振り向いた。


「さ、行くか!」


「「「ちょっと待てぇ!!」」」


 スルーなどできるはずもなかった。


「エトくん何!? 今の何!?」


「アレはギリ魚類だ」


「人の言葉を喋っていましたが!?」


「人の言葉を喋る魚類だ」


「エトのこと知ってたよな!?」


「あんな奴は知らん」


「「「嘘じゃんっ!!」」」


 三人は湖の中央を振り返る。


「エトくんさっき魄導使ってたよね!? 大丈夫!? あれ死んでない!?」


 全く浮かび上がってくる気配のない褐色男を探すイノリたちに、エトは平気な顔で「大丈夫大丈夫」と笑う。


「アレ10分は素潜りできるから」


「「「ぎ、ギリ魚類だ……!」」」


 というかやっぱり知り合いじゃん、というツッコミをする気力はイノリたちには残されていなかった。





 リステルの王都は、凄まじいとまではいかなくとも、王都と呼ぶに相応しいそこそこの活気を見せる。

 石造りの建物を中心に自然と調和した都市は、イノリたちの心を解きほぐすように優しく出迎えた。


「『弱小世界』って聞いた時はもっと寂れた景色をそうぞうしてたけど、ちゃんと都市だね!」


「ふぐぅっ!?」


「イノリ、隣でエト様が致命傷を受けてます」


「言わんとすることはわかるが、イノリちゃん容赦ねえなあ」


 珍しい他世界からの来客。しかも四人。

 イノリたちはすぐに注目の的となり——住民は皆、大ぶりな魚を縛った太めの枝を担いだ銀髪の騎士の姿に歓喜に沸いた。


「——エトラヴァルトだ!」

「エトが帰ってきたぞ!」

「俺たちの英雄が帰ってきたぞ〜〜〜〜!!」


 イノリたちは、住民たちの歓喜の輪に一瞬にして囲われた。


「わ! エトくんすごい人気!」

「本当に、リステルの英雄なんですね……」

「……!(何処からかハンカチを取り出して噛み締める)」

「ラルフくん羨み方がキモいよ」

「(撃沈)」


 誰もがエトの名を知っていた。

 誰もがエトを英雄として出迎えた。

 誰もがエトが戦場であげた戦績を褒め称えた。


「おかえりエトラヴァルト!」

「ああ、ただいま」

「後ろの子達は誰だい!?」

「旅先での仲間だよ。顔、覚えておいてくれ」

「よう英雄! その鮮魚はどうしたんだ!」

「さっきリドリー湖でカイルを捌いてきたんだよ。魚屋のヒースはまだ現役か?」

「ここにいるぜぇ! ウチもってこい! 余さず捌いてやる!」


 留まることを知らない住民の歓喜に、エトラヴァルトは英雄の仮面を被って対応する。


「悪い、この後大佐のところに行かなくちゃならないんだ。また来るよ!」


 多くの歓声に見送られて大通りをゆく。

 エトラヴァルトの帰還は一瞬にして王都中に知れ渡り、道ゆく誰もが戦場で生まれた英雄の凱旋に歓喜した。


「みんなすごい笑顔だね」


 暖かい。

 そこに悪意はなく、あるのは若い騎士の奮闘を祝い、労う言葉。優しい街に、イノリの頬は自然と綻んだ。


「みんな、一年経っても全然変わってないな」


 エトの呟きには、多くの安堵があった。

 しかし、そこには確かな落胆もあった。


「……ねえエトくん」


 先ほどから視界をちらつく肌色。

 イノリはとうとう我慢ができなくなり、隣で表情を消したエトに尋ねた。


「さっきから屋根上を走ってはポーズ決めてくるアレは何?」


「アレか? アレは野生の露出狂の弟だ」


 上腕二頭筋を輝かせるフロント ダブルバイセップスを決める白ふんどし男を指差すイノリの手をエトはそっと下ろさせた。


「すみませんエト様、階段の向こうでポーズを決めるアレはなんでしょうか?」


「アレは野生の露出狂の叔父だ」


 広背筋で逆三角形を作るラットスプレッドを決める赤ふんどし男を指差すストラの手をエトはそっと下ろさせた。


「なあエト、さっきからサブリミナル的に物陰からポーズ決めてくるアレはなんだ?」


「アレは野生の露出狂の甥っ子だ」


 見事なサイドチェストを決める黒ふんどし男を指差すラルフの指をエトはそっとラルフの鼻に突っ込んだ。


「俺だけ対応が雑!」


「ねえごめんエトくん! 正面でポーズ決めてるアレは何!?」


「アレは野生の露出狂だ」


「治安が終わってるよ!!?」


 エトは悲鳴を上げるイノリの目を右手でそっと覆い隠し、正面でモスト マスキュラーを決める変態を視界から追い出した。


「出所後で気が立ってるんだろうな。刺激しないでおこう」


「エトの対応が手慣れすぎてる……」


「というか、街の人誰一人として反応してないのはどういうことなんですか?」


「日常、だからかな……」


 諦観を多分に含んだエトの言葉に、三人は揃って「日常なんだ……」と諦めの声を漏らした。



「——そこの美しいマドモアゼル? この後、僕とティータイムでもいかがかな?」


 露出狂の頻出地帯を抜けた先、飲食店が立ち並ぶ区画の端で一人の騎士装束の男が女性に声をかけていた。


「あ、ラルフの同族ですよ」


「ストラちゃんは俺を節操ないナンパ男として認識して——あっやめて、純粋な視線で『違うんですか』って訴えないで!」


 相変わらずメンタルの弱いラルフの一人劇の横、エトが盛大なため息をついた。


「ごめんなさいね、わたし、夫がいるので——」


「——ン゙ン゙ッ゙! つまり貴女は既婚者! その指に輝く指輪は正しく人妻の証っ!!」


 瞬間、断られたにも関わらず騎士装束の男は何故か非常に昂った様子を見せる。


「ノープロブレム! 貴女が誰かのものであろうと構いません! いやむしろ! 誰かのものであった方が良い!!」


「え、ちょ何言って——」


 尋常じゃない様子の男に、ナンパを受けていた女性の顔から血の気が引いた。


「すみません、ラルフの同族じゃないですね」


「アレを同族判定されたら流石に泣くわ……エト?」


「エトくん……?」


 三人が見つめる先、完全に据わった目をしたエトがズンズンと歩み、変態の背後についた。


「さあ! 今こそ僕と二人で背徳の楽園へ! めくるめく官能へ——」


「おいレミリオ」


 ——ミシ、と音を立てて男の鎧がひび割れる。

 エトの右手は当たり前のように鎧を砕き、その内側で守られていたナンパ男の肩を鷲掴みにした。


「……おや? その声は」


 右肩の痛みに表情を引き攣らせ振り向いた男は、エトの顔を認めた途端輝く笑顔を浮かべた。


「エト! エトじゃないか! 戻ってきていたのかい? なんだよ、言ってくれれば僕から出迎えたというのに——あの、エト?」


「ああ、ちょうどいい。今から一人、湖に馬鹿の回収が必要だったんだ」


 額に青筋を立てたエトは、ナンパ男の顔面をミシミシと鷲掴み、大きく


「ちょ、ちょちょちょ待つんだ! 待ってくれエト! これにはれっきとした——」


「テメェも頭冷やしてこい馬鹿野郎〜〜〜ッ!!」


「わけがああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 魄導全開の全力投球によって、ナンパ男の体は空を駆け、遥か彼方のリドリー湖へとホールインワンを決めた。


「よし、行くか!」


「「「もう、なにも突っ込まない」」」


 何が起きても驚かない、そんな自信が三人の中に芽生えつつあった。


「うん? そういえば、前にエトくんが……」


 そんな折、イノリは今までの変態たちの特徴を何処かで聞いたような、そんな既視感に駆られた。


 ——『ちなみに、規則違反って何をしたの?』


 ——『一人は公然わいせつ、一人は違法建築、一人は漁業権無視、一人は不倫。人妻に手ぇ出したって』


 ——『規則違反っていうか犯罪だよねそれ!?』


 瞬間、イノリの顔面が蒼白になった。


「イノリ? どうしたんですか?」

「イノリちゃん顔色悪いぞ? 旅疲れか?」


 二人の声は、少女には届いていなかった。


「……エトくん。もしかしてなんだけど」


「ああ」


「さっきの人たち、エトくんの同僚?」


「「えっ?」」


 驚くストラとラルフを他所に、エトは過去に聞いたことのない大きな大きなため息を吐いて頷いた。


「ああ、そうだよ」


 イノリはゆっくりと目を覆い、同時に深く深く巡り合わせに感謝した。

 ——あの時、懲罰房に入ってくれていてありがとう、と。



 ファーストエンカウントの中ではワーストに数えられるであろう衝撃の邂逅を経て、イノリたちはエトラヴァルトに連れられて軍の隊舎へと足を運んだ。

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