vs 繁殖の母体①
暗雲が空を覆う。
一層激しさを増す繁殖の全盛期によって周囲一帯の命の循環が絶たれ、吹雪は止み、積雪はとうの昔に進軍の熱量によって溶け消えた。
唯一『極星世界』らしい極寒の要素は大地を覆う凍土以外にない。
太陽の光届かぬ薄暗闇に包まれる大地で繁殖の竜と鬼人族が激突する。
開戦から既に45分が経過した。
負傷者と回復者がひっきりなしに入れ替わり戦線を支え、ここに至るまで死者数が0を維持し続けているのは僥倖と言う他ない。
異邦人の奮起。
特に、ストラによる繁殖が持つ明確な限界点の指摘は崩壊しかけた前線を紙一重で踏みとどまらせた。
また、前線を退いていたリンドウの復帰も大きい。
老いたとはいえ魄導使い。防衛の中核で並の戦士を遥かに凌ぐ戦果を上げる老爺の姿は恐ろしくも頼もしいものだ。
「耐えろぉ! なんとしてでも守り抜けえ!」
「カルラたちは絶対にやってくれる! 信じろ!」
「アイツらが戻ってくるまで折れるな! つか戻ってくるまでに終わらせてやんぞぉ!!」
最前線の遥か向こうで繁殖の母体と熾烈な戦いを繰り広げる同胞の帰る場所を守る。それが彼ら鬼人族の底なしの原動力になっていた。
「戻ってきた時、俺らが負けてたら意味ねえんだ!」
「気張れよお前らぁ!」
彼らは、カルラたちが成し遂げることを信じて疑わない。戻ってきた時、『余裕だったぜ』と笑って出迎えるために、彼らは一歩たりとも退くわけにはいかなかった。
「——頑張るんじゃぞ、カルラ」
長い付き合いになる斬馬刀で蛹を両断。上空から急襲をしかけた成竜を魄導で叩き潰したリンドウは、足下で蠢いた屍肉を踏み潰して孫娘の武運を祈った。
◆◆◆
グレイギゼリアによって生み出された繁殖の母体は、最早「繁殖」の枠組みには収まりきらない歪な成長を遂げていた。
開戦時10M程度だった体高は倍以上に。喰らいに喰らった同族を纏った肉体は何重もの鱗殻を纏い、堅牢な砦を連想させる。
『GIAアアア……GIギGIGIギアァァァァァァァッ!!?』
大気を伝う混然とした禍々しい叫びが曇天の空に響き渡る。
「——悪趣味な野郎だ」
豊穣の地の外れ。
戦場を睥睨するバイパーは繁殖の母体と、その内側で
「くだらねえ。三流以下の見世物じゃねえか」
そう吐き捨てるバイパーは失望したように目を閉じ、しかし何かを期待するようにその場に留まり続けていた。
◆◆◆
喰らうほどに強くなる。パワー、スピード、再生力。その他全てのパラメータが際限なく伸び続ける。
肉体が膨張し、異形化が進むほどに愚鈍さを感じさせる肥大化を遂げる繁殖の母体の身体。しかし見た目とは裏腹に、母体の加速は既にカルラたちを上回っていた。
「冗談じゃねえ! こんなの、ぶつかっただけで昇天すんぞ!?」
繁殖の母体の突進は、最早迎撃すらままならない領域に到達しつつあった。
体高20Mを越える大質量が超高速で縦横無尽の突進を敢行する様は、外から見ればあまりに馬鹿馬鹿しく、出鱈目で、そしてどうしようもなかった。
「切ったそばからポンポンポンポン! 次から次へと生やしやがってこの野郎!」
「限度ってもんがあんでしょうが!」
突進を回避した直後にスズランの斬馬刀が柔らかな首の根本を切り裂き、無防備な背中の鱗殻をスミレが拳を叩き込み粉砕する。
両者共に傷は深く、しかし母体はものの数秒で完治させた。
「ああもうっ! 不意打ちでこれとかアタシ完全に役立たずじゃん!」
近接格闘を主体とするスミレの戦闘スタイルは、繁殖の母体相手には最悪と言えた。
「打撃飛ばしてもほっとんど無傷だし! 身体硬すぎ柔らかすぎキモすぎ!」
接近が命取りになるこの状況下、策があろうがなかろうが、有効打を与えるには接触が必要不可欠なスミレはあまりにも相性が絶望的だった。
「カルラは平気!?」
現状、自分よりも有効打を与えられる可能性が高いカルラの状態をスミレが確認する。
「もちろん、問題ないわ……!」
武器は強酸の体液でボロボロ、肩で大きく息をし、闘気の出力にもムラが出始めている。全くもって大問題だったが、本人が「行ける」と言った以上、スミレはそれを尊重した。
果敢に攻め立てる三人の攻撃を、最早繁殖の母体は避ける必要がない。
斬撃も、打撃も。直接攻撃も、遠隔攻撃も。全て、今の母体を殺すには弱すぎる。
被弾を恐れた立ち回りでは精々、外側の肉を斬るのが限界。骨を断つには弱すぎる。
「ったく……アタシが囮になるわ! スズランとカルラはなんとかして削って! 食って増えたんたら吐かせて減らすしかないでしょ!!」
母体が“消化”を終える前にケリをつけなければ。
そう言う概念があるのかは定かではないが、もし仮に消化し、かの竜が、「栄養」を得たのなら。それは現状、最悪に至る可能性がある。
「食われんじゃねえぞ!」
「やばかったら逃げなさいよ!」
スミレは、リスクを負ってでも攻勢に出るべきだと判断し、彼女の持つ危機感を敏感ひ察知した二人は二つ返事で了承した。
「来なさいデカブツ!」
『GIGIギアAaaaaaaaaaa!!?』
魄導の全てを身体能力に費やしたスミレと繁殖の母体の“鬼ごっこ”兼“闘牛”が幕を開ける。
「速あっ!?」
想像以上の加速に頬を引き攣らせ、スミレが全力の回避を敢行。
明確な挑発であることを理解しながらも、繁殖の母体はスミレの捕食を優先する。
異端の力を使わされた原因、それは三人の巧みな連携。
自由に組ませれば強化を経たこの身とて無事でいられる保証がない。そう判断した母体は、連携を緩め囮をしてくれるなら好都合だと、捕食による“細胞分裂”で無理やり肉体を維持しながらスミレを追った。
「ほんっと出鱈目……!」
規格外の相手にスミレが忌々しげに舌打ちした。
天地を跳ね回る矮小な鬼人と異形の竜。
身命を賭して逃げに徹し、時折拳撃を飛ばし意識を固定させるスミレに対して、繁殖の母体はその圧倒的な再生力と激増した身体能力でスズランとカルラの攻撃をものともせずに追い立てる。
凶爪、尻尾、触手、あらゆる手段を用いてスミレを捕まえ、喰らわんとする繁殖の母体に対して、スミレは磨き上げた戦闘センスと反射神経、体捌きでこれを巧みにいなし続ける。
『GIGIAAAAAAAAAAーーーー!!』
そこに、母体の絶叫が響き渡る。
大地を揺るがす咆哮にほんの一瞬スミレが怯むが、即座に立て直し迫っていた職種の口吻を手の甲で弾いた。
『『ギギギギィッ……!!』』
直後、
「なっ——!?」
スミレの肉体は直感的に、意識とは無意識に独楽のように回転。魄導を集中させた拳で二頭の成竜の首を叩き折った。
しかしそれは、繁殖の母体を前に致命的な隙を晒したことと同義。
次の瞬間、一本の触手がスミレの防御を掻い潜り彼女の鍛えられた、しかし柔らかな腹を突き破った。
「……ぁ、がァァァァァァァッ!?」
絶叫が響き渡る。
「「スミレ!?」」
逆棘に固定された口吻が体内で暴れ狂い、スミレという個体の全てを奪おうと吸引を開始する。
「退きやがれ!」
「こいつら急に群れてきて……!?」
救出に動こうとしたスズランとカルラを成竜が取り囲む。
以前とは比べ物にならない速度で羽化する竜たちが、母体の指令に従い豊穣の地を攻める部隊から一部離脱、カルラたちの思考から外れたであろうタイミングを狙って再度強襲を仕掛けてきた。
「っづ……ぁ、ぎ……ぁぁ、!?」
スミレは腹部から感じる強烈な“吸引力”に抗うように口吻を握りしめる。しかし、握力が徐々に弱まっていく。
痺れを切らした繁殖の母体が、ひと思いに喰ってしまおうと大口を開けた、
「——私は世界を置いていく」
刹那、世界の摂理から逸脱した少女が光剣を閃かせ、スミレを拘束する触手の全てを断ち切った。
「スミレさん、無事!?」
「い、のり……!」
一瞬だけ視線を合わせニコッと笑ったイノリは、左眼を繁殖の母体に
「お前が欲しいのは、これでしょ!」
『GIア——!!?』
眼前、無限の欠片が輝く。
罠だとわかっている。確実に狙いがあると。
——そんなこと知ったことではないと、繁殖の母体は雄叫びを上げた。
目の前に欲して止まない無限の力が……自分たちを軛から解放する鍵がある。
そんな極上の蜜を前に、我慢などできるはずもなかった。
——かかった。
瞬間、凶悪に笑ったイノリの左目が。魔眼が、
「『有限世界に讃美歌を! 永遠騙りし虚構に衰退を!』」
狙い通りに自分にターゲットを移した繁殖の母体を前に、イノリは淀みなく詠唱を紡ぐ。
「『さんざめけ衆愚 賢者の祈りが届かぬのなら!』」
黒晶の魔眼に映る時計。円を描くダイヤルを魔法陣に、魔眼がかつてない輝きを放つ。
血管が潰れ、左眼から大量の血を流そうと、イノリは魔眼の輝きを緩めなかった。
繁殖の母体が触手をけしかけるより早く。少女の唄が完成する。
「『眠れ栄華——あなたに明日は訪れない』!!」
——解放する。
「『
刹那、イノリの視界に収まる繁殖の母体、その全てが活動を停止させた。
先ほどまでの暴れっぷりから一転、微動だにせず停滞する繁殖の母体に、成竜を切り飛ばしたスズランが「うえええ!?」と驚愕の声を上げた。
「止まって……いやなんじゃあれ!?」
「アレが、無限の欠片を宿した魔眼……」
以前イノリからその旨を聞いていたカルラは、それでも想像を遥かに上回る、竜すら止める魔眼の埒外の力に驚きを隠せなかった。
「っづぁぁぁ!?」
代償に左眼が弾け飛ぶ。
魔眼の喪失と引き換えに、イノリは母体の“主観時間”を停滞させた。
魂の在り方に肉体が引っ張られるように、個々人に流れる時間を止めることで逆説的に現世の肉体を縛る外法の業。
『GI……GI……!』
それでも、異常な進化を遂げた繁殖の母体を完全静止させるには至らない。
「嘘……これでも止まらないの!?」
腹から口吻を引き抜いたスミレは、血色の悪い顔を歪ませた。
「イノリが左眼を犠牲にしたのに、それでも……!?」
更新され続ける規格外に奥歯を噛み締める。が、魔眼を失った当の本人は織り込み済みだとスミレに肩を貸してその場からの退避を図る。
「わかってる! これも予想済み——ラルフくん!!」
だから、二の矢を用意した。
「『灼焔咆哮』——ッ!!」
繁殖の母体の直上、炎星が輝いた。
青炎の全てを剣に凝縮したラルフが、渾身の一撃を繁殖の母体の背中に突き立てる。
「ラルフ!? お前まだ——」
限界に達したはずの弟子の戦線復帰にスズランが目を見開いた。
赤熱し焼けこげた肌を意に介さず、ラルフは徹底的に
「テメェ! 女の子の肌に傷つけてんじゃねえ!」
残存魔力も闘気も、闘志も全て注ぎ込み。
「燃えろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
比類なき灼熱を母体へと叩き込んだ。
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