弱者

「よ゙がっ゙だよ゙お゙〜! エ゙ドぐん゙い゙ぎででよ゙がっ゙だあ゙〜〜!!」


「し、死ぬ……今度こそ圧迫されて死ぬ……!」


 翌朝、治りきってない肋骨へとイノリに頭突きをかまされ思い切り抱き俺は、少女の背中を優しく叩いて無事をアピールした。


「今回ばかりは、マジでごめんな。心配かけた」


「ぐすっ……すん。ん……」


 グリグリと額を胸に押し付けてくるイノリ(とても痛い)の頭を右手で撫でる。


「……」


 残る左手をバレないように開閉する俺は、気を失う前……否、成竜もどきと対峙する前までは確かにここにあった自分の身体能力が、今はなりを顰めていることを自覚した。


「……エトくん、大丈夫?」


「ん……?」


 気配を感じ取ったのだろうか、いつのまにか泣き止んだイノリが、ひっついたまま顔をあげた。


「なんか悩んでる感じがする」


 ——鋭いな、と内心で苦笑する。


「そう、見えるか?」


「うん。心臓の音もいつもより弱いし」


「そうか……いやちょっと待て、しんぞ……え? 何、音?」


 しれっと俺の鼓動に言及したイノリに、俺は傷の痛みを忘れて困惑した。


「なに、イノリお前、俺の普段の心臓の音知ってんの?」


「うん。エトくんと一緒に寝てる時は大体子守唄代わりにしてるから」


 さも当然のように「何か変なこと言ったかな?」とのたまうイノリに、俺は「そ、そうか……」と曖昧な返事を返すことしかできなかった。


「……で、エトくん。今悩んでるでしょ?」


 困惑する俺をさておき、イノリは再び俺の心に踏み込む。


「元々、ここに来る前から悩んでるのは知ってるんだけど、なんか、それだけじゃない気がして」


「……」


 隠すことではあっても、隠せるものではないのだろう。既に俺の変化に確信を持っているイノリにこれ以上の誤魔化しは効かない。俺は、正直な心を打ち明けることにした。


「……どうすればいいのか、わからなくなった」


 魄導の会得、その道はあまりにも不明瞭。そこしかないのだと思って突き進んで、その結果がこの様……自信を失い、以前よりも弱くなった。


 異界で魔物一匹倒せずに逃げ回り、負けて。


 未だにじくじくと痛む頭部の怪我に顔を顰める。


「どうやって戦ってたのか、思い出せないんだ」


「……」


 俯く俺を見上げるイノリは、そっと体を離した。そして、ペタ、と手のひらを俺の額に当てた。


「なにを……?


「えっと……おまじない? みたいな」


 ゆっくりと、イノリの手が俺の額を撫でる。


「私が泣いてる時、おねえがこうして慰めて、安心させてくれたから。本当は頭のてっぺんを撫でるんだけど、今は怪我してるから、おでこ」


 優しく、子をあやすように。イノリは「大丈夫、大丈夫だよ」と俺に声をかける。


「えとくんは大丈夫。私の相棒は、負けないよ」


「最近は、負けてばっかりだけどな」


「関係ないよ」


 力強い口調の否定が入る。イノリの黒晶の瞳が真っ直ぐに俺の灰の瞳を覗く。


「エトくんは、まだ負けてない」


「……そうか」


 俺は右手を伸ばして、イノリの頭を撫で返した。


「それじゃ、ちゃんと勝たないとな」


「うん!」


 ようやく笑ったイノリと、二人して頭を撫で合う。しばらくそうしていると——


「——えと様。朝餉はどういたしましょう?」


「うおっ!?」

「わっ、えっ!?」


 スン、と突然気配を表したキキョウの声に驚いて、二人揃って盛大に慌てのけぞった。


「キキョウ、いたなら声をかけてくれ……急に背後に現れるとビビる」


 謎に冷や汗をかく俺と最大限同意し鶏のように高速で頷くイノリを前にキキョウが楽しげに笑う。


「申し訳ありません。すとら様から気配隠蔽の魔法を習ったので、つい、試してみたくなってしまいました」


「隠蔽って……アイツいつの間に」


 どうやら俺が知らない半月の間で大きく成長したらしい。そして、もう一つ。


「なあ、二人とも。枕元の『開封厳禁』ってお札まで貼ってあるこの封筒はなんだ?」


 凄まじくおどろおどろしい、およそ怪我人の枕元に置くにはとてもじゃないが縁起の悪そうな茶封筒に表情を引き攣らせる。


「あ、それラルフくんだよ」


「すずらん様と一緒になって、えと様が起きたら渡して欲しいとおっしゃっておりました」


「なんかもう察したけど忘れたい……絶対今開くもんじゃない気がする……」


 そっと枕の下に封印して見なかったことにした。




◆◆◆




 その後、未だに治りきってない体を動かして大広間へ。先に朝食を食べていた師匠たちに迎えられた後、空白の半月の出来事を聞かされた。


「1日を除いて、毎日繁殖の竜が……」


「はい。カルラさん、スズランさん、スミレさんを中心になんとか撃退してきましたが……正直、後二日が限界です」


 死者は幸いにも出ていないが、皆疲労が限界に達しつつあるとストラが分析する。


「これまでの繁殖期は大体半月で終わってるから、例年通りならギリギリ耐えられるってのがみんなの試算らしいぞ」


 ラルフはストラの分析に対して、それなりに根拠がある希望的観測を口にする。

 が、それは全て、たった一体のとある竜が出てこなければ——という前提が立つ。


「……そういえば、バイパーは今どうしてるんだ?」


「アイツなら偏屈ジジイと酒飲んでるわよ。今回はやけに長い滞在ね」


 普段は二、三日で帰るのにと師匠が舌打ちする。


「滞在すんなら少しは手伝いなさいって話よ!」


「アイツは、繁殖の竜相手になにもしないのか?」


「ええ。『つまらん』、『興味ない』、『勝手にやれ』の三点セットよ。ガキよりタチ悪いわ」


 イノリを助けた(本人的には散歩の邪魔をされてイラついた)あの拳の一撃。バイパーは〈異界侵蝕〉の名に相応しい実力を持っている。彼が防衛に参加してくれればこれ以上ない、力強い味方なのだが……。


『…………』


 増援が見込めないことにもどかしさを感じ口を閉ざす。


「——無理なものは仕方ないわ。あいつがいない前提で防衛をするしかないわよ」


「そうでございますね。ばいぱー様は、いないものとして扱うのがよろしいかと」


『おお……珍しく辛辣だ』


 キキョウのどことなく棘のある言葉に皆揃って苦笑いする。


「——皆、揃ってるでな」


 大広間に緊張感を伴ったリンドウがやってくる。

 緊張感の由来など今更確認するまでもなく、皆、静かに立ち上がった。


「エト殿、目覚めたようでなにより」


 俺を一瞥して柔和な笑みを浮かべたリンドウは黙って背を向け、一言。


「彼奴が来た。総力戦じゃ」




◆◆◆




 繁殖の竜第一陣、推定規模は二千を超える。

 幼竜・蛹・成竜……いずれも昨日までとは比較にならない数であり、最後尾、巨大な体躯をもって地を揺らす個体が一つ。


 400年前、カルラを一蹴し、モミジを喰らった繁殖の母体がその姿を表した。


「……そう、アレが来たのね」


 観測班からの報告に、カルラは奥歯を噛み締めた。


 屋敷前、すでに集結しつつある戦士たちの前にキキョウが立つ。


「……ここが、我ら豊穣の瀬戸際です。拙にできることはただ一つ、皆様の健闘と勝利を祈ることのみにございます」


 胸の前で両手を組み、キキョウは魄明はくめいを開いた。


「——どうか、勝利を。皆様が、明日にたどり着けることを祈っております」


『はい!』


 巫女の言葉に奮い立った戦士たちが武器を掲げ雄叫びを上げる。

 その姿を、覚悟を決めた戦士たちの気迫を、屋敷から出てきたエトラヴァルトは肌に感じて身震いした。


「——あ、やっときたカルラ! おっそいよ!」


 作戦という名の“強硬策”を話し合うため屋敷前に残ったスミレがカルラに手を振った。

 同様にその場に残っていたスズランが、やや不安そうな表情でカルラに問う。


「前に言った作戦、本当に実行する気なのか?」


「ええ。アレを自由にするわけにはいかないわ。最短でケリをつける、それが被害を最小に抑える唯一の方法よ」


 揺るがないカルラに、スズランはでもなあ……と踏ん切りがつかない様子を見せる。


「前線を捨てて、俺たち三人であのデカブツを速攻で潰す……言葉にすりゃ簡単だけど、相当な無茶だぞ?」


「わかってるわよ。でもアイツは戦うほどに強酸性の体液を撒き散らす。長引かせるほど、討伐は困難になるわ」


 カルラは揺るがず、それが最良だと断言した。

 繁殖の母体との戦闘の長期化は、即ち犠牲の拡大を意味する。

 400年前、三十人の戦士と当時の魄導使いツバキを犠牲にようやく討伐された怪物。


「前回と違うのは、こっちが相手の情報を持ってるっていうこと。本領を発揮させる前に潰すわよ」


「——カルラ。それ、じゃないでしょうね?」


 母体の討伐にこだわるカルラを、彼女の過去を知るスミレが睨みつける。


「もし、私怨にアタシたちを巻き込もうってんなら、この話はなしなんだけど?」


「……私怨は、あるわ。でも、この選択肢を選んだことに、私の意思は関係ないわ」


「…………、それならいい。アンタの賭けに乗ってあげる」


 スミレの視線は自然、この半月で自分の右腕として奮戦してきたイノリに向けられる。


「ってなわけでごめん、イノリ。負担かけることになる」


「気にしないで。思いっきりぶっ飛ばしてきて!」


 同じく、スズランもラルフとストラに頭を下げる。


「悪いな、そういうことだから、頼むぜ友よ」


「任せろ!」


「必ずや支えてみせます!」


 皆、覚悟を決めて戦場へ足を運ぶ。そんな中、カルラは屋敷の入り口から踏み出せず、硬直する。


「……大丈夫か? 師匠」


 エトの問いに、カルラは目を閉じる。


「正直、自信ないわ。アイツを前にした時、冷静に動ける確信はない。でも……やるしかないわ。決めたことだもの」


 自分に言い聞かせるように、カルラは一歩、屋敷から踏み出す。その後ろに続くようにエトも踏み出そうとして、


「——待ちやがれ。テメェ、どこに行くつもりだ?」


 その右肩をバイパーが握りしめた。


「……手を離せ、バイパー」


 左手で太く巨大な手首を掴んだエトは背後を振り向いて赤肌の鬼人を睨みつけた。


「クカカッ! 俺に命令たぁ偉くなったじゃねえかクソガキ。もう一度聞くぜ? そのなりでどこに行くつもりだ?」


「決まってんだろ、戦場だ」


「笑わせんなよテメェ」


 全く笑う気配を見せず、むしろ怒りすら感じさせる口調でバイパーが肩を握る手に力を込める。


 いつまで経ってもやって来ないエトを気にしたイノリたちが振り返ったそこで、バイパーがエトを屋敷へとぶん投げた。


「エトくん!?」

「エト様!?」


 石垣を粉砕し壁を突き破ったエトが、壁に空いた大穴の向こうで痛みに悶えうずくまる。

 イノリとストラが救助に駆け出すも、バイパーが制す。


「動くんじゃねえ!」


「「——っ!」」


 本能を刺激する怒号に二人が動きを止める。


「見ろ」


 バイパーが顎で示した先には、よろよろと立ち上がるエトの姿。

 引きちぎられた服の下には、ミノタウロスに嬲られた傷と痣がくっきりと残っていた。


「受け身もろくに取れねえ、頑丈っつう唯一の取り柄すら失った、頼りの魔剣も封印状態、こんな雑魚が戦場に出ても足を引っ張るだけだ」


 それは、はっきり言って正論だった。

 今のエトでは戦力にならない、それは、誰の目にも明らかだった。


「けどよ! エトには《英雄叙事オラトリオ》があるだろ!」


 だがしかし、エトにはそれらを覆す切り札があるとラルフが反論する。


「アレを使えば、エトは十分戦力に——」


「——使えねえよ」


 バイパーは、冷めた視線をエトに送る。


「今のクソガキには、《英雄叙事オラトリオ》は使えねえ。テメェを支える芯が折れてんだ。今の野郎は、ただの役立たずだ」




◆◆◆




 バイパーの言うとおりだった。

 今の俺は、弱い。《英雄叙事オラトリオ》も、俺を見放したように応えてくれない。


 傷も碌に治っていない。


 でも、それでも。


「そこを退け、バイパー……!」


 それでもいかなくちゃいけない。

 ここで足を止めたら、終わってしまう。また届かない。皆が命をかけて戦っている中、俺一人が追いつけない、間に合わない。

 そんなのはもう御免なんだ。


「いかなくちゃ……戦わなくちゃ、俺は……!!」


「だからテメェはつまらねえんだよ、クソガキ」


 バイパーが左手を俺に向けた直後、屋敷全体が結界に閉ざされた。

 俺の手は結界に弾かれて虚空を掴んだ。


「なっ……、にを! してんだよ、バイパー! 開けろ! 出せ!! ここから出せ! おい、バイパー!!」


 何度も何度も結界を叩く。でも、皮膚が破け手がボロボロになっても結界はびくともしなかった。




◆◆◆




「ばいぱー様、これは……」


「ジジイの酒の礼だ。戦えねえ雑魚はここに集めとけ。余波で死ぬことはねえ」


 バイパーは結界の内側で何事か叫ぶエトから目線を外す。


「入るのは自由だが、一度入れば壊さねえ限りは出られねえ。そういうモンだ」


 バイパーの張った結界は、戦えない者たちにとっては強固なシェルターであり、エトラヴァルトにとっては牢獄そのものだった。


「バイパー、あんたはエトを……!」


「睨まれる謂れはねえ。力の足りねえ雑魚が犬死にすんのを防いでやったんだ。テメェが言うべきは感謝だろ、泣き虫女」


「どの口が!」


 真正面からカルラがバイパーを睨みつけた。


「元を言えば、あんたが無茶を課したから——!」


「いずれこうなってたさ。クソガキは。力も才能もねえガキが、分不相応な夢抱いて自爆しただけだろうが」


 冷徹に吐き捨てる。


「そもそも、テメェらが気にするべきは使えねえガキ一人じゃねえ。違うか?」


「……チッ!」


 舌打ちをしたカルラは、未だに結界を破ろうと縋り付くエトから逃げるように戦場へと向かった。


「……行くよ、イノリ」

「……行こう、友よ」


 スミレとスズランは、自らの弟子に一声かけてから最前線へと駆ける。


 残ったイノリたち三人は、鎮痛な面持ちでエトを見る。

 一番最初に、ラルフが背を向けた。


「……エト、行ってるぞ」


 次いで、ストラが。


「……わたしも、待っています」


 残ったイノリは、結界越しにエトの頭に手を合わせた。


「信じてるよ、エトくん」


 そうして、三人は最前線へと向かう。

 戦いを選べないキキョウは、一礼する。


「えと様。拙は戦えない者たちを屋敷へ誘導して参ります」



 ただ一人、結界の内側で残されたエトは、何度も何度も、執拗に結界を叩き続ける。


「壊れろよ、クソ……! 行かなきゃいけないんだ! 守れって言われてんだよ! 手が届かないのは、もう嫌なんだよ……! 昔とは、もう違うんだよ! 俺は戦える! 戦えるんだよ!! だから、クソ……壊れろよ!! なんで、なんでっ! 開かねえんだよっ!?」


 声が枯れようと、喉が破け血が出ようと、傷口が開こうと、エトはひたすらに結界へ挑み続け、そして跳ね返されつづけた。

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