生存競争

 ラルフが敗北してから三日後。

 俺は彼と剣闘大会の試合をテレビ越しに観戦していた。


 ちなみに、イノリとストラは師匠に「女子会するわよ!」とあっという間に連れ去られている。


 画面の向こうの盛り上がりは衰えを知らない。

 ムーラベイラ全域が湧き立っていることもあり、音声と外の歓声がごちゃ混ぜになって聞こえていた。


「……目指すのか? 上」


「ああ」


 ラルフの簡潔な問いに、俺もまた簡潔に答えた。


「……イノリちゃん、泣いてたぞ。それでもかよ」


「曲げる気はねえよ」


「……。どうでもいいって思ってるわけじゃねえよな」


 少し、怒気を孕んだ、強い口調の問い。

 俺は、躊躇いなく頷いた。


「当たり前だろ」


 一つだけ確かなことがある。

 俺とイノリは、始まりの日。互いの目的を共有した時点で、この人生は不可分のものになった。


「〈異界侵蝕〉になる。リステルを守って、イノリの家族も見つける……絶対にだ」




◆◆◆




 それは、三回戦当日の夜。

 傷自体は浅かったものの、精魂尽き果てたラルフは早々に寝静まり。違法スレスレで結界の解析をしていたストラも同様に爆睡した後。


 俺は、イノリから「無限の欠片」に関する話を聞いた。


「……無限の欠片。確か、グレイギゼリアが言ってたってやつか」


 『花冠世界』で俺が概念昇格を終え、そのまま燃え尽きたように意識を失ったあとのこと。

 グレイギゼリア……《終末挽歌ラメント》はイノリの左眼を指し「無限の欠片」と称したらしい。


「うん。あのクソ野郎の戯言だって無視したいんだけど……この眼、勝手に治ったんだよね」


「そういやそうだったな……無視するわけにもいかねえか」


 よくよく考えなくても勝手に復活する魔眼というのは中々狂っている。

 アイツの言葉を間に受けるのは腹立たしいが、「無限」の真偽はさておき、イノリの左眼が何かしらのやばい代物であることは間違いない。


「しっかし、無限を与える……ね。そりゃ、各組織が躍起になって探すわけだ」


 シーナを追っていた【救世の徒】も、師匠曰く「概念の欠片」を集めているらしい。

 ……つまり、いつ何時、イノリの左目が狙われるかもわからないということ。


 ……そして、今の俺では、そういった悪意からイノリを守るには力が足りない。




◆◆◆




 仲間を守らなくてはならない。約束を果たさなくてはならない。

 そのためには、今よりもっと強くならなくてはならない。

 常識を超えて、理解を置き去りに、理性すら捨てて。強く、ならなければ。


「俺の道は変わってない。ただ、目指す終点が遠のいただけだ」


「……そっか」


 なにか納得がいったのか。

 ラルフは、胸から一枚の手紙を取り出した。


「それじゃ、コイツは要らねえな!」


 そう言って、なんの躊躇いもなく手紙を千々に引き裂いた。


「……それ、なんだ?」


「え、『俺の下に来い』ってグルートさんからのスカウト」


「はあ!? お前何してんの!!?」


 ひらひらと散る手紙の欠片に慌てて飛びつき、可能な限り復元する。

 断片的にしか読み取れなかったがラルフの言った通り、手紙には「相応の立場を約束する」というへの入隊勧誘が書かれていた。


 七強世界の、それもエヴァーグリーン本国の守備隊ともなれば一生安泰(死亡リスクはある)。地位も約束されたとなれば出世もできることだろう。


「お前……よかったのか?」


 確認すると、ラルフはケロッとした表情で「当然」と頷いた。


「過酷な道進むってんなら、一緒に歩いてやるのが仲間ってもんだろ?」


「……本気か?」


「本気も本気だぞ? というかそもそも、エヴァーグリーンって重婚できねえんだ」


「……うん? つまり?」


「ハーレム達成できねえ」


「お前、どこまでもブレねえなあ……」


 少しは脳みそに「誠実さ」というものを叩き込んではどうだろうか。そんなことを考えていると、ラルフは非常に微妙な表情を浮かべた。


「つかエトよ、お前、俺に呪いがあるの忘れてるだろ」


「…………。あっ!」


 異性と性的接触ができなくなる呪い。

 馬鹿みたいで、しかし生存本能を持つ俺たち人類にとってはあまりにも致命的な呪い。その存在をすっかり失念していた俺に、ラルフは半眼を向けた。


「俺の目的はハーレム形成だからな! お前が強くなったら呪いの突破口とかおこぼれもらえるかもしれないし! あとお前といると妙に可愛い子と縁できるし! だから〈異界侵蝕〉を目指す頭のおかしい旅路でも俺にとって得あるし!!」


 目を逸らし、早口で。

 それが照れ隠しというか……俺に「気にすんな」と言外に伝えようとしていることが窺えた。


「……ありがとな、ラルフ」


 返事はなく、ただ気まずそうに鼻を啜る音だけ響いた。



 そうして暫く、二人して無言で試合を観戦する。

 大体、昼を過ぎた頃だろうか。


「元々さ、俺が冒険者始めたのは、鍛え始めたのはモテたいからなんだ」


「今更聞くまでもない事実だな」


「だろ? だから、実のところさ。“ほどほど”で良かったんだよ、俺」


 俺やイノリのように、初めから金級を目指す気はなかったと言う。


「けどさ……最近、違う欲が出てんだよ。もっと、行けるとこまで行ってみたいって」


 ラルフは、俺の横で拳をぐっと握った。


「負けねえぞ、エト」


「じゃ、競争だな」


 俺がそう言うと、ラルフは視界の端で不敵に笑った。


「ああ。モタモタしてたら置いてくぞ」



「——いい傾向ね。身近に競い合える相手がいるのは貴重よ」


 俺たちが友情を深めていると、扉を開けて師匠が会話に割り込んできた。


「おかえり師匠。女子会は終わったのか?」


「ええ。ついでに『極星世界』までの買い溜めもしておいたわ。あの袋、便利ね。貰い物なんですって?」


「ああ、クソ吸血鬼のな」


「……なんか色々ありそうね。ま、いいわ」


 どこから話を聞いていたのか……いや、多分最後の二、三言程度だろうが。

 師匠はここ数日ですっかり固定位置になった椅子に腰掛け、ふっと力を抜いて笑った。


「それじゃ、師匠として一つだけ、らしい助言でもしておくわね」


 歓声が響く。また一つの試合が終わり、勝者と敗者が生まれた。


「上を向く者、進み続ける者にだけ、“敗北”は訪れるのよ。負けは、決して終わりじゃないわ」


 どこか自分に言い聞かせるようにそう呟いたカルラは、ふと珍しくあくどい笑みを浮かべた。


「……さて。そろそろが終わった頃かしらね。ストラー! 用意はいいかしらー?」


 扉の向こう、ストラが「いつでも。ほら、暴れないでください」と若干気怠げに、投げやりな声を漏らした。


 と、同時に。


「や、やっぱり無理だよ! こんなの私着たことないし! おねえみたいに可愛くないし!」


 なにやら、イノリの騒ぎ声がする。


「「うん……?」」


 男二人、状況が飲み込めず首を傾げた。


「あーもー行きますよ! えいっ!」


「ああっ!?」


 悲鳴と共に扉が開き……みたことのない服でお洒落をしたイノリが真っ赤な顔をして部屋の中に飛び込んできた。


 花柄のブラウスに桜色のフレアスカート、普段は決して履かないヒールに足を通したイノリは所在なさげに視線を右往左往させる。

 お洒落に合わせるためか、普段つけている眼帯の代わりに髪をほぐして左眼を隠し、ワンポイントでヘアピンで髪を留めていた。


 普段の黒一色に近い色気の全くない服から大変身を遂げたイノリをまじまじと観察すると、トマトも裸足で逃げ出すほど真っ赤に顔を染めたイノリが蚊の鳴くような声を搾り出した。


「あ、あんまり見ないで……」


 普段であれば「ジロジロ見ないで」と拳が飛んでくるところだが、今日の彼女はやけに素直というか、しおらしい。


「恥ずかしがる必要ないだろ。似合ってるぞ」


「んぐっ!?」


 素直な感想で率直に褒めると、イノリの喉が変な音を鳴らした。


「ストラ、どう言う風の吹き回しだ?」


 イノリの背後で能面を貫くストラに聞くと、若干どころじゃないほど疲れた声音で答えが返ってきた。


「エト様の元気がないから元気づけたい——とカルラさんに相談した結果です」


「……だ、そうなんだが。師匠?」


「可愛い服着とけば男は大抵喜ぶわ。400歳の私が言うんだから間違いないわ。現に見なさいラルフを」


 横を見ると、ラルフは涙を流しながら壊れたブリキのように大袈裟な頷きを繰り返すだけの存在に成り果てていた。


「これだけ喜んでくれたら女の子冥利に尽きるわよ」


「コイツに関しちゃ色々例外じゃねえかな……」


 呪い云々以前に、まともに会話する術から身につけるべきではなかろうか。いや、口だけ達者になっても呪いのせいで結局一線を越えられないという最悪の事態もあり得るからここは慎重に。……ともかく。


 俺は余計な思考を打ち切って、もう一度イノリを見る。


「ありがとな、イノリ」


 チラ、とこちらを一瞥したあと。

 そっぽを向いたイノリは、またも消え入りそうな声で呟いた。


「……え、エトくんと私は、運命共同体だから。なので、元気になって貰わないと、困るから」


「……おう。元気出た」


「そっか。……うん。それなら良かった!」


 そう言って、イノリは頬を朱に染めながらはにかんだ。




◆◆◆




「……それじゃ、念の為もう一度聞くわね。あなたたちは何のために『極星』の下に来るのかしら」


 師匠の問いに、俺たちは躊躇いなく答える。


「〈異界侵蝕〉になるため。〈勇者〉を越えられるくらい強くなるため」


「私はエトくんと運命共同体だから。どこまでも一緒に行く」


「わたしも、わたしの居場所はエト様がいるところなので」


「俺は呪いを解いてハーレムを築くためだ!」


 ラルフの威勢のいい発言に軽く吹き出した師匠は、宣誓するように胸に手を当てた。


「覚悟は良いみたいね」



 本来であれば、俺たちは『悠久世界』各地を巡り、異界探索で成果を上げていく予定だった。


 だが、事情が変わった。


 『悠久世界』が俺を……より詳細に言うなら《英雄叙事オラトリオ》を警戒していること、「概念の欠片」を集めているという謎の組織【救世の徒】の活動が活発化しているということ。

 そして何より、俺が目指す場所の荒唐無稽さに、の道では到達できないということ。


 これらを踏まえ、本来の行程を破却。俺たちは『極星世界』にある師匠の故郷へ向かうことになった。


「……はあ。私から提案したこととはいえ、憂鬱ね」


 師匠の故郷は『極星世界』の東部……僻地と呼ばれる場所にあるらしい。

 名称はない。そうだ。


「本当に褒められたものじゃないのよ、あそこに連れていくのって。……後悔しても知らないわよ?」


 念押ししてくる師匠に、俺は断固として首を横に振った。


「今、行かない方が後悔する」


「……そうね。付き合い短いけど、あなたならそう言うってわかってたわよ」


 大きく肩を落とした師匠は、「殴られる覚悟はしないとかしら」と頭痛を堪えるような表情でぼやいた。


「まったく……わかったわ。出発は明日よ。さっさと荷物まとめなさい」


『おう!』




◆◆◆




 その里に名前はない。

 『極星世界』の中でも長い歴史を誇るその土地は、とある事情によって存在していた地名を永久に剥奪された。


 罪を犯したわけではない。ただ、どうしようもなくそうするしかなかった、たったそれだけの話である。


 そこは、生存競争の最前線。

 流転する命、永遠に繁栄を約束された巣穴。


 ——「繁殖の竜」が眠る土地。


 鬼人と竜、二つの種が異界の出現した頃より今まで矛を交え続ける屍山血河。


 名を持たぬ戦場に、彼らは足を踏み入れる。

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