仇花の君

「……シーナちゃん、まだ起きてる?」


 それは、エトラヴァルトが〈勇者〉に敗北し、〈勇者〉がムーラベイラを雲竜から護った日の翌日の夜。


 全く眠たくないと、イノリは深夜にも関わらずベランダに出た。


「あの日の答え、見つかったよ」


 そう告げると、やや間を開けて。


「お姉ちゃん、忘れてなかったの?」


 少し成長した、14歳ほどの姿をしたシーナがイノリの隣に並んだ。


「うん。毎日少しずつ、ぼんやりと思い出したの」


「おっかしいな〜。ちゃんと閉じ込めた筈なんだけど」


 シーナは、イノリとの対話を“夢”に閉じ込めた。それは記憶の改竄ではなく、置換。

 夢とは記憶の整理である。シーナはそれを利用して意識の空白という特大の違和感を作ることなく、認識に齟齬を発生させることなく、対話の記憶だけを的確に封じたのだ。


 しかし、イノリは覚えていた。


 たまにそういうことはあるとはいえ、イノリにそういう“耐性”があるのを意外に思ったシーナは少し困った声を出した。


「お姉ちゃん、どこまで覚えてるの?」


「えっとね。シーナちゃんが“夢魔”なことは覚えてるよ。あと、私がエトくんを好きだって指摘したこととか」


「……そっか」


 そこにあったのは、明確な安堵だった。

 最も思い出して欲しくない部分は未だ夢の中にあることを理解したシーナは、ひとまずホッと胸を撫で下ろした。


「それで? お姉ちゃん、答え見つかったんだ」


 シーナの問いに、イノリは神妙な面持ちで頷く。


「……多分、なんだけどね。私とエトくんの目指す先、変わっちゃったの」


 イノリは、寂しさを隠そうともせずにそう言った。


「私の目的は兄ぃを探すこと。そのために、金級冒険者を目指してる」


 金級冒険者は、世界との繋がりが深くなる。それはつまり、より広く、より広い情報網を手に入れることを意味する。

 所在の掴めない、しかし明確な足跡を残していた兄、シンを見つけるためには、その網が必要不可欠である。


「エトくんは、自分の“強さ”を売って故郷を守ろうとしてる。そのために、金級冒険者を目指してる……ううん。目指してた、が正しいのかな」


 目の前で巻き起こった壮絶な戦い。

 頼りになる仲間が手も足も出ない、そんな存在を目の当たりにした。


 同時に、ずっと横を歩いていた彼が、どこか遠くを向いてしまったような。そんな確信があった。


「シーナちゃんも見たでしょ、〈勇者〉の強さ」


「うん」


「エトくんは、さ。これから、〈異界侵蝕〉を目指すと思うの」




◆◆◆




「私たち歴代継承者の中で、〈異界侵蝕〉に至った人間は1人もいない」


 無数のページが舞い散る中、シャロンに告げられた事実が重く俺にのしかかる。


「多分、一番その世界に近づいたのは無銘だと思う。私やエルレンシアは、精々が金級下位。これでも多分、継承者たちの中では上澄みの方、かな」


「……そうか」


「だから、エト。君がこの先、その世界を目指すのなら——君自身の力で到達しなくちゃいけない」


 その、いっそ絶望的なまでのシャロンの断言に、俺は拳を握りしめた。


「それでも、俺は——」




◆◆◆





 〈異界侵蝕〉を目指す。

 それは、かつてイノリが銅級だった頃に大言壮語した「金級を目指している」とはわけが違う。


 なぜなら金一級を人類の限界値とするなら、〈異界侵蝕〉はその枠組みをとうに超えた理不尽の権化。

 存在そのものが核爆弾より危険と言っても過言ではない、歩く災害と同義である。


 そこを目指すというのは、終わりの見えない荒野を独り進むことを意味する。

 誰一人として辿り着いたことのない場所をひたすらに目指す、過酷という言葉ではあまりにも生温い、求道者は探求者という表現では片付けられない、終わりのない旅路である。


「私とエトくんは、同じ金級になるって目標があって一緒に旅をしてきた。けど、エトくんが目指すものは変わっちゃった。私たちの旅は、エトくんにとって生易しいものになっちゃう」


 確かに、金級冒険者という場所は〈異界侵蝕〉を目指す上での過程である。だが、そうだと言って、両者の道が交わるかと問われれば。

 それは、絶対的に“否”を突きつけなければならない。


 根本的に違うのだ。

 組成が同じでも、種族が同じでも、喋る言葉が同じでも、価値観が同じであっても。


 〈異界侵蝕〉とそれ以外は、存在としてのステージが違う。両者は、どう足掻いても交わらない場所にいる。

 だから必然、目指す場所の違いは、歩む場所の違いになるのだ。


「……でも、でもね?」


 しかし。


「それでも私は、エトくんと旅を続けたい」


 それを理解した上で、イノリはまだ、共にいたいと願う。


「エトくんの横を、歩きたい」


 理解する。

 これは、明確な独占欲だと。


「ラルフくんにもストラちゃんにも、カルラさんにも……シーナちゃんでも」


 エトの心の中。未だ中心に居座るアルスという少女がいることをイノリは知っている。

 そこをどけ、とは言わない。言いたくない。

 だが、せめて。


「今の私の居場所は、エトくんの隣だから」


 その隣だけは、誰にも譲りたくないと思うのだ。


 そう断言したイノリの横顔をまじまじと観察するシーナは、オーロラの瞳を淡く輝かせた。


「えっちゃんと同じだ」


「だからえっちゃんって誰? ……ごめんねシーナちゃん。これ、きっと恋じゃない」


 今なら自信を持って、その感情に名前をつけられるとイノリは思う。


「私、エトくんに兄ぃを重ねてた。無意識に、兄ぃの面影を探してたの」


 たった一つ、守りたいもののために自分の全てを賭けられる。そういう兄が好きで、そんな兄に似ているエトの横顔は、自分にとってとても安心できるものなのだと。

 だから、手放したくないと思う。


 一刻も早く、家族と再会したい。

 だが同時に、もう少し長く、一緒にいたい。


「私はエトくんの横を歩く。何があっても、食らいついてやるって思ってる」


 答えは、始まりから持っている。


「私は、エトくんの相棒だから」


 その答えを聞き届けたシーナは、満足そうに笑った。


「そっか。恋バナお預けか〜」


 残念そうに間延びした声を漏らし、「しょうがないね」と笑みを浮かべる。


「それじゃ、お姉ちゃんも〈異界侵蝕〉を目指すの?」


 その問いに、イノリは少し困った顔を浮かべた。


「どうなんだろうね。エトくんの隣にいるにはそうするのが一番なんだけど……正直、方法はよくわからない」


 凄まじい力だと思った。目にするだけで心臓が縮み上がるような覇気、立ち振る舞い、実力。

 〈異界侵蝕〉の出鱈目さを知るには十分で、しかし。直接その差を感じたエトを思うと、軽々に「目指す」とは言えなかった。


 唯一、自分の左目の魔眼が突破口なような気もするが、なんというかこれを使いこなせたら割と行けるところまで既に行っている状態なのでは? と思わなくもないイノリは「うーん」と唸るしかなかった。


「ノープランなんだねー」


「ノープランだねー」


 シーナとイノリ、二人揃って力なく肩を落とした。

 そうしてしばらく、涼しい夜の風に揃って吹かれる。


「……そろそろ時間かな」


 夢紫色の髪が風に揺れ、ふと、シーナは欄干に手をかけ空中に身を踊らせた。


「ちょっ!? シーナちゃん!?」


 ギョッと驚くイノリの目の前で、空中に花を咲かせたシーナが器用に空中に着地する。


「ごめんねお姉ちゃん。私、そろそろ行かないと」


「行くって……?」


 唐突に別れを告げようとするシーナに、イノリは戸惑いの声を上げる。


「じーじがそろそろ帰って来いって言ってるの。だから、ここでお別れ」


「…………。そっか」


 なんとなく、引き留めることはできないんだろうな、とイノリは悟って、笑顔を浮かべる。

 湿っぽい別れにしないために。


「また会える?」


「うん。


 シーナは力強く断言した。


「みんなによろしくね、イノリ」


 花吹雪が舞う。

 突如吹いた突風に空中に咲いた花畑が瞬く間に吹き散らされ、欄干に一片の花弁を残して、シーナの姿ごとあっという間に消えてしまった。


「突然すぎるよシーナちゃん……」


 一人、ベランダに取り残されたイノリは。


「エトくんたちになんて説明しよう……」


 この先に待ち受けているであろう混乱にどう対処すべきか頭を悩ませることとなった。




◆◆◆




 ムーラベイラの一画の路地裏。

 花吹雪が舞って、そこに夢紫の髪の少女が優雅に着地した。


「ただいま、じーじ」


 そこにいた一人の先客。

 路地裏に放棄されていたベンチを木の根で固定し、星空を穏やかに眺めていた老爺が、ゆっくりと首を回して少女を捉えた。


「おお……おかえり、シーナ。はもういいのかい?」


「うん。楽しかったよ!」


 屈託のない笑みで笑うシーナに、老爺……じーじはゆっくり頷いた。


「そうか、そうか……なら良い。後で、に謝っておくんじゃよ」


「うげ……わかったよ」


 嫌なことを思い出したと言わんばかりに顔を顰めたシーナに、老爺は枯れかけてなお瑞々しい、深い知性を感じさせる瞳を向ける。


「……なぜ、彼らに肩入れしたんじゃ? 盟主殿は、不干渉といっておったろうに」


「そんなの簡単だよ、じーじ。お兄ちゃんがいい人だったから」


 答えになっていないシーナの言葉。しかし、じーじは満足したように髭の下で笑みを作った。


「……そうか。お前さんの“眼”なら、確かなんじゃろうな」


 じーじは「よっこらせ」と思い腰を上げ、立ち上がる。


「では、シーナ。先に帰っていなさい。儂は少しばかり寄り道をしてくるでな」


「じーじ、どこ行くの?」


「なに。少しばかり、“唄”を聴いてくるだけじゃよ」


「……わかった。ご飯はちゃんと食べてね。盟主、心配するよ」


「ほっほっ……。老骨が心配させるわけにはいかんの。あいわかった。ではな」


 木の葉と花弁が同時に散って、路地裏は再び薄暗闇に包まれた。




◆◆◆




波乱のあった剣闘大会も2回戦の全日程が終了した。

 試合当日になっても目を覚まさなかったエトラヴァルトは、本人の申告通り2回戦を棄権することに。

 対するラルフは順当に駒を進め、3回戦、最も新しい金級冒険者である〈双斧の竜巻〉改め、〈剛嵐〉のグルートとの対戦が決定した。


 ——そして、3回戦当日。


 第一試合に、ラルフとグルートの姿はあった。




◆◆◆




「よし、なんとか間に合ったみたいだな」


 背後からした聴き慣れた声に、イノリはパッと表情を明るくして振り向いた。


「エトくん!」


「悪い、心配かけたな」


 今朝退院したばかりのエトが付き添いのカルラと共に応援席に姿を見せる。


 エキシビジョンマッチで〈勇者〉と切り結んだエトの姿は皆が覚えている光景であり、数多の視線が彼を突き刺した。


「めっちゃ見られてる……」


「当然です」

「当然じゃない?」

「なにを当たり前のことを」


 ストラ、イノリ、カルラから総ツッコミを受けたエトは苦笑いを浮かべてイノリの隣に座った。

 そんな彼に、イノリは少し言いづらそうに話を切り出した。


「あのね、エトくん。シーナちゃんのことなんだけど……」


「じーじのところに帰ったんだろ?」


「うん。そうなんだ……って、え!? なんで知ってるの!?」


 驚くイノリに、エト「夢に出てきたんだよ」と肩をすくめた。


「寝てたら急に干渉されてな。めちゃくちゃビビったぞ」


「そうなんだ……ん? それなら説明私に丸投げしなくてよくない!?」


 夢に出て来れるならストラやラルフ、カルラあたりにもちゃんと別れを告げれば良かったものを。自分の労力がシーナの雑な別れで増えたことにイノリは怒りとまではいかないが、煮え切らない何かを腹に感じた。


「そこについては後で議論しましょう。試合、始まりますよ」


 ストラに諭され、全員が舞台に目を向ける。


 ラルフとグルート、両者が中央で視線をぶつけ合った。




◆◆◆




「ラルフと言ったか。確か、エトラヴァルトの仲間だったな」


「……俺のこと、知ってたのか」


 ラルフの確認に、グルートは嘘偽らず首を横に振った。


「いいや。正直に言えば、なにも知らなかった。だが、予選会、一回戦、二回戦……圧倒的な差を見せつけ勝ち上がるお前に興味が湧いた」


 慌てて調べたんだ、というグルートは言う。


「無策で勝てる相手ではないと、全力でぶつからねばねばならないと思い知らされた」


 その答えに、ラルフは大戦斧を握りしめて笑った。


「そうかよ。それじゃあ、二度と忘れられない名前にしてやるぜ」


 敢えて挑戦的に、不遜な笑みを作ったラルフに、グルートは獰猛な戦士の風貌を浮かべた。


「〈勇者〉ほどではないが、俺も悠久の守り手の一人となった。どんな相手であろうと、負けるつもりはない!」


 二本の両刃戦斧を背中から抜き放ったグルートが金級に相応しい暴威を伴う。


 フィラレンテの声が響く。


『——三回戦第一試合、開始ィッ!』



 両雄が同時に吼えた。


「『灼焔咆哮』ッ!!」


「『蛮嵐よ、吹き荒れろ』!!」


 灼熱の青炎と蛮族の騒嵐が舞台を二分し、踏み込みは同時。


「「オォオオオオッ——!!」」


 咆哮と共に大戦斧と一対の両刃戦斧が交錯し、激闘の幕が上がった。

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