到達点

 異様な光景だった。


 熱狂に包まれていた闘技場が水を打ったように静まり返るほどに。


 実況・解説・審判を兼任する過労死案件なフィラレンテがその一切を放棄して「あのバカ勇者……!」と、最後の理性をもってマイクの電源を落として呟くほどに。


 珍しく私事に走った〈勇者〉の埒外の斬撃は、上を目指す冒険者たちの口を閉ざすには十二分な衝撃を与えた。



 だが、静寂の直接的な原因は、〈勇者〉アハトではない。


 エキシビジョンマッチという名の事実上の公開処刑。

 《終末挽歌ラメント》との関係性を示唆され、自身もまた《英雄叙事オラトリオ》という特異な能力を持つゆえに青年、エトラヴァルト本人こそが、この異様な空気の元凶である。


 千に迫る斬撃を受けた青年は、血の海の上で、しかし確かに意識を残し、〈勇者〉アハトを睨みつけていた。





◆◆◆





「……〈勇者〉」


 肩書きを呼べば、アハトはその蒼眼で確かに俺を見た。


「頼む。続けてくれ」


「……ああ、良いぜ」


 アハトはちらりと視線をフィラレンテの方に向ける。

 何かしら叫んでいる彼女に対して、〈勇者〉アハトは断言する。


「俺は〈勇者〉だからな。たった1人でも、その望みと期待には応えねえとならねえ」


 ——たとえそれが、側から見れば陰惨な蹂躙に見えるのだとしても。


「目の前の期待に応えられないようじゃ、この名は名乗れねえよ——続けようぜ」


 今度は目が動くことはない。発動の予兆はなく、何の前触れもなく俺の左脇腹が切り裂かれた。


 ……無意識に、俺は声を発する。


「もっと」


 空間把握能力。

 舞台全体を把握する力は、常にアハトの埒外の力を観測し続けている。だが、その力そのものが俺の力をせいげんし、妨害している。


 右肩が抉れた。


「もっと……!」


 同時に、やけに静かだった。

 さっきまでがなりたてていた直感が嘘のように静まり返っていた。


 アハトは俺の要望に応え不可視の斬撃を繰り返す。

 腰の剣が抜かれることはなく、真実、今の俺には抜かせることができないのだろう。


 あらゆる角度から真に変幻自在に繰り出される、師匠の全方位攻撃もどきが霞むほどの


 有り合わせの防具などとっくに砕け散り、衣服はズタボロ、全身は朱に染まっていることだろう。


 貧血で視界が重くなる。

 酸素が回らなくなり、呼吸がままならなくなる。

 周りの音が聞こえなくなる。


 それでもどうか、「止めてくれるな」と願う。


「まだ……!」


 斬撃は止まらない。


 斬痕は重なり抉れ、少しずつ、俺の体積を削っていく。

 肉体の嵩が減り、魂がむき出しになる——ああ、好都合だ。


 もっと、もっと。

 強くなれ、今この瞬間にも。〈勇者〉すら利用して!


 膝を折る暇などない。下を向く時間はない。


 強くならなくてはいけない理由がある。

 守らなくてはならないものがある。

 果たさなくてはならない約束がある。


「だから、立ち止まってる暇なんかねえんだよ……!!」



 ……ああ、俺は馬鹿だ。

 直感が俺自身の力か否かとか、才能の有無とか。そんなもん、何一つ関係ないっていうのに。


 たとえ何があっても目指す場所は変わらないのだから、そんなもん、考えてるだけ無駄だろうが……!!


「来いよ、〈勇者〉……!」


 潜れ、深く深く。

 アハトの斬撃すら利用して、輪郭を捕まえろ!


 集中しろ。手繰れ、掴み取れ——限界まで研ぎ澄ませ!!



 刹那、世界が形を変えた。



「——、!」


 不可視の斬撃を、五感とは違う何かが正確に捉えた。


 輪郭が、見えた。


 三閃、俺を刻まんと生まれた斬撃に刃を触れあわせ——しかし敵わず。

 俺は盛大にその場から吹き飛ばされた。


「……っ、クソ!」


 両脚裏が舞台を削り、血の海から離れた場所にまた別の血の池を生み出し、肩で息をした。


「もう一度……!」


 怒鳴るような俺の叫びに、〈勇者〉アハトは首を横に振った。


「いや、十分だエトラヴァルト。お前はを示した。それに、もう限界だろ」


 アハトがそう告げた途端、俺の両膝から力が抜けて地面に崩れ落ちた——


「全く、無茶なことをする弟子ね」


 直前、結界を師匠が俺の体を支えた。


「し、しょう……?」


「何やってんのよあなた。観客ドン引きじゃないの」


「血が……服、汚れ——」


「んなこと気にする時じゃないわよ」


 呆れ果てたようにため息をついたは、殺気だった眼をアハトに向けた。


「随分としてくれたわね。おかげさまで全く動けなかったわよ」


「そうしないと止めに入るだろ、お前は。そりゃ少年の望むもんじゃねえし、もできなかった」


 飄々とする、剣気の一切を霧散させたアハトに師匠は容赦なく舌打ちをかます。


「チッ……。やっぱりそういうことだったのね」


 疲れ果てた脳では二人の会話の意味を掴めず。しかし、師匠が露骨に不機嫌なことだけは伝わってきた。


「……さて、そろそろ時間だな」


 そう言った〈勇者〉は、何やらめちゃくちゃ喚いてブチ切れているフィラレンテの罵声をのらりくらりと躱し、遥か北方を睨みつける。


「今日のを片付けるとするか」


 俺が瞬きをした隙に、空が漆黒の雲に塗りつぶされた。





◆◆◆





 大地が踊る。

 空が泣く。

 山々は怯えるようにその身を震わせ、ムーラベイラ全土は冗談みたいな速度で流れる漆黒の雲によって陽の光を奪われた。


「なんだ……?」

「急に暗くなったぞ!?」

「雨? そんな予報は——」


 皆口々に上空の事象に口を開いた。


 ある者は困惑を。

 ある者は心配を。

 またある者は不安を。


 そして、ごく一部の知識人と、その事象の正体を知る長命の者は、一様に空を見上げ、表情を凍り付かせた。





◆◆◆




 ——ムーラベイラ・異界『竜啼く天蓋山脈』観測施設。

 ムーラベイラ北方に存在する異界および雲竜を観測するために、その脅威を十二分に知るゆえに都市を挟んで南に建造された観測所に警報が鳴り響く。


 しかし声はない。

 職員は全員、マニュアルに則りシェルターへの避難を済ませている。

 警報が止まることなく鳴り響く中、北方の異界を映す監視カメラの映像に異変が生じる。


 山が、大きく翼を広げた。




◆◆◆



 その姿は、ムーラベイラの中央闘技場からであっても容易く観測ができた。



 晴れの日、曇りの日、雨の日、雪の日、雷の日——天候は流転する。

 人はそれらを予測することはできても、天候そのものを操ることは、基本、できない。


 天候が不可触であるように、この復活もまた不可避。


 晴れが永遠に続くことはありえない。そして、「見渡す限りの青空」とは所詮、人間の視覚情報の限界値でしか語ることのできない“概念”だ。



 激震が走る。

 山が割れ、海が震え、湖が干上がった。

 崩れ落ちる山脈の内から、純白の痩躯が浮き上がる。


 骨ばった腕が大地を掴み、痩せこけた翼が空を掻いた。


 その身を喩えるのであれば、『化石』と言うべきだろうか。

 否、その身は今は正しく化石。しかして、それは不可逆の変遷ではなく。輪廻するように何度でも全盛を手に入れる。


『ォォオォオオオォオオオオォオオオオオオーーーーー』


 聞く者を恐怖させ、臓腑を震わせ、心臓を握りつ潰すような恐ろしい遠雷に似た唸り声が響く。


 枯れ枝は瞬きの間に空を覆う翼を取り戻し、剥き出しの胴体は山をも凌ぐ巨体をもって空間を席巻する。

 肉付きを取り戻した四足が大地を砕き、その身をより一層膨張させた。


 とぐろを巻く長大な尾が一帯の山脈を等しく薙ぎ払い『悠久世界』の地図の再編を余儀なくする。


 形成された頭部、虚な眼窩に琥珀の迅雷迸る瞳が復活し、ここに画竜点睛が成る。


『ォオオオォオオオオオオオオーーーーオ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/オーーーーーー!!!!!』


 世界を揺るがす咆哮を轟かせ、危険度15——雲竜キルシュトルが復活した。




◆◆◆




「ぁ、ーーーーー、ぇぁ」


 ラルフは、その存在が遠く離れていても——100kmは裕に離れているにも関わらず。

 この、どうしようもないはずの彼我の距離で死を予感した。


 同様に、イノリとストラも。

 目に映る、ハッキリと輪郭を捉えるができる、都市を呑み込む大きさの竜に言葉を失っていた。



 竜を前にして、恐怖で逃げ出す者はいなかった。

 叫び声を上げる者も、失神する者も、狂乱を起こす者もいなかった。


 生物の本能。


 圧倒的強者を、抗えない自然の摂理を前にした時、人はただ、嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。



 ——だが、此処には。


 摂理に抗う——否、摂理そのものと言っても過言ではない、一つの窮極がいる。


『——ご安心ください、皆様』


 フィラレンテの落ち着いた声音が、中央闘技場のみならず、ムーラベイラ全土に届く。


『あれなる魔物がこの地に脅威を与えることはありません。我らが護剣が——悠久の守り手がいるのですから』


 遥か北方、純白の竜が——全身を莫大な質量を有する雲で構成した竜が吼える。


 その全身が、乱層雲の如く黒く染め上がり、膨張する。


 天を衝く勢いで無限に成長し続ける雲竜キルシュトルの顎が開く。


『オ/オ/オ/オーーーー』


 その口腔に、赤黒い雷が収束する。

 南方観測所の計測器が記録した出力は6800。これは、火力を示す。


 それが、ムーラベイラへ向けて一切の容赦なく放たれた。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!』


 天を焦がす赫黒の暴雷が大気を突き破り轟音を散らしながら駆け抜ける。


 射線上の大地を、生命の一切を黒き遺灰へと還し直進。

 瞬きの間にムーラベイラへ到達した。


「——空を断つ」


 その雷全て。

 悉く無数の斬撃が迎撃し、した。


 ムーラベイラ中央闘技場上空、空中に一人の男が立つ。


 名を、〈勇者〉アハト。


 アハトはフィラレンテが向けるカメラとマイクが自分の姿と声を映していることを一暼したのち、宣言する。


「エヴァーグリーンに生きる全ての者たちに告げる。あの竜の凶爪がお前たちに届くことはない」


 ——二射目。


 先程よりも威力を増した暴雷が放たれる。

 対するアハトは腰の剣を握り、一閃。


「——雲を穿つ」


 腰溜めから横に、美しい所作で、神速の抜刀。


 須臾の間、雷が斬り伏せられ、雲竜キルシュトルの右翼が上下に断たれた。


 観測所の計器は、「測定不能」を叩き出した。




◆◆◆




「エト、ちゃんと見てる?」


「……ああ」


 無造作に空中を蹴り上がり上空へ向かったアハトを追うように、師匠は俺をお姫様抱っこの姿勢で抱えて、中央闘技場上部の外縁に移動した。


 そこで見えた景色は、想像を絶するものだった。


「師匠。アレは……なん、なんだ?」


「…………」


 俺の問いに、師匠は暫し無言を貫く。

 視線の先では、瞬く間に右翼を再生し、その身を再び純白に変えた雲竜が全身の体積を膨張させていた。


 少し視線をずらせば、剣を抜き放った〈勇者〉が目にするだけで視力が潰れそうな圧を放っている。


「アレは、到達点よ」


 やがて、師匠は観念したように口を開く。


「エト。金級のを、聞いたことはあるかしら?」


「……噂程度に、だけど」


「アレは、眉唾物じゃないわ。実際に存在するのよ。たったひとつ、金一級を超えた先にあるの。頂点たちの称号が」


 目の前では、冗談のような光景が広がっていた。

 〈勇者〉アハトの闘気——いや、剣気とでも呼ぶべき異質な力が膨れ上がっている。

 皆にも見えているのか、一様に見上げる先で。

 可視化されたその力は留まることを知らず、遥か北方で脅威を増す雲竜をまるで牽制でもするかのように際限なく強く、鋭く、大きくなっていく。


 師匠はありあわせの治癒術式を刻んだ結晶で俺を治療しながらその存在を語る。


「その到達条件は、穿孔度スケール7の


「…………は?」


 言っている意味がわからなかった。


「単独踏破……穿孔度スケール7、を?」


 驚く俺に、師匠は答え合わせをしない。ただ淡々と、事実だけを語るように、その瞳は彼方の竜を捉えていた。


「エト、あなたは強くなると言ったわ。『弱小世界』を救えるくらいに強くなると。この戦いから、目を……逸らしちゃダメよ」


 師匠は丁寧に、俺が脱力した状態でも戦いを見られるように姿勢を調節してくれながら、その称号を告げた。


「彼らの称号は、〈異界侵蝕いかいしんしょく〉。人の身で異界を蹂躙する、よ」





◆◆◆




 〈異界侵蝕〉——改め、〈勇者〉アハトは宣誓する。

 その力の全てを、『悠久世界』の守護に振るうことを。


「約束しよう。あの竜が、お前たちを脅かすことはない。此処に、〈勇者〉アハトが告げる!」


 膨大な剣気が一本の剣に収束する。

 その一撃に込められる威力を正確に推し量れる人物は、此処には存在しない。カルラは勿論、たとえフィラレンテであってもアハトの力のを知らないゆえに。


『オ/オ/オーーー!!』


 雲竜キルシュトルが咆哮ハウルを上げ、不可視の衝撃波をもって大地の津波を引き起こす。


 眼前、アハトは。

 ただ剣を上段に構え、振り下ろしした。


 静寂は、その斬撃が音すら切り裂いたがゆえに。

 危険度15の咆哮を拮抗の素振りすらみせずに斬断した、遥か彼方まで届く斬撃は。


「悠久に仇なす存在の一切を、この剣が斬滅する!」


 その勢いを衰えさせぬままに、山をも凌ぐ竜を縦に両断した。

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