灼焔咆哮

 剣闘大会が開かれるムーラベイラにも本国同様に屋内演習場が存在する。むしろ、数で言えば本国を上回るこの演習場は建物そのものが魔道具なんだとか。


 耐久力は折り紙付き。土地に関しても、「空間拡張」の魔法技術を取り入れることで小さな建物の中にいくつもの巨大な部屋を用意できる。



 七強世界の技術力と資本力に何度でも驚かされる俺は、入室と共に目隠し。息遣いだけを頼りに師匠の目の前に立った。


「今日から予選前々日までの四日間、あなたを徹底的に鍛えるわ」


 僅かに鋼の擦れる音——抜刀の気配。

 師匠は厳しい口調で俺に問う。


「最低限——あなたが止まらない限りは死なない程度の加減はしてあげる。この意味がわかるわね?」


 要するに、「お前が一瞬でも気を抜いたら死ぬぞ」と言っていた。

 俺は、躊躇いなく頷く。


「ああ。始めてくれ、師匠」


「わかったわ——」


 足音が消え、刹那。


「その直感で、生存を勝ち取りなさい」


 呼吸の間すら置き去りに俺の背後を取った師匠の覇気が膨れ上がる。チリっと脅威を訴えた首に従い全力で身を屈めた直後、全身を途方もない剣圧が叩き、はるか前方で壁が爆砕する音がした。


「〈紅花吹雪〉のカルラ、依頼を遂行するわ」


 絶えず振り下ろされた二刀が、ガードの上から俺を後方へ吹き飛ばした。




◆◆◆




 前袈裟斬り——凌ぐ。

 背後の刺突——掠める。

 足払い——意識の外、転ぶ。

 首横薙ぎ——柄で弾く。

 右けたぐり——躱して体勢を立て直す。

 左、魔法の気配と共に躱した足が跳ね上がる——直撃、吹き飛ばされた。

 

 直感の警鐘が鳴り止まない。

 一瞬たりとも途切れない死の危険を知らせる警報。俺の意識とは無関係に鳴り響く——制御? 冗談じゃない。今、師匠から意識を外せばその時点で俺は死ぬ。


 絶え間なく鳴り響く剣戟はその実、師匠による一方的なだ。

 どう言う理屈か、魔法の気配すらなく足音を殺す歩法を用いた師匠は全方位、変幻時代に出現しては眼の回るような斬撃を見舞ってくる。

 俺を中心に成立する剣の円環が凌げているのは、斬撃の20%程度。残りの全ては、掠ったか、抉られた。


「ハッハッハッ——」


「息を切らしてる暇はないわよ!」


「——ッ!?」


 声をかけてくれたのは、おそらく優しさと発破。

 ほんの一瞬途切れかけた意識を過去から今へ無理やり繋げ、歯を食いしばって剣を振り抜く。


 ——ギィイイイイイン! と鳴り響く斬撃音に弾かれ不恰好に地を転がった。

 その首に、容赦なく小太刀が襲いくる。


「——クソッ!」


 左手で地面を握り砕きながらその場から弾かれたように回避。膝をつきながら身を起こし、前方——圧縮された闘気の気配。

 身を捻り、胸を横一閃に抉られた。


 多分、鮮血が吹き出しているんだろう——なんとなく、見える。


頼りはやめなさい。あなたがするべきはがむしゃらではなく、理性をもって力を制することよ」


「わ、かってる……!」


「なら、やりなさい」


 気配が消える。

 俺は呼吸を止め、風を感じる。


 身を捻り回避——違う。

 右、コツッと小石が転がる音。飛び退って避ける——違う。

 膨れ上がる闘気から逃げるように身を転がし——違う!!


「畜生……!」


 行き当たりばったり、出たとこ勝負の回避を続ける自分を叱責する。

 それではダメだ。それでは届かない。


 音や風、気配は、おそらくわざと。

 俺がギリギリ避けられるだけの情報を——逃げ続けるだけなら辛うじて可能なだけのヒントを師匠は撒いている。

 だが、それでは意味がない。その用意された逃げ道に甘えてはダメなのだ。


 感じ取れ。攻撃の——否、師匠の動きの起こりを。

 直感を制御しろ。出鱈目に鳴らすのではなく、脅威を“形”にして捉えろ。


 嵐と相違なき猛攻。攻撃の余波で床や壁がバターのように切り裂かれ、クッキーのように砕かれる。直撃の先に待つのは避けられない死だ。


 背を向けるな。

 立ち向かえ。

 進め。


 ……超えろ!!


「——、あ」


 瞬間、世界が静かになった。

 あれだけうるさく響いていた直感の警鐘が途絶えた。


 それは、あまりにも当然に。しかし、以前にも一度、経験したことがあった。


 カンヘルとの戦いでほんの一瞬届いた世界。

 俺は、水鏡の中心で波紋を広げた。


 目隠しのせいで世界は暗黒。手探りもできず、頼れる感覚は外に延ばした意識だけ。


「——そこ」


 左斜め前方。規則正しい波紋を踏みつける気配。

 音などない。風は感じない。だが、そこに居ると確信があった。


 果たして、エストックを振り抜いた先で一対の小太刀と甚だしい衝突音を響かせた。


「——うん。目隠し取っていいわよ」


 納刀の気配と師匠の声に、俺は左手で捲りあげるように目隠しをずらした。


「どう? あなたの強みはわかったかしら?」


「なんとなく、だけど」


 口では控えめな物言いをしたが、その実、俺は確かに、自分が明確な強みと呼ばれるものを持っていることを確かに自覚していた。


 俺は、自分の意識をかなり正確に周囲の空間にまで伸ばすことができる。言ってしまえば、空間把握能力がそれなりに高い。


 恐らく学生時代、アルスの全方位攻撃をひたすらに避けまくるあの訓練の副産物なのだろう。

 あと、師匠曰く“直感”がこの延長線上にあるとかなんとか……まあ要するに、俺は本来の目的である“直感の制御”のための前段階に辿り着いたのだろう。


 確かな実感を得ていることが漏れ出ていたのか、師匠は笑みを浮かべて頷いた。


「よし。それじゃあ今日はここまでにしましょう。続きは明日、今の感覚を忘れないようにしなさいよ?」


「え、もう終わるのか?」


「もうって……あなた今何時だと思ってるのよ」


 きょとんと首を傾げる俺に、師匠は呆れたように壁に立てかけられた時計を親指で指した。


「もうガッツリ夜よ」


「うわマジだ」


 気づけば時刻は21時を過ぎていた。稽古を始めたのが15時過ぎとかだったので……うん。丸々6時間ボコられ続けていたわけだ。

 明確な時間を示されると途端、全身にどっと疲れがのしかかってきた。


「さっさと帰ってご飯食べて寝るわよ〜」


 同じく6時間、ぶっ通しで動いていたにも関わらず大した疲労を感じさせない師匠のタフネスに感嘆しながら、おれはその元気な背中を追って屋内演習場を後にした。




◆◆◆




 夕食後、エトラヴァルトは糸が切れた人形のようにベッドに倒れ込み、そのまま気絶するように眠りについた。


 その様を横で見ていたイノリはエトの頭を一度そっと撫でた後、同じ部屋の窓際で月を眺めながら盃を傾けていたカルラの目の前に座った。


「カルラさん。“無限の欠片”って知ってる?」


 カルラの酒を運ぶ手が止まった。スッと細められた冷たい瞳がイノリを射抜く。


「……その単語、どこで聞いたの?」


 殺気と勘違いしてしまいそうな圧をはらむ声に、イノリは臆面もなく答える。


「《終末挽歌ラメント》……グレイギゼリアが言ってた」


「そう。イノリ、あんたは“概念”をどこまで知ってるの? あ、言葉の意味じゃないわよ? についてよ」


「あんまり、詳しくは知らないけど……エトくんが持ってる《英雄叙事オラトリオ》とか、グレイギゼリアの持っているらしい《終末挽歌ラメント》とかが『概念保有体』って呼ばれてることは知ってる」


 イノリは以前、エトと共に形にした概念保有体に関する考察をカルラに話す。


「概念……エトくんの《英雄叙事オラトリオ》から考えて、その言葉の指す力の結晶みたいなものだと思ってる。“記録”、“蒐集”、“歪曲”、“再演”、“無限”……多分どれも、字義に関わる力を使えるんじゃないかな」


「概ね正解よ。でも、想定が甘いわ」


 盃を置いたカルラは、視線を再び月へと向ける。


「“概念”……それを有する万物を『概念保有体』と呼ぶわ。そして、概念保有体はその言葉が包括する事象の全てを統べる」


「全てって……」


「文字通り、全てよ。エトからグレイギゼリアの能力については一通り聞いたわ。歪曲の概念でこの話を詰めましょうか」


 概念——その単語を口にする度。カルラの瞳に隠し切れない怒りと後悔が滲み出る。

 その感情の奔流に、イノリはあえて触れなかった。


「空間の歪曲、攻撃の歪曲、……体験したのはこれくらいだったかしら? 究極的にはまでできるでしょうね」


「そんな、出鱈目なんだ」


「所有者が無自覚だったらそんな化け物は生まれないんだけどね」


 念の為——一応とばかりにカルラは「自覚してる奴なんて限られてるわよ」と念押しした。


「概念保有体は、その力を自覚すればするほど歩く災害のような存在になるわ。自覚済みの保有者を相手にしてよくもまあ、全員生き残ったと思うわよ。おまけにグーパン決まで決めたなんてね。“記憶の概念保有体”……一時的でも擬似的な“概念”を生み出すなんて出鱈目も良いところよ」


 その言葉は、恨み節のようにイノリには聞こえた。


「……ごめん、話が逸れたわね。で、あんたの言う“無限の欠片”だけど……数多くある概念の中でぶっちぎりにヤバいやつよ」


「欠片なのに?」


「欠片なのによ。全ての概念はその言葉の包括する事象を統べるってのは殺気説明したわね。でも、無限だけはちょっとだけ違うのよ」


 静寂の漂う夜の部屋に、イノリの喉を鳴らす音が響いた。


「“無限の欠片”はね、所有者に無限をのよ」


「無限を、与える……?」


「私も上司からの伝聞だから詳しくは知らないんだけどね。無限は、他の概念と混ざるらしいのよ。直近……例えば歪曲と混ざったとしたら、無限に捻じ曲がり続ける空間が生まれるんじゃないかしら?」


 それは、あまりにも荒唐無稽な話だった。


 そもそも話の規模が大きすぎて若干ついていけないイノリは、トドメとばかりに追加された情報に完全に思考が止まってしまっていた。


「……念押しすると、その話。他言しない方がいいわよ。概念保有体ってのは、あんたが思っている以上に世界の均衡に関わっているからね」


 無限の欠片ともなれば、それは『七強世界』すら動くに足る理由になるとカルラは断言した。


「ま、今回は単語の意味を知りたいってだけだったみたいだから多めに見てあげるわ。次からは話す相手、ちゃんと選びなさいよ?」


「……うん。忠告ありがとう、カルラさん」


「いいわよこれくらい。迷惑かけてるお礼よ」


 最近は私たちの方が迷惑をかけている気がするなあ、と内心でイノリは苦笑した。





◆◆◆





 剣闘大会の予選は三日間に渡って行われる。

 エトラヴァルトとラルフの予選日は、両名とも初日、会場はエトが西闘技場、ラルフは北闘技場となった。また、奇しくも時間帯はほぼ被ってしまった。


「あー、カルラさんに応援来て欲しかったなぁ〜」


 時は流れ、大会予選当日。


 待機室で天井を眺めるラルフは、悲しみを隠そうともせず呟いた。

 いくら予選とはいえ賑やかしが0人ではつまらない——ということで、エトとラルフにそれぞれ半分ずつ応援が回ることとなった。

 ラルフの応援に来たのはイノリとストラ。カルラは「弟子の晴れ舞台だからね」とシーナを抱えてエトの応援に向かった。


「2人の応援も十分過ぎるほど嬉しいが……ああ、歳上のお姉さんに応援してもらうという細やかな夢が……クソッ、呪いめ!」


 都合のいい怒りの矛先を見つけたラルフは問答無用で恨み言を吐く。

 なお、呪いは推定では『性的接触から遠ざける』呪いであるため今回の一件では完全に冤罪と言える。


『——予選第八試合を開始します。選手の皆様は舞台へ移動してください』


「……うし、行くか!」


 気合いを入れるように両膝を叩き、ラルフは控え室を出た。



 銀二級冒険者が三人、それがラルフの対戦相手だった。

 ただ1人放り込まれたなりたての銀三級。案の定有志で開催されている賭けでも、ラルフの倍率がぶっちぎりでトップだった。


 堂々たる足取りで半径50Mの円形舞台に登った炎髪の青年を観客席から認めたイノリが「おっ」と声を上げた。


「ラルフくんだ。どうするストラちゃん、声かける?」


「やめておきましょう。大輪祭の時のように緊張でぶっ倒れらでもしたら、わたしたちまで恥ずかしいです」


「それもそっか」


 側から聞けばなんとも薄情な台詞である。が、それはある意味信頼の裏返しとも見て取れた。


 エトラヴァルトがカルラと修行をしていた船からの1週間、ラルフもまた、手をこまねいていたわけではない。彼もまた、自らを追い込むように修行を重ねていた。

 その努力を、成長を知っているが故に、2人は揺るがぬ信頼の目でラルフを見ていた。


 確信していた。たとえ銀二級三人が相手だろうと、今の彼なら勝利できると。



『それでは予選第八試合——』


 大方の予想では、まず初めにラルフが脱落し、その後銀二級三人による争いが本格的に始まると見られていた。


 その予想通り、銀二級三人の考えは一致していた。即ち、「まずは頭数を減らす」と。そしてその標的は、当然格下のラルフに向く。

 万が一にも足下を掬われないように、消耗する前に確実に叩く。


 侮りではなく、れっきとした策略としてラルフは標的にされていた。


 その本人は。

 自らが狙われていることを承知の上で、笑う。見据える先は、遥か上。


「エト——俺は、お前に置いていかれるつもりはねえぞ」


 魔力がない、闘気が練れない。多くの者は、エトの弱点を知った時、それを致命傷だと言うだろう。だが、ラルフは思う。、と。

 知っている。エトが、自分の弱さを知った上で高みを目指そうとしていることを、ラルフは傍で見てきた。


 ないことは、彼にとって不可能を語る要因にはならないことを、ラルフはよく知っている。


 エトの試合は、今から20分後。

 ゆえに、ラルフは宣言する。


——追いついてこいよ、エト」



『——開始ィ!!』



 ゴングが鳴る。

 瞬間、闘気を纏った銀二級冒険者三人がまるで示し合わせたようにラルフへと一直線に狙いを定めた。


 対するラルフは、大戦斧の柄頭を舞台に叩きつけ、詠唱。


「『灼焔咆哮』——!!」


 刹那、ラルフを中心に青の灼熱が吹き荒れた。

 

「「「ガハッ——!?」」」


 迫り来る銀二級冒険者三人をで吹き飛ばしたラルフは、腰から直剣を抜き、大戦斧と剣、歪な二刀を構える。


 その炎は、これまでの青炎とは一線を画する火力を誇る。

 その強烈な熱波に舞台の表面が焼け焦げ、熱された空気が三人の参加者の喉を焼いた。


 西闘技場が驚愕に包まれる。

 ある者は目を剥き、ある者は顎を外し、ある者は強者の気配に口角を上げた。


 青炎の武装は武器のみならず、闘気によってコーティングされたラルフの全身にまで及ぶ。

 武器のような明確な形は持たず、しかしラルフの身を守るように熱を増した青炎が渦を巻いた。


「新生ラルフ——行くぜ!」


 今、この舞台で最も若き冒険者が雄叫びを上げた。

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