決着

 緑白の彗星と青い炎星が広大な異界の空間を縦横無尽に疾走する。

 竜殺しの概念により左前脚を失ったカンヘルはしかし、竜に相応しいタフネスを見せつけヴァジラが土壇場即興で生み出した聖炎刃と互角以上の戦いを見せる。


 そんな超高速ドッグファイトに、一人。

 確実に置いて行かれている生身の人間がいた。


「だあっ……この、速すぎ……クソが!!」


 魔力も闘気もない、自らの身一つでその死線に飛び込んだ男の名はエトラヴァルト。

 今この場で唯一、竜を殺しうる“概念”を有する銀四級冒険者。


 銀四級は、雑に言えば危険度6に挑めると判断されている冒険者である。対するカンヘルは、危険度12。数字的にはダブルスコア、能力値的に言えば10倍……100倍すら見込める絶望的戦力差。


 確実に、場違いな戦闘力だった。




◆◆◆




 ことここにいたり、ここ最近、自分がどれだけシャロンやエルレンシアに頼りきりだったのかを浮き彫りにされた俺は泣きたい気分だった。


「この任務受けた時には死んでも女になんざならねえって言ってたのに……なあ!!」


 そんなプライド犬にでも食わせておけ、と思う今の自分がいると同時に、如何にをサボっていたかがわかる。


「信じたぞ金五級!」


 俺たちが目指す金の高みにいる男の「ケツは拭く」発言を信じ、俺は嵐を生成し聖炎刃を吹き飛ばそうとしたカンヘルの頭上へと身を躍らせる。


「喰らえクソトカゲ!!」


 羽ばたきの一瞬、魔法陣の生成に硬直した翼目掛けて疾駆し、明らかに重量が激増しやがったエストックを渾身の力で振り抜き、空振り。


「クッソが、早すぎんだよ!?」


 見事に俺の一撃を回避したカンヘルの反撃——振り抜かれた右爪に対して後出しでエストックで応戦。

 ギャリリリリリリィッ!! と凄絶な音を鳴らし。体格の差で押し負けた俺が吹き飛ばされ、俺の背を聖炎刃が受け止めた。


「躊躇うな!」


 眼下、八つの円刃を操るヴァジラが叫ぶ。


「テメェの体は俺が絶対受け止めてやる! だからテメェは竜だけを見ろ!」


「そう言われてもな……!」


 意識が追いつかない。

 直感は全方位から危機を鳴らし、攻撃への転用は見込めない。

 到底俺の目で追えるような速度ではない……高速移動する聖炎刃の上で俺は打開策を見つけられずにいた。


 ふと、思う。

 ……なんだか、懐かしい感覚だと。


 初めての異界主討伐。そこで相対した“ブラッディ・ガーゴイル”。あの時、あの魔物は一撃必殺を当てる力がなく、俺たちは防御を突破する術に欠けていた。


 今、俺はまさにガーゴイルの立場だった。

 いや、目の前の竜は当時の俺たちのような手詰まりどころかこちらをいくらでも殺しうる策も力もあるんだが。


「……見てるんだろ」


 確信があった。


「悪いな、何度も無茶させて」


 彼女であれば、必ず来ると。共に、死線に赴いてくれると。


「一緒に地獄に来てくれ、相棒」


 ——俺の時間が、加速した。




◆◆◆




 原理や原因も不明。過程も不明。わからないこと尽くしで、しかし確かな事実が一つ。


 イノリは、そっと失われたはずの左眼を撫でる。そこには、魔眼があった。


 なんかもう、どんどん得体が知れなくなっていく我が左眼だが、そんなものにいちいち気後れしているような時間はとっくに終わっているのだと、イノリは躊躇いなく目をひらく。


「…………」


 詠唱を紡げるだけの脳のはできていない。だが、見るだけでいい。それだけで、この眼は世界の法則を歪める。


 起動可能時間は、感覚でゼロコンマ2秒。

 イノリはその僅かな二瞬、エトラヴァルトに永遠を与える。


 チク、タク。

 時計が、秒針を刻んだ。


 少女は願った。

 ——どうか、悲劇を超えて、と。


 その眼が見据える未来はただ一つ、勝利。




 ◆◆◆




 視認の時間は、おそらく実時間にしてゼロコンマ1秒にも満たない。

 だが、その圧縮された一瞬の世界を俺の肉体が駆け抜けた。


「——ッ」


 限界駆動——骨もボロボロ、筋肉はぐちゃぐちゃ。動けてるのは、多分奇跡と執念と……その他色々の何か。

 限りなく静止した世界の中を聖炎刃たちを足場に俺の肉体が切り裂き、跳ね回った。


「オォオオオオオオオオッ——!!」


 この瞬間、俺はこの場の誰よりも早く未来に到達する。

 限りなく短く、そして値千金の永遠が終わる。


 世界が、俺に追いついた。


 ——刹那、カンヘルの全身に無数の斬撃が見舞われた。


『GaAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!?』


 竜殺しの概念を得た俺の斬撃は竜の鱗を大気の防御膜ごと深々と斬り刻み、カンヘルは全身から赤々とした鮮血を吹き散らした。


「決めろ! 変態野郎!!」


「俺にはエトって名前がありましてぇ!?」


 確実に中継を見て、そして誤解していたこと間違いなしなヴァジラの声に反論しながら眼前の竜と視線を交錯させた。


『WoO-----!!』


 俺が剣を振りかぶった瞬間、


「消えっ——!?」


 俺のありとあらゆる感覚からカンヘルの情報が圧が霧散した。

 この感覚には、覚えがあった。偽装の感覚だった。


「あの、クソ鬼……!」



 邂逅の時、グレイギゼリアがパフォーマンスで出現させた一体。

 戦闘に介入してこないために意識から外していた、否、外されていたルンペルシュティルツヒェンがこの土壇場で戦いに介入してきた。


「——どこいきやがった!?」


 ヴァジラの困惑の叫びが聞こえ、聖炎刃が停滞する。


 ——轟と、嵐が吹いて聖炎刃が一つ砕け散った。

 ——直感、右に、死。

 警告に従い反射的にエストックを振り抜き、激突。

 硬質な爪を弾く感覚が全身を駆け抜け、激痛が襲う。


「があぁあっ……!」


 こちらの意識をすり抜けるカンヘルの猛攻が始まる。


 四方八方、全方位から絶え間なく竜の爪と翼、尻尾、顎門の連続攻撃が降り注ぐ。

 ヴァジラが牽制するように円刃を回すが、まるで透過でもしているかのようにカンヘルは刃の索敵を掻い潜って俺への一撃離脱を繰り返す。


「クソッ……! どこにいやがる!?」


 ……恐らく。

 これは推測だが、ルンペルシュティルツヒェンはずっとカンヘルが弱るのを待っていたのだ。

 竜は、単体が有する存在圧が大きすぎる。この暴力的な圧力を、あの悪鬼は隠し切ることができない。だから、弱って圧力が鈍るまで息を潜めていたのだろう。


 が、そんなことを考えても意味がない。


「だからどうしたって話なんだよなぁ!?」


 行動を解析したところで、この絶体絶命の状況が覆るはずもなし。

 全方位から迫る瀕死だろうとこちらを十回殺し切って余りある破壊力を有する竜の攻撃から直感を最大限頼り切って紙一重の回避を——


「……煩え、黙れ」


 煩わしくて、凄む。

 鳴り響く直感が嘘のように静まり返り、世界の音が遠ざかる。


 脳裏によぎるのは、俺の原点。

 アルスと過ごした日々。


 肩に、温もり。


『——呼吸を伸ばすんだ。肺から血管へ、爪の先まで』


 俺は目を閉じ、世界は水面みなも


『自分の意識を、空間に溶かすんだ。無意識だけど、みんなやってることだよ』


 俺を導く親友の声だけに耳を傾けて、俺の意識が世界に溶け出す。


『君にならできるよね、親友』


 想起する。

 斬り開かれた森の中、俺の踏み込みで雑草の一つも生えなくなるまで踏み固められた地面、涼やかな風、燦々と輝く太陽。

 雨の翌日の土の香り、風を切り裂く剣の音。全方位から容赦なく迫る剣たち。


「……俺が誰と、特訓してきたと思ってんだ」


 こちとら毎日、10本を超える剣相手に逃げ回ってたんだよ。


 嵐が水面を揺らし——俺の背に、水滴が落ちた。

 俺は姿勢を反転させ、円刃から躊躇いなく仰向けに飛び降り、目を開く。


 ——轟ッ! と鼻先を竜の顎門が掠め、紙一重の回避を決められたカンヘルの縦長の瞳孔が見開かれた。


「アルスの攻撃に比べたら屁でもねえぞ!」


 この瞬間、俺の目の前で竜は完全な無防備を晒す。


「お前を、斬る!!」


 地面を背に、大上段に構えた剣。溜めはもう終わっている!俺は渾身をもって振り抜いた。


「ぜりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 交錯の瞬間、首の根本から尻尾の先端まで、赤々とした鮮血を被りながら竜を斬断する。


『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜』


 “竜殺しの概念”により再生不可能の傷を受けたカンヘルは制御を失い落下し、地面に激突し空間を激しく揺らし、巨体を光の塵に変えた。




◆◆◆




「……本当に、倒しやがった」


 ヴァジラが救援に出した円刃から落ちないようにしがみつき肩で息をする銀級冒険者に、ヴァジラは興奮と驚きを隠せなかった。


「銀級下位が、竜を……!」


 ——パチ、パチ、パチ、と。


 乾いた拍手が響いた。


「素晴らしい戦いだったよ《英雄叙事オラトリオ》」


 頭上、横穴に腰掛けるグレイギゼリアが闇色の瞳で睥睨する。


「いい調子で育っているみたいだね。君の成長、兄弟として心から嬉しく思うよ」


 あまりにも空虚な賞賛。

 感慨など欠片も持ち合わせていないにも関わらず、戦いの可否に興味など持っていなかったことをなかったかのようにグレイは乾いた拍手を続ける。


「竜殺しの再現……実に良い“怒り”だった。君を焚き付けた甲斐があったというものだ」


 炎が拡散し元に戻った八つの小さな円刃に上手いこと支えられているエトラヴァルトと目を合わせる。


「その調子だ《英雄叙事オラトリオ》。存分に僕を恨むといい。ありったけ僕を憎むといい。その感情が、君に次なるページを——」


「——誰がテメェを憎むかよ」


 酸欠、貧血、そもそも瀕死。

 それでもエトラヴァルトは、グレイギゼリアを強い意思をもって睨みつけた。


「誰が、テメェを恨むかよ。……この怒りは、これっきりだ」


「……へえ?」


 予想外だと。

 想定になかったエトの変化に、今日初めて、グレイがぱちくりと意外そうに瞬きをした。


 戦いはまだ終わっていないと、エトは剣を強く握りしめて戦意を漲らせる。


「俺の親友は、頭の天辺から足の爪の先まで俺のもんだ!! 何が仇だ、テメェにアルスの死は渡さねえ!!」


「君は何を言って——おや?」


 瞬間、コマ送りのようにグレイの視界からエトが消えた。

 魔眼が輝き、再び一瞬が圧縮され——背後に気配。

 グレイは“歪曲の概念”により空間にを発生させ、エトは構わずエストックを逆手に持ち、拳を引き絞る。


 確信があった。

 この身は未だ、だと。

 グレイギゼリアもまた竜であると。無銘の怒りが叫んでいた。


「アルスの人生も、死も! 全部残らず俺が背負う!!」


 拳が断層を突破し——グレイが笑う。


「グレイギゼリア! テメェには——一片たりとも渡さねえ!!」


 振り抜かれたエトの拳がグレイの顔面にめり込み、頭部を粉砕しながら遥か下方の地面に叩きつけた。


 この瞬間、竜殺しは成る。


 無銘の炎が今一度燃え盛り、物語を再現するように、しかしその先を語るように。

 エトラヴァルトの意識は拳の感触を最後に闇に沈んだ。





「…………死んだ、のか?」


 意識を失ったエトラヴァルトを回収したヴァジラとイノリは、首から上を殴り飛ばされ地面にめり込んだグレイギゼリアを遠巻きに観察する。


 いつの間にか——エトが決着をつけたことで安心したのか意識を失っていたラルフとストラ含む重傷者七名は唯一五体満足無傷のピルリルがひいこら言いながら一箇所にまとめられ、最低限の治療を受けている。


 オマケのように端っこで震え上がっていた悪化を片手間に処理したヴァジラは無言のイノリに半眼を向ける。


「お前も、地上に戻ったらちゃんとした癒し手の治療受けろよ」


 唯一外傷的には大したことのない、しかしともすればこの中で1番深刻な傷を負ったとも考えられるイノリは、ヴァジラの言葉に虚空ポケットから財布を取り出して逆さまにしてみせた。


「金の心配すんな、アホかテメェは」


「!?」


「今回はイレギュラー中のイレギュラー。大事な重要参考人が話せねえんじゃ不便だろ。ギルド持ちで金級専属レベルの治癒師が呼ばれるから安心して治療受けろ」


 それを聞いて安心したのか、イノリはこくりと頷いた。


「それでいい。……にしても、コイツの生命力はどうなってんだ? タフじゃ説明つかねえだろマジで」


 現在最も搬送困難と思われるエトラヴァルトを見下ろし、ヴァジラは「なんでこれで生きてんだ」と呆れたように呟いた。


「あのいけ好かねえ野郎との関係、後で洗いざらい吐いて——」


『——僕らは、世界にただ一人の同族だよ』


「「!?」」


 聞こえた軽薄な声に、ヴァジラとイノリは揃って死体のある方向を見た。

 頭部がないにも関わらず、グレイ死体は平然と立ち上がった。


『竜殺しの概念……まさか最初から、を標的にしていたとはね。予想外の出費だ』


 頭が生えていた。

 紅蓮のような霧化による攻撃の無効化・再生ではなく。

 弾け飛んだ首の断面から、新たな細胞がボコボコと膨れ上がるように増殖し元のグレイギゼリアの頭部を再生成した。


「“再演の概念”でのもできないほどの破壊……未発達と言えど、流石は《英雄叙事オラトリオ》だ。それとも、“聖杯”から剥がしたばかりで僕が馴染んでないだけかな?」


「頭が飛んで、なんで生きてやがる」


 驚愕するヴァジラの問いに、グレイは特段勿体ぶる訳でもなく生存の絡繰を話した。


「魂が無事ならそう不可能な話ではないさ」


「……それができたら、苦労しねえだろうが」


「皆、自分の形に囚われすぎなのさ。……それにしても、まさかあったとはね」


 グレイの闇色の瞳がイノリの左眼を視界の中心に置いた。


かな? 君もまた、“無限の欠片”の持ち主だったわけだ」


「……?」


 グレイの言葉の意味するものがわからず、イノリはただただ困惑した。

 警戒を解かない二人に、グレイは「困ったなあ」と思ってもないことを口にした。


「因子の対価に欠片を回収しようかとも思ったけど……辞めておこう。過保護な番犬に睨まれているからね」


 徹頭徹尾、イノリたちを見ていない。

 好き勝手に喋り倒したグレイは、満足したように笑う。


「それじゃあね、“無限の欠片”と《英雄叙事オラトリオ》。また、悲劇の舞台で会おう」


 無数のページが舞ってグレイの姿を隠す。

 散り散りになってページが消えた後には、グレイの姿は綺麗さっぱり消えて無くなっていた。


「クソが……」


 ヴァジラは、思い出した肉体の疲労に耐えかねたようにその場に尻餅をつき盛大に悪態をついた。


「全然、勝った気しねえじゃねえか」




◆◆◆




 銀級下位の冒険者十七名の死亡。

 『大輪祭』は中止の運びとなり、以後しばらく、祭りの開催は見送られることとなる。


 遺体の回収は不可能。

 『花冠世界』第二支部のみで慎ましく行われた葬儀は、棺桶の中に遺品の一つすらない空虚なものだった。




 この日、グレイギゼリア・ベルフェット・エンドの名は冒険者ギルドを経由し、全世界へと広まる。


 同時に明らかになる異能——《終末挽歌ラメント》。

 人間が竜を召喚した、という点は緘口令が敷かれたが、“人類の敵対者”の存在はすぐに多くの人々が知ることとなった。


 多くの世界を震撼させた事件から1週間後、エトラヴァルトが目を覚ました。

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