《英雄叙事》

 冒涜的な神殿を背景に、一体の悪魔と二人の冒険者が死闘を演じる。


 危険度6の異界主・グレーターデーモンに相対するは銀五級冒険者・イノリと、銅一級冒険者・エトラヴァルト。


 白銀の闘気を纏ったエトラヴァルトのエストックと闇纏うグレーターデーモンの拳が幾度となく衝突を繰り返す。

 膂力で圧倒するグレーターデーモンだが、悪魔が想像するより遥かにエトの剣が“堅い”。


 細長く、針のような形状をした、言ってしまえば不恰好で不合理な剣。しかし、剣は堅く、悪魔のあらゆる攻撃を受けてなお罅一つ入らない。


『ま剣カ?』


「ただの硬え剣だよ!」


 拙い言葉によるグレーターデーモンの問いかけ、揺さぶりに対して、エトは好戦的な笑みを浮かべて雑な返答をした。

 瘴気を焼き切る白銀の闘気を伴い、変幻自在、あらゆる角度から悪魔を攻め立てる。


「俺の親友のまじない付きだけどな!!」


 折れない剣。

 それは、グレーターデーモンにとっては攻撃性能以上に防御として厄介極まりないものだった。

 エトの斬撃は、今までの羽のような銃弾や砲弾、剣戟に比べれば幾分か重い。だが、悪魔の頑強な肉体に傷を付けるには至らない。


 しかし、不壊の剣はエトの巧みな剣捌きと合わさって中々の守りを演出する。

 エトを中心とした球状の守り、剣の切先が描く不可侵の領域。


 その中から、黒晶の瞳が鋭い眼光を覗かせる。

 グレーターデーモンがエトの剣を剛翼で弾いた瞬間に生まれる死角。それを逃さず、イノリが悪魔の背後に躍り出た。


『roor!!』


 気配だけで存在を気取り、悪魔が背後を振り向く。

 その目に、右手を砲塔のように突き出すイノリが映った。


「炎よ!!」


 超短縮詠唱により、一才の指向性を持たない炎がイノリの手を中心に吹き荒れた。


『こ、ザカシイ…!』


 目潰しを受けた悪魔は闇雲に四腕と翼を振り回し、円環の防御がそれを阻む。


「セヤァアアアアアア!!」


 生まれた攻撃の空白に身体を捩じ込んだイノリが、裂帛の気合いと共にグレーターデーモンの右肩口から左脇腹まで、二本の短刀で一直線に袈裟斬りを叩き込んだ。


 二本、薄皮をなぞった跡がついた。


「堅すぎんだろコイツ!」


「エトくん! もう一度!」


「わかってらぁ! ぶった斬れるまで何度でもやるぞ!!」


 圧倒的な格差は健在。

 膂力・体力共に大敗を喫し、そもそも前提として存在の“格”が足りない。エトとイノリの二人は、そのステージに昇るには“器”があまりにも小さすぎた。


 しかし、それは二人が諦める理由にはならない。互いの信念のため、理想のため、目的のため、二人を構成する全てが『戦え』と叫んでいた。


「イノリ! テンポ上げてくぞ!」


「どんとこい!!」


 加速する二人の猛攻。それは、二人の全開戦闘の刻限が近づいていることの裏返しでもある。


 度重なる連撃と防御にエトの四肢は既に悲鳴を上げ、危機的状況を切り抜けるために『時間魔法』を多重使用したイノリの魔力は底をつきかけている。


 しかし、それでもなお渡り合えるのは、二人の連携の完成度があるゆえに。

 パーティー結成から一週間程度しか経っていないにも関わらず洗練された連携は、唯一その一点のみ、グレーターデーモンを上回っていた。



 勇敢に戦う二人の冒険者。

 運がいいだけの一度きりの花火だと思っていた、無意識に下に見ようとしていた二人の命をかけた戦いを目にした冒険者たちは、自然、ボロボロの身体を引きずって立ち上がっていた。


「頑張れ……」


 その口は、半ば勝手にエールを送っていた。


「頑張れ、新星ルーキー!」

「負けんじゃねえ!!」

「気張れ!」

「頑張れ、頑張れ!」

「頼んだぞー!!」


 凍結した湖から侵攻していた魔物たちは、いつしか対岸の、世界外周部に布陣した者たちによって大半が討ち取られていた。

 グレーターデーモンの光の一掃による自軍殲滅フレンドリーファイアで、魔物は大きく数を減らしていた。また、最下層でのグルートたちの封殺に戦力が割かれている現状。


 島に異界主が降臨したことも相まって、レッサーデーモンやルンペルシュティルツヒェン率いる魔物の大軍は『湖畔世界』の外周の制圧……否、足止めに出ていた。

 そして、外周部の兵器は未だ健在であり


 結果、手空きになった冒険者や自警団、ギルド職員たちの声援が、たった二人の新星ルーキーの背中を押した。




 しかし、戦いの天秤は悪魔のひと鳴きで残酷にも傾く——悪魔の方へと。


『オ/オ/オ/オ/オ/オ/オ/!!』


 骨の芯を震わせる咆哮が至近距離で放たれた。


「ぐっ……!」


「うぅ——!?」


 剣で相殺できない音波がエトとイノリの耳を強襲する。

 もろに咆哮を受けたイノリは耳を塞ぎよろけ、破けた鼓膜から血を流しながらも耐えたエトは、四肢の痺れと咆哮による強制的な筋肉の緊張にほんの僅か始動が遅れた。


『オ/オ/——!!』


 気迫と闇を伴った四腕の拳の連打がエトへ容赦なく降り注ぐ。

 一手、迎撃が遅れる。

 ほんの一瞬、されど致命的に遅れをとったエトの防御に綻びが生じた。


 悪魔の拳が円環の防御をすり抜け、エトの胸部を撃砕する。


「ガッ——!?」


 口から大量の血を吐き出したエトの肉体が拳の威力からふわりと宙に浮き、完全な無防備を晒す。


『さらバ、だ』


 山羊の瞳を喜悦に歪めたグレーターデーモンの豪脚がエトの身体を捉え、「ゴキャ」、と致命的な音が戦場に鳴り響いた。


「エトくん!?」


 ゴムに弾かれたピンボールのように吹き飛ばされたエトを捉えたイノリの目があらん限りに見開かれた。


「——『単一多重加速オーバークロック』!」


 直後、少女の体の周囲に大量の歯車が出現し、煙を上げて高速で回転した。

 同時に少女の肉体が世界を置き去りに時計の針を進め、不可解極まる超加速を断行。ボールのように吹っ飛ばされたエトに追いつき、彼と瓦礫の間に身を納めクッション代わりになった。


 世界が追いついた。


 激しい破砕音を撒き散らし、二人の身体がド派手に瓦礫に突っ込み、ガラガラと音を立てて崩れる瓦礫に二人の肉体は瞬く間に呑まれた。


 ほんの一瞬で崩れた均衡に、声援を上げていた冒険者たちの声が途切れる。


 訪れた静寂に、グレーターデーモンは勝利を確信した。

 もう間も無く、世界の侵蝕は七割に達する。

 予想外の足止め、抵抗を受けたが、最下層の脅威になり得る者たちはギリギリ間に合わない。


 『湖畔世界』は、大氾濫スタンピードに飲み込まれる運命さだめと相なった。




◆◆◆




「カフッ……ゲホッゴホッ!」


 体の上の瓦礫を、イノリはなんとか外へと這い出した。


「コヒュッ……オエッ」


 肋骨を何本かやられたか。

 肺の中に溜まった血が呼吸を妨げていた。


「えと、くん……」


 パーティーメンバーの身体を引っ張り出し、砕けた胸当てを剥ぎ取り胸に直接耳を当てる。弱々しかったが、心臓の音はまだちゃんと鳴り響いていた。


「良かった……エホッエホッ! オエッ……!」


 血を吐き出し、イノリは異界主を睨みつける。


 勝利を確信したグレーターデーモンは悪趣味な神殿の前で祈るように四腕を暗闇の空に掲げていた。


「…………やるしか、ないか」


 正攻法では最早勝ち目はない。

 イノリは大きく深呼吸をして、そっと、左眼だけを閉じた。


「閻け、時間クロノ——」


 そうして、目を開けようとして。


「……ま、て」


 死にかけの、息も絶え絶えな男の手によって目を塞がれた。


「それ……不味いやつ、だろ」


 目を覚ましたエトラヴァルトは、全身から血を流しながら儚く笑っていた。


「エトくん!? 起きちゃダメだよ!」


 自分の目を塞いだ手を優しく払いのけ、イノリはボロボロの青年の全身を見た。


「その身体じゃ、いくらなんでも戦えないよ!」


「……そりゃ、お前もそうだろ」


 苦笑したエトは、いつもと同じ黒晶のイノリの両眼を見て安堵したように肩を落とした。


「良かった、間に合ったらしい。……よっと」


「ちょっ——!?」


 立ち上がったエトは、気絶してもなお、握り締め離さなかったエストックを背負う。

 戦意は、未だ衰えず。

 戦う気満々です、と背中は雄弁に語っていた。


「ダメだよエトくん! 本当に死んじゃうって! アイツは私が——」


「——俺の親友は、一つだけ。たった一つだけ、この剣にまじないをかけた」


「……へ?」


 脈絡のないエトの昔話に、イノリは思わず惚けた。


「『俺の心が折れない限り、この剣は決して砕けない』って。イノリの短刀みたいな力も、世にありふれてる魔剣みたいな華々しい能力もない。……だけど、ただ一点、壊れない。俺が俺である限り、この剣は折れねえし……この剣が折れてねえのは、俺がまだ戦える証だ」


「でも、それでも……!」


 内臓はズタボロ。骨はあちこち折れている。鼓膜は片方破れ、脳も揺れている。筋肉だって限界だ。

 そんな状態で、万全だった時ですら歯が立たなかった相手に勝てるわけがない。

 そう目で訴えるイノリに、エトは。


「俺の——」


 本当に。ほんっとうに。


「俺の、切り札を見せてやる」


 心底嫌そうに宣言した。




◆◆◆




「……あー、使いたくねえなあ」


 一歩一歩、自然体で歩き出す。

 俺がまだ生きていて、それで尚且つ戦意があることに驚いたのか。

 グレーターデーモンは山羊の瞳で驚愕を表した。


「マジで、もう二度と使いたくなかったのになあ……」


 しかし、俺が死に体であることを悟ったためか。奴は自ら手を下さず、配下らしいレッサーデーモンたちを俺に差し向けた。


「でも……ああ。俺は……そうだな。俺が俺である限り」


 耳障りな鳴き声、こちらを侮る悪魔たちは俺を囲うように広がり、前方の視界を覆い尽くした。


「——俺は、リステルの英雄だからな」





◆◆◆




 迫るレッサーデーモンの包囲を前に、青年は笑う。


「——物語を語る」


 刹那、エトラヴァルトを中心に膨大な力の奔流が顕現する。白銀の闘気……否、命の輝きそのものが燦然と煌めき、光を奪われた宵闇の戦場を眩く照らした。


『ギャギ————!!?』


 圧倒的な光の熱量に、レッサーデーモンたちはエトラヴァルトに近づくことすらできずにその身を塵に還し、カラコロと魔石だけを残した。

 更新された戦場の危険度に、グレーターデーモンは礼拝を止め輝きの主を、エトラヴァルトを睨んだ。


『roro……!?』


「この手は表紙を撫で、この指はページめくる」


 その口は、魔法詠唱とはまるで異なる、しかし確かな意味を持つ祝詞を紡ぐ。


 ——アレは、不味い。

 グレーターデーモンは自身の直感が叫ぶ危険に従い、右腕を掲げ光の収束を目論む。しかし、


「やらせないよ……!」


 エトの横に並ぶイノリが『極夜』を構え、一撃必殺の光を牽制した。


 祝詞は、刻一刻と完成へ向かう。


「——数多紡がれし物語たちよ。刻まれ、風化し、忘れ去られた欠片たちよ。伝え聞く無限に広がる旅路よ。今一度ここに再演を」




 この星は、無数の必然によって成り立っている。

 小石の転がり、枝葉の落下、水面の揺らぎ——やがて至る大火のうねり。どれをとっても、全ては必然の積み重ねと繋がりによって発生する。


 しかし、ごく稀に。

 あらゆる必然で語り尽くせぬ“奇跡”が生まれる。


 定められた必着の結末。袋小路の終焉を越えるただ一点。

 整然と並ぶ分子の中で、鮮烈に輝く奇異。

 人々はこれを、“物語”と呼ぶ。




「——今ここに、語り部が告げる!」


 エトラヴァルトの右足が大地を力強く踏み締め、一際強く沸き立ち拡散した命の奔流が悪魔の放つ瘴気を浄化する。

 純粋な輝きが、退


 青年の右手が強く胸を握り、眦を決し、声高に宣誓する。


「悲劇を断ち切る奇跡の再演を! 星のうねりに埋もれた軌跡をここに! 終わりし物語のページを開く!!」


 吹き荒れる文字列、その一切はエトラヴァルトの意思の下に統御され宙空に円環を描き、無限の広がりを見せる。

 他を寄せ付けない言の葉の聖域に、本能が警鐘を鳴らしたグレーターデーモンが一歩退いた。


 語り部エトラヴァルトは、碑文の名を呼んだ。



「来いっ! ——————《英雄叙事オラトリオ》ッ!!」



 胸を引きちぎるように振り払われた右手が、浮かび上がった一冊の“本”を開いた。



「なんだあれは!?」


 誰かが驚愕のまま呟いた。


「魔法!? いや、あれは……」


「本の、ページ……?」



 舞い散るは大樹の葉のように。

 エトラヴァルトの胸から出現した一冊の本の表紙が開かれ、内側から無数のページが空へと散りばめられた。


 空間を覆い尽くすほどの無数の紙。

 それは、淡いインクの染みた、風化し黄ばんだ無数のページたち。


「凄い……綺麗」


 イノリは、世界の中心で渦巻くページ輪舞曲ロンドに胸を弾ませた。


 踊り狂うページの中の一枚が、導かれるようにエトラヴァルトの右手に降りる。


「100%だ。俺に力を貸せ! 《英雄叙事オラトリオ》!」


 握ったページが一段と強く輝き、群衆の目を焼き空間を光で満たす——!!


 ——勿論、君のためならいくらでも。


 眩い輝きの中、エトラヴァルトにだけ聞こえる声がそう言って笑った。




◆◆◆




 無数のページがエトラヴァルトを包み込む。光が収束し、ページは青年の身体へ入り込み、変革を引き起こす。



 光が収まる。

 僅かに明るくなった世界の中心に、それは立っていた。


 意味がわからなくて、イノリは気の抜けた声を漏らした。


「……………へぁ?」


 目の前に立つ見覚えのない

 つい先ほどまでエトラヴァルトが立っていた場所にいる、絶死の戦場にはあまりにも似つかわしくない可憐で白い、透き通った女の子にあらゆる目線が釘付けになった。


 フリルをあしらった純白のゴシックドレスに、ドレスのデザインに合わせた花の意匠を彫った胸当てと肘当て。

 風に揺れるのは、レースのリボンで結ばれた輝白のツインテール。

 溌剌とした金色の瞳がぱっちりと世界を捉え、桜色の唇が可愛らしく微笑みを湛えた。



「な、なんで……エトくんの、剣を」


 その少女は、エトラヴァルトが『親友から受け取った』と肌身離さず持つ愛剣を背にしていた。

 同じパーティーのイノリにすら頑なに預けようとしないそれを、エトが誰かに預けるなんて考えられなくて。


 だから、イノリの理論は凄まじく飛躍した。

 荒唐無稽。しかし、かの青年の性格や在り方から、それくらいしか考え付かなかった。



「も、……もし、かして。え、エトくん!?」



 イノリの仰天推理を受けた少女は、瞬間、心底嫌そうな——それすら可愛い——顔をした。


「ああ。その通りだよ」


『はぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!?!!?!?』


 可愛らしい声の肯定に、『湖畔世界』に激震が走った。


「あークソ。使っちまったもんは仕方ねえけど……スースーすんだよなあこの服!! なんでこんなにヒラヒラしてんだよ! あとせめて下着は普段のやつにしてくれよマジでえ!!」


 天使のような少女の見た目、声音で確かに「エトラヴァルト」な性格と口調を滲ませる目の前の存在に、イノリは体の痛みが全て吹っ飛ぶほどの衝撃を受けていた。


「なっ、なんで女の子に!? こ、声まで可愛くなって……! えっ!? ええっ!!?」


「あー、後でちゃんと説明するよ」


 驚きで目を回すイノリを前にしてこの場での説明を放棄したエトラヴァルトは、次の瞬間眦を決す。


 ——刹那、戦場が静まり返った。


 奇しくも、グレーターデーモンが煙の中から現れた時と同じように。

 可憐な少女が放つ“圧”は、理不尽に相対するに足る……つまり、同等の存在であることを明確に示していた。


「あんまこの身体でいたくねえし、時間制限もあるからな……最速で片付けさせてもらうぞ」


 コキリ、と首を鳴らした少女は、腰を落とし疾走の態勢を取った。


「エトラヴァルト、改め——〈白鋼の乙女〉シャロン!」


 踏み切り、掻き消える!!


『——ro!?』


 グレーターデーモンの視覚を振り切る超加速。風を引きちぎったエトラヴァルト……否、シャロンが悪魔の懐に潜り込む!


「——参る!!」


 全力の掌底がグレーターデーモンの胸部を深々と抉りその巨体を吹き飛ばし、背後の神殿を木っ端微塵にぶち壊した。

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