狂宴の晩餐会

 ——異界・『偽証の魔神殿』中層部。


 渦潮、或いは津波の如く押し寄せる危険度4の大群と、それを統率する悪辣な悪鬼。


 倒しても倒しても四方八方から響く耳障りで神経を逆撫でする嗤い声に、ギルバートは感情を抑えることなく、怒りのまま全方位に雷を奔らせた。


「クソッ! 一体何匹いるんだ!?」


 異変解決のための探索部隊はエトとイノリが地上に帰還したことを確認し次第、早急に大氾濫スタンピードを止めるために異界主の捜索を開始した。


 ——それが、彼らにとっての地獄の始まりだった。


 大氾濫スタンピード直前の穿孔度スケール5は、物量だけで言えば穿孔度スケール6に匹敵する。

 千を優に超える魔物が一心不乱に地上を目指す行軍は冒険者たちにとって死神の葬列に他ならない。


 戦いにおいて数は正義である。

 単純計算、戦力差は見える範囲で三十倍以上。

 加えて、消耗のみを強いられる冒険者に対して、魔物の数はほぼ無限と言って差し支えない。


 現状その“数”をひっくり返し得る戦力を単独で有するのは、銀一級〈双斧の竜巻〉のグルート、〈影踏み〉トルニトス。

 銀二級〈迅雷〉のギルバート、及び彼率いるパーティー【疾風迅雷】のメンバー五人。


 合わせて八人。彼らであれば、危険度4を蹴散らすことが可能である。


「ギルバート! なんでこんなちまちまやってるの!? このままじゃジリ貧で激ヤバなんですけど!?」


「らしくないぞリーダー! いつもならもっとこう……グワっといってガッとやってズガガガッと終わらせるじゃねえか!」


 それを理解しているギルバートのパーティーメンバーが、普段より消極的な彼の指示と対応に疑問を呈した。

 そんな二人の問いに答えたのは、彼らのリーダーではなくグルートだった。


「すまん! 俺の指示だ!!」


 片斧の一薙が大気を唸らせ危険度4の魔物たちを木っ端微塵に吹き飛ばす。

 その一撃が両手で、更に、連撃。

 エトとイノリがケルピーを一頭倒すのに費やした時間で100に迫る魔物を肉片に変える姿は〈双斧の竜巻〉の異名に違わぬ暴れっぷりである。

 だが、それでも声は止まらない。それが、グルートが力押しを躊躇う唯一最大の理由だった。


あの悪鬼ルンペルシュティルツヒェンがいる以上、異界主を偽証される! 先にアイツらを殺しきらなければ無駄骨になる!」


 響く耳障りな声と、定期的に現れては倒される悪鬼。

 その声は、少しずつ、しかし確実に減りつつある。


 それが奴らの罠なのだと、集った冒険者たちはなんとなく気付いていた。


「確実に隠れている個体がいる! 今、〈陰踏み〉に捜索している! 全部の居場所を掴むまで、頼む! 持ち堪えてくれ!!」


 名指しされた〈陰踏み〉トルニトスは、自らの影を三十二方位へ伸ばし異界中へ探索の手を伸ばしながら親指を立てた。


 人徳に厚い銀一級冒険者からの必死の要請に、彼らは迷わず首を縦に振った。


「任せろグルート! なんとか耐えてやるぁ!」


「でもヤバくなったら暴れるからね!!」


「それでいい! 頼んだぞ!!」


 仲間たちが意志の共有をする中、ギルバートは淡々と、機械の如く魔物を狩り殺す。


 雷光が宙空を走り、魔物を穿ち、焼き切る。

 〈迅雷〉の名に相応しく、細剣レイピアと纏う雷は危険度4の魔物には視認こそ叶えど防ぐ術はない。


 ギルバートは己の甘さを自戒し、その償いをするように戦いに邁進する。


「全く、自分の馬鹿さ加減にはほとほと嫌気がさす!」


 数分前、1匹のスカルフィッシュに差し込んだ自分の魔法が、境界を超えて追跡不可能になったことにギルバートはただ一人気づいていた。


 士気の低下を防ぐために黙っているが、既に30分以上前に大氾濫スタンピードが始まってしまったことを、探索部隊の中で彼だけが知っていた。


「地上は、任せるしかないか……」


 自分のミスを他人に尻拭いさせるのは業腹極まりない話ではあったが、今更、プライド云々を議論に持ち込む気はギルバートにはなかった。


「頼んだぞ、地上の冒険者たち。頼むぞ、イノリ、エトラヴァルト!」


 〈迅雷〉は、雷を纏った細剣で空間を焼き払うように魔物の群れへ斬撃を放った。




◆◆◆




 戦場と化した凍結した湖を一人の騎士が駆ける。

 風のように駆け抜ける男は平然とケルピーと並走し、奇妙に細長い剣を振るう。

 魔法による身体強化も、気闘法による心身の昇華もなく。

 魔物を殺すことで器を高め鍛えた肉体と、磨いてきた体術のみで危険度4の魔物と渡り合う……否、圧倒する。


 グルートのような埒外の膂力も、ギルバートのような剣魔一体の剣技はなく。

 しかし、男はこの瞬間、誰よりも戦場で注目を集めていた。


 銅一級冒険者、エトラヴァルト。


 登録から一週間と少ししか経っていない期待の新星ルーキーの姿を見たある冒険者は、『弱小世界』出身という噂を鼻で笑いたくなった。


 ——嘘をつけ。

 ——こんなのがそんな辺境で生まれるわけねえだろ。




◆◆◆




 大氾濫スタンピード開始から一時間が経ち、転移門の一斉使用——援軍の到着まで残り30分を切った。


 氷上を駆け抜け立ち塞がる遍く魔物をひたすらに斬り伏せ、殴り飛ばし、蹴り潰す。


 堅い守りのフィドークラブ、素早いケルピー、擬態が上手いアイスパペット……総じて50以上、イノリの戦果も合わせて100を斬れば、慣れた。


 背後から雄叫びを上げて一角を振りかぶってきたケルピーを一瞥することなく右に一歩飛ぶ。

 俺の左肩を角が掠めた瞬間、凍りついた湖面を切り裂きながらエストックを振り抜いて半馬半魚の魔物の首を斬り落とす!


「お前たちにはもう慣れた!!」


 背後をピタリと追従するイノリは探知魔法の使用を止め、身体強化魔法に全魔力を傾倒。

 同じく剛腕を振りかぶったフィドークラブの爪の付け根を漆黒の刀身が滑らかに解体し、動揺した本体を透き通る刀身が切り裂いた。


「もう手こずらないよ!」


 そして、オマケのようにくっついてきたラルフもまた、「一ヶ月で銀に到達した」という実力に違わぬ戦果を上げる。

 前方、徒党を組んで正面衝突を目論む六頭のマーマンを見るや否や、氷面を爆砕しラルフが単独で先頭に躍り出た。


「おんどりゃああああっ!」


 大戦斧が唸りを上げ、火炎を纏う。

 破壊の力を存分に貯めた横薙ぎの一撃が解放され、物理と、基礎魔法の中で最も殺傷能力が高いとされる炎属性の威力を相乗した大戦斧の一撃は六頭のマーマンを残らず吹き飛ばした。


「このまま敵陣を崩してクソ悪鬼を全部斬り尽くすぞ!」


「わかった!」

「おうよ!!」


 再び先頭に躍り出たエトの気迫の一言に、二人は間髪入れずに頷いた。



◆◆◆




 砲撃と銃撃と無数の魔法が極彩色に降り注ぐ中、エト、イノリ、ラルフの三人が道を切り開くように敵陣を掻き乱す。


 のために備えられていた対軍兵器の数々は、危険度4以下の魔物を悉く退けた。

 島と『神水の鏡』外縁部に大量に配備されたそれは、錆びることなく真価を発揮し、大氾濫スタンピードの危険度を大きく引き下げていた。


 数千、下手をすれば万に届きかねない軍勢。

 『湖畔世界』クラスの小世界が本来持ち合わせる武力であれば死闘は必至である。


 だが、『湖畔世界』は小世界ながら観光によって多くの世界と“異界に頼らない”交易ラインを確立し、安定した財源を確保。さらにその財源を元に過剰なまでに兵器を購入していた。


 それゆえ、大氾濫スタンピードへの対処が遅れ、周辺世界からの冒険者たちの救援が間に合わなかった今回の事態であっても、首の皮一枚、繋げることに成功していた。



 また、「救援の到着」という一つのリミットが明確に提示されているのも大きかった。


 三時間耐え抜けば、十分な救援が駆けつけてくれる。

 周辺世界からの応援が来れば、大氾濫スタンピードを鎮静化する目処が立ち、同時に個人の生存率が大きく引き上げられる。


 明確な希望が、災害に抗う者たちをギリギリで踏みとどまらせ各々の最善を尽くさせていた。


 しかし、死者は出る。怪我人も当然出る。被害は、どれほど対策を練っても生まれる。

 兵器は死闘を激戦に引き下げる力を有していた。だが、そこから先に進むには、冒険者たちの“強さ”が。


 心と力の強さ、その両方が必要不可欠である。


 その“心”を、三人の新星ルーキーが焚き付けていた。


 口先だけではない。

 不確かな実績だけではない。

 今、この瞬間。津波のように大挙として押し寄せる魔物の軍勢に斬り込み、この世界に集った誰よりも確かな戦果を上げ、雄叫びを上げていた。


「どうした大氾濫スタンピード! こっちはまだ切り札切ってねえぞ!!」


「ちょっ、エトくん!? あんまり煽らないで!」


「コイツ戦いすぎるとハイになるタイプだな!?」


 血肉を被り、爪牙に、剛腕に、角に、氷の破片に体を傷つけられ、刻一刻と蝕まれる体力から焦燥に駆られ、しかし、エトたちは決してその足を止めない。

 その背中で、鼓舞続ける。


「クッソキツイ! 早く有名になって冒険者辞めてえなあ!!」


「あの発言忘れたとは言わせないよ!? エトくんにはちゃんと付き合ってもらうからね!」


「俺の前で! イチャつくんじゃねえ!!(血涙)」


 全ては、己が使命のために。理想と願望と欲望を胸に、それぞれ違う目的、同じ手段で戦場を駆け抜けていた。


 ——そして、刻限が来た。




◆◆◆




 約束の三時間が経った。





 救援は、やってこなかった。




◆◆◆





 七つの世界で奇妙なことが起きた。

 ギルド地下に設置された巨大転移門。

 本来の使用用途では『悠久世界』エヴァーグリーンにある本部と各世界の支部を繋ぐための門。

 そして、緊急時は特定の世界へ救援部隊を送るための直通路となる。


 フォーラル救援のために集った2000人を超える冒険者たちは。


 転移門を潜った瞬間、フォーラルではない、同じく救援部隊を送り込んだ別の世界のギルドに辿り着いていた。


『ここは……!?』

『何が起こった!』

『不具合ではない。まさか!?』


 この日。誰一人として、フォーラルに辿り着けなかった。



◆◆◆



 ——どうなっている!? なぜ救援が来ないに行けない!!


 ——フォーラル全域に空間の非連続性を確認! 世界間の移動ができません!


 ——転移門に干渉あり! 何者かによって行き先がシャッフルされています!!


 ——原因解明を急げ! なんとしても救援を届けるんだ!




◆◆◆





 その違和感は、すぐに訪れた。


「なあ。救援、遅くないか?」


 一人の狼人冒険者の呟きに、近くで戦っていた冒険者たちが一瞬、硬直した。


「いや、まだ三時間経ってないだけだろ」

「あ、ああ。しんどいからな。時間が長く感じるんだろうさ」

「もう少ししたら来るだろ、あと一息だ!」


 誰もが、声に不安を滲ませていた。

 声を揃えて否定することは、彼らにはできなかった。

 冒険者は、異界という常識が常に覆る世界で生き延びるために、多くが正確な体内時計を有するようになる。


 食べる、休む、引き返す……生き残るために必要な判断をするために、外部の干渉を受けない正確な体内時計は必須である。


 だから、どんなに辛く苦しい戦いでも、彼らが時間を間違うということは滅多にない。


「……来ない」


 一人が呟いた。


『————』


 嫌に、戦場が静かになった。


「俺たち、見捨てられたのか……?」


 終わる気配のない攻勢。

 音沙汰のないグルート率いる探索部隊。

 待てど来ない救援。


 綻び、ひび割れる音がした。


『——キキキキキキキキキキキッ!!』


 それを、悪鬼は見逃さなかった。




◆◆◆




「…………最悪だ」


 異界・『偽証の魔神殿』、


 空っぽの玉座へ、グルートは怒りのままに斧を振り下ろした。


「こんな、初歩的なミスを……!!」


 ギルバートも同様に、悔しさと怒りから拳を豪奢な柱に叩きつけた。


「俺たちは、まんまと誘い込まれたのか!」


 苦悶する亡者たちの肖像を彫り込んだ柱の立ち並ぶ神殿の玉座に、本来座するはずの魔物は存在しなかった。


 代わりにいるのは、ケタケタと彼らを騙し通して嗤い続けるルンペルシュティルツヒェンただ一体。


 そして、彼らベテラン冒険者を封殺するように押し寄せる魔物の大軍勢。


 嵌められたことを悟り、異界主の正体と目的を知ったグルートは、叫ばずにはいられなかった。


「徘徊型の異界主! 最初から、俺たちの後ろにいたのか!!」




◆◆◆




 ——ああ、時は何処。

 ——嗚呼、我らが神は何処。

 ——名は何処に。

 ——我、残響なり。

 ——名を奪われし怨嗟なり。

 ——今宵、我らは世界を喰らい返す。

 ——嗚呼、歓喜の時は今ここに。




◆◆◆




 ——————ズシ。


 突如、世界が薄暗闇に染まる。

 神水の鏡中央の島の、更に中央。

 世界と異界を繋ぐ唯一の門を中心に、宵闇が鎌首をもたげた、


 夕暮れに部屋の明かりを消した時のように、スウ——と光が遠ざかった。


「なんだ……?」


 その奇妙な現象に、冒険者や自警団、残っていたギルド職員が動きを止めた。


 直後、轟と大気を引き裂き、地中から屹立した光が門を飲み込み、曇天の空に風穴を開けた。


『うぎゃああああああああああああああ!!?』


 光の柱の近辺にいた者たちは、吹き荒れる暴風に紙クズのように吹き飛ばされた。


 地鳴りと倒壊音が鳴り響く。

 土煙が一帯を覆う中、ゴシャ、と瓦礫を踏み締める重厚な足音が鳴り響いた。

 バラバラと崩れ落ちる兵器や建物の破片によって舞い上がった煙の中に、ゆらり、一つのシルエットが生まれる。


 筋肉の隆起した、5Mを超える巨大な体。一対の翼。ねじれ曲がった異形の角。

 深い藍色の体毛が深海を思わせ、見る者、近づく者を容赦なく深きへ引き摺り込むような恐怖心を否応なく掻き立てさせる。


 左右二本ずつ生え揃った腕は異端そのものであり、右の二腕が宿す淡い光の力は埒外だった。


「え、あれ…………」


『——rororo』


 現れたは、ゆっくりと右の二腕を持ち上げ、解放した。


「h—a——」



 ——風穴が空く。


 駆け抜けた閃光は土煙の中で目を凝らしていた冒険者の膝から上を消し飛ばし、大砲と、砲弾を再装填していた二人の男の前半身を蒸発させ、魔物すらも喰らいながら氷の湖を抉り取り、対岸に察知されていた兵器に直撃——大炎上させ、ようやく止まった。


 煙が晴れる。


 その瞬間。

 冒険者が、自警団が、職員が、魔物が、微生物すら。1匹たりとも例外なく、命あるものは動きを止めた。


 煙の向こうから、一頭の悪魔が姿を現す。


 濃密な闇を引き連れ、現世を侵蝕し、山羊のような瞳が喜悦に円弧を描く、


『rororororo——』


 喉を鳴らし笑った悪魔が左腕を二つ持ち上げると、再び、——————ズシ。と世界から光が遠ざかった。


 悪魔の手には、凝縮された光。


「——全員っ! 伏せろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」


 それが誰の警告かなんてわからなかった。

 だが、誰もがその瞬間、警告に従って全力で地に伏せた。


 風穴の空いた雲の隙間から覗く日食を背に、悪魔は理不尽を解き放った。


 水平に薙ぎ払われた閃光が、魔物と、避け遅れた者と、兵器の全てをこの世界から蒸発させた。


 鋼鉄すら一瞬で蒸発させる埒外の閃光。

 世界の上半分を焼き払った圧倒的な破壊を前に、必死の抵抗を見せていた者たちは自分の心が折れる音を聞いた。


「な、なんだよ……なんなんだよ、アレはぁ……!!」


 恐れで体が震える。

 声は恐怖を刻み、視界が「もう見たくない」と歪む。


 宵闇を齎す者。

 それは瘴気と影を従え、世界から光を奪い、破壊を巻き起こす者。


 ——6・グレーターデーモン。


 名を奪われし悪魔が、世界に再誕を告げた。

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