くだらないことで一致団結

 異界の成長。

 それは、世界の成長に合わせて発生する事象である。


 黎明期。

 今よりずっと多くの世界がひしめき合っていた渾沌の時代。世界は統合を繰り返し、それに合わせて多くの異界が成長した。


 世界の統合が落ち着きつつある今日こんにちでは珍しくなった事象は、しかし、異界が有する一つの純然たる生命活動である。


 それが今、異界に足を踏み入れた冒険者に、『湖畔世界』フォーラルに牙を剥いた。




◆◆◆




穿孔度スケール5!?』


 グルートの発した単語に、エトを含めた多くの冒険者が仰天した。


 穿孔度スケール5とは、銀三級冒険者になって初めて異界規模である。

 分類としては穿孔度スケール4と同じ中規模異界だが、出現する魔物と総量が桁違いに多い。


 銀三級への昇格条件は「穿孔度スケール4の踏破」、および「危険度5以上の魔物の複数回に渡る安定討伐」と厳しい条件に設定されている。

 これは、「異界探索の技量」と「対魔物における力量」、そのどちらか一つでも不足していれば穿孔度スケール5の異界の探索が不可能とされているためである。


 そして、今回の探索部隊はグルートともう一人の銀一級、ギルバートを含む九名の銀二級、残りは銀三級21人で構成されている。(銀五級と銅一級のオマケ付き)


 十分な安全を確保できていたはずの探索部隊は、跳ね上がった死の境界線デッドラインに俄かに呼吸を浅くした。


 先頭を率いるグルートと側面を守る銀二級冒険者たちが魔物と衝突するや否や、ギルバート苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を浮かべた。


「——エトラヴァルト! イノリ! お前たちは今すぐ地上に戻れ!!」


 守り切れる保証が無い。

 この瞬間、ギルバートは己が異界を甘く見ていたことに気づいて舌打ちした。


穿孔度スケール5を相手に、俺ではお前たちを守りきれない!」


 ——『活きのいい新人がいるらしい』


 そう聞いて、ギルバートは今回の要請に応じた。「この目で見て確かめてみよう」なんて、


 一体いつから、自分が査定する側に回っているなんて傲慢を宿した。

 ギルバートは己の浅ましさを強く恥じた。

 自らの絶対的価値観である「実力主義」に照らし合わせれば、自分は程度の存在だというのに。


 たかが穿孔度スケール4だと、とうに越えた場所だと油断した。「自分であれば守り、経験を積ませることもできる」など、思い上がりも甚だしい。


「だが——!」


 退却を躊躇うエトに対して、ギルバートは敢えて強い言葉を投げつける。


穿孔度スケール5は足手纏いを連れて歩けるような場所では無い! お前たちは戻り、即座に救援を呼べ!!」


「新人共! ギルバートに従え!!」


 一対の手斧で迫るケルピーを圧砕したグルートの言葉に背中を叩かれ、エトとイノリは退却を開始した。


「——っ!? 今のは」


 しかし、直後。

 エトが足を止めて振り返る。まごつく退却に業を煮やした一人の冒険者が怒鳴りつけた。


「何やってんだ早くしやがれ! 死にてえのかテメェ!?」


 怒号を無視し、エトは全周に視線を飛ばし——かち合った。


「ギルバート! 居たぞ!!」


 説明不足にも程がある叫びだったが、ギルバートはエトの言わんとすることを即座に理解した。


「何処だ!?」


「6時の方向、ギガフロッグの背中!!」


「委細承知した!——『雷鳴よ、ほとばしれ!』」


 短縮詠唱にて、前方の空間を薙ぎ払うギルバートの高位雷魔法が発現した。

 イノリの炎の槍の数十倍の火力を誇るギルバートの魔法。

 魔物の濁流に劣らない雷光の疾走は魔物の肉を食い破り、骨を焼き、或いは魔石を破壊し射線上の魔物を一掃した。


 その中、炭になって消えたギガフロッグの背から擬態の維持が出来なくなった1匹の悪鬼が怯えるように逃げ出した。


『あれは……!?』


 多くの冒険者に見覚えのない、弱々しい姿。醜悪な小人の姿をした魔物。

 グルートとには、覚えがあった。


「「ルンペルシュテルツヒェンか!」」


 二人の声には、同様の驚愕と恐れが混ざっていた。


 予想外にエトが名を呼んだことに驚いたグルートは、一瞬最前線を退いた。


「わかるのか!? なら地上に伝えろ!!」


「わかった! すぐに応援を呼ぶ!!」


 たった一言。

 魔物の名前を言い当てただけでエトとグルートは一瞬で、なんの言葉も交わさずに作戦を共有した。


「イノリ、行くぞ!!」


「え、あ、うん!!」


 間も無く、二人の新人の姿が異界から消える。

 グルートは、自身に向けられた説明を求める視線と声に答えた。


「ルンペルシュテルツヒェン……5の悪魔系統の魔物だ」


「アレがか!?」


 たった今、目の前で弓を射かけられ無惨に塵と消えた悪鬼の耐久力、速度はせいぜい危険度1程度のものであり、グルートが過剰に反応するような存在ではないように映った。

 その間違いを、グルートは怒鳴りつけるように訂正した。


「その意識がすでに奴の術中だ! あの悪鬼の能力は詐称と偽証! 能力の全てを騙すという一点に集約した魔物だ!!」


 乱れる前線。

 穿孔度スケール5の異界を相手に取れるほどの連携を、銀三級冒険者同士は即座に組むことができない。

 グルートやギルバートといったある程度実績と実力のある者たちが方々ほうぼうをカバーし、やっと均衡が成立する綱渡りの状態だった。


「アレは“嚮導者”の性質を持つ! 大氾濫スタンピードさせるんだ!!」


『なっ——!?』


 グルートから齎された最悪の情報に、冒険者一堂は今日何度目とも知れぬ驚愕に目を見開いた。



◆◆◆



 ——大氾濫スタンピード

 異界が持つ特性の一つであり、あらゆる世界が最大限に警戒する異界がもたらす災害である。

 その内容は、という悍ましいもの。

 異界の魔力供給が異界の外にも届くようになり、魔物が地上に進出してくるのだ。


 異界から無限の魔力を供給される魔物たちは、人を、家畜を、虫を、草木を、あらゆるものを根絶やしにせんと現世への侵攻を開始する。

 そしてこの侵攻は、止めねばやがて世界を呑み込む。


 止める方法はただ一つ。“異界主”を討伐し、地上に進出した魔物を掃討する以外に存在しない。



 大氾濫スタンピードの発生原因は、「魔物の間引き不足」、「異界資源の過剰採掘」、「」など様々あるが、最も危険視されているのが「長期間に渡る異界主の未討伐」である。


 異界主とは、文字通り異界のあるじであり、表出した「異界の心臓」である

 なぜ、自ら弱点を露出するのかという疑問は長年の研究課題となっているが、今は割愛。

 重要なのは、定期的に心臓の活動を止めなければ異界は活性化を続け、魔物の排出速度や外部(世界)への圧力・侵蝕力が際限なく上昇し続けるという点だ。


 そして、ルンペルシュテルツヒェンはこの異界の性質を意図的に悪用する。




 偽証の悪鬼・ルンペルシュテルツヒェン。


 個体の戦闘能力はコボルト以下でありながら、この魔物が「危険度5」に設定されているのは、あまりにも悪辣な、人類を害することに特化した生態をしているためである。


 この悪鬼は、危険度4以下の魔物の姿形を錯覚させる。

 例を挙げれば、スカルフィッシュをマーマンに仕立て上げるのだ。


 そして、この悪鬼の最も悪辣たる所以は『異界主を偽証する』ことにある。

 ただの一介の魔物を異界主に見せかけ、人類に「異界主を討伐させた」と勘違いさせるのである。


 悪鬼は異界の広大さを利用し戦力を蓄積、更に人類の油断を誘い、地上の侵攻を計画する。まさに、異界の悪意の具現化と言って差し支えない存在だ。


 そして、今回。

 鏡の凍神殿……否、偽証の魔神殿で。

 ルンペルシュテルツヒェンは、異界の穿孔度スケールすら偽装し、人類を欺いてみせた。




◆◆◆


「『鏡の凍神殿』の穿孔度スケールが5になっていた!?」


「それに、大氾濫スタンピードの……」


「誘発だって!?」


 地上、冒険者ギルド。

 エトとイノリによって知らされた事実に、職員及び集っていた冒険者たちは「意味がわからない」と頭を抱えた。


 困惑と悲鳴が飛び交うギルド内で、悪鬼の危険を正確に把握しているエトは自分の立場を弁えず大声を上げた。


「猶予はない! グルートさんたちが異界主を討伐するより、魔物が地上に溢れ出る方が早い!! ルンペルシュテルツヒェンが自分から姿を現したのはネタバラシだ! 既に準備が完了している証拠なんだよ!!」


 穿孔度スケール5の大氾濫スタンピード

 過去に確認された事例の中で、対処が遅れた結果滅びた世界は数知れず。


「今すぐに! フォーラル全域と周辺世界に警報を!! ありったけの物資と戦力をかき集めろ!! 一手でも遅れたら世界が滅ぶぞ!!」


 エトの必死の訴えに、多くのギルド職員が慌ただしく駆け始める。しかし、対象的に。多くの冒険者はエトの言葉に懐疑的だった。


「なんで、みんな、動かないの?」


 自分たちを睨みつける攻撃的な視線の数々にイノリが呟きを漏らし、


「……クソ」


 目立ちすぎた、とエトは内心で舌打ちした。


 彼らはエトとイノリを知っている。噂なんていくらでも飛んでくるのだ、知らないはずがない。

 簡単に言えば、彼らはエトとイノリに嫉妬していた。「面白くない」のだ。

 自分たちよりずっと後輩の輩が自分たちを差し置いて有名になり、グルートが指揮する探索部隊に特例で抜擢された。それも、銀二級のギルバートの推薦ときた。


 向上心の有無に関わらず、気に食わなかった。


「——エト! 俺らは何をすりゃいい!?」


 そんな中、群衆をかき分けて前に出たラルフがキザに笑った。


大氾濫スタンピードのヤバさは俺も知ってる! あの店の魚料理食えなくなるのは御免だからよ、俺も手伝うぜ!!」


「ラルフ……!」


 カッコつけた笑いではなく、純粋に。自然と出た笑みで応えたラルフは、背中の大戦斧を握り、その柄頭をギルドの床を砕かんばかりの勢いで叩きつけた。


「お前らもくだらねえ意地張ってる場合じゃねえだろ! 穿孔度スケール5の大氾濫スタンピードだ!! 激ヤバだぞ!」


 ラルフがエト側に加勢したことで、ほんのわずかに耳を貸すものが現れる。しかし、ラルフもまた新人側であり、妬みを買う側だった。


 ——しかし、ラルフにはそれら全てをひっくり返す力があった。


「よく聞けお前ら!! 俺には野望があった! 華々しく銀級デビューを飾り! チヤホヤされながら冒険者としてノンストップでキャリアを駆け上がり可愛い女の子たちにチヤホヤされるという崇高な目的があった!!」


 ラルフの突然の熱弁に、冒険者たちの多くが『——はあ?』と気の抜けた声を漏らし、一部の冒険者が身に覚えがあるのか、かつての自分を見るような痛々しい目でラルフを見た。


「しかしっ! その野望はそこにいるエトラヴァルトとイノリによって無惨にも砕かれた! 狡いだろ! 登録三日で変異個体討伐って! 飛び級昇格も! あと顔の良い男女ペアなのも腹が立つ!! 俺はコイツらが憎い……!!」


 冗談抜きで涙を流し、全身の穴という穴から血を吹き出しそうなほどに怒ったラルフは、「だがなぁ!?」と続けた。


「だが! ここで武功を挙げりゃあエトとイノリの功績が霞む勢いで俺たちの名声鰻登りよ!!」


『——!?』


 その言葉に、多くの冒険者が耳を貸した。

 明確に存在していた見えない壁に亀裂が入る音を聞いたラルフは、トドメと言わんばかりに声を張り上げた。


「この二人に活躍の場を与えずに! 俺たちで大氾濫スタンピードを食い止め! 英雄として凱旋しようじゃないか!!」


『——オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 ギルド支部が崩れるのではないかと不安になる程の大音声が響き、ギルドの内外に集っていた冒険者、延べ380人が雄叫びを上げた。


「うおおおおおっ! 負けてたまるかぁ!!」

「いつまでもでけえ顔させねえぞぉ!」

「俺もなりてえ! モテモテになりてえよ!!」

「やるぞ! 俺は! 俺たちはやってやる!!」


 馬鹿みたいに盛り上がる男冒険者たちの団結具合は凄まじいものだった。


「どいつか指示を寄越せ!! 防壁作るぞ!! 魔法士も戦士も関係ねえ! ありったけ土嚢積んで魔法で固めんぞ!!」


「市民には! 可愛い女の子たちには指一本触れさせねえ! この際だ、男どもも守ってやるぁ!!」


 ちょっと引くくらいやる気になった冒険者たちを眺め、ラルフは「うんうん」と力強く頷いた。

 一連の出来事を見ていたエトは、「性欲ってすげえな」と呆れを通り越して感心し、イノリは「馬鹿ばっかりだ」と半眼を向けた。

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