密かな楽しみ(短編)
藻ノかたり
第1話 公園の老人(1/3)
私は、平凡な毎日を送っていた。決まった時間に起き、決まった道を通り出勤する。接待などで多少の遅れはあるものの、ほぼ同じルートを通り同じ時間に帰宅する。
時々は、この平凡さに多少の疑問を抱く事もあったが、突発的な幸運を望めば、逆に突発的な不幸も招きかねない事を、私は長年のサラリーマン生活で学んできた。しかし、そんな生活の中に気になる事が発生した。葉の先から落ちた一粒の滴が、穏やかな水面に起こしたわずかな波紋のように。
その公園には、いつも同じ老人がいた。何をするでもなくベンチに座り、敷地内をぼんやりと眺めているのだ。
私が老人に気づいたのは、半年くらい前だった。朝夕の通勤時、私は必ずこの公園の中を通るし、休みの日も大抵は散歩のためここを通る。そのたびにこの老人が、同じベンチに座っているのだ。
もちろん四六時中見張っているわけではないので、私が通る時にたまたまそこにいる可能性もある。だが逆に、そう結論づける証拠もない。最初はホームレスかとも考えたが、身なりなどから考えるとどうも違うようだ。
そうした中、興味が決定づけられたのはある台風の日だ。普段は健康のため駅まで歩いていくのだが、余りに風雨が強く、女房に車で駅へと送ってもらった。公園を通る時に何となく見てみると、かの老人がいるではないか。やはり同じベンチに、傘をさしてじっと座っている。
一体こんな日に、何をしているのだ。公園には人っ子一人いないし、そもそもこの雨風の中、外にいること自体、身体的に非常に辛いのはわかりきっている。
私は次の日から意識して老人を見るようになった。朝は普段より早めに家を出て公園へ行く。そして老人からは死角になる位置のベンチに腰掛け、何気ないフリを装って一服するのだ。
また帰りにも、老人に気づかれないよう彼を観察する。夜陰に紛れてというわけではないのだが、昼間よりは大胆に老人を観察できる。もっともそのぶん帰宅時間が遅くなるが、女房には健康のため隣の駅から歩いていると言って納得させた。遅くなるといっても二~三十分の事なので、浮気を疑われる事もない。
しかし何といっても、有意義な観察が出来るのは休みの日だ。休日の公園には多くの人たちが集うので、存在を隠すのにはもってこいとなる。老人にはもちろん、他の者にも怪しまれぬよう場所を変えたり、時には公園を出たりして私は観察を続けた。
三ヶ月もたった頃だろうか。私はある事に気がついた。公園に誰もいない時、老人は微動だにしない。しかし遊具で子供が遊んでいる時には、おかしな動きを見せるのだ。
急に身を乗り出したかと思うと、膝を叩いて再びベンチに座る事もあれば、両手を前に出し、まるで遊具で遊ぶ子供の動きを指示しているようにも見える。だが、大抵はがっかりしたような様子で再びベンチに腰掛け、遊具で遊ぶ子供たちをじっと見つめているのだ。
何人かの母親は老人の行動に気がついた様子だったが、これと言って見咎めたりはしなかった。子供たちに声をかけるでもなく、奇声を発し怖がらせるわけでもない。むしろ、老人に声をかけて面倒になる事を避けているようだった。
私は老人のこの行動を発見して、ますます疑問がわいてきた。子供の行動に対して、何らかの反応を示しているのはわかった。しかし彼は、公園に誰もいない時間帯にも必ずと言っていいほど、ベンチに座っている。
単なる暇つぶしと考えられなくもないが、台風の日に傘一本でベンチに座る理由がわからない。暇つぶしならわざわざ辛い思いをしなくても、他に過ごしやすい適当な場所が幾らでもあるだろうに。
その後も私は変わらず老人の監視を続けていたが、変化は突然おとずれた。いつものように会社帰りに問題のベンチを見ると、そこには誰もいないのだ。雨が降ろうが風が吹こうが、一日も休まずベンチに腰掛けていた老人。それが今は、影も形もない。
私は慌てた。
いや、別に慌てる必要などないのだが、何故か私の心はかき乱された。普段なら老人に見つからぬよう慎重に行動するのだが、この時ばかりは冷静さを失い、思わずベンチの方へかけだし辺りを見回してしまった。
「ワシをお探しかな?」
背後の植え込みから、しわがれた声が響く。振り返ってみると、かの老人が笑顔で立っているではないか。
「え、い、いや。あの……」
私は言葉に詰まった。老人が突然現れたという事もあったし、彼を監視していた事を見透かされたバツの悪さもあった。
「いや、慌てたり困ったりする事はない。お前さんが余りに熱心なのでな。ちょっと話してみたくなったのじゃよ」
老人の言葉に怒りや皮肉のような感触はなく、そこに嘘はないと私は思った。
「あ、ほ、本当に申し訳ありません。別に、悪気があっての事ではないんです。ただ、ほんのちょっとした興味というか、好奇心というか」
私は、必死で抗弁した。
「わかっとるよ。人間この年まで生きると、相手が嘘を言っているかどうかの区別はつくもんじゃ、まぁ座りなさい。ゆっくり話そう」
老人に促されて、私はベンチに座った。続いて彼も、一人分のスペースを空けて隣に腰をおろす。私は思いがけない展開に戸惑いながらも、彼の行動の秘密を聞けるかも知れない状況に興奮を覚えていた。
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