第44話 過去の清算と今の自分と

「んー! 最高ですこのケーキ!」

「ほほ、ご満足頂けたようで何よりです」


裕作たちが秋音宅へ来て三十分が経過しようとしていた。

家に運ばれた沙癒は依然として部屋で眠っており起きてくる気配すら感じられない。

その上、なぜか家の主である秋音が部屋から出てくることがなく、裕作と七海はリビングで待ちぼうけを食らっていたのだった。


「七海様、まだお召し上がりになられますか?」

「はい! これなら一生食べれそうです!」

「ほほ、そうですか。では追加でお持ちしましょう」


キラキラと宝石のように瞳を輝かせ、七海は本日四つ目のケーキを黒川に注文する。


「……な、七海、少しは控えたらどうだ?」

あまりにも遠慮のない食べっぷりに、隣でプロテインを飲んでいる裕作が口を挟んだ。


「む、先輩。僕からスイーツを取り上げる気ですか?」

「いや、そうじゃないが……」

不服そうに頬を膨らませ、威嚇するように鋭い目で睨みつける。


「先輩……もしかして秋先輩と何かありました?」

「いやその……なんでそう思ったんだ?」

二人の会話の途中にも、黒川が空になったカップに熱々の紅茶を注ぎ入れる。


「分かりますよ、ついさっき二階から『でてけー!』って言われてたでしょ?」

「聞こえてたのか」

「そりゃ勿論。多分隣の家にも聞こえちゃうくらいの大音量でしたよ」

ケラケラと笑いながらも、注ぎ終わった紅茶を飲む前に「ありがとうございます」とお礼を言う。

それを聞いた黒川は静かに一礼をしてから、満足げな表情を浮かべながらキッチンの方へ消えていった。


「なんかあったんすか?」

「いやー、その」

「話してみんしゃいな、なんでもきくぞよ」

「なんだその口調は」

「黒川さんの真似です」

「……聞こえるぞ」

「えへ!」

七海はわざとらしくペロッと舌を出し、陽気に返事をする。

このままはぐらかしてもいいが、何も黙っておく必要性もないと裕作は思い、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始める。


……先ほど起きたことを簡単に説明をする。


云々と何度も頷きながら裕作の話を聞き、一部始終を聞き終えると七海は何の遠慮も無しに

「それは先輩が悪いっすね」

と、はっきりと指摘してきた。


「なんでだよ、借りた物を返すってだけじゃないか」

不満そうに言葉を返すと、七海は「だって」と口にしつつ、テーブルの上に用意されたクッキーを一つ手に掴む。


「だってくれるって言うんでしょ? 貰えばいいじゃないですか」

無邪気に、キョトンとした表情のまま七海は反論し、見るからに甘そうなクッキーを口の中へ放り込む。


「その、なんだ。お前ってあんまり遠慮とかしない……よな?」

「? はい。今の僕はそういった事はしないですね」

なんの疑問や懸念を感じない素直な返事をした事に、裕作は少し驚いた。

人によっては傷つくかもしれない発言かと思いやんわりと忠告したつもりだったのだが、キョトンとした真顔のままはっきりと答えたのだ。


「貰えるもんは貰えばいいし、甘えれるなら甘えといた方が得でしょ」

「得って、お前なぁ」

「いずれまた返せばいいんですよ、そのことが関係を深める良いきっかけにもなりますし」

どうやら納得していない様子で、裕作は右手で頭を掻きながら困ったような表情を浮かべる。

そんな様子が窮屈そうに見えた七海は、自分の考えに少しは共感してほしい思いがより強くなる。


「先輩は固いんですって、いいですか先輩」

ごほんっとわざとらしく咳ばらいをして少し話題を変えることにした。


「――野球って知ってます?」

野球。

その言葉を聞いた瞬間、裕作に緊張が走る。

なぜならつい最近、七海が過去に野球をしていた事を喫茶店で聞かされていたからだ。

それに、肩を壊して引退していることも。


「野球は一人じゃ出来ないんです。キャッチャーは勿論、外野も監督も、関わるみんなを信じて頼る事で成り立つスポーツです」

「……まぁ、そんなイメージだな」

七海がまだ湯気の立つ紅茶のカップを持ちながら話す言葉に、地雷原を避けようとするよう慎重に言葉を選ぶ。

「そうです! ――ん、やっぱ甘さが足んないなぁ」

会話の途中で紅茶を口にした後、七海は近くにあった角砂糖を一つ摘まんだ。


「昔……野球をやってた頃からそりゃみんなに頼りまくってましたよ」

「昔っからそのへんは変わんないんだな」

「そりゃ勿論、だって僕にとって野球は――」

言葉を口に出した瞬間、七海の表情が微かに変化したと裕作は感じた。

相も変わらず話の節々でニコニコとした笑みを見せるが、そのどれもにいつもの明るさを感じられない。

それは、どこか作り笑いを演じるぎこちない顔つきというべきだろうか。


「七海、あのさ」

「僕、ピッチャーだったんです。それも、試合じゃほとんどのバッターを三振に抑えるすごい人だったんですよ?」

なんとなく不安がよぎった裕作が話を切り上げようとしたが、それを遮るように七海は話を続けている。

まるで、自分に言い聞かせるように。


「そりゃ、すごいな」

誰かに話しておきたいのかもしれない。

話す事で、気持ちの整理が出来る事だってある。

だから、裕作はあえて相槌を打って話を広げようとする。

「そうですよ、巷じゃ結構有名で、スカウトっぽい人にも何度も声を掛けられましたし!」


それから、自分の過去を鼻を高くして自慢げに話した。

自分が小さいころから野球一筋であったこと。

自分一人で新しいチームを立ち上げて、その為に友人を伝手に仲間を集めたこと。

そして、小さなチームを立ち上げたこと。


恥ずかしげもなく、スラスラと口に出す言葉に重みは一切なく、何度も反復して覚えた英単語のように軽々しい。

まるで、他人事の様に思えてしまう程に。


「でね、僕の為に何人も集まってくれて。監督もすんなり決まって、本格的に試合をするようになったのは中学上がったくらいで! それで――」

裕作の事などお構いなしに、自分の過去を洗いざらい話してくれた。

だが、中学の話題に差し掛かった時に七海の口が止まる。


「それで、その……えっと」

詰まる言葉と、オドオドと泳ぐような視線。

先ほどまでの口調から一遍、どこか影を落としたように声色が変わったことを裕作は見逃さなかった。


七海は肩を壊したと言っていたのが中学の頃だという。

きっと、これから話すのは思い出したくない記憶に違いない。


「七海、言いたくないならここまででいいぞ」

もう十分だと裕作は感じ、話を終わらせようと言葉を投げかける。


「いや、せっかくだし。最後まで聞いてください」

しかし、七海は話を中断することは無かった。

意地なのか、はたまた気まぐれなのか。

そのことは本人にしか分からないことだが、彼が聞いてくれと言うのであればそれに答えるべきだと裕作は思い、そのまま話を聞くことにした。


「……だから、それにこたえなきゃって思ってたんです」

一呼吸おいてから、もう温くなってしまった紅茶に一つ、また一つと角砂糖を紅茶にボトボト落としながら淡々と話し続ける。


「ここまで自分の為に集まってくれたんだから、頑張らなきゃな―、って思ったんです」


自分の為に集まってくれたみんなの為に、一つでも多くの試合に勝つ。

それが、中学時代七海が掲げた目標だった。


「勝つために一球一球、絶対に打たせるか―って必死に投げるんです」


このチームで勝ちたい。

勝って、みんなで喜びを分かち合いたい。

それが、自分にできる最大の恩返しになると信じて。


投げて投げて。

抑えて勝って。

投げ続けた。

……だが、そんな日々は突然終わる。


「ま、あんな無茶すれば肩も壊しますわなって」

もう痛くないはずの右肩を見つめ、七海は静かに言葉を溢す。


――僕にとって野球は、恩返しだった。

――だから、一試合でも多く勝って返すべきだと思った。


勝ちたい。その一心で投げ続けた。

沢山の時間を共に過ごした仲間の為に。


――あの子は今何しているだろうか


ふと、思い出を振り返るとある人物の姿が思い浮かんだ。

それは七海の誘いに初めて乗り、ずっとバッテリーを組んでいたキャッチャーの事だ。

彼とは毎日練習し、毎回日が沈むまで練習に付き合ってくれた。

最初は下手で、まともに取れなった速球も、練習の末受け取ってくれるようになった。


彼とは、いつも一緒だった気がする。

けれど、バッテリーを組んでいたキャッチャーとは肩を壊した後に、ちょっとした口論で喧嘩別れになったキリだ。


そのことが今も心残りになっていることだけは、裕作には話さず、胸の奥にしまっておこうと七海は思った。

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