第12話 万物の祖、それは筋肉
危うく、弟の前で酷い姿を見せる所だった。
沙癒が止めてくれていなかったら、裕作は暴力の限りを尽くしていただろう。
そうなれば、今度こそ裕作の退学は免れない。
そして何より、己を見失っていたかもしれない。
「……ありがとう、沙癒」
裕作は体をくるっと回し、背後にいた沙癒の正面に顔を向けた。
そして、弟の頭をゆっくりと撫でる。
その指先はとても暖かく、優しく包み込んでくれるいつもの手付きだった。
「……大丈夫だよ」
その様子を見て安心した沙癒は、抱き着いていた手を退けて瞼に溜まった涙を拭った。
「裕にぃ……」
「……あぁ、すまなかったな」
いつもの優しい兄に戻った裕作は、柔らかな表情で沙癒に笑顔を向ける。
その満面の笑みは沙癒が一番好きな姿であり、彼の心を小さく跳ねさせ、裕作に対する愛がより大きなものに膨れる。
「……さて」
裕作は体をクルッと反転させ、後方にいた男達を見つめる。
男達は二人の会話など聞こえていなかったようで、頭を抱えずっと震えていた。
裕作の力の差を見せつけた結果、もうこの二人には戦う気力は残っていない。
これ以上は時間の無駄であり、下手をすれば一方的な暴力になり兼ねない。
それに、裕作はもう暴力を振るいたくはない。
沙癒は暴力に怯え、心に深い傷を負っている。そんな彼にこれ以上情けない姿をさらすわけにはいかない。今の彼には、そんな感情が色濃く出ている。
もう二度と、裕作は乱暴なことはしないと心に決めたのであった。
「……どうするか」
しかし、今のまま男達を解放してもいいのだろうか。
仮にも沙癒に酷いことをしようと企んだ人間だ、裕作はこのまま手放しに解放するのはどこか腑に落ちない様子だった。
それに、この男達が懲りずにまた襲ってくる可能性も捨てきれない。
二次災害を防ぐため、出来ればここで釘を打って置きたい。
しかし、暴力は振るえない以上このまま見逃すしか……。
「いや、そうか」
裕作はとあることを閃いた。
この重苦しい空気を一変させながらも、男達にちょうどいい恐怖を植え付けられる秘儀。
この身に宿すモノの意味、そしてその活用方法を。
「っふ、やはりあれしかない」
裕作はこの身を縛る最後の枷……身に着けているタンクトップのTシャツを破り捨てた。
彼の身は学校指定のズボンのみとなり、鍛え抜かれた上半身が露わになる。
丸太の様に太い上腕二頭筋、一軒住宅の屋根を支える瓦の様に厚い胸板、肩に重機が乗りそうなほど逞しい肩。
「やっぱり、筋肉だよなぁ!」
筋肉はすべてを解決する。
筋肉は先ほどまで漂っていた重い空気を全て破壊出来る。
筋肉はいずれ世界を救う。
あらゆる万物は筋肉に通ずる。
そう信じて病まない裕作が取った行動、それは筋肉。
「……おい、お前ら」
頭を抱えて怯える男達に、なるべく優しい口調で話しかける。
すると、ゆっくりと二人は顔を上げて裕作の方を見つめる。すでに二人の目元は真っ赤に染まり、金髪の少年は鼻をグジュグジュにし、茶髪の少年の眼鏡はなぜか割れていた。
「お、俺達……」
「ど、どうする気だよ……」
震えた声で自分の行く末を確認する二人、どうやら本当に戦う意欲が無い様子だった。
「大丈夫さ。ただ、ちょっと待ってろ」
野太く包容力がある声を出しながら、裕作は辺りを見渡す。
ここは第二体育館裏。
薄暗く湿った空気が残るこの場所は滅多に清掃されることは無く、生徒たちが捨てた空き缶やペットボトルといったゴミが散乱している。
裕作は近くにある落ちているゴミの中から、手ごろな空き缶を二つ拾い上げる。
「……うし、入ってないな」
呑み口を逆さにして中身が空であることを確認する。
一つはハンドサイズの手頃な缶コーヒー。
もう一つは学生に人気の爽快系炭酸飲料の缶。
それぞれを両手にはめてしっかりと握りこんだ後に、そのまま呆然と見つめている男達の目の前に立った。
「……次、弟に手ぇだしてみろ」
裕作は上半身に力を込めて、筋肉を膨張させた。
限界まで膨張させた両腕を天高く上げ、大きく胸を張る。
その状態から肘を九十度に曲げて両腕で力こぶを作った。
丸太の様に太い両腕を曲げた状態で上腕二頭筋に力を込め、脚から腰、そして上半身にかけて前面から映る全ての筋肉を堂々と見せる。
ボディビル業界の王道ポーズ、フロントダブルバイセップスの姿を。
この時のコツは、拳を握りこみ肘を下げないようにすること。
両腕を上げていることから腕に視線が行きがちだが、綺麗に見せるには腹筋や足などの身体全体のバランスがとても重要になってくる。
だからこそ、腕だけでなく全身のトレーニングを怠ってはいけない。
「――ウルトラパワー!!!」
第二体育館裏で反響する雄々しい叫び声。
それと同時に、裕作は両手に持ったスチール缶を握り潰した。
縦向きに持った空き缶はまるで万力に掛けられたように凹み始め、あっという間に半分以下に圧縮する。
しかし、裕作はそれで終わらない。
持っていた空き缶を一つにまとめ、今度は両手で包み込むように空き缶を強く握りこみ、缶口の部分もろとも潰し始める。
ミチミチと空き缶が無残に潰れる音を鳴らして、仕舞いには手の中に収まるくらいの大きさになった。
そして、力いっぱい握り終えた空き缶を二人の目の前に落とす。
地面に落ちたソレはもはや空き缶の原型を留めておらず、道端に落ちている石ころの様に濃縮されていた。
いったい何キロの握力で握り潰されたのだと未知の恐怖を覚えたその瞬間、裕作は男達に向けて言葉を紡ぐ。
「――わかってるよな?」
不気味なくらい優しい声、気持ち悪いくらい口角を上げた笑顔。
不潔感の無い白い歯をニッコリと見せたまま、裕作は男達に警告を促した。
時に、笑顔はその人間の記憶に深く焼き付けられる時がある。
映画に映る化け物のえびす顔、殺人ピエロのほくそ笑み、サイコパスの作り笑い。
そして、ガン決まりした筋肉ゴリラの素敵な笑顔。
恐怖の対象になるには、十分な素質を孕んでいた。
「「ひ、ひぃいいいいい」」
恐怖の限界値を迎えた男達は、裕作に背中を見せそそくさと逃げていく。
二人は千鳥足に近い情けない足取りで、煙の様に消えていった。
勝利の余韻に浸る裕作は、肺に溜まった空気を吐き出してから、高らかに叫ぶ。
「――やはり筋肉! 筋肉は万物! 万物イズパワー!」
やり切ったような満足げの顔を浮かべ、裕作は天を仰ぎながら気持ちが悪い咆哮を放った。
――ちなみに、後ろでずっとその様子を見守っていた沙癒は、ドン引きしていた。
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