第10話 君の為なら、何にでもなる

私立早乙女学院には、とある噂が存在する。

それは、男の娘に手を出すと鬼がやってくるというものだ。


その昔、男の娘に告白をした男子生徒がいた。


その告白に対し男の娘は、あなたとは付き合えないと言い丁重に断った。

だが、男は告白を断られた腹いせに仲間を呼び、男の娘に襲い掛かり乱暴を加えようとした。


逃げられぬように校舎裏に追い込み、何人もの男が非力の男の娘を押さえつける。

両手は塞がれ身動きは取れず、恐怖のあまり声さえ出ない。

そのまま一人の男子がスカートを掴み、辱めを与えようとした。


男の娘が諦めようとした、その時。

突然、全身鎧の様に硬い筋肉に覆われた屈強な男が現れた。

誰もが見上げるような長身、威圧感のある鋭い目つき。

その姿はまるで、地獄より駆け付けた鬼ようだったと言われている。


その鬼は何者なのか、男達はどうなったのか、その先の話を知る者はいない。

この恐ろしい噂の影響からか、学院内で男の娘に気安く手を出そうとする者はほとんどいない。


しかし、これはあくまでも噂。

確固たる証拠も無ければ、その事実を確認した人間もいない。

現にここ最近、沙癒や秋音は毎週のように告白されているが、特に事件など発生していない。


……ちなみに、二人はすべての告白を断っている。


以上の事を踏まえ、この噂を真っ当に信じる者はあまりおらず、学院の七不思議で語られるのが関の山。

中には、この噂は学院内で人間国宝級の扱いを受ける男の娘を守る為に作られた与太話だと信じる者も少なくない。


だからこそ、高等部からの編入生はこの噂の存在すら知らない生徒が多い。


そう、彼らはこの噂の存在を知らないからこそ、あんな大胆な行動を取ったのだろう。


彼らの誤算は二つ。


一つ目は、この学院では男の娘の人気が高すぎた事だ。

早乙女秋音を筆頭とする男の娘は、この学院にとって注目の的であり、彼らの話題は常に尽きることはない。

特に才川沙癒はここ最近高等部に進級したことをきっかけに、より多くの人気を獲得している。


そんな存在が怪しい二人組に連れられるという事態を、学院中の人間が見逃すわけがない。

その出来事はすぐさま学院の非公式SNSに拡散され、一瞬のうちに学院中に広がりを見せた。


そして、二つ目の誤算。

それは、彼ら男の娘の周りにいるとある人物の存在を知らなかった事。

才川沙癒及び、早乙女秋音には共通の知り合いが一人いる。


その男は身長百九十センチを超える巨漢に、鋼のように鍛えられた肉体。

その体をより鍛える為、毎日トレーニングに励む超健康男子。

誰よりも彼らを愛し、彼らの幸せを願う筋肉ゴリラ。



――その名は、才川裕作という。



裕作がその言葉を聞いたのは、先ほどのクラスメイトからだった。

『才川沙癒が、何者かに連れていかれた!』

その言葉を聞いた瞬間、裕作は立ち上がり他のものには目もくれず走り出した。


裕作は教室を飛び出すと、廊下を全速力で駆け抜ける。

恵まれた体格から繰り出される俊足は常軌を逸しており、通りすがりの現役陸上部員がその姿を見て唖然としていた。


其の様はまるで暴走機関車。


筋肉の塊がすさまじいスピードで突っ切るその姿を見た学生の殆どが、彼に対し恐怖を抱いた。

途中、友人に話しかけられようとも、巡回中の教師に怒鳴られようと立ち止まることは無い。


五十メートル走のタイムが六秒台、フルマラソンを余裕で完遂出来る持久力。

そんな怪物級の身体能力を持つ裕作は早々に廊下を抜け、階段を飛ぶように駆け降りて三階に位置する一年B組に向かった。


「沙癒!」


教室のドアを勢いよく開けると、何人かの下級生がいるだけでそこに彼の姿はなかった。

裕作は「クソ!」と言葉を吐き捨てた後に、一年B組の教室を出ていくと、胸元にある携帯電話に着信が入る。

携帯の画面など目もくれず、裕作はすぐさま着信に応答する。


「もしもし、沙癒か!?」

『……あたしよ、今どこにいるの?』

「秋音か、今それどころじゃない!」


勢いのまま通話を切ろうしようとした時、秋音は大声を出して食い止める。

『待ちなさい! あんた、沙癒どこにいるか知っての!?」


一度仕舞おうとした携帯電話を再び持ち直し、

「……いや、知らない」

息を整えるついでに、裕作は現在の状況を話した。


『そんなことだと思ったわよ。ちょっとは冷静になりなさい、バカ』

「……ごめん」

『ほんと、イノシシなんだから』


裕作は弟の事になると冷静さを失う傾向にある。


沙癒が裕佐の事を好いているのと同じくらい、裕作も沙癒を愛している。


彼はどんな相手が来ようとも、どんな苦難が立ちふさがろうとも、あの子を守り幸せに導いてやると心に誓っていた。


だからこそ、彼が危機的状況になっているかもしれない今の状況に、冷静な行動などとれるはずはなかった。


しかし、電話越しに叱る秋音の言葉を聞いて、裕作は冷静さを少し取り戻した。


『――第二体育館』

「え?」

『沙癒と二人の男が、そっち方面に行くのを見た人がいたの』


秋音は彼が走り去った後、クラスメイトやSNSなどを利用し情報をかき集めた。幸いなことに、目撃証言は沢山見つかり、二人の居場所を特定出来る情報はすぐに集まった。


「ほんと世話が焼けるんだから、感謝しなさいよ」


そう、沙癒に何か遭った時は、いつも秋音は助けてくれる。

裕作も沙癒の事を大切に思っているが、その気持ちは秋音も同じ、いや、それ以上かもしれない。


「……つまり、沙癒はそこにいるのか」


ここから第二体育館はそれ程距離は離れておらず、裕作であれば三分もあれば到着できる。


本校舎から離れた場所で、今の時間は誰も寄り付かない。

やましい行動をするには絶好の場所だ。


『あたしも今から向かうから、あんた先に行きなさい』

「分かった。ありがとう、秋音」

『――気を付けて』


手短に秋音にお礼を言い、携帯電話をズボンのポケットへしまう。

「うし! 行くか!」


目的地がはっきりしたところで、裕作は制服の上着を脱ぎ棄てる。

すると、着痩せして目立たなかった上半身が露わになる。


鉄よりも硬く瓦の様に厚い胸板、大樹を彷彿とさせる太さの上腕二頭筋、パックリと綺麗に分かれたシックスパック。

中に着ているタンクトップは、筋肉の膨張で今にもはち切れそうになっており、周りにいた下級生をドン引きさせた。


ここに来るまでの過程で、体は温まっている。


――これなら、今よりも早く走れそうだ。


そう感じた裕作は、先ほどよりも力強く地面を蹴り出し走り出した。


……ちなみに、この出来事をきっかけに裕作は、下級生から「筋肉ゴリラ先輩」というあだ名をつけられるようになってしまったという。

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