第5話 彼と彼が好きなのは彼

三人で歩く通学路は、先ほどの騒がしさとは打って変わり静かで心地よい風が吹き抜ける。

私立早乙女学院は理事長が保有する巨大な敷地内に建設されており、学生と学院関係者以外は殆ど出会わない。


それを象徴するのが、この長い通学路。

正門から公共道路へ抜けるまでの道は、通称「桜通り」と呼ばれるこの場所を抜けるしかない。

その名の通り、通学路の両脇に桜の木が等間隔に植えられており、景色のずっと先まで薄紅色が広がっている。


風が吹くたびに桜の花びらが宙を舞い、春の訪れと終わりを演出する。

たかが通学路にここまで力を入れる必要があるのかと入学当初の裕作は思ったが、理事長の趣味が暴走した結果だそうだ。

中等部の頃はこの景色に感動を覚えていたが、四年も学校に通っていると流石に見慣れてくる。


それよりも、今は横目に映る弟……沙癒の姿の方が新鮮に映る。

今年から晴れて高校デビューを果たし、中等部に着ていた白の制服とは一転、黒を基調とした制服を身に着けている。


「もう沙癒も高校生か」

「そうらしいね?」


本人はあまり自覚はしていないが、兄から見た弟は立派な高校生の姿をしていた。

しわ一つない黒のセーラー服。

シンプルだが軽く頑丈な鞄に、少し小さめのローファー。

スカートの丈も短くしていることもなく、着崩すこともしていない。

服装自由の高校にわざわざ制服で登校しているということもあり、その姿は私立早乙女学院高校の模範生のような姿だった。


「この前まであんなに小さかったのになぁ」


何度も家で制服姿を見ているはずなのに、いざ隣に立ち一緒に帰宅すると、その実感が湧いてくる。

裕作はどこかさみしそうな表情を浮かべて、少し昔の事を思い出していた。

初めて会った時は小学生の頃で、こんな立派な姿になるとは夢にも思わなかった。


華奢で病弱な体に、弱々しく枯れた声。

常に何かに怯え心を閉ざした暗い子供。

そして、あの傷だらけの姿からは、今の姿など決して想像も――


「というか、今日は沙癒も一緒なのか」


帰る約束をしたのは秋音のはずだが、今になって沙癒も一緒にいる事に気が付いた。


「あ、うん。それは」

沙癒が何かを言おうとした矢先、

「元々あんたがついでよ」

秋音がその場で振り向き、口を尖らせて話す。

「沙癒と一緒にお昼食べた時にね、裕作も誘うかってなったの」

「なんだ、お前ら昼も一緒だったのか」

「……秋とは時々、一緒に食べるの」


沙癒は親しい人と話すとき、名前を略して言う傾向にある。

両親の事は「父」と「母」、裕作の事は「裕にぃ」。

そして、秋音の事は「秋」と呼んでいる。

これは昔、ほとんど話せなかった子供の頃の名残である。

物や人の名前を半分にして話す事により自分が発する口数を極力減らそうとしていた。

口下手なのは勿論だが、何よりトラブルを回避する防衛策の一種でもあった。

昔に比べればかなり他人と話せるようになっており、今となっては親しい間柄でしか呼ばないあだ名のような役割になっている。


「あたしたち、親友だもんねー」

「ねー」


秋音は右に、沙癒は左に頭を傾けて笑顔で二人が見つめあう。

生まれもって『男の娘』の才を持った沙癒に対し、努力と苦悩で『男の娘』になった秋音。

同じ男の娘であるにも関わらず、彼らは似て非なる存在。

しかし、二人は喧嘩なんて一度もしたことがない。


恨みも、嫉妬も、憎しみも。


そういった感情を抱くことは決して無い。


沙癒は秋音の自発的に行動を起こせる活発性と、挫折しても立ち上がる心の強さに憧れを抱いている。

初めて友達になった秋音は、その手を握り塞ぎこんでいた彼を家から連れ出てくれた。

そして、他人と関わる事への喜びや、温かさを教えてくれた。


逆に秋音はその完璧とまで言える美貌と、一度決めたら貫き通す心の強さに尊敬を示している。

男である自分が可愛い存在でありたいと思う心と反対に、それを否定する環境。

唯一の理解者であった友人の弟、その存在が自分の価値観を肯定してくれた。

可愛くあるのに性別など関係ない。

自分も彼のように可愛い存在になってみたいと思えたから、一心不乱に努力できた。

彼に出会っていなければ、秋音は夢を諦めてしまっていただろう。


二人には『男の娘』という共通の接点が生まれ、友情よりも硬い絆で結ばれている。

彼らの絆は決して揺らぐことはない。


例え想い人が同じ人間であろうとも、この気持ちだけは変わることは無い。


「それとも、裕にぃは私がいない方がよかった?」

「そんなわけないだろ、沙癒が邪魔だったことなんて一度もないよ」


不安な声を上げた沙癒の頭を、大きな手で優しく撫でる。

サラサラとした綺麗な髪が触れる度、気持ちがいい手触りが指先に絡まる。

沙癒は目を瞑り、人懐っこい猫のように体を添わせた。

励ますつもりで触れたはずなのに、裕作のほうがなぜか癒される。


「ほんと、あんた達って仲がいいわよね」

いつのまにか正面に陣取っていた秋音が、腹を肘で突きながら冷やかす様に笑って見せる。


「そのまま付き合えばすればいいのに」

「馬鹿野郎、沙癒は弟だぞ。手を出すわけないだろ」

「なんてこと言って、実はもう好きだったりして」

「弟としては好きだ。でも、恋愛対象にはならない」


家族だからな、と裕作が付け足すと隣にいた沙癒はわざとらしく頬を膨らませて威嚇をしていた。


家族には何があろうと手を出さない。

子供の頃に心の中で決めた事を今更覆す事はしない。


「裕にぃ、そろそろ強引に襲うことも検討するね?」

「何言ってんだ、冗談はやめ――」

「えーっと、鞄の中に荒縄があったはず」

「待って、俺の話ちゃんと聞いて?」


鞄から何やら茶色い紐のような物が見えた瞬間、裕作は危機感を覚えた。

このままでは何をされるか分かったものではないと思い、隣にいる沙癒から逃げるように距離を取る。


「……全く、あんたが逃げるから発展しないのよ」


追いかけるように秋音が隣に並び、鼻息交じりに話しかけてくる。

「いやだってさ」

「だって、じゃない。ったく」


横目に映る秋音は、まるで自分の事のように機嫌を損ねており、不機嫌そうに口を尖らせていた。


「沙癒はあたしなんかよりもずっと素敵なんだから、後悔してからじゃ遅いわよ」


嘘ではなく、それは本心だった。

秋音は初めて見た時からずっと、沙癒よりも可愛い存在を知らない。


「……ほんと、あたし何言ってんだろ」

吐き捨てるように言った言葉には、どこか悲しげな声色をはらんでいた。


彼にとって沙癒は目指すべき目標であり、追いつけないくらい輝きを放つ憧れの存在でもある。


――沙癒で振り向かないんだったら、あたしなんか。


嫌な言葉が脳内を過り、気分が落ち込みそうになったその時、


「――いや、秋音も可愛いだろ」

「え?」


何気なく言った裕作の事を聞いて、思わず言葉を失った。

「確かに沙癒は可愛い、可愛いすぎるくらいだ」

裕作は「でも」と区切ってから言葉を紡ぐ。


「秋音も十分可愛いぞ」


嘘ではなく、それは本心だった。

励ますためとか、悲しんでほしくないからとか、そんな気持ちではない。

裕作は普段思っていることを伝えただけだった。

容姿は勿論可愛いと思う、しかし、それ以上に可愛くありたいと思う気持ちやそれを叶えようとする行動に裕作は魅力を感じている。


だから、どちらかが上とか下とか。そんな考えを抱くことは無い。


「まぁ、俺なんかに言われて嬉しくないだろうけど」


そう言った裕作は、小さく笑ってそのまま歩き始めた。

一方の秋音はその場で足を止めてしまい、呆然と立ち尽くす。


「ねぇ秋」


その様子を見た沙癒が、後ろから秋音の背中から覆いかぶさるように抱き着いた。

彼は親しい人間に対しての距離感がとにかく近い。

何かあれば抱き着いたり、手をつなごうをしようとする。

そして、親友の秋音に対してはより濃密な接触もすることもあり刺激的な光景になることもある。


「……なによ」


抱き着かれるのはいつもの事なので、特に驚きなども見せずに秋音は返事をする。

外野から見ると可愛い女の子同士がただイチャイチャしているだけの百合百合しい光景。


……しかし、出演してる人物に女の子はいない。


「あれ、卑怯だよね」

「はぁ。あんたの兄貴、ほんと何なのよ」


耳の先が赤く染まり、照れた表情をしている秋音に対し、

「まぁ、それが裕にぃの魅力でもある」

俯瞰したような表情で答える沙癒。


二人は視界の先にいる裕作の姿を見つめる。

凛々しく雄々しい立派な体、鋼のように鍛え抜かれた筋肉。

不器用で鈍感だが、誰にでも優しく、困ったときには必ず助けてくれる。


沙癒はそんな彼の事の事が好きだ。

そして秋音も、そんな彼の事を――


「……フン」


秋音はわざとらしく首を振って、視界から裕作を映さないようにした。

両方とも男の娘であり、彼と彼が好きなのは彼というややこしい関係図がここに誕生している。


この状況は裕作にとって両手に花だが、握っているのは薔薇な模様。

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