1-4 八月の約束

「信くん、どうかした?」




久美子が信に声をかけた。信がじっとカステラを食べずに見つめていたからだ。



「あー、ごめんなさい、考え事してました」


「そうなのね、麦茶もう一杯飲む?」




 信の空っぽになったガラスコップを指さした。





「あ、はい、お願いします」


「たくさん飲んでね」

 コップを手に取り、久美子に渡す。





「あの、近くに海が綺麗に見える展望台があるって、父と母に聞いたんですが、ここから歩いていけますか?」




 久美子が麦茶を注ぎながら、「あー」と呟く。





「そこの展望台、もう立ち入り禁止になっているみたいなのよ」


「あ、そうなんですか」

 圭一が驚いた表情で答えた。信が続けて答える。




「そこからが一番綺麗に見えるって聞いたから、見に行きたいなって思ってたんです」


「あら、そうだったのね。まぁ、この時期だからあまり海には近づかない方がいいけど……」



 久美子はうーんと首を捻り、言うべきかどうか悩んでいた。




「写真部で、文化祭の展示用に良い写真が撮りたくて、ちょうど良いなあって」


「そうねぇ、まぁ海に限らなくても、町並みとかを撮るのもいいかもしれないわよ」


「町並みか……」


「商店街とか、古い建物もあるから、そういうのを撮るのも視野に入れてみたらどうかな?」


「わかりました、今からちょっと試しに、散策しに行こうかな?」




 久美子は手を叩き、微笑んだ。





「良いと思うわ。海を撮るのもいいけど、人同士の交流している姿とか、みんなが普段、見落としている当たり前の光景が、かけがえのないものになるかもしれない。信くんにとって、宝物の一枚になる風景に出会えたらいいわね」


「かけがえのない、宝物の一枚」


「久美子さん、良いこと言いますね。確かに、写真って、見落としがちなちょっとした風景が心に残る時が多いですよね。故郷を感じたり、最近なんかで言うとエモイとか……」


「お父さんがエモイとか言うのウケる」



 まなみがクスクス笑い、圭一は恥ずかしそうに「ええやんか」と言い返していた。



「そうですね、僕にとっての宝物になるような写真があるかもしれんので、探しに行ってきます」




 信はそう言って、カステラを手に持って、再び食べ始めた。








 一時間後、圭一とまなみは、そのまま家に滞在し、信だけ徒歩で周辺散策をすることになり、カメラとスマホを持って出発した。



 信は、家族に止められていたが、海を見に行きたい気持ちが抑えきれずにいた。


「幽霊が視えへん今なら、楽しめるはずや」


 信は、うっすらと良くない考え方だとは理解していたが、何故だか、どうしても海が見たかったのだ。




 家を出て、海側へ坂道を下っていく。歩道はなく、車道のみ。道端に生えるオオアレチノギクを避けながら歩く。古びた家の庭には、ドクダミが群生していた。ドクダミは特徴的な可憐な花を咲かせる。それを見た信は、小学生の時、ドクダミのことで前谷と話していたことを思い出していた。







『ドクダミがたくさん生えている家は、その家に住んでいる人が、病気な場合が多いらしい』








 信が前谷の家に遊びに行っていた時、前谷がドクダミの写真を見せながら話していた。





『何で病気だからって咲くんですか?』と信が質問すると、前谷は優しく微笑み、『それはね、病気になってしまった家主を助けたいって気持ちがあるんだと思うよ。ドクダミは解毒とか利尿作用があって病気に効果があるんだ。駆除しないと繁殖して、群生するから困るって声が多いけど、本当にやるべきは人間の病気の治癒なんだろうね』





 信は、カメラを構えて、シャッターを下ろした。ドクダミに囲まれた家を見つめ、家全体が移るように撮影した。





 他に何か良い被写体はないかと下りながら周りを見渡すと、水路の側にシンテッポウユリが咲いていた。





「うわ、綺麗なユリや」





 信は立ち止まって眺めた。それは風に揺れ、白い花弁が太陽光によって強調され、美しさをより際立たせていた。






「綺麗やな……」

 信はかがんで、花の高さを意識して低い位置から撮影した。





「わいさ、どこの子?」

 後方に男性が立っていた。信は振り返りながら立ち上がった。






 男性は、白髪交じりのオールバックな髪型に、襟付きの白シャツと薄茶色のスラックスで、白いスニーカーを履いていた。四,五十代に見える、清潔で爽やかな印象だ。





「あ、えっとお盆で、関西から来ました」


「あー他県からね」


「勝手に撮ってごめんなさい」



「いや、注意したんじゃないよ、見かけない子だと思って、声をかけたんだ」

 男性は、信が地元の子供ではないことを悟り、背筋を伸ばして標準語で話し始めた。





「良かった、怒られるんかと思ってドキドキした」




 信が胸をなでおろすと、男性はカカカと口を大きく開けて笑った。





「男がそんなビビってたらダメだよ。男らしく強くいなきゃね」

 男性は腰に両手を当てて笑顔で答える。信は「そうですね」と返答した。





「写真を撮るのが趣味なのかな?」

 カメラを指さしながら男性が質問した。






「秋の文化祭で、写真部の展示があるんで、今のうちに撮っとかなあかんから、散策しながら撮影してたんです」


「ほう、写真部なんだね」


「あの、海が綺麗に見えるところってどこかありますか?」


「海?」


「はい。海を撮りたいって思っていて」


「あー海ねー」

 男性は海側の方を見て、じっと何かを考えていた。





「展望台が今、立ち入り禁止って聞いて、それ以外で綺麗に見えるところってあるんかな? って思ってて」




「そうだな、海のほうに出てから、西のほうに行くと、崖があるから、そこからだと綺麗かもしれないね。まぁでも危険だからあんまりオススメしないかな。途中まで階段はあるからそこまでなら安全かも。海のほうに出たら、大きい案内の看板があるし、それを見て散策してもいいかもしれんね。ただあんまり夜遅くまで出歩かない方が良いよ」





「詳しく、ありがとうございます」



「あぁ、いつでも声かけて。ここらへんに住んでいるから。上田って名前」


「僕は、山下って名前です」


「山下くんね、覚えておこう。じゃあ気をつけて」



 上田は手を振り、坂道を上っていった。信は坂道を下り、海側へと進んだ。

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