3-2 黒い煙
「これ先生が描いたんですか!」
「そやで。そうか、先生が描いてること、あんま知らんもんなぁ」
「すごいですね、先生」
「まぁ美術の先生してるだけあるやろ?」
樫谷は信に微笑むと、絵画に近づいて、藤の花が巻き付いた家を指さした。
「この家な、先生が実際に見た家やねん。綺麗やろ?」
「はい、紫色が幻想的ですね」
「山下くんは感想が上手いな。流石、僕の生徒や」
「先生はこの家、どこで見たんですか?」
「それがな、覚えてないねん」
「え?」
「これな、僕が二十代の頃に見た景色でな、記憶で描いてん」
信は口をぽかんと開けて驚いた。絵画に顔を近づけ、目を凝らす。記憶で描いたとは思えない繊細な描写だ。絵画から樫谷へ目線を移した。首をかしげて樫谷と絵画を交互に見つめる。
「記憶で描けるなんて嘘とちゃいますか? こんな写真みたいな綺麗な絵やのに。ありえへんこんなん」
樫谷は信の大胆な反応に思わず笑い出した。
「いやほんま山下くんはおもろいなぁ、先生好きやわぁほんま」
「何で景色は覚えてんのに、場所が分からんのですか?」
樫谷は信の目をじっと見つめ、絵画へ目線を移す。
「何ですか、先生。急にそんな真面目な顔して。僕、変なこと言いましたか?」
樫谷は目を閉じ、「わかったわ」と呟いた。
「どうしたんですか先生」
「僕が今頃、これを描いたんは……君のためやったんか」
「僕のため?」
「ちょっと話が長くなるけどええかな?」
「別に大丈夫ですが」
「山下くんはさ、幽霊とか視えるタイプやんか?」
「はい、そうです。……え?」
信はとっさに手で口元を覆う。
「僕はさ、聴こえるタイプやねん」
「え、先生ちょっと」
信は樫谷と自分の周辺に人がいないか、あたりを見回した。
「今の時間は人は少ないから安心しい。午後に人が多いねん」
「聴こえるって、そもそも僕が視えるってこと、何で知ってるんですか?」
「山下くんはさ、松本さんにも同じように言われたんちゃうん? 『山下くんも視える?』 って。それと一緒やで。同じ匂いするなって思たんや」
「先生も僕ら側ってことなんですね」
「あぁ、そや。僕の場合は、視えるというより、聴こえるほうやから、よく声が聴こえたりするな。その声から頭の中で勝手にイメージが出来上がるねん。さすが芸術家って感じやろ?」
「まぁ、はい」
「一気に色んな情報が入ってきて焦ってるよな、ごめんな。で、この絵画についてやねんけどね」
樫谷は再び絵画のある一部分を指さした。藤の花に覆われた家の窓だ。
「ちょうどここ。近くで見てみ」
信はそっと顔を近づけ樫谷に指示された箇所を見つめた。
「女の人?」
「そう! この人な、魔法使いやねん」
信は樫谷の発言にきょとんとした。
「魔法使い?」
「僕がな、ちょうど美大生の時、スーパーのレジでアルバイトしててん。この女の人な、その時のお客さんやねん」
「それと魔法使いってどういうことなんですか?」
「まぁこっから話が長いんよ。そや、美術館のカフェでちょっとお茶しようや。そこで話すわ」
「……そうですね」
二人は現代作家展の入り口から出て、館内の一階で営業しているカフェへと向かった。
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