カーレンベルクの戦い(9)
そのやりとりを合図に、シュターレンベルクは足を止めた。
装填の完了した銃の先を前方に向ける。
騎馬を率いたグイードとバーデン伯が突っ込む先──小型の盾を心臓の前に構え、片刃の湾曲剣を抜き放ったオスマン帝国兵士らの頭を狙って引き金を引く。
銃声と、周囲に立ち込める黒色煙。
手練れを集めたとはいえ、ぎりぎりの距離。
しかも不安定な馬上から敵兵に命中させることは難しい。
それでも何名かが倒れることにより敵に混乱を、そして味方を鼓舞できれば上出来だ。
銃撃部隊の役割はそれで良い。
どのみち混戦になれば、味方に当たる可能性のある銃は使えないのだ。
うぉおぉぉ──唸りをあげて、グイードの部隊が敵兵の包囲網に突っ込んだ。
一瞬遅れて十数メートル離れた地点をバーデン隊が。
剣と槍がぶつかり合う様を前に、シュターレンベルクらも左手でスラリと剣を抜いた。
進めとの叫びに、兵士らは雄叫びを返した。
「リヒャルト、お前は……ここで援護しろ」
お前は壁の中に戻れという言葉を他の兵士らの手前、辛うじて呑み込む。
「はあっ?」
上ずった絶叫を肯定の返事かと認識したのだが、父が馬を走らせればリヒャルトはぴたりと後ろを付いてくる。
シュターレンベルクは舌打ちした。
どうやら息子は初めての戦場に舞い上がってしまっているらしい。
指揮の声を聞かない、聞こえないというのは新兵にはよくあることだ。
本当なら壁の中に置いてきたかったのだが、兵士らの手前それは致しかねた。
息子だけを優遇するように見られることを恐れたのだ。
第一、本人が望んで後に引かなかった。
それならば後方に置いて行ってしまおうと速度をあげる。
慣れた部下なら難なく追える速さだが、馬に慣れないリヒャルトは付いてはこれまい。
グイードらの突撃でオスマン帝国軍の囲みの鎖が二か所千切れかけた形になる。
その間目がけてシュターレンベルクも突っ込んだ。
鋭いきらめきが足元を走る。
敵の持つ湾曲剣の狙いを馬の速度をあげて躱すと、同時にシュターレンベルクの手首が返った。
瞬間、目の前のオスマン兵のふくらはぎにグッと力が込められる。
なで斬りの動きを読んで、背後に飛び退くつもりか。
させじと手綱を捌く。
踵を使って馬の腹を軽く蹴ると、騎馬の前足は一気に前に踏み込んだ。
騎乗している者は手首に力を込め、剣がブレないように固定するだけで良い。
駆け足(ギャロップ)の勢いで、切っ先は敵兵の喉を突く。
利き腕でないので狙いは僅かに逸れたが、それでも確かな手応えが肘に響いた。
命を奪った感触に震える間もなく、今度はその隣りの兵士の頸動脈を裂く。
最高指揮官が敵の一歩兵と撃ち合う必要があるのが、ウィーンの現状だ。
だからこそ、戦場の向こうにいる救援軍の存在が何よりも頼もしく感じられる。
ちらり。
周囲に視線を巡らせると、部下たちもシュターレンベルクと似た動きでオスマン歩兵を葬っていた。
足元に障害物のように転がる敵兵を、軽やかな手綱捌きで避けて進む。
馬の勢いに任せてさらに三名ほど切り倒すと、周囲の敵兵は道を開けるようにじりりと後ずさりした。
一旦、囲みを突破できたのだ。
グイードとバーデンは攻囲軍の層を抜けると、くるりと馬首を巡らせて別の個所に突撃した。
包囲という鎖の輪を丹念に潰していく腹だ。
本来ならば、彼らに任せて自分はそろそろ後方に退いて指揮を執るべきところだろう。
だが、救援軍に気を取られ囲みが薄くなったオスマンを叩く好機を逃す手はあるまい。
あちら側を向いている部隊が、いつウィーン守備隊の突撃行為に気付いて戻って来るとも知れないのだから。
槍の穂先のような陣形で敵の囲みを刺す。
ウィーン守備隊はその動きを繰り返した。
立ち止まってはいけない。
動きを止めれば人数で不利に立つこちらは、歩兵に囲まれて馬から引きずり降ろされてしまうだろう。
「閣下!」
背後で悲鳴。
しまったと振り返る。
すれ違い様、湾曲刃(ヤタガン)が馬の腹を裂き味方騎兵が地面に投げ出される。
まさに今、懸念していた事態にシュターレンベルクは馬首を巡らせた。
地面に尻をついた姿勢で、味方兵士は必至に敵の剣を受けている。
「そこを退け!」
今しもヤタガンを振り下ろそうとしていた敵兵の背中めがけ、指揮官の馬が突っ込む。
蹄が首の後ろに命中し、兵の上体が崩れた瞬間のこと。
シュターレンベルクの尻がふわりと宙に浮いた。
身体が重力を失う数瞬間の後、胸と顔面に経験したことのない圧が掛かる。
つんのめるようにして投げ飛ばされたのだ。
回転する景色。空。人馬。遠くのには壁。そして土。
気付いた時はシュターレンベルクの身体は胸から地面に激突していた。
息が詰まる。
左手に握った剣を手放さなかったのが幸いだ。
瞬時に迫ったヤタガンを、自身の剣の刃元に当てて地面を転がるようにして受け流すことができたから。
だが今の衝撃で右手には痛みが走る。
更に頼みのマスケット銃もないことに気付いた。
すぐ近くで悲鳴があがる。
先に落馬した部下か、グイードらか、リヒャルトか。
あるいはそれは敵兵の歓声であったかもしれない。
敵味方入り乱れる中、瞬きする間もなく迫るいくつもの刃。
瞬間的にその場から跳ね起きたものの、背を預ける場所すらないこの状況。
神聖ローマ帝国軍の優位は優れた火器と射撃手──それに尽きる。
接近戦では初めの一波、二波で決めなければならないのは分かっていた。
こういう事態に陥ってしまっては、近接戦闘技術に優れたオスマン帝国軍に敵う筈もないから。
指揮官の、まさかの落馬に、率いていた騎馬らが浮足立つのが感じられる。
「閣下!」
自ら馬を降りて駆け寄ろうとする者。
視野の端では赤い姿が動きを止めたのが見えた。
バーデン伯が進撃を止めて、馬首をこちらに向けようとしているのだ。
救援のつもりだろうが──駄目だ、と指揮官はその場で叫んだ。
現状、騎馬の機動力はウィーン守備隊にとっては唯一の強み。
立ち止まったり方向転換なんてしてみろ。
馬の間を縫って素早く駆け寄る敵兵にあっという間に囲まれる。
彼らは何といっても、数では大いに勝っているのだから。
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