踊る炎(8)
灰色の丈の長いドレス。
闇の中でより濃く沈む黒髪。
痩せこけて背ばかりが高いその姿は、呪いを具現化したかのような印象を受ける。
「マリア・カタリーナ、こんなところで……なにを……」
何をしているのですか、という言葉は途中で掠れた。
黒と灰のちょうど中心から、白い煙がたなびくのが見える。
キナ臭い。
火事ではなく、これは火薬の匂い。
痩せた腕に、妹が抱えていたのは見覚えのあるマスケット銃であった。
おそらくは父の持ち物だろう。
「嘘だ。貴女が撃って……?」
そうだ、ルイ・ジュリアスは告げようとしていた。
──後を付けていたのは……落ち着いて聞いてくれ。
涙が出ない。
眼球がひりひり痛むのに、瞬きすることすらできない。
灰色の女が、ゆっくりと近付いてくる。
顔を俯けているから、その表情は見えない。
しかしリヒャルトの脳裏には薄笑いを浮かべたマリア・カタリーナの顔がはっきりと浮かんでいた。
「お兄さま、火を点けたのはこの男よ」
いいわね──念を押すようにマリア・カタリーナは兄を見下ろした。
笑ってなどいない。
その顔に表情などなかった。
この男よというところを強調するように、銃口を倒れたままのルイ・ジュリアスに向ける。
「そんなこと……」
そんなこと許されない。
何故こんなことを?
ひとまずの衝撃が去り、今度は疑問が渦巻く。
いや、それよりも今はルイ・ジュリアスの救命だ。
それが最優先。
リヒャルトがそう考えた時のこと。
複数の足音がこちらに駆けてきた。
──誰か来た、友が助かる。
──いけない、妹が捕まる。
相反する思いがリヒャルトを駆り立てる。
「そ、それを貸しなさい」
妹から銃を取り上げた。
どこかに隠すのです。適当な所はないかと周りに視線を送ったその瞬間、足音の主が建物の影から姿を現す。
その足音が軍靴だということには気付いていた。
不規則な拍子から、片足を少し引きずっているのだということも。
そこまで気付いているのなら、悟れば良かった。
やって来た人物が誰なのか。
現れた黒い影は、はっと息を呑み瞬時に状況を把握した気配。
血を流して倒れるルイ・ジュリアス。
黒煙たなびく銃を抱えたリヒャルト。
そして、表情なく立ち尽くしたマリア・カタリーナ。
「まさかお前……」
そこには、これ以上ないというほどに表情を歪めたシュターレンベルクが、リヒャルトを見つめていた。
「わ、私が撃ちました。この男が町に火を放っているのを……み、見たので……」
リヒャルトの手からマスケット銃が滑り落ちる。
震える指先。
誰にも悟らせてはならない。
この手がこれほど力がないとは思わなかった。
建物の向こうで、また新たな火の手があがる。
※ ※ ※
その夜遅くであった。
使者がオスマン軍の包囲網をくぐってウィーン防衛司令官に書状を届けた。
書状の差出人はレオポルト。
オーストリア大公、ボヘミア王、そしてハンガリー王を兼ねる神聖ローマ帝国皇帝である。
恙なきや エルンスト・リュティガー・フォン・シュターレンベルク
余が最も信頼を置くウィーン防衛司令官よ
余は我が都を出立し十日もの間旅中にあり、心細き日を耐え忍び今はパッサウに到着いたす。ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ウィルヘルムとの面会未だ叶わず。
ただし余自らが交わした約定は候にとりても重く、直ぐにも一万二千の兵が集まることは相違ない。我が都の窮状は全カトリック教徒の良心を動かす。心して待つべし。
手紙は尚も続く。
しかしシュターレンベルクは、そこで読むのをやめた。
視界に入った残りの文面はどれもくどくて、中身のないものであったから。
つまり援軍は期待できないということ。
今はまだ──と付け足すことができるのは、ウィーンにとって慰めか。
それとも現実から目を背けているだけなのか。
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