パン・コンパニオン(9)

 まずは一人目。

 腕を右斜め下に。

 撫でるように動かす。

 手首に確かな感触。

 兵の喉が割れた。


 大勢を相手にする時、剣を痛めては命取りとなる。

 骨を断てば刃が毀れる。

 柔らかな喉はまさに狙い目であった。

 加えて馬上から歩兵を斬るに、喉はちょうど剣の切っ先の位置にあるのだ。

 斬るのではない。

 突くように撫でるだけで良い。


 返す剣でもう一人。

 今度は喉ではなく、耳の辺りに切っ先が触れる。

 そのまま軽く押し込むと──プチン。

 指先に震えが伝わってきた。

 動脈を断ったのだ。

 剣を引き抜くと同時に鮮血の噴水。

 心臓の鼓動に合わせて滝のように血が噴き出す。


 立て続けにもう一人。

 同じ箇所を。

 二人が血を噴き出し倒れる様を見て、敵兵は明らかに怯んだ様子。


「リヒャルト殿、今のうちに!」


 その隙にルイ・ジュリアスがリヒャルトの前に馬をつける。

 戦士とは思えないほど細い腕をつかんで馬上に引っ張り上げ、すぐさま踵を返した。


「退くぞ、急げ!」


 シュターレンベルクは叫んだ。

 先にルイ・ジュリアスを行かせ、自分は一呼吸おいてオスマン兵を一睨みしてから馬首を返す。


 元より偵察部隊。

 犠牲が出た以上、深追いはしてくるまい。

 集落をこのままに去ることは心残りだが、今は門へ向かって一目散に走ろう。

 報告を受けたオスマンの将もすぐさまこの場所の制圧に来るだろう。

 その前にこちらが先んじて兵士を繰り出して、小屋を取り壊しておかなくては。


「閣下、あぶなっ……!」


 先のことに意識が飛んでいたせいか、反応が一瞬遅れた。

 馬の進路にオスマン兵が二人、回り込んでいたのだ。

 人数の優位を当て込んでか、まだ戦う気でいるのだ。


 湾曲した刃が二振り。

 左右からあやまたず、馬上のシュターレンベルクめがけて繰り出される。

 右はこちらの剣で受け止める。

 だが、左が──。

 顎に風圧を感じる。

 迫る刃。

 遠くでリヒャルトの悲鳴。


 その瞬間。

 背後で空気が唸った。

 同時に耳をつんざく叫び声。


「エイッ!」


 少年だ。

 シュターレンベルクのマスケット銃を、兵士の頭めがけ振り下ろしたのだ。

 重い銃底が額にめり込み、異様な音が辺りに響く。

 崩れ落ちる兵士は瞬く間に背後へ流れる。


「悪いな、助かった」


 嫌な感触が手に残ったか、後ろでアワアワ言っている小僧にはシュターレンベルクの言葉など聞こえちゃいまい。

 疾走する馬の上で彼の腰にしがみつくのがやっとという様相である。

 銃を落とさなかったことだけでも褒めてやらなければ。


「ルイ・ジュリアス、怪我はないか」


「はい、閣下。リヒャルト殿も無事です」


「……ああ、悪かったな」


 それぞれ荷物を積んだ二騎は、来た時の数倍の速さでグラシを抜ける。


 その時だ。

 何もない空き地なだけに見通しのきくグラシに、新たな人影が現れたことにシュターレンベルクは気付いた。

 たった一人、だが騎兵だ。

 馬もシュターレンベルクのよりずっと大きなもので、そこに乗る者の体格もまた然り。


「か、かやく……火薬を」


 後ろの小僧が慌ててマスケット銃を抱え直す。

 前に座るシュターレンベルクの鞄に手を突っ込んだまま、何だか不思議そうにこちらの顔を見つめる様子。

 指揮官の背中から緊張が抜けていたのだ。

 数秒の後、グラシに轟く大音声。


「兄上、随分お探ししたぞ。このような所にいらしたか。ご報告があり申す」


「遅いぞ、グイード。この役立たずが」


 隣りのルイ・ジュリアス共々、馬の足を緩めながらシュターレンベルクは返した。

 騎兵はこちらに近付くと、馬上で簡易的な一礼をよこす。

 指揮官が頷いて応じると、グイードと呼ばれた男は二騎の上に四人──一部はずり落ちながらしがみついている様に明らかに顔を顰めた。


 経緯をかいつまんで話すと、集落の取り壊しなどおれがやりますのに、と恨みがましい視線を投げてくる。

 グイード・ヴァルト・シュターレンベルク──指揮官のいとこで、彼を「兄上」と慕う事実上の副官である。


「兄上、即刻お戻りくだされ。市長殿がすぐに話がしたいとおっしゃって……兄上? いつもの銃はどうされた!」


 いちいち声が大きい。

 後ろの小僧がマスケット銃を抱えたままビクリと身を震わせたのが分かった。

 安心しろ、お前が責められてるわけじゃないよと呟きながら、シュターレンベルクは軽く「失くした」と答える。


 今持っているソレは、愛用の物ではない。

 マスケット銃など、どれも同じように見えるものだが、さすがグイード。

 生え抜きの軍人となるために幼い頃よりシュターレンベルクの下についていただけのことはある。


「失くしたから武器庫から一つ取ってきた。安心しろ。どんな愚作でも、それなりに言う事をきかせる術は心得ている」


 そう、数日前までは確かに手元にあった。

 無くなったと気が付いたものの、あえて探さなかったのには理由がある。

 指揮官の愛銃が消えたとなると騒動になるだろう。

 もしかしたらエルミアが盗ったのではないか──そんな思いがあったのだ。

 だから誰にも言わなかった。


 武人が銃を失くしただと──唖然とするグイードに、シューターレンベルクは面倒臭そうに視線を送った。

 屈強と形容するに相応しい大柄な体格に、物々しい造りの革の鎧を着込んでいる。

 この時代には珍しい格好だ。


 銃や砲の発達により、甲冑は無意味なものとなった。

 それらは人間がまとえる程度の厚みの鉄板なら簡単に撃ち抜くからだ。

 中世に比べて装備は軽量化され、その分軍服や将の軍装は華美になった。

 そんな時代に逆らうように古臭い皮鎧を着用しているのは、この男なりの武人のあり方というものを表現しているのであろう。


「その暑苦しいのを脱いだらどうだ。七月だぞ」


 からかうつもりはないが、見てるこっちがむさ苦しい。

 案の定というべきか。

 グイードはむっとしたように口元を結んだ。


 物腰と口調から少々老けて見える従弟であるが、こういう表情をすると若さが表に出る。

 彼はまだ三十歳手前であった。

 「兄上」と呼んで慕ってくれるが、こちらとしてはグイードが七つの時から戦場に連れて行って世話をしているので、どちらかといえば息子のような感覚だ。

 息子といっても頼りになる分、相当口うるさいのも事実なわけで。


「兄上に倣ってカツラは取り申した。だが、この鎧は脱がぬ」


 武人である以上これだけは……と言い出すのを慌てて遮る。


「汗をかかないのか? 何度も言うが、今は七月だ」


「うむ、汗だくだ」


「……だろうな」

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