パン・コンパニオン(5)

 丁寧な説明に、二人の若者は押し黙ってしまった。

 狙い通り「安心」を与えられたかどうか分からない。

 少しくらい反応してほしいものだ。


「いい加減、首が痛い」


 馬上でずっと後ろを向いていたせいで、肩のあたりの筋が引き攣れる。

 シュターレンベルクがゆっくりと首を戻した瞬間のこと──眼の前で何かが走った。


「ぐっ……!」


 額に衝撃。

 閣下、父上という叫びの中で、シュターレンベルクは馬から滑り落ちた。

 眼前の景色が歪み、落下の衝撃で一瞬真っ暗になる。

 撃たれた、と思った。


「閣下、大丈夫ですか!」


 落馬した指揮官を庇う体でルイ・ジュリアスがシュータレンベルクの前に走り寄る。

 そんな部下を手で制して、彼は立ち上がった。


「……今のが銃弾なら、俺は死んでたな」


 痛む額をさすりながら、その方向を睨む。

 彼らの前には村があった。

 空き地(グラシ)の外れにぽつんと数軒の建物、いや、小屋と形容した方が正しいか。

 シュターレンベルクの額を打った飛び道具がそちらから飛んできたのは間違いない。

 ウィーン防衛司令官と知ってか知らずか分からないが、歓迎されていないということは確かなようだ。

 ウィーン市内への避難を拒否する以上、並々ならぬ覚悟で臨んでいるということだろう。


 市壁内は面積が限られており、常であれば壁外の平地にも家や店が林立している。

 この辺りも物売りの声で賑わっていたはずだ。

 今はほとんどの者が集落単位で市壁内に避難しており、戦略上の観点からも彼らの住む家──つまり遮蔽物は撤去されて更地になっているという状態だ。


 だが、この場所だけは少し様子が違っている。

 雑多な小屋の隙間を縫うように、溝のような水路が走っている。

 シュターレンベルクは馬の手綱を引いて水路沿いに歩を進めた。


「何なんでしょうか、これは。父上のおでこに当たった時はガツンとそれはそれはお気の毒な音が聞こえましたが、こうして触るとぐにゃぐにゃと柔らかくて」


 ずり落ちるように馬から降りたリヒャルト。

 武器を拾い上げ、しげしげと眺める。

 怒鳴りつけてやりたい気分だ。


「泥団子か何かだろう。いずれにしろ大した武器じゃない。抵抗している人数もさして多くはない筈だ。リヒャルトよ、奴らはどこに潜んでいる?」


 父の声に、武人特有の凄みを感じたのだろう、リヒャルトは手にしていたものを慌てて捨てた。


「やつら……? は、はい、奥です。一番向こうの水車小屋。用水路沿いの……」


 水路を辿ると、成程。

 数軒の小屋の向こうに小さな水車が回っているのが見える。


「リヒャルト殿、彼らは何人くらいであそこに立て籠っているんだ?」


 そこにあったのは可哀想なくらいのぼろ小屋であった。

 木切れで作られただけの粗末な箱のようだ。

 立てこもるって言ったって、あの中にそう何人もいやしねぇよと苦笑しかけたところ、シュターレンベルクはハッと息を呑む。


 そうだ。彼らだ。

 ここに居る者は敵じゃないんだ。

 自分は今、何と言った? 「奴ら」と口にしていたではないか。


 いつの間にか配慮をなくしてしまっていた。

 ここにいる者は守るべき民である。

 敵ではない。

 今回ばかりは若者に教えられた思いだ。


「ほ、他の村人には市内へ避難してもらったのです。私が説得して」


 私が説得しての所だけ、やけに誇らしげにリヒャルトが告げる。

 だが、こちらの若者はどうにも狼狽えている様子だった。


「で、今も小屋に立てこもって避難を拒否しているのは何人なんだ」


「わ、私はもう一度説得に来ようと思っていたのです。それをルイ・ジュリアス殿が避難はまだかまだかと騒ぎ立てて、こともあろうに父上のお耳に入れるなんて。私がもう一度話をすればきっと分かってくれて立ち退きに応じてくれた筈なんです。市内へ避難させて、そうしたら建物だってすぐに壊して……」


「だから何人だ」


 重ねての問いに、リヒャルトは観念したように目を閉じる。


「……ひとり、です」


 一人だぁ? シュターレンベルク、声が跳ね上がるのを自覚した。


「いえ、その、でも、一人と言っても物凄く屈強な男で……」


 言い訳は最後まで言葉に乗せることは叶わなかった。

 甲高い声が辺りに響いたからだ。


「デテケー!」


 水車小屋の屋根に、ちんまりした子供が仁王立ちしている。


「出てけーッ!」


 リヒャルトが「ああ……」と呻いて、その場にうずくまった。


「屈強な男はどこにいるんだ、リヒャルト殿」


 決して嫌味ではあるまい。

 ルイ・ジュリアスは油断する様子なく腰を落として周囲に視線を走らせている。


 だが、シュターレンベルクは一瞬で悟った。

 ウィーン市内への避難命令を無視していつまでも集落に残り、説得係の息子を手こずらせる屈強な男とは……そう、アレなのだ。


 金髪に緑の双眸。

 人形のように整った可愛らしい顔を真っ赤に染めて、こちらを睨み付けてくる小娘──いや、小僧だろうか。

 我が息子はいったい何をやっていたのだ。


 オスマン軍兵士にとって身を隠す基地ともなりうるウィーン市壁そばの集落の撤去。

 それに伴う住民の避難を、数週間かけて完了させる。

 それはあいつに与えた数少ない仕事のうちの一つであったというのに。


 いや、言うまい。

 息子の不手際は父が何とかすれば良いのだ。

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