第一章・水色の名残雪

第一章



 海岸が見えないアクアの西端。

 アクアを支える三つの神殿のうちの一つ、西神殿の門の前で、少年は頭を抱えていた。

 アクアの神殿の最深部は、男子禁制の……巫女と側仕えのみが入れる聖域だ。

 しかし、少年は少年であって、どうあっても少女にはなれない。

 元々大人の姿から少年の姿に変化しているのだから、無論、変化術による少女への変化は可能だった。

 だが、それだけはどうしても……どうしても、避けたかった。

 嫌なことが頭をよぎるからで――策略として必要なことは分かるのだが、自分がそういう素振りをすることを想像すると、どうしても「被ってしまう」のだ。


「解っている。解っているさ……私は責任者だ。こんな些細なことで躊躇してはならないことくらい、解っている。だが……」


 ぐるぐる、ぐるぐる。


 八の字を描くように、門の前で行ったり来たりを繰り返していると、門の奥の方向から何かものすごい破壊音が響く。


「――!」


 小声で守護術を張るやいなや、何かに「衝突」された。


「ぐあっ」


 守護術を張っていなければどれほどの衝突になったのだろう。

 腰骨あたりに思い切りぶつかってきた「人間」を、まじまじと見つめる。


「……痛いのだが?」


「あっ! すみませんっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! あぁ、もうこのようなことはしないと誓ったばかりですのに……」


 見れば、凄まじい衝突を披露した人間は、まだあどけない少女だった。

 長い水色の髪は地面まで伸びており、髪と同じ長い長い白の衣は、土埃で汚れて茶や灰色を帯びている。

 髪より深い海の色をした瞳で、少女は少年の頭をそろーっと撫でた。


「えっと、よーしよし……だいじょーぶだいじょーぶ、いたいのいたいのとんでけー? って、おまじないでしたっけ? 以前、私の側仕えをしていたお姉さまから教わったのですが……ええと、痛み、とんでいきました……?」


「あー、いや、大丈夫だ。大丈夫、撫でなくて良い――いや、有り難いんだけど、もう十分だよ。痛みは治まった」


 激痛ではあったが、少女の指先の震えに気付き、どう答えたものかと迷いながら口にする。


「それより、君は? その服は、アクアの巫女しか着られないはず……」


「あっ、はい! 私はアクア西神殿の巫女……でした、今朝までは。名は、ネウマと申します。ええと……その、実は……皆の能力に目覚めが起きたあの日、私に目覚めたのは……腕力の成長とも言える破壊力でした。少し力を加えただけで、神殿の柱が折れてしまうのです。それで今朝、新たな巫女を任じたため私の巫女職を解任するとの通達があり……慌てて退出しなければと外に急いでいたら、通路のものをたくさん破壊してしまいまして……貴方にも、ぶつかってしまいました」


 巫女というイメージからはかけ離れた慌てぶりで早口で説明する少女……ネウマは、先ほど街ですれ違った子供たちと、何ら変わりがなく。

 思わず、笑みが漏れる。


「――私……僕なら、大丈夫。でも驚いたよ、巫女ってもっと……威厳……あ、いや、厳格なのかと思ったから。……僕は、フィン。各地を旅しているんだ」


「フィン……さん。あの……私は、おかしいですか?」


「え?」


「笑ってらしたから……」


「あぁ、違うよ。安心したんだ。僕は巫女となんて接したことがないからね……どんな言葉を使えばいいか判らなかったけど……普段通りでいいんだなって」


 ふう、と大げさに息を吐き出した。

 安心しきったように、地面に座り込む。


「あら、そうでしたの? 私なら構いませんわ。それに、巫女はもう解任されてしまいました。今の私は、行くあてすらない子供ですもの」


 座り込んだ少年……フィンの隣にちょこんと座ったネウマは、何故か笑顔だ。


「行くあてがないのに……君は、笑っているのかい?」


「ええ。あてがないのなら、探せばいいのですわ。巫女の務めの歳月は、外と隔絶されます。私は、ずっと外を知りませんでした。でも、この謎の破壊力が生まれてしまったから、解任されて――やっと、外の世界を知ることができるのです」


「外の世界は、危険かもしれないよ? 君は、歩いていけるのかな?」


 意地悪く、質問をしてみた。

 希望だけを抱いて生きるには、まだまだ外の情勢は落ち着いていない。


 そんな場所を、これからこの子は歩くのだ――……一人で。


「そうですわね、困りましたわ。……あ! フィンさんは旅をしていらっしゃいますし、途中までご指導願えませんか? 藁があったら掴むだけではなく、藁を持った相手を引き寄せてがんじがらめにして獲物は逃がすな、って、側仕えだったお姉さまがいつだったか、教えて下さいました。なのでですね、逃がしませんので、私が旅の力をつけるまで、同行して下さい。──命が惜しければ」


 にっこりと、ネウマは笑う。

 屈託のない微笑みは、これが相手への脅迫のセリフだということを知らないのだろう。

 全く、側仕えは一体どんな人間だったのやら……。


 ん……?

 待てよ、側仕え──


 界の守護者のうち一人はアクア西神殿に潜入していたと記述があったような……。


 と、いうことは。


 ……いや、解っている、解っているさ。

 こんなことを一般常識のように嬉々として教える輩は、あれの教え子くらいだろう。


 ぎりぎりと、手首を握るネウマの力が増してゆく。

 この破壊力を始終防御するのは、骨が折れそうだ。


「――わかった。いいさ、付き合ってやるよ。その代わり、覚えるまでだ。早々に生きる道を見つけて、どこかに定着してくれ」


「ありがとうございます、フィンさん! では、宜しくお願いしますね」


 改めて立ち上がり、深くお辞儀をしたネウマに、フィンは何とも言い難い表情を浮かべた。


「ああ。宜しく……頼む」



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