第89話 ラストバッター
優紀ちゃんがピンチを迎えても要所で抑えるピッチングなら、大槻さんはその隙も生み出さないようなピッチングだ。両者一歩も譲らずに迎えた5回裏、和泉大川越の攻撃でノーアウトランナー1塁3塁というピンチを迎えて、バッターは4番の大槻さん。
その初球、大槻さんはシュートを引っ掛けてショートへの併殺打となる。しかしその間に3塁ランナーはホームに帰り、和泉大川越は1点を追加。1対3と、点差は2点に広げられてしまった。
……5回表の攻撃で、ワンナウトから私が敬遠された時、当初の構想なら御影監督は真凡ちゃんに打たせたかったはずだ。しかし、ここで御影監督は送りバントを選択する。打たせる方が不味いと、判断したのだと思う。その後、ツーアウト2塁となって本城さんとは勝負を避けられ、智賀ちゃんはライトフライに倒れた。
あの攻撃を抑えられてから、流れはずっと向こうにある状態だ。そして最終回、7回表の攻撃は8番の美織先輩から。既に80球を超えているのにも関わらず、大槻さんのストレートは遅くなるどころか速くなっているかのように見える。
美織先輩がセカンドゴロで倒れ、奈織先輩が三振すると、ツーアウトランナー無しという状況で私の打席だ。ホームランを打っても、2点差はひっくり返らない。結局、敬遠を甘んじて受け入れてツーアウトランナー1塁。そして、真凡ちゃんが打席に立つ。ここまでの成績は、ヒットと三振と犠打。
初球のストレートに、真凡ちゃんは空振る。このまま行けば、真凡ちゃんがラストバッターだ。
(私が繋げば、チャンスはある。だから、芯で捉えさせなさいよ!)
カウント2-2から9球目、伊藤は大槻が決めに来たストレートもカットする。今までのミスを取り返したい気持ち、関東大会まであと一歩という気持ち、ラストバッターになりたくない気持ち、まだ希望はあると自身を奮い立たせ、厳しい球は全て打ちに行っている。
そして運命の10球目、内角のボール気味に投げられたストレートを、伊藤は打った。カンと軽い金属音が鳴り、ボールは高く上がる。
しかしフライになった打球は、ピッチャーフライになってしまった。打球は、大槻のグローブに納まる。1対3で湘東学園が敗れ、和泉大川越の決勝進出が決定する。
打った伊藤はバッターボックスから3歩走ったところで、膝から崩れ落ちた。その伊藤の右腕を掴み、奏音は立ち上がらせる。
「泣く元気があるなら大丈夫だね。ほら、整列するよ」
「……っ、分かってるわよ」
試合後の挨拶をした後、ごしごしとユニフォームの袖で涙を拭いて悔しがる伊藤とは対照的に、奏音は至って普通だ。若干、不愉快な表情こそしているものの、そこまでの悔しさは感じていない。そこで伊藤は自分ぐらいに悔しがっているのが、江渕だけということに気付く。
「……あ、気付いたかも」
「おー。真凡ちゃん、結構凄いかも。というか、カノンが意地悪過ぎるよ」
「私、嘘は言って無いよ。関東大会まであと1勝って、何度も言ってたし」
奏音と西野の会話に、より一層のハテナが伊藤の頭の中に浮かぶ。そして奏音は、伊藤と江渕にとってはとんでもないことを言い始めた。
「関東大会に出場できるのは、東京を除いた関東の7県の準優勝校以上、つまりは決勝進出が条件になる。だけど、関東大会に出場するのは15校なんだ」
「……えっ?それって……」
「……関東大会の開催県は、県大会3位も出場できる。そして今年の関東大会の開催県は、神奈川県。つまり、明日の3位決定戦の試合で鎌倉学院に勝てば、関東大会への道は潰えないよ」
奏音は伊藤と江渕に今日で負ければ全てが終わるかのように話していたため、3位でも関東大会に行けるというのは衝撃的な発言だった。
奏音は2人が試合に集中できるように、負けてもまだ可能性はあると感じながら、プレーをして欲しくなかった。そのことを追加で奏音は話した後、ごめんねと伊藤と江渕に対して謝った。
「なによそれ!?」
「私達、騙されたんですか!?」
「今日は負けても仕方ない、今日は負けても次があるという、イメージを持ったままで試合はして欲しくなかったんだよ。ただ、真凡ちゃんに関しては伝えておいた方が良かったと後悔している最中かな。私が欲張った、私のミスだ。だから、ごめんなさい」
そしてもう一度、奏音は深々と謝る。伊藤と江渕の2人は、既に技術面で大きく成長をしている。しかし大会が煮詰まっていく中で、戦い抜けるメンタルはまだ手に入れていない。初心者特有の怖いもの知らずを彼女達はもう、持ち合わせていない。
伊藤や江渕の奏音への怒りはすぐに納まったが、それはまだ終わっていないということの安堵感からだった。最初からこれを知っていれば、ここまで悔しがることも無かったし、後悔も無かっただろうことを考えると、複雑な心境になる。
そして2人は明日の試合に向けて、照準を合わせる。今度こそ本当のラストチャンスだということを教えられ、今度は2人とも気負い過ぎることなく気合いが入った。
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