第28話 3塁ランナー

「ナイスバッティング。

今日は粘らなかったのね」

「敬遠気味だったしね。というかファールで粘るのは何度もやりたくないし。あれは夏の初戦だからペースを掴むためにやったんだよ」

「……敬遠でボール球を4回投げるより、1回投げるだけのデッドボールの方が良さそうって考え方は、あり得ない考え方なの?ちょっと想像して、怖くなっちゃったのだけど」

「あはは、故意死球は流石にあり得ないよ。硬球使って故意死球とか、ちゃんと野球をしている人なら危険性がわかるしね。そんな非常識な考え方の投手はまずいないから、安心して良いよ」


右中間を抜けるスリーベースヒットを打ち、3塁ベース上で立ち上がったところで、3塁ランナーコーチに入っている真凡ちゃんと少し会話をする。……真凡ちゃんが3塁ランナーコーチに入っている理由は、彼女の判断が素早いからだ。ランナーコーチの仕事はかなり重要で、私も積極的に入っている。


判断が早いことに加えて真凡ちゃんがランナーコーチに向いている理由として、勝ち気な性格と声が大きいという理由もある。それでいて、頭が良いから無謀な走塁はしない。打順の関係もあるけど、真凡ちゃんがランナーコーチに入っていることは多い。


その真凡ちゃんとの会話の中で粘らなかった理由を話したけど、1回戦で分かりやすいペースの握り方をしたのは、あれが夏の初戦だったからだ。


どんな強豪校でも、初戦で負けることはある。ダークホースがいたり、たまたま対戦相手のエースが絶好調だったり、様々な理由は考えられるけど、何より大切なのはメンタルだ。初戦で、いつも通りに戦うということは難しい。


勝てそうな雰囲気作りは何よりも大切だし、何より、公式戦で初めて試合をするという人が2人もいた。良いペースを作らなかったら、コールド勝ちは出来なかったかもしれない。それどころか、負けていた可能性もある。4番が流れを変える役割なら、1番は流れを作る役割だ。


だから今回は、1番流れを掴めそうな三塁打を打ったというだけ。


続く2番の美織先輩は初球、バントの構えだけすると大きく外れたボールとなる。スクイズを警戒してくれていることが分かったので、2球目以降は私が走ってプレッシャーをかける。右投げの投手は、私がどうしても視界内に入る。私が走ることで、スクイズの雰囲気を匂わせることが出来る。


もっとも、私が走るのは投手がリリースするまで。監督のサインはずっとバント、取り消し、待球だ。意図が分かりやすく、バッターにもランナーにも監督の考えは伝わっている。


そうこうしていると、牽制球が入る。特に上手な牽制では無いけど、大きなリードをするのは難しいかな。




(く、3球目でも無いのね。スクイズを警戒し過ぎて、四球を出すのは嫌なのに)


平塚高校のキャッチャーで4番の中村(なかむら)は3-0となったカウントを見て、顔を歪める。2球目はストライクを要求したのにも関わらず、エースの角田(かくた)はストライクを入れられなかった。奏音が走ったのを見て、咄嗟に外してしまったからだ。


3-0から4球目を膝元に入れるも、5球目でコントロールが乱れてフォアボールとなる。ノーアウトランナー1塁3塁で、バッターボックスには奈織が入る。


(先取点にはこだわりたかったのだけど……1点は仕方ないかしら。これ以上、ランナーを溜めるわけにはいかない。1塁ランナーは走って来るから、初球はカウントを稼ぎましょう)


中村は1塁ランナーである美織が盗塁をしてくると読み、初球でストライクを入れるようにサインを出す。しかし美織は走らず、奈織は初球でカウントを取りに来たストレートをしっかりと叩いた。初球から、ヒッティングのサインが出ていたからだ。


去年から公式戦に出ている彼女は、落ち着いてヒッティングに出ることが出来た。ボールはショートとサードの間を抜け、レフト前へと転がる。


当然奏音はホームに帰り、湘東学園は先取点を獲得した。そしてこれは、湘東学園の面子が思っていた以上に大きな先取点だった。


「良い流れですね。っと、キャプテンが打ち上げてしまいました」

「レフトは……流石に落とさないか。ワンナウトランナー1塁2塁で智賀ちゃんだけど、併殺が無さそうなのは嬉しいね」

「……江渕さんの三振率、通算で6割を超えていますけど、これで良いんですか?」

「三振は気にしないでって言ってるから、仕方ないね。下手に当てに行くよりも、今の方が脅威だよ。打球がほとんど転がらない、一発がある打者と、ランナーを溜めて対戦したくないでしょ」


ベンチに戻った奏音は春谷から江渕の三振率を聞き、苦笑いしてしまう。それでも、奏音は期待した目で江渕を見つめる。ホームランを打てるバッターというのは、貴重な存在でもある。今はまだ打率が低い中、それでも5番に置かれているのは将来的なことも考えられているからだ。


打順ごとに、求められる役割というものは違ってくる。4番向きの打者でも、ずっと8番に置いてしまえば8番打者のバッティングになってしまう。江渕を5番打者として育てることは、矢城監督と小山、奏音の3人で決めたことだ。そしてこのことに関しては、チーム全員が同意している。


一発が出れば、非常に大きい。そんな場面で江渕のバットからは快音が響いたが、結果は高く上がったライトフライになった。2塁ランナーの奈織はタッチアップをし、3塁へと進む。


ツーアウトランナー1塁3塁となって、バッターボックスには3年生の大野が入った。

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