第5話「スモーキー佐藤」
第五話「スモーキー佐藤」
――――『最年少レーサーが、ティン島PPレースで優勝!!』
1990年代、世間を騒がせたあの事件。
当時、まだ10代だった少年が、世界最大のレースで優勝を飾ったのだ。
その衝撃的なデビュー以来、彼は世界中の人々から大きな注目を浴びることとなった。
『あのレーサーがまたしても優勝。最年少記録、また更新です!』
『彼は本当に人間なのか?』
『今話題のあの人に独占インタビュー!』
そんな見出しの記事が毎日のように新聞の一面や雑誌の表紙を飾った。
少年は幸せだった。誰もが自分の事を知り、賞賛してくれた。
そして何より、恋人の笑顔を見ることができたからだ。
「ねぇ、ほら見て!また載ってるわよ!」
レースで勝つと、彼女はいつも笑ってくれる。そして、祝福の言葉をかけてくれる。
「さすが私の恋人ね!」
彼女の笑顔が好きだった。
彼女が喜ぶ顔が好きだった。
「私ね、いつも思うのよ。世界一速い人にエスコートしてもらって、前に誰もいない道を進んでいくの。まるでお姫様になったみたいじゃない?」
いつも、どこか寂しい顔をする彼女。そんな彼女の笑顔を見たい一心で、少年は走った。
しかし、次第に彼女は笑顔を見せなくなっていった。
――――俺がもっと速ければ、一番の景色を見せてやれれば…。
少年は今まで以上に速度を追求した。各国を飛び回り、様々な大会で記録を更新していった。
だが、それでも彼女が心から笑ってくれることはなかった。
そんなある日、アメリカにいた少年のもとへ一本の電話が入った。
『彼女が危篤だ。今すぐ来てくれ』
交通事故。信号を無視したトラックに、彼女は跳ねられたのだ。
少年は走った。ブレーキを踏み込む暇などなかった。
しかし、いくら速いとは言え、アメリカから本国までは、飛行機を使わなければ行けない。
チケットは数時間待ちだ。
俺が、もっと、もっと速ければ…。くそッ!何が世界最速だ。何がレーサーだ。
結局、少年は間に合わなかった。空港の中で彼女の訃報を聞いて…。それからのことはあまり覚えていない。
ついに笑顔を見せることなく彼女は死んだ。少年は自らののろまを呪った。
それから数か月が経った。葬式も終わり、彼女の遺品を整理していると、少年は一つの手紙を見つけた。彼女がこれを送るつもりだったのか、それは分からない。ただ、一言だけ
『置いてかないでよ』
とだけ書かれた便箋。
そうして、少年は気が付いた。
彼女から笑顔を奪っていたのは、俺だったのだ、と。
もっと彼女に寄り添うべきだった。
俺は彼女を置いて行ってしまっていたのだ。
少年は、自らの速さを呪った。
それから数年が経ち、レースに出なくなった少年が世間から忘れ去られた頃。
新聞の小さな一面に、こじんまりとした記事が一つ。
『世間を騒がせたレーサーが自殺。リボルバーで頭を打ちぬいた。』――――
上空から見た美術館は、通路やオブジェクトが美しく並び、「車」という字を作り出していた。なんともシャレオツな建物だ。
ヘリコプターから降りて、正面入口へと向かおうとする。「そっちじゃありませんよ」帳がそういうと、隅にある小さな裏口へと案内された。
『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉は、美術館らしい装飾もなく、鉄で作られた寂しいものだった。
「こういう裏口とか、子供のころはなんとなくかっこよくてあこがれてたなあ。」
初めて裏口に入ったのは小学生低学年の、見学の時だった。あの時は確か、動物園の裏側を見せてくれたっけ。ああ、懐かしいなあ。
「これを。」
渡されたカードを見る…。「関係者?」
カードには俺の名前と、関係者という文字が印刷されていた。カードはラッピングされ、首にかける紐もついている。こういうのは吊り下げ名札と言うらしい。だから何というわけでもないが、こういうどうでもいいものの名前をつい調べてしまうのはなぜなんだろうか。
……ともかく、これで美術館の中に入ることができた。今は営業時間外。帳の働きがなければ、怨霊退治もこうもスムーズには進まないだろう。
「しっかし、よく入れてくれましたね、美術館の人。」廊下を歩きながら、横目で展示物を眺めてみる。ガラスの中に、エンジンやタイヤがびっしりと並んでいた。どうやらここは、車専門の美術館らしい。建物の形が車だったのも納得だ。
「はい、普通は無理なのでちょっとした裏技を使いました」
「その裏技って?」帳の男は少し悪い顔をした後
「そういうツテがあるんですよ。」とだけ言った。
「・・・はあ。」なんとなく、これ以上聞いたら危険と察してそれ以上追求しなかった。
「はあ、スペーリがいないと寂しいなあ…。」
実をいうと、俺は一時間以上スペーリから離れると禁断症状を起こしてしまうのだ。具体的には…やる気がなくなる。一見すると大した症状のようではないが、これは『五月病』として正式に病気として認められている…と思う。
憂鬱に俯きながら廊下を歩いていると、不意に後ろから声がした。
ワオーン
スペーリの声だ!
急いで振り向くと、暗くてモフモフの毛並みが視界を埋め尽くした!
「クゥ~ン」
「おいおいスペーリどうしたんだ~。俺が恋しくなってやってきたのか?」
まったく、なんていい子なんだ。駅前に銅像を建ててやりたい。
スペーリに遅れて、後ろから帳の制服を着た男が歩いてきた。
「僕が連れてきたんだけどなあ…。」
「まあいいんじゃないですか。本人たちが楽しそうだし。」
しばらくして、目的地に着いた。
「さて、ここです」と言って一枚の扉の前に立った。
「この中か?」と聞くと帳の男は頷いた。早速、扉を開ける。
「な!!これはッ!!」
空気力学によって抵抗を極限まで減らされた曲線的なボディに、黒と黄色のツートンカラーが生物的な彩を加えている………。
ヘッドライトは怪しく輝き、それでいて、乙女の魅惑的な瞳のようにも見える…!!
機械的で、生物的。蠱惑的で、冷笑的。
俺は、どこかで、これを見た気がする…。
「ハッ!」
思い出した。あれを始めてみたのは確か…小学生のとき。
「蜂だ!!」
蜂は生物でありながら、さながら機械のような集団を構築する。女王蜂を中心に回る歯車仕掛けの古時計のように、規則的で従順なコミュニティ。
「そう、ロス・ソーロウン・スーパースポーツは、別名『女王蜂』とも呼ばれています。」
帳の一人が、車体のくびれを撫でながら解説してくれた。
俺は車マニアではないが、すっかり目を奪われてしまっていた…。
スペーリも、ここでは言えない何やら自然に帰ったような動きをして、車に興奮しているようだった。
「ハッハッハッハッハッハッ」
「これは・・・すごいな、しかしあいつはどうやって盗むつもりなんだ?」
「さあ?ですが、油断は禁物です。」
「そうだな、だけど車をここから出さない限り、大丈夫だろう。」
「ですね」すると、突然外が騒がしくなった。
「なんですか?この音?」
「この近くで工事をしているらしいんですよ。なんでも、新しく別館を建てるらしくて・・・」
「そうですか」
ドドド、ガガガ。そういった音が、館内にこだまする。しかし、何か違和感を覚える音だ。
「なんだが、音が近くありませんか?」
「そうですか?」
「はい、なんだか、美術館の真横で解体工事をしているみたいですけど」
それは一瞬だった。ドガンッ!という音と共に、地震のような振動が足元を襲う。
「なんだ!?」
困惑する暇もなく、今度は頭上から何か黒い影が落ちてきた。
これは…屋根か?
間一髪のところで降ってきたコンクリートを避ける。
「おい!大丈夫か!?」
「ワンッ!」
「ええ。我々も霊媒師の端くれですから。」
上をみると、突き抜けた屋根を埋めるようにして、巨大な鉄球がその巨体を覗かせていた。鉄球クレーン車だ。操縦しているのは・・・
「ひゃっほーーー!!これがあの外国車か~!なんてきれいなんだ!なめ回したい!」
案の定、あの怨霊だ。
奴はクレーン車から飛び出すと『ロス・ソーロウン・スーパースポーツ』に飛び乗り、瞬間、憑依した。そして、猛スピード扉を突き破り、外へ出ていった。
「あの野郎!」健斗は怨霊を追いかけようとする。
「健斗さん、これを!」
「なんだこれ」
帳の男が渡したのは車のキーだった。
「美術館の駐車場にもしもの時の車を用意しています!それをお使いください!」
「ありがとう!」健斗は受け取るとスペーリを抱え、急いで駐車場の車へと向かう。一瞬、怨霊がエンジンを吹かし、猛スピードで走っていくのが見えた。
「速いな・・・生身じゃとても追いつけん。」
車に乗り込み、エンジンをかける。
「おいおいこれってよ!!」
外見からは分からなかったが、これはトマタのスーバラだ!相当改造されていると見える…。
「うわぁっ!」
突如ブォォォォォンと鳴った大きなエンジン音に、驚いてしまった。
「なんだこの車は…!!? 一体帳の連中どうやってこんなの手に入れたんだよ…」
アクセルを思いっきり踏むと、Gで体が吹き飛ばされた。
「ババババッババババババ」
頬がうまく動かせない。なんだこの加速は!これはまるで…ゴキブリッ!!ゴキブリの加速力!!
ゴキブリが全速力で走ると、1秒で体長の50倍の移動が可能と言われている。
人間の縮尺にすれば、完全に静止した状態から新幹線を追い抜くくらいの速度が出てしまうのだ。
「ワワワワワワワワワワワワワアワワワアッワワ」
…スペーリ、お前ひどい顔だぞ。
怨霊を追いかけて、大通りを進んでいく。景色が現れては消え、消えては現れる。
「どこだ?あの珍走野郎は」
アクセルを踏み倒しながら、あたりを見渡す。しかし、なかなか見つからない。
プルルルルル。「モモモモシシシシシシイsモモモモッモシシシシシシ。」
「もしもし聞こえますか!?」
帳だ。
「よく聞いてください、Nシステムで奴の位置を特定しました。今はアクアラインに向かっています!」
「リョリョリョウカカカカイシタタタタ(了解した)」
ハンドルを切り、アクアラインへと向かう。
「見えたっ!やつの車だ!」
海沿いの道。今は夜だから人気は皆無だ。車のライトで怨霊の車体を照らすと、その曲線的なフォルムが露わになる。
「アヒャヒャヒャハハハハハ!!」
アクアラインの入り口では、機動隊がバリケードを組んで、車が入れないようにしていた。
「止まれええぇぇい!!」
しかし、怨霊はアクセルを緩めない。むしろスピードを上げたようだ。
「だれが止まるか!ノロマ共が!」
怨霊は機動隊員のバリケードをボウリングのピンのようになぎ倒し、アクアラインに入っていく。
「ストライクだ!ハッハーーーーー!」
「よっしゃあ!スペーリ俺らもいくぞ!」
アクセルを踏み、スーバラにさらに加速を命じる。
「ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
Gで目の前が真っ暗になった!「加速!加速!加速!」
アクセルを踏み続ける。怨霊を追いかけて、アクアラインを突っ走る。
なんとか、奴の後ろまで追い付いた。
しかし、奴はどんどん加速していった。後方加速がなければ、置いて行かれる!「ワヒャ!ヒャ!ハハ!」
「クソッ……スペーリ!あいつのタイヤを狙え!狙うんだ!」
スペーリは、尻尾を振った。そして、車窓から飛び出して、奴を追い抜く。
「ぐるるるるる」
スペーリは怨霊のタイヤに噛みつく。が、ビクともしない。
「同じ過ちは二度繰り返さない。それが俺様だああぁぁああぁぁ!!」
「ノーパンクタイヤだと!?」
あきらめたスペーリが、こちらへ戻ってきた。
「くぅーん」
「ちきしょうあの怨霊め!一体、一体どうすれば…」
「俺は速い!!!世界で一番速いのは俺だああああああぁぁ」
…そういえば、こんな話を聞いたことがある。
怨霊の倒し方は、一つではない。霊媒師である俺の親父が、よくそう言っていた。
「怨霊は、報われぬ死が生み出した穢れだ。つまり、怨霊を成仏させるには、奴らを満足させればいい」
さて、どうする。あいつを満足させる方法は。
「…最速、か」
奴は最速を求めていた。現に、奴は今この地上で最速の存在だろう。しかし、なぜ成仏しないのだ。なぜ奴は、不満なのだ。
「ええい!悩んでもしかたない。直接聞いてみるか!」
俺は奴に声が聞こえるまで近づいて、精一杯の大声で聞いてみた。
「おい!怨霊!お前は何が不満なんだ!どうして最速にこだわるんだ!」
「どうしてだと!?理由なんかねえ!俺は一番でなくてはいけないんだよ!最速だああ!」
「一番でなくてはいけない…。そうか、そういうことか。」
この怨霊の話し方には、前々から違和感があった。こいつは速さを求めているのではない。誰かに、そう命令されてやっているような、そんな違和感。
「お前、誰かに追い抜かれるのが怖いのか?」
「あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「おい!俺の話を聞け!俺とレースしないか?今の状態じゃ俺とお前の速度は互角だろ?でも最速が二人いるのはおかしい!」
「あひゃひゃひゃ!」
「ここで、どっちが速いのか決着をつけようじゃないか!ゴールはアクアラインの出口!先についたほうが勝ちだ!」
「あひゃひゃひゃ!」
怨霊は笑うと、さらに速度を上げた。レースに乗ったということだろう。
「スペーリ!つかまっとけ!!」
「ワンッ!」
俺はハンドル横に設置されたピンを引き抜いた。なにかはわからないが、「最終兵器」と書かれている。きっと、最終兵器だ。
ブォォォォォン エンジンがけたたましく鳴る。マフラーから、炎が噴き出た。
「これが、最終兵器…。」
速度メーターはすでに振り切れていて、今、いったい何キロで走っているのか想像もつかない。ただ、一つわかるのは、以前に乗った新幹線はこれほど速くはなかったということだ。
「もっと速く!!もっと速く!!」
アクセルを踏み続ける。限界まで加速したスーパラは、怨霊の車と並走した。
「クソッ!まだまだだあああぁぁ」
怨霊の車が速度を上げる。俺も負けじと速度を上げるが、今の状態が限界のようだ。
「これでもついて来れるかなああぁ!!?!」
怨霊が叫ぶと、奴の車からネジのようなものが投げられた。
ネジはスーバラのタイヤを貫通する。
「失速してるぞ!」
拙い、本当に拙いぞ…。
ゴールはもう目前だ。それなのに、怨霊との距離はどんどん増す一方だ。
「いやっほ~!俺様が一番乗りだぜええ!!」
仕方がない、あれをするしかないか…。
「スペーリ!デカくなれ!」
「ワンッ!!」
そういうと、スペーリはムクムクと大きくなり、道路を埋め尽くした。
十分に大きくなり、俺を手のひらに乗せる。
「ブウゥワッフウウゥぅぅ」
手のひらの俺を、スペーリはゴールへと投げ飛ばした。
「うわああああああっぁあぁぁぁ!!!」
目玉が飛び出そうだ。目を閉じようとしても、猛烈な風圧がそれを許さない。
きっと、ストッキングを顔に被って引っ張るやつみたいな顔になっているだろう…。ちょっと前からそこそこ流行ってるやつだ。
変顔になりながらも、俺は奴の車を追い抜いた。そして、ゴールを通過する。
「よっしゃ――――!やりやりやり~!やりやりりやりやりりやりやり~!!」
コンマ数秒遅れて、奴もアクアラインを出た。
中から怨霊が出てくる。
「俺は、負けたのか?」
「ああ、そうだ。」
「ひゃひゃ、そうかぁ!あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「気分は、どうだ?」
「初めての敗北…。悪くない、悪くないぞっ!!」
笑い声が、夜の道路にこだました。
いつの間にか、怨霊は消えていた。
あの怨霊は、きっと一番以外の景色を知らなかったんだろうなあ。だから、恐れていたんだ。楽しく走るってことを。
スペーリがこちらへ向かってきている。ありがとう。お前がいなければ負けてたよ…。
さて、車まで戻るか…。
………おいおい嘘だろ?
俺のスーバラは粉々に粉砕されていた。さっき、ハンドルを失って、壁に激突したんだ。
「これって、相当高いよな…。経費だよな?弁償とかないよな?」
・・・その頃、とある空港のホームにて
狐の仮面をつけた女が、キャリーケースを持って佇んでいる。
「さてと、あの二人は元気にしているかしら・・・」
女はやおらに歩き始めた。
スピードの怨霊『メタルギア』鬼災レベル:除霊完了___。
・・・つづく・・・
今回のイラストは―天馬です!ぜひご覧ください。
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