第4話 えっち♡
◆
アイルがお昼寝から起きると、外はすっかり暗くなっていた。
「生きてるねぇ」
こんな無防備に寝ていたのだから、ドラゴンか怪物の餌にされていてもおかしくなかっただろう。だけど、アイルは五体満足生きている。
「ふむ……さすがにもう、この考えは無理があるかなぁ」
どうにもそろそろ、生贄のために嫁がされたという設定には無理がありそうだ。
――でも、本当に望まれて嫁いできたのなら……。
そう考えそうになって、アイルはやめる。
「とりあえず顔がベタベタだな」
寝汗を掻いてしまったようである。顔を洗うついでに身体も拭きたい。
「さて、お水はどう貰えば……?」
どピンクな部屋の中を見渡せば、テーブルの上に呼び鈴らしきものが置いてある。アイルは試しに慣らしてみた。
「ふむ」
チリンチリンと可愛らしい音がしたかと思えば、十秒くらい。
とてとてと小さな足音が近づいてくる。
「お嫁さまー、お呼びですかー♡」
ご機嫌にやってきたのはメイドのリントだ。多少の用事はお願いしていい様子である。だから、アイルも愛想笑いを浮かべながら告げた。
「身体を拭きたいから、お水をもらうことはできないかな?」
「それなら、我ら自慢の天空温泉がございますよ!」
両手を打ち合わせて、リントはますますご機嫌の様子。大層自信のある施設なのだろう。だけど、アイルは笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「ううん。お水でいいの」
「……それなら、温泉のお湯を持って来ましょう。美肌効果があるだわさ」
「ううん。お水がいいな。思いっきり冷たいやつ」
「んんんん? お嫁さまは冷たいのが好きなの?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「んんんん?」
リントは笑みを崩さないまでも、固まっている。
だけどアイルがにっこり「お願い」と続けていれば、渋々踵を返してくれた。
「少々お待ちくださいましね?」
――また毒入り温泉の心配をしていると思われたかな?
仮にも聖女なんて仕事をしていたのだ。旅していたこともあるし、それなりに多くの人間と接してきたアイル。それなりに人を見る目もあるつもりだ。
「悪い人たちじゃないと思えちゃうのが、困り物だよねぇ」
――まぁ、人ですらないんだけど。
――あんなかわいいのがドラゴン、ねぇ。
そんなことを考えていると、時間なんてあっという間に過ぎる。
小さい女の子が一生懸命桶を持ってくるのかと思いきや……どうも足音が大きい。
「失礼するぞ」
端整な声が聞こえるやいなや、乱暴に扉が開けられる。
――あれ、なんで怪物伯が……?
と疑問を口にする暇もなく、アイルはまたしても担がれてしまって。
「ちょっと、今度はどこに連れて行くつもり⁉」
「身体を清めたいのだろう? 俺が案内してやる」
「それならちゃんと自分で歩くから――」
だけど、そう抗議している間にも怪物伯ことユーリウスはズンズンと大きな歩幅で進んで行ってしまう。そして、着いた先は脱衣室だった。そこでようやく降ろされたと思いきや、ユーリウスは「先に行っている」とその奥の扉へと外に出てしまった。
「さ、お嫁さまはお服を脱ぎましょうね~」
「だから、私はお水さえくれたらいいって――」
「魔法でビリビリに引き裂いてあげてもいいんだけど?」
リントの黒い笑みから、やっぱり溢れる大量の魔力。
「脱ぎまーす♡」
だからアイルは言われるがまま服を脱ぐ。今のところリントの手にかぎ爪など見当たらないが、変化してザシュッとされる光景を想像するだけで腰が抜けそうになるからだ。
アイルが一通りの服を脱いだところで、リントにササッとふかふかバスタオルで包まれた。
そして、「こちらで~す♡」と手を引かれて、外へ出ると。
「わぁ……」
思わず、アイルはその光景に感嘆の声を漏らす。
浴場はまさに屋外に用意されていた。岩づくりの大浴場から白い湯気がもくもくと上がっている。その湯気が上るさきを見上げれば、満点の星空。吐く息も白く、正直身震いがするほど寒いものの……暗がりながらバランスよく活けられた小さな木々や小石の庭の美しさも相まって、煌びやかな地上の宮廷などと違った、静かで厳かな雰囲気に呑まれる。
「気に入ったか?」
だけど、その一言でアイルは現実に引き戻された。
黒い服を着たままのユーリウスが仏頂面で小さな岩に座っていたからだ。
「ゆ、茹でられるにしても心の準備が⁉」
「茹でん‼ それに心の準備なら俺のほうこそ欲しかった!」
すると、顔を真っ赤にしたユーリウスが立ち上がる。再びアイルを担いでは。不自然に視線を逸らしながらも……今度はじゃぶんと浴槽の中へと落としてきた。
「ぷふぁっ」
奥はそれなりに深く、頭など打たなかったからいいものの……顔まで潜ってしまったアイルは慌てて水面から顔を出す。
「熱っ、ねぇ、本当に熱いんだけど⁉」
「しばらく我慢しろ、じきに気持ち良くなる!」
「そんな被虐趣味はないっ!」
だけど、本当にじわじわと身体が熱に慣れてくる。
吹く風の冷たさと相まって、身体の温かさが心地よく感じてきて。
ふと、アイルは空を見上げた。自分の吐いた息の白さの上に広がる星は数えきれない。しかも、そのまたたきが地上にいた時よりも強く、大きく見えて。
アイルの口からシンプルな言葉が零れる。
「きれい……」
「だろう?」
顔を向ければ、怪物伯と呼ばれる男が心底嬉しそうに微笑んでいる。
目じりにしわを作る笑みは、むしろ子供のように可愛くも思えて。
――なんかこういうの、いいなぁ。
自然と目から涙がこぼれた。アイルはとっさに湯の中に潜って隠す。
「なっ、どうした⁉」
すると、慌ててユーリウスが湯の中まで入ってくる。服が濡れることも厭わず、慌ててアイルを持ち上げて。アイルは落ちそうになっているタオルを辛うじて抑えながら、口を尖らせる。
「えっち」
アイルを下ろしたユーリウスが無言で立ち去って行く光景に、入れ違いで入ってきたリントが大笑いをしていた。
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