愛のコトバ 無限のクラゲ夫婦の馴れ初め話

鹿嶋 雲丹

第1話 愛のコトバ マスター目線

「ありがとうございました」

 店を出る馴染の客に、いつものようにニコニコと笑いかけている、うちの看板娘。

「ほんとに、君はなんであんな陰気臭い男と一緒になったのかね?」

「マスター? 陰気臭いって、私の大切な旦那様のことですか?」

 空になった席のコーヒーカップをトレイに乗せながら、うちの看板娘はニコニコと笑っている。

「やだなぁ、旦那様のこと、思い出しちゃったじゃないですか」

「嬉しそうだねぇ……私は嫌味のつもりで言ったんだけどね……だって君、モテてただろう? あんな陰気臭い男より、もっと理知的で爽やかな男性の方が良かったんじゃないのかい?」

「私、モテていませんよ」

 カチャリ、コーヒーカップが音を立ててシンクに置かれる。

「いやいや、毎日のように手紙をもらっていたじゃないか。君目当てで店に通っていた男は、片手じゃ足りないほどだったよ」

「手紙……あぁ、あの『あなたはどんな花より美しい』とか『暗闇を照らし出す満月のようだ』とか『どんなに可憐な蝶も君にはかなわない』とか……ですか? 皆さん、褒め上手な方ばかりでしたねぇ」

 スポンジから飛び出たシャボン玉が、ふわりふわりとうちの看板娘を彩る。

「それ、褒めてたっていうか、プロポーズでしょうに……君の愛しい旦那様は、いったいどんな言葉で君を口説き落としたのかね?」

「口説き……はて、口説かれましたね、私?」

「だって、プロポーズされたから、結婚したんでしょ?」

「……私……どうしても助けたかったんですよ、あの時」

 色白の華奢な手が、白いコーヒーカップを拭き上げていく。

「助ける? 誰をだい?」

「目の前で轢かれた子猫を、です……私、雨の中あの子を抱えて夢中で走っていたら、ぬかるみに足を取られて水たまりに倒れ込んでしまって……あの子はぐったりして、目を瞑ったまま動かなかった……私も倒れ込んだまま動けずにいたら、旦那様が近寄ってきて……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る