第16話 初めての朝①

 カーテンの隙間から、朝の陽がまじまじと瞼を覗く。午前七時を知らせたアラームが鼓膜を破ろうと企んでいるのか、そんな疑念が浮かぶほどまでにマガリの頭は疲弊を極めていた。一晩の睡眠では完治しない様な激動を過ごしていたのだ。仕方がない。

「ん……」

 マガリは被った布団から離れたくないと無理矢理に手を伸ばして、鳴り響くスマートフォンを求める。しかし何故か、思う様に身体が動かない。まるで何かに取り憑かれたようだった。

「ぅ……ん⁉︎」

 薄暗い部屋に、マガリの声が反響した。

 埋もれた掛け布団の下、視界から遮断されたその向こう側で起こった違和感。マガリは脊髄反射で、被っていた一枚を吹き飛ばした。依然、アラームは鳴り続けている。

 そこには、マガリの身体に抱きつくようにして寝息を立てる黒柴阿弥陀くろしばあみだの姿が横たわっていた。阿弥陀あみだの左手は、何故かマガリの右の乳房をしっかりと掴んで、しきりに揉みしだいている。

「ちょいっ……阿弥陀ちゃ……‼︎」

 マガリの脳は、完全に覚醒した。彼女と同じベッドに横たわる事となった発端を、しっかりと思い出していた。

 

 昨晩、マガリは左沢京那あてらざわきょうなの診察を終え、廊下で南風原舞花はえばるまいかとの合流を待っていた。後に現れた南風原舞花は背中に黒柴阿弥陀を背負い、一言をこぼす。

「阿弥陀ちゃんの部屋の鍵見つからんくてさ、一晩泊めたってくれへん?」

 快く受け入れた。一切の逡巡など無く、彼女を部屋に迎えてここに寝かせたのだ。事を了承したのは、マガリ本人である。

 一度寝たら自己意思でしか起床できないとまで言われた阿弥陀の睡眠時間は、とうに十時間を超える。そろそろ目を覚ましてもおかしくはないのでは、などと考えながら、マガリはむず痒い感覚に頬を染めて二度寝を試みる。

 祓としての闘いの日々に備え、鍛えているのか。マガリの力では、阿弥陀を引き剥がす事は出来なかった。これにより、寝る時にブラを外す派のマガリの胸は、一切の抵抗もできず阿弥陀の掌に包まれ一定のリズムを刻む。当然、眠ることなどできなかった。


「む……」

 気怠げな瞼が、ゆっくりと開く。横たわったままに視界をくるりと回す阿弥陀は、自身の指に触れる感触の正体を瞬時に理解した。

「ぁ……おはよっ……」

 まるで、高熱にうなされる子供のように。全身の肌を熱く染め、口から呼吸をするマガリの一言に、阿弥陀は飛び起き後退る。

「あっ……の、ごめんね、ほんとごめん……‼︎」

「いや、全然大丈夫……ちょっとトイレ……」

 ふかふかと身体の沈むマットレスの上に正座する阿弥陀は掛け布団を力いっぱいに握り締め、延々と謝罪をこぼす。拘束から解放されたマガリがふらふらと歩き去る姿を視線で追いかける。阿弥陀の頭の中には、加速する心音が反響していた。

 時計は、午前七時を少し過ぎたあたりを指す。

 

 

 

 午前八時半。簡素な風景の広がる廊下を、悶々とした雰囲気で二人肩を並べる。誰に見せるでもない空回りのオシャレと有象無象に一時間半を費やした後、鳴り響く腹の虫をどうにかしてやろうと、目の前に構えた突き当たりの扉を目指した。

「ほんとごめんね、一昨日から迷惑かけてばっかりで……」

「ううん、大丈夫。他の人に揉まれたの初めてでびっくりしちゃっただけだから」

「う……猛省します……」

 阿弥陀は本当に申し訳ないと表情に浮かべて、何度も謝罪の言葉を垂れ流していた。そんな与太話もほどほどに、目的地へと辿り着く。

 はらえ東京本部二階の角に位置する広々とした空間には、ずらりと並べられた長机と椅子の面々。ほどほどに騒がしいその光景では、多くの女性たちがそれぞれの朝食と洒落込んでいた。

「ここは祓本部の食堂。基本二十四時間無料で食べれるから、お腹空いたらここに来るといいよ」

「無料……⁉︎」

 小さなカウンターが隔てる厨房に、数人の列が並ぶ。フードコート形式の店舗に似た構造の向こう側で、エプロンを着けた数人が良い香りを放つ煙に塗れて料理を行っていた。阿弥陀に言われるがまま、マガリはその後を追って列へと加わる。

「最初は『オススメで』って言えば間違いないよ」

 カウンターの前に構えた料理人は三人、それぞれの対応をしている。阿弥陀は一番近い料理人の場所へ、マガリは一番奥の料理人へと向かう。見知らぬ人を隔てて、二人は厨房と向かい合った。

「……何にする?」

 マガリの前に立つ料理人は、まるで感情を失ったように淡々と問う。目を疑うほど美しい金色の髪と青い瞳、どうやら日本人ではないようだった。容姿からすると年齢は、マガリと大差ないようだ。

「えっと、オススメで……」

「うん、オススメね」

 マガリの注文を聞くや否や、金髪の少女は素早い動きで配膳を始める。ほうれん草のお浸し、シャケ、味噌汁、おにぎりと、朝食の定番として名高い面子をトレイに次々と盛り付けていた。

「はじめて見る人、だよね」

 金髪の少女は、マガリに問う。

「はい、昨日からここでお世話になる事になりました」

「そっか。お腹空いたら、いつでもおいで」

 豪華な朝ご飯セットをマガリに差し出し、少女は少しだけ口角を上げた。

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