7. 化物侍女は望まれる

「この様な事を望んでしまい申し訳ありません、ティアラ様」

「いいのよ。普段からヨルには世話になってるし、これくらいならしてあげるわよ」


 専属侍女の業務に戻ったヨルは、執務室から帰ってきたティアラに深く頭を下げた。問題が解けなかったと軽く話しただけで部屋を飛び出したティアラには驚いたが、場所が場所だけに階段前で待機するしか無かったヨルは肩身が狭かった。仕える主人に勉強を教えて欲しいなど、立場を弁えていないにも程がある。寛大な主人で命拾いしたとヨルは思った。


「流石に今からは遅すぎるから明日からになるけれど、遠慮なくビシバシいくわよ。覚悟はいい?」

「覚悟というのは、鞭打ちを受ける覚悟ということでしょうか」

「違うに決まってるでしょ…そのビシバシじゃないわよ」


 ふざけた訳では無く素でそう言うのだからタチが悪い。空気を変えるように、「それと!」 と強く言葉を発する。


「勉強と並行して表情を作る練習もするわよ」

「表情、ですか?」

「そうよ。ヨルはせっかく顔立ちが整っているのに、常に表情が変わらないのは勿体無いわ」


 顔立ちが整っているかどうかはヨルには分からなかったが、自身が表情に乏しい自覚はあった。しかし、要求されることも無かったのでわざわざ練習する必要があるのか疑問に思う。


「これから色々な人付き合いをしていく中で、笑顔を作れた方が後々得するわ」

「世間一般的に言われる“笑顔という表情”を作ることは可能ですが」

「できるの? 見せて頂戴」


 要望を受け、ヨルが顔の筋肉を一つ一つ認識し、“笑顔”を作り出す。傍から見ればそれは十分に柔らかな笑みだったが、ティアラはそれが不快かのように眉根を寄せた。


「典型的な作り笑いね。それも全く気持ちが籠ってないやつ」

「作ってますから」


 貴族として様々な顔を見る事があるティアラにとって、ヨルの笑顔は偽物であることが明白だった。


「普通の人は騙されるだろうけれど、流石に見る人が見れば若干気持ち悪いわよ」

「気持ち悪い…では、どうすれば良いのでしょうか」

「それを練習しようと言っているのよ。とはいえ、私も作った笑顔以外は練習したことないのよね…」


 絵画などで姿絵を遺す場合も、式典等で他の貴族と話す際も、ほぼ全ては訓練された作り笑いだ。しかし、厳かな場所での感情を顕にした笑みは醜いとされる傾向がある為、程良い作り笑いは一つのマナーとも言えた。だからこそティアラは、笑顔の練習は教養の一つとして学んでいる。だが、ヨルに必要なのは感情を顕にする笑み、悪く言えば醜いとされる笑みだ。流石にティアラもその特訓方法までは知らない為、少し頭を抱えてしまう。


「まぁそれは勉強しながら考えていきましょう。ヨルには、取り敢えずコレを渡しておくわね」


 部屋に戻ったティアラが、自室の本棚から一冊の分厚い本を取りだし、ヨルへと手渡す。その表紙には金字で『レコルト皇国の歴史』と刻まれていた。


「この本の内容を明日までに憶えれば良いのですね」

「別に全部じゃなくていいわよ。パラパラ眺めるだけでもいいわ。とにかく一目見て軽く知る事が、今のヨルには必要だと思うの」


 扉の前で盗み聞きをした時に、ヨルが国名すら書けなかった事には流石にティアラも開いた口が塞がらなかった。だからこそ、知識をゼロではなく一にすることが先ずは大切だとティアラは考えたのだ。


「今日はもう仕事上がっていいわよ。侍女はレミューが居るし、貴方はちょっとでも自習して頂戴」

「…かしこまりました」


 ティアラの言葉にレミューは驚きから軽く目を開いたが、直ぐにヨルの髪を撫でて微笑みかける。「お嬢様の事は私に任せて」と言われれば、ヨルもやっと言葉だけではなく頷きを返した。


 一礼を返しヨルが部屋を後にすれば、ティアラが「ふぅ…」と息を一つ吐いた。


「これで何とかなればいいのだけれど…」

「ヨルは優秀ですから、御心配には及ばないかと」

「そっちは別に心配していないのよ。私もヨルが優秀な事は知っているわ。ただ、キャルからヨルが常に仕事をしていると聞いたから、少しでも自分の為に時間を使ってくれればいいなと思ったのよ」


 ティアラにとっても、お気に入りであり友人でもあるヨルが日々を他人の為ばかりに使っているのは良く思わなかった。だからこそ、多少強引でも自分に時間を使うという事を知って欲しかったのだ。


「生きる上で必要がない、無駄だと切り捨てれば、それはつまらない人生になるわ。ヨルにはちゃんと時間の使い方を学んで欲しいのよ」


 レミューは納得したように頷きを返す。この世の中に知る必要の無い事はありふれているが、それは“知ってはいけない”という事と同義では無い。庶民の娯楽が少ないこの世界において、知らない世界を知るという行為は、丁度良い時間の使い方だ。


 ひとまず一段落ついたティアラがレミューに紅茶を用意するよう告げ、一人ソファーに腰掛ける。窓の外を眺めれば、厚い雲が空を覆うのが目に入った。


「今夜は雨が降るかしら」


 出来ることならば明日には晴れていて欲しいとティアラは思う。外で行う馬術の稽古が出来る時間は、そう“残されていない”のだから。








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