花の歌は少女に奏でられる

入江 涼子

第1話

 とある国に呪われた少女がいたーー。


 イヴァンカと少女は呼ばれている。彼女は綺麗な顔立ちをしていたが。右足の脛からくるぶしに至るまで醜いやけどの痣があった。

 痣は酷くて一生消えないだろうと医師に言われた程だった。赤く少し腫れていて未だに雨の日などは疼く時もあった。そういう時は冷たい水に浸したタオルを当てたり医師から半月に一度は渡される塗り薬を擦り込んだりしていた。

 イヴァンカは幼い頃に精霊と契約した事がある。彼女はこの国では珍しい精霊術師としての霊力を持っていた。

 ところがこの精霊は火の高位精霊であったのでまだ五歳だったイヴァンカでは力の制御ができなかった。イヴァンカは六歳の時に霊力を暴発させてしまう。

 この時、イヴァンカの師匠の精霊術師が霊力を鎮めてくれたおかげで怪我人が二人出た程度で終わった。が、暴発させたイヴァンカ自身は右足に重度の火傷を負い、腹部などにも軽度の火傷がある状態であった。

 すぐに治癒師が派遣されてイヴァンカの火傷は治療を受けられた。火傷は治った。だが痣が残り高位精霊は消えてどこかへ行ってしまう。

 そうしてイヴァンカが告げられたのは最終通告に近かった。師匠はこう言った。

『お前の傷は生涯残る。火の精霊王はまだ子供のお前が高位の精霊術を使おうとした事に怒った。戒めのためにその痣ができてしまったのだよ』

 そう言われた後、イヴァンカはしばらく放心していた。ふと、気がつけば毎日聞いていた精霊達の声が聞こえない。気配も何も感じなかった。

『何で。どうして。ねえ、皆答えてよ!』

 呼びかけても答えはない。何度そうしても自分の声が響くだけだ。

 イヴァンカは六歳という幼さで霊力を封じられてしまった事に気付いていなかった。精霊王の封印術は固くて師匠であっても解けずにいた。

 そうして、イヴァンカの苦難の日々が始まったーー。



「お師匠様。薬草を採ってきたよ」

 元気に小走りで師匠ことカルダに少女は声をかけた。カルダは今、精霊術師をやめて森の奥深くで弟子の少女と二人で暮らしている。

 少女は淡い茶色の髪に透明感のある琥珀色の瞳の綺麗な外見をしていた。

 顔立ちは十八歳という年齢ながらに大人びている。その弟子にカルダは答えた。

「……ああ。ご苦労さん。イヴァンカ、ニルス草とドクゼン草を採ってきてくれたようだね」

「うん。ニルス草は家の近くで生えているから見つけやすいけど。ドクゼン草は森の少し奥まった所にあるから見つけるのに苦労したわ」

「そうかい。まあ、頼んだ物は採れたわけだし。お茶でも飲んで休憩しな」

 カルダは今年で八十歳を迎える。イヴァンカを見出した時はまだ六十代の後半だった。年月が過ぎ去るのは早いと思う。

 カルダは椅子から立ち上がるとお茶を淹れにキッチンへ行った。イヴァンカはそれを見送りながら薬草のたくさん入った籠を机の上に置いた。

 ふうと息をつくとカルダの座っていたのとは向かい側の椅子に腰掛ける。もう、師匠と一緒に暮らすようになってから十二年が経とうとしていた。二人で薬草を町に売りに行ったり買い物に行く以外はあまり森から出ない。そんな生活を長年送ってきたからイヴァンカは人見知りになってしまっていた。

 ただ、右足の痣は一向に消えそうにない。いつになったら精霊王の呪いは解けるのだろう。先の見えない洞窟に迷いこんだような心地になる。イヴァンカは立ち上がった。気を取り直すために薬草をどうするか師匠に聞きに行ったのだった。



 夜になり、イヴァンカは師匠お手製のお茶を飲み、自身で作った野菜のスープや黒パンで夕食をすませた。

「お師匠様。あたし、これからどうすればいいかな。右足の痣をどうにかできればと思ったんだけど」

「いきなりどうしたんだい?」

「うん。夕方頃にふと思ったんだ。いつまでこういう生活が続くのかなって」

「……イヴァンカ」

「ごめんなさい。お師匠様に言ったって仕方ないのに」

 カルダは無言で立ち上がるとイヴァンカの手を取った。優しく撫でる。

「イヴァンカ。あんたがそう思うのも仕方なかろうね。まだ若いしね。呪いを受けた身では嫁にも行けない。そうさね、王都にでも行くかい?」

「……お師匠様?」

「いや思ったんだよ。あんたの呪いを解く手立てを探さないといけないとね。王都だったら精霊王の加護を得た精霊術師もいる。私の知り合いにもいた。そいつだったらあんたの呪いを解く方法を知っているかもしれない」

 カルダはそう言うとイヴァンカの手を撫で続けた。しわくちゃだが温かな手だ。イヴァンカは不思議と昔から師匠のカルダに頭を撫でられたりすると落ち着いたりしていた。何故だろうと思う。

「お師匠様。その知り合いの方は何て言う名前なの?」

「確かアンドラといったかな。私より二十歳は若いがなかなかに優秀な精霊術師だ。光の精霊王の加護も得ている。ただ、性格はちょっとひねくれている。まあ、私の名を出せば呪いを解く方法を教えてくれるだろうけど」

「……アンドラさんか。その方に会えば教えてもらえるのね」

「たぶんだよ。そうさね、王都に行ければの話だがね」

 イヴァンカはううむと考えた。

 カルダは手を離すとちょっと待ってなと言って家の奥に行ってしまう。どうしたのかと思っていたら両手に何かを持って戻ってきた。

「イヴァンカ。アンドラに会うんだったらこれを持っていきな」

「お師匠様。それは何なのかな?」

「……これは亀の甲羅だよ。海亀っていうやつのね。アンドラはこれを前から欲しがっていた。持って行ってやれば、引き換えに教えるくらいはするだろう」

 イヴァンカは海亀の甲羅を何でカルダが持っているのかそれがすごく気になった。

「カルダ様。甲羅なんてどこで手に入れたの。今まであるという事すら教えてくれなかったじゃない」

「そりゃ、あんたに教えたら他の奴に教えるかもしれないからだよ。まあ、隠してた事は謝るがね」

「……まあいいか。でも亀の甲羅で解呪の方法を教えてくれるかな。ちょっと心配だわ」

「イヴァンカ。この甲羅は占いに使うんだよ。精霊術師だって占いをするのは知っているだろう」

「あ。そうだった。疑ってごめんなさい。じゃあ、アンドラさんは占いに使いたいから海亀の甲羅を欲しがっていたのね」

 カルダは頷いた。

「そうさね。アンドラは珍しい物が大好きでね。私が昔に海亀の甲羅を交易商人から買った時があった。それをどこかで聞きつけたのかアンドラが突然やってきて。海亀の甲羅を是非譲ってくれと言ってきたんだ。まあ、あの当時はやんわりと断ったんだがね」

「……アンドラさんって相当個性的な人かも」

「はっは。それは言えてるね。けど本人には言うんじゃないよ。怒るだろうからね」

 はいとイヴァンカは頷く。カルダは一しきり笑うと目尻に浮かんだ涙を拭った。

「さて。すっかり夜も更けちまった。寝るとしようかね」

「わかった。お休みなさい」

 イヴァンカはそう言って家の奥にある自分用の寝室に行く。カルダが心配そうに見ていたのには気づかなかったのだった。




 翌朝、イヴァンカは荷造りを始めた。王都に行くという目標が見つかったからというのもある。だが、師匠ことカルダに同行は頼めない。それは彼女が高齢だからでイヴァンカは一人で行こうと昨夜考えて決めた。(お師匠様には悪いけど。一人ででも王都に行ってみせる。そしてアンドラさんに呪いを解いてもらうんだ)

 イヴァンカの決意は固かった。が、カルダには反対されるだろう。長年世話になった恩人だ。心配をかけたくないし迷惑をかけたくない。イヴァンカは窓ガラスの向こうの青い空を見た。王都は遠いけど荷馬車にでも乗せてもらえれば自分の足でも行ける。そう考えてまた荷造りを再開したのだった。




 イヴァンカが荷造りを始めてから4日が経った。色々と考えながら用意をしたために思いのほか、時間が掛かってしまう。そういえば、自分は旅を全くしたことがなかった。仕方ないとイヴァンカはカルダに旅に出る事を伝えようと決めた。そうして、庭の畑で葉物の野菜やニーズンという赤い色した野菜の収穫をしていたカルダを見つける。駆け寄って声をかけた。

「お師匠様!ちょっといいかな?!」

「どうしたんだい。大声なんか出して」

「話したい事があって。今からいいかな?」

 カルダはたくさんの野菜を両手に抱えながら不思議そうな表情をした。イヴァンカは息を整えると歩いてカルダに近寄る。そうして、野菜の半分を無理に引ったくって抱えた。

「……あのね。あたし、王都に行こうと思ってるんだ。昨日、お師匠様がアンドラさんの事を教えてくれたでしょ。だから呪いを解くためにも行かなきゃって」

「あんた、王都に行く気になったんだね。4日前はうんともすんとも言ってなかったのに」

「でもお師匠様はこの森にいてね。昨年に腰を痛めたし。あたしは一人で行くつもりだから」

「ええっ。あんたがかい?」

「うん」

 カルダはやれやれとため息をついた。が、足は止めない。

「あんた、女一人旅ほど危ないものはないよ。せめて同行者を一人くらいは連れて行きな。そうだね、何だったら薬草をよく売りに行ってる薬問屋のせがれとかどうだい?」

「え。あのセバスと一緒に旅をするの。あいつ、あたしを嫌ってるからお断りしたいんだけど」

「そうかい。じゃあ、この森の近くに貴族の別荘があるんだ。その別荘の管理人夫婦には二人孫がいてね。その子達だったらイヴァンカと年も近いから旅の連れにもなってくれるだろ」

「もしかしてユーリとゾーイの事?」

「そうだよ。ユーリとゾーイは二人共男だが。武芸の腕は立つし頭も良い。別荘の持ち主のお貴族様の護衛として王都にも行った事があると聞いたよ」

 カルダはそう言うと家の玄関口であるドアの前で立ち止まった。

「……風の精霊のヒューイよ。ドアを開けておくれ」

 小声で唱えるとドアノブがくるりと回されて一人でに開いた。カルダはすたすたと中に入る。イヴァンカも後に続く。そうして、収穫した野菜をキッチンに持っていった。井戸から汲み上げた水はキッチンの隅にある大きな水瓶に溜めてある。

 その水を大きなたらい桶に入れて満たす。収穫した野菜を中に豪快に入れて一つずつ洗っていく。綺麗にたわしで土などを落として水洗いする。

 汚れた水は二人がかりで持って開けっ放しのドアから外に出て一旦捨てた。そうしてからもう一回水を入れた。

 野菜をまた一つずつナイフで皮を剥いていく。ジャンクイモやニーズンなど合わせて五種類の野菜の皮を剥いた。それらを一つずつ野菜用のザルに入れた。

 まな板のあるキッチン台に来るとザルに入れた野菜の一つを出して用意してあった包丁でリズム良く切り刻む。ニーズンをみじん切りにする。

 トントンと小気味いい音が響く。一つが終わると二つ三つと続けていった。

 イヴァンカが野菜を切る役をしてカルダはスープを作るためにと鍋を用意したり調味料を準備する。全部の野菜を切り終わった。ちなみに切った野菜は種類ごとに金ザルに分けてある。

「イヴァンカ。鍋とかの道具と調味料が用意できたよ」

「ありがとう。お師匠様。今はもう秋だし。川魚のシャンクの切り身もあるから。クリームシチーを作りましょう」

「いいね。じゃあ、クリームと牛の乳を取ってくるよ。後は小麦粉とバターが必要になるね」

 お願いしますと言ってイヴァンカは食料庫に向かうカルダを見送る。さてと腕まくりをすると薪を暖炉にくべた。火打ち石で火を起こすと薪に移す。めらめらと燃え始める。鍋に菜種油と切り刻んだ野菜を入れて燃える薪の上に置いた。

 用意されていた木べらで野菜を炒める。ニーズンなどを炒めてから火が通ったのを見て取るとヴィオンを入れて蓋をした。火加減を弱めに調節しながら煮込んだ。そうしたらカルダがクリームと牛の乳、小麦粉とバターを両手に持って戻ってきた。暖炉は広めに設計してありイヴァンカはフライパンを棚から出してきた。

 また、薪をくべて火を起こす。その上にフライパンを置くと油をひいてバターを焦がした。溶けてきたら小麦粉を入れて炒める。しばらくしたら牛の乳を加えて火を通した。最後にクリームを入れて一煮立ちさせる。これでホワイトソースの出来上がりだ。ヴィヨンを入れた鍋を見たら既に吹きこぼれを軽く起こしていた。慌てて駆け寄ると蓋を開けて木の杓子で混ぜた。アクを取ってから塩とコショウを入れて下味を付ける。ホワイトソースと余った牛の乳を入れてからまた煮込んだ。

 30ソーサ(30分)経ってから火を止めた。蓋を開けたらホワイトシチーの良い香りがキッチンに満ちる。

「うん。イヴァンカも腕を上げたね。じゃあ、夕飯にしようかね」

「うん」

 頷くと深めの皿を持ってきた。それにシチーを入れて居間の机に運んだ。固い黒パンを食料庫から出してそれを置き、椅子に座る。カルダも来るとイヴァンカはいただきますと手を合わせた。黒パンをちぎってシチーに浸した。口に運ぶとほっぺが落ちそうなほどにおいしい。とろりとした白いシチーはバターの風味とホワイトソースの味が調度よくて文句なしの一品だ。カルダと二人でゆっくりと味わうのだった。



 2日経ってイヴァンカは旅の支度ができたのでカルダにも言った。すると使い魔のカラスを呼び、足首に書いた手紙を括りつけてユーリとゾーイの元へ飛ばしてくれる。しばらくしてカルダ宛の手紙を足首に括りつけられた状態でカラスが帰ってきた。

 <カルダ様へ

 お手紙をわざわざありがとうございます。読ませていただきました。何でも弟子のイヴァンカさんが王都に行きたいと言っているそうですね。

 そして旅の同行者としてうちの孫のユーリとゾーイを付いて行かせたいとか。

 心配する気持ちはよくわかります。ただ、ユーリとゾーイでは男だから細かい所までは気が付かないでしょう。そこで主人のコールノ侯爵様にも相談しました。

 侯爵様はお話を聞いてくださりだったら我が家に仕えるメイドを2名ほど同行者にさせると言ってくださいました。今、侯爵様はこちらの別荘にご滞在で。

 だから相談もできたのですが。メイドは今日のお昼にでもユーリとゾーイと一緒にカルダ様の家に行くそうです。

 では弟子のイヴァンカさんが良き旅ができるように祈っています。

 カール>

 手紙を読んだカルダはほっと息をついた。カールは昔馴染みでその縁で頼んでみたが。よくできる人だと思う。カルダはイヴァンカを見る。既に荷造りは終わったと彼女は言っていた。

「……イヴァンカ。ユーリとゾーイの他に別荘の持ち主の侯爵様付きのメイドさんも同行してくれるらしいよ。これであんたの貞操の危機はなくなりそうだね」

「お師匠様。何を言ってるの。貞操の危機なんてあの二人に限ってあるわけないでしょ。ユーリ達とは小さい頃からの仲なのに」

「それはそうだがね。どうにもあんた一人だけ女だから男ばかりだと困るんじゃないかと思ったんだ。イヴァンカ、仮にもユーリ達だって成人した若い男だからね。それを意識しないといけないよ」

「でもメイドさん達と仲良くなれるかもわからないのに。あたし、そっちの方が心配だよ」

 まあ仕方ないかとカルダは肩を竦めた。

「あんたは女としての意識と危機感が足りない。しかも異性に対しての免疫もないときた。色恋にはとことん鈍いし。そんなあんたを騙くらかそうとする男からすれば良い標的だ。私は昔からそれが心配でね」

「お師匠様。いくら何でもひどいよ。あたし、そこまでひどくないって」

 さあ、わからないよとカルダは笑いながら言った。イヴァンカの頭をくしゃりと撫でると声を張り上げる。

「……カーラ。ユーリとゾーイ、メイドさんたちは来ているかい?」

 するとカーラと呼ばれた使い魔のカラスはがあと鳴いた。それでわかったらしい。

「もうそろそろ来るみたいだよ。寝室にある荷物用のカバンと海亀の甲羅を取ってきな。あれは意外と重いからユーリとゾーイに持ってもらうといいだろう」

「わかった」

 イヴァンカは頷いて寝室に向かう。着替えや保存食、細々とした日用品などを入れたカバンと海亀の甲羅を両手に抱えた状態で居間に戻ってきた。

「イヴァンカ。アンドラには花の歌を知っているかと聞きな。あの子だったらわかるだろうよ」

「はあ。それは聞いてみるけど。何か意味があるの?」

「私も詳しい意味はわからないんだが。ただ、昔からの言い伝えで花の歌は花の精霊が好んで口ずさむとある。それを聴いた者に癒しと祝福を与えるらしい」

「ふうん。そんな言い伝えがあったんだ。じゃあ、アンドラさんには花の歌と精霊について聞けばいいと」

「そうさ。もうユーリ達が来るようだ。行ってきな」

 はいとイヴァンカは頷くと家を出てユーリ達を出迎える事にする。海亀の甲羅はずっしりと重い。仕方なく軒先の外壁に立て掛けた。そうして彼らを待ったのだった。



「よう。久しぶりだな。元気にしていたか。イブ」

「……元気にはしていたわよ。けどイブと呼ばないで。そう呼んでいいのはお師匠様とあたしの両親だけだから」

 陽気に声をかけてきた青年にイヴァンカは冷たく突き放した。赤髪と茶色の瞳が目を引く背の高い精悍な青年は侯爵家の別荘の管理人夫婦の孫ー双子の兄のユーリだ。

「まあまあ。そう怒るなって。イヴァンカと会うのが久しぶりで嬉しいんだよ。兄貴は」

 宥めるように言ったのは黒髪に薄い赤茶の瞳のユーリにそっくりな顔立ちの青年ー双子の弟のゾーイだ。イヴァンカは二人を睨みつけた。

「それよりも。王都にあたしが行く事は聞いているんでしょう。お師匠様から連絡があったはずだけど」

「ああ。うちのじいちゃんがカルダ様からの手紙を見せて読んでくれたよ。だから用件は聞いている」

 ゾーイが答えるとユーリも頷いた。

「俺も聞いた。でメイドさんの二人が付いて行く手筈になっていたんだが」

「……どうしたの?」

 兄の方のユーリが口ごもる。イヴァンカが問うと言いにくそうにしながらも答えた。

「メイドさんーイラリアさんとステラさんは別荘で待っている。まあ、俺たちが案内するから。それで堪忍してくれ」

「わかった」

 イヴァンカが頷くとユーリとゾーイはほっと息をつく。そうして家の軒先に立て掛けてある奇妙な物を見つけた。

「なあ。イヴァンカ。あれは何だ?」

「あれって?」

「軒先に立て掛けてあるのなんだが」

「ああ。あれね。海亀の甲羅だよ。お師匠様がアンドラさんに渡したらいいって持たせてくれたんだけど」

「……海亀の甲羅?!」

 ゾーイが驚いたらしくすっとんきょうな声を出した。

「あれ、亀の甲羅だったのか。じゃあ、あれは俺かゾーイが持ったらいいか?」

「お願いするわ。あたし一人だと持ったらすぐにバテちゃいそうだから。まあ、重かったら交代で持ったら良いと思う」

「そうさせてもらう。んじゃ取りに行くか」

 ユーリが甲羅に近づくとおそるおそるそっと両手で持ち上げた。意外とずっしり重さが手にくる。仕方なく黙って持ったままで歩き始めた。イヴァンカとゾーイも慌てて付いていく。こうして三人は侯爵家の別荘に向かったのだった。




 三人が別荘まで行くには森を出て町中にある大きな一本道を通らないといけない。イヴァンカ達はてくてくと歩きながらその一本道を進んでいた。

「イヴァンカ。意外と重いな」

「そりゃそうでしょ。お師匠様も両手で抱えてやっとだったみたいだし」

「うん。多分、カボチャ2個分はある」

「……その例えは微妙だわ」

「悪かったな。これくらいしか思い浮かばないんだよ」

 ユーリとイヴァンカは口喧嘩しながらも歩みは止めない。ゾーイはそんな二人を生ぬるい目で見ていた。


 イヴァンカ達が侯爵家の別荘を目指してから半日が経った。旅慣れていないイヴァンカを気遣ってユーリとゾーイの二人はゆっくりと進んでいた。

 それでもイヴァンカは弱音を吐かない。黙々と歩き続けている。これにはユーリとゾーイも感心していた。さすがに根性があるというか。

 そんな二人にイヴァンカは気づかない。ただ、早く自分の呪いを解きたいだけだ。彼女にとってカルダがくれた機会を逃したくなかった。

(早く王都へ行かなきゃ。アンドラさんに会って方法を教えてもらったら北部の森に行って。花の精霊王の歌を聴かせていただく。確かそうしないと呪いは解けないのよね)

 そう考えながらもふと疑問が湧く。何故、花の精霊王に会わなければならないのか?

 そしてアンドラは何を知っているのかとか考え出すとキリがない。

 イヴァンカ一行は侯爵家の別荘を目指して歩みを進めたのだった。



 侯爵家の別荘に着いたのはその日の夜になってからだった。執事だと名乗る男性とメイドの女性の三人が出迎えてくれる。

 執事の男性はメイドの二人を紹介した。

「……ユーリ君とゾーイ君は知っていると思うが。左側の黒髪の子がステラだ。で右側の茶色の髪の子はイラリア。この二人が君たちに同行する事になっているよ」

「そうなんですか。あの、初めまして。あたしがカルダ様の弟子でイヴァンカと言います」

 イヴァンカは執事の男性の説明を聞いてから自己紹介をする。黒髪に黒の瞳のまだ若いステラというメイドはにこりと微笑んだ。

「……初めまして。さっき、執事のセインツさんから聞いたとは思うけど。私はステラ。イヴァンカちゃん、これからよろしくね」

「あたしも初めまして。イラリアというの。ちなみにステラさんは二十歳であたしは十九よ。イヴァンカさんはいくつか聞いていい?」

 ステラが自己紹介すると負けじとばかりにイラリアも人懐っこく話しかけてきた。

 茶色の髪に薄い水色の瞳のイラリアは見かけと違い、中々に明るい性格らしい。

「えっと。今年で十八歳になります。ステラさんが二つ上でイラリアさんは一つ上だったんですね」

「あら。私の方が年上だったのね。イヴァンカちゃん、落ち着いているから同い年だとばかり思っていたわ」

「そうですか。あたしもステラさんとイラリアさん、同い年くらいかなと思っていました」

「嬉しい事を言ってくれるわね。まあ、それよりイヴァンカちゃんもユーリ君達も疲れているでしょ。客室に案内するわ」

「そうね。じゃあ、ユーリ君とゾーイ君はあたしで。イヴァンカちゃんはステラさんが案内してあげて。さあ、こっちよ」

「わかった。イヴァンカちゃん、行きましょうか?」

「はい」

 頷くとステラは客室だという部屋まで案内してくれる。ドアの前までたどり着くとステラはイヴァンカにこう言った。

「……ねえ。イヴァンカちゃんはどうして王都に行くの。理由を聞いていいかしら?」

「え。理由ですか。そのあたしは。昔にとある理由で呪いを受けてしまって。それを解きたくてお師匠様にお願いして王都に行く許しを得たんです。あ、呪いだなんて気味が悪いですよね」

「そんな事ないわ。私もその。弟がいてね。その子も精霊の呪いを受けて体が丈夫じゃないの。だから、イヴァンカちゃんも大変な思いをしたんだなと思って」

 ステラはそう言いながらドアを開けた。きいと音が辺りに響いた。そうして二人は客室に入る。

「じゃあ、ここがイヴァンカちゃんのお部屋よ。好きに使ってちょうだい。ちなみに奥にある左側のドアが浴室で真ん中がお手洗い。右側は洗面所になっているわ。荷物をしまうクローゼットはこの部屋の向かって右側ね。寝室は左側のドアでここと繋がっているから。とりあえずわからない事があったら近くに棚があるでしょ。その上にある鈴を鳴らしてね。そうしたら私かイラリアに聞こえるから」

「わかりました。色々とありがとうございます」

「お礼はいいわ。カルダ様には旦那様がお世話になった事があって。だから弟子のあなたにも失礼のないようにと言われているの」

 そうなんですかというとステラは笑う。

「さあ、もう夜も遅いから。夕食を持ってくるから荷物の整理をしたらいいわ。でお風呂にも入ってゆっくりと休んで。明日には王都に出発するんでしょ」

「そうでした。じゃあ、今から荷物の整理と着替えをします」

「そうして。一旦失礼するわね」

 はいと言うとステラはイヴァンカの頭を撫でた。そうしてから客室を出ていく。イヴァンカはそれを見送った。



 ステラが夕食を持ってくるまでの間、荷物の整理をした。クローゼットを開けたら旅に必要なワンピースや帽子、編み上げのブーツが入っていた。他には雨除けの油紙や外套、カバンなどがある。

 部屋の隅にはカンテラや携帯食、水筒もあった。別荘の主人である侯爵が揃えるように言ってくれたようだ。だがイヴァンカは侯爵には会った事がない。

 という事は面識が全く無かった。なのにこれだけ良くしてくれるのは何故だろうかと不思議でならない。そう考えていたらドアをノックする音が聞こえた。

 返事をするとステラがワゴンを押して入ってくる。ワゴンには白パンや野菜のスープなどがあった。予想外の好待遇にイヴァンカは呆気に取られた。

「……ステラさん。すごい豪華な食事ですね」

「ああ。こちらの料理長が張り切ってね。それでこれだけの豪華なのになったようよ」

 そうですかとだけ答えた。ステラも苦笑しながら部屋のテーブルに食事の盛り付けられた皿を並べていく。いい香りが漂い、イヴァンカの鼻腔をくすぐる。

 まず、前菜に野菜のスープがあった。イヴァンカはカルダに厳しく教えられたテーブルマナーで野菜のスープを静かに掬う。そうしてゆっくりと味わいながら食べた。野菜のスープはあっさりとしていてニーズンとジャンクイモ、オーヌという玉ねぎに近い野菜、スーダという鶏とそっくりな鳥の肉が入っている。ダシが効いていながらもしつこくはなくて食べやすい。

「これ、何ていうスープですか。すごく食べやすいし美味しい」

「これはね。ジャスというスープよ。まあ、ジャンクイモとスーダが入っているからそこから取ったらしいけど」

「へえ。もし良かったらレシピを教えてもらえませんか。お師匠様にも作ってあげたいです」

「そうねえ。私も作り方は知っているから。後で材料とか作り方を書いてあなたに渡すわ。一枚だけだと無くした時に困るから。二枚書いておくわね。材料の分量と必要な道具も記しておかなきゃ」

「わざわざすみません。材料はあたしの住んでる森とか近くの町でも手に入りますか?」

 イヴァンカがきくとそうねえとステラは考える素振りをした。

「ううんと。ニーズンとジャンクイモ、オーヌは手に入りそうかしら。それとスーダの肉、バターにコショウにお塩、ガーラという香辛料が必要ね。これらがあればジャスはできるけど」

「へえ。ニーズンとジャンクイモ、オーヌは森にある家の畑で育てているからあります。バターやお塩にコショウもあるから。ガーラとスーダの肉は町で買うしかないかもしれませんね」

「じゃあ、ガーラとスーダの肉が揃えば作れるわね。まあ、スーダは卵も美味しいし。ガーラはこの国ではよく使われる香辛料だから。お店に行けば買えると思うわ」

 その後、イヴァンカは詳しくジャスや他の料理についても説明を受けた。ステラは嫌がる事なく質問に答えてくれる。おかげでイヴァンカは普段よりも長い時間を食事に費やした。おおよそ、100ソーサ(100分)ー2時間近くもかかった。

 さすがにステラが気付いて食べ終わった順に皿を片付けていく。そうしてからイヴァンカに入浴をすませるように言った。

「イヴァンカちゃん。もう夜も遅いから。湯浴みをすませた方がいいわ。私も戻るわね」

「はい。あのおやすみなさい」

「ふふ。ええ、おやすみなさい」

 ステラはにこっと笑いながらイヴァンカに返事をしてくれた。そうしてワゴンを押しながら部屋を出ていく。イヴァンカは小さく手を振って見送ったのだった。



 イヴァンカは湯浴みをすませて眠りについた。背中の真ん中まである淡い茶色の真っ直ぐな髪は緩く纏めている。寝間着も薄いベージュ色のゆったりとしたネグリジェで肌触りがすごく良い。たぶん、かなりの高級品だと見た。

 うつらうつらとしていた。だが、深い眠りにはなっていない。それでも目は閉じたままでいる。

(……ううむ。眠れないけど。こんなふかふかのベッドで眠るなんて初めてだし)

 そう思いながら寝返りを打つ。さらりとしたシーツも心地よい。お貴族様はこんな贅沢な暮らしをしているのかと驚きもした。

 でもまあ、今後自分には関わりのない事だ。そう考えてイヴァンカは深い眠りに落ちたーー。



 翌朝、イヴァンカはまだ眠い中で起きた。ドアがノックされてステラとイラリアが入ってくる。どうも身支度を手伝うために来たようだ。

「おはよう。イヴァンカちゃん。もう朝よ」

「……おはようございます」

「まだ眠そうね。まあ、仕方ないわよね。とりあえず、まずは顔を洗ってきなさいな。これ、タオルと歯ブラシね。後は歯磨き粉。水は蛇口を右回りで回せば出てくるわ」

「わかりました。洗面所は右側のドアでしたよね」

「そうよ。昨日、ステラさんに聞いたみたいね」

「そうです。じゃあ、顔を洗ってきます」

 行ってらっしゃいとイラリアが言うとイヴァンカは眠い目をこすりながら洗面所に向かう。そして洗面所に入るとドアを閉める。言われた通りに蛇口をひねって水を出した。

 勢いよく水が出て驚く。いつも井戸水で洗顔などをすませていたのでこんなに簡単に水が出てくるのを目の当たりにするのは初めてだ。イヴァンカは恐る恐る置いてあった木で作られたコップに水を入れた。いっぱいにすると蛇口を逆側に回して止めた。

 そうした上で歯ブラシに歯磨き粉をつけて口元に持っていく。歯磨きを一通りしてから水で口をゆすいだ。数回した後で口周りについた泡も洗い流した。

 顔も洗って渡されていたタオルで水気を拭いた。ふうと息をつく。歯ブラシをゆすいだりして後始末もする。

 終わってから洗面所を出るとステラに使った歯ブラシなどを渡した。するとイラリアが鏡台の椅子に座るように言う。よくわからないながらも椅子に腰掛けるとイラリアは香油の小瓶を手に取った。イヴァンカの緩く纏めてあった髪を解く。小瓶の蓋を取ると中にある香油を髪に塗り込んだ。ほんわりと百合の花の香りがした。

 一通りするとブラシで念入りに髪を梳(す)いた。何度も梳くと少しずつ髪が艶を出し始める。完全に艶々になるとブラシを置いてピンと髪紐で結い上げた。

 髪を三つ編みにしてくるくると巻いた。ピンで留めていき、最後にアシアナネットを使って纏めた。いわゆるシニヨンの状態にする。

 髪の結い上げが終わると旅用の淡い黄色の足首丈のワンピースに編み上げのブーツを着付けてもらう。帽子も被ると身支度は完了した。

「さ。できたわ。イヴァンカちゃん、あたし達も急いで身支度するから。ちょっとここで待っていてね」

 イラリアはそう言って薄くお化粧もしてくれた。終わってから2人は自分の控え室に戻っていく。イヴァンカは鏡を見てため息をついた。




 60ソーサしてステラとイラリアがイヴァンカの部屋に戻ってきた。ステラは目立たないベージュの足首丈のワンピースに同じく編み上げのブーツ、麦わら帽子を被っている。イラリアも濃い藍色の地味なワンピースにぺたんこの靴、つばのある白い帽子という格好だ。

 2人も薄っすらとお化粧をしている。メイド服とは違い、そこらにいる町娘と言っても良い印象を受けた。

「遅くなってごめんなさいね。あたし達もカルダ様のお家に行きたかったんだけど。旦那様方のお世話があるからあの2人の同行はできなかったの」

 イラリアが謝ってきた。イヴァンカは成る程と頷いた。

「そうだったんですか。でもまあ、2人ともお仕事が忙しいんだったら仕方ないですよ。あたし、そこまで気にしていませんから」

「ありがとう。イヴァンカちゃん、なかなか飲み込みが早いわね」

 ステラが感心しながら言う。イラリアもそうよねと笑った。一しきり笑うと3人は客室を出た。

 エントランスホールには既に執事のセインツとユーリ、ゾーイに見知らぬ男性の四人が待ち構えている。イヴァンカは誰だろうと思っていたらステラとイラリアが慌てて頭を下げた。

 1人だけ訳が分からないでいるとセインツが苦笑しながら説明をした。

「……イヴァンカさん。こちらはこの別荘の主である侯爵様です。名をハインリヒ・ヘンリック様といいます。挨拶をしておいた方がいいですよ」

「あ。ごめんなさい。初めまして。イヴァンカと申します。昨夜は泊めていただきありがとうございます。お食事や旅の支度までお世話いただいて。色々とすみません」

 イヴァンカが慌てて言うとハインリヒことヘンリック侯爵はにこりと笑った。

「そこまでかしこまらなくてもいいよ。わたしもカルダ殿には昔に世話になったからね。それに君が火の精霊王の呪いを受けているのはカルダ殿から聞いているんだ。それで協力をわたしの方から申し出たんだよ」

 白いものが混じった髪を短く切り揃え、濃いめの青の上着に黒いスラックスという出で立ちのヘンリック侯爵はなかなかの渋いおじ様だ。若い頃はさぞ美男だったろうと思わされる。

「そうだったんですか。あたしが呪いを持っているのはご存知でいらしたんですね」

「そうだよ。ああ、もう日がだいぶ高くなってきたようだね。イヴァンカ殿、そろそろ出発した方かいい」

「すみません。何から何まで」

 イヴァンカが再度謝ると侯爵はいいからと笑った。

「謝る事はないよ。むしろ、今まで君も大変な思いをしてきただろう。わたしにできることがあれば協力を惜しまないつもりだ。もし呪いが解けたら。もう一度この別荘に来ておくれ。そうしたら君にお祝いをしたい」

「お祝いですか?」

「ああ。呪いが解けた事を祝いたいと思ってね。まだではあるが。後、君を養女に迎えて良い相手と縁付かせたいとも思っている。そうだな、この国の王子殿下はどうかな?」

「……王子殿下ですか。あたしには雲の上の方です」

「まあそれはそうだろうね。でもこの国の第一王子殿下はまだ独身でね。君より3歳上で21歳になる。君の絵姿と経歴を送ったら興味を持つと思うんだが」

 侯爵の言うことにイヴァンカはついて行けない。セインツやステラ、イラリアも目を白黒させている。

 ユーリとゾーイも驚いて目を見開いていた。ヘンリック侯爵は気にせずにイヴァンカの肩に手を置いた。

「ああ、驚かせてすまないね。もう行きなさい。時間が勿体無い」

「……わかりました。行ってきます」

 イヴァンカが答えると侯爵は肩から手を離した。ようやくイヴァンカ達5人は別荘を出て王都を目指して出発したのだった。

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