第20話 エピソード1 宗介(20)

 宗介が大学を卒業し、起業してから3年が経過した。

 同じ志を持った同級生3人と起業し、3台のパソコンとマンションの一室から始めたIT会社はようやく一部上場の会社まで成長することができた。日本ではまだ歴史の浅いIT関連の会社としては異例の速さと言えるだろう。

 代表取締役には満場一致で宗介が就任した。

 発起人ということもあるが技術、能力、経営に関しても申し分ないからとのことだ。宗介自身もIT技術や社員教育等に関しては2人のことを認めているがこと経営となると厳しいのではと思っていたので了承した。宗介としてはアイを養え、アイと暮らせれば何の文句もなかったのだが・・。

 アイとは大学に入ると同時に同棲を始めた。

 2人の最大の障壁となっていた高校さえ卒業してしまえば後はどうとでも言い繕える。

 お互いの家族には恋人と一緒に暮らすと正直に話した。宗介の両親はもちろん驚いていたが、それ以上に驚いていたのがアイの家族だ。母は、震え、兄2人は、アイが騙されてる、誑かされていると思い、乗り込んで来て殴られるどころか殺されるのではないかと危機感を感じるほどだった。しかし、何度も対話し、自分の気持ちを伝えたら「妹を頼む」「酒が飲めるようになったら一緒に飲もうな」と言って受け入れてくれた。

 アイとの生活は驚きもあるがそれ以上に楽しく、安らぎのあるものだった。2人が出会ってもう7年の年月が流れるが色褪せることはない。むしろ季節を追う深緑のように色濃くなっていく。

 宗介は、出張先からその足で会社近くのホテルに入り、ラウンジでコーヒーを飲んでいた。無駄に値段が高くてカップの大きいコーヒーは正直、あまり美味いとは言えなかったが何も頼まずに座っているのも気が引けるので注文した。小腹も空いているがこれからアイとディナーなので鳴り響く腹を制してコーヒーで味覚と胃袋を誤魔化した。

 今日は、アイと出会って7年目記念を祝してのディナーであった。とは言ってもこの7年間の間に誕生日記念を初め、"初めて2人で外出した記念"や"初任給記念"、"桜を見たぞ記念"、"餃子が綺麗に焼けたぞ記念"など理由を付けてはお祝いをした。

 完全なバカップルだ。

 まさか、自分がこんなことを嬉々として行うようになるなんて思わなかったので10代の頃の自分が見たらさぞ驚くことだろう。

 自分は変わった・・と思う。

 家族からは表情が柔らかくなったと言われた。

 少し前に行われた高校の同窓会では話しかけやすくなったと言われた。

 会社の仲間達も親しいとは違うが相談もされ、頼られるようになった。

(アイのお陰だ)

 アイと出会わなければ自分は今も孤独でいることに違和感を覚えず、女を取っ替え引っ替えするのを当たり前と思って過ごしていたはずだ。

 アイがいるからこそ今の宗介があると言っても過言ではない。

 宗介は、左のポケットを探る。その中にある角の丸まった肌触りの良い固さの箱を確かめる。

 宗介は、今日、1つの決意をこのポケットの中の物に委ねていた。そしてそれを絶対に成功させると緊張の中で意気込んでいた。

 アイは、学校が終わってから一度、家に戻って茶トラ猫の"茶まん"に餌を上げてから来ると言っていた。

 2人の出会うきっかけを与えてくれた"茶まん"ももうすぐ10歳近くになるので眠ることが少し増えた。アイは、過保護と言わんばかりに心配し、中々旅行にも行けない。

 宗介は、腕時計を確認し、ざわつく気持ちをコーヒーで抑えながらアイが来るのを待った。

 そんな宗介の向かい側の席に女性が座った。

 宗介は、何が起きたのか理解出来なかった。いや、宗介でなくても今の状況を理解するのは困難であろう。

 柔らかそうなボブショートに目に掛かるまで伸びた前髪を右に流した、力強いアーモンド型の目をした美人だ。藍色のドレス型のワンピースから覗く品よく組まれたタイツに包まれた足は気持ちの良いほどに形よくしまっていて、そして長い。椅子に座っているから宗介よりも小さく感じるが立ったらあまり変わらないのではないかとすら思う。

 どこかで見たことある気がする。しかし、思い出せない。

 そんな宗介の心情を読み取ってか、女性は口元に笑みを浮かべる。

「久しぶりね。宗介君」

 宗介は、瞬きをする。

 久しぶり・・?やはりどこかで会ったことがあるのか?

 宗介の反応を女性は面白がって喉を鳴らす。

「自分が告白した相手を忘れたの?」

 その言葉で宗介の頭に電気が走り、奥底に眠った記憶の人物と目の前の人物が重なる。

「シー・・先輩?」

「思い出してくれてありがとう」

 シーは、にっこりと微笑む。その笑顔とバスケ部時代に部員達に微笑み掛けていたシーの姿が重なる。そしてアイに迫り、無理やりキスをした姿とも・・・。

 宗介は、背中が粟立つのを感じた。

「なぜ、ここに?」

 宗介は、恐る恐る尋ねる。

「このホテルでね。研修があったのよ。小児喘息の対応についての。私、小児科医になったのよ。まだインターンだけどね」

 シーは、聞かれてもいないことまで先回りするように答える。

 シーが医師になったことはそこまで驚くに値はしない。しかし、このホテルで研修などあったか?習慣で入口の看板を見るがそんなの書いてあっただろうか?

「今、終わってコーヒーでも飲んで帰ろうと思ったら宗介君を見かけたので声かけちゃった」

 そういって形の良い舌の先を出す。

 違和感しか覚えなかった。

 シーが自分に声を掛けるなんてあるはずがない。

 あるとすれば・・・。

「先輩・・・」

「なあに?」

「俺は、今アイと付き合ってます・・」

 沈黙が走る。

 柔らかく微笑んでいたシーのアーモンド型の目が三日月のように細く、鋭くなる。

「そう・・」

 その言葉に驚きは感じられなかった。

 宗介の言葉に人生で初めての恐怖が去来する。

「先輩が・・何を思って俺の前に現れたかは知りませんが俺達は心から愛し合ってます。なので・・」

「嘘ばっかり・・」

 その声は、薄氷に素足を落としたようにら冷たかった。

「嘘ばっかり・・」

 シーの目が薄く煌めく。

「貴方が人を愛せる訳ないじゃない。アイ先生を愛せる訳ないわ。どうせ誑かせて、遊んでるだけでしょ⁉︎」

 アイは、組んだ足を解く。

 三日月に歪んだ目が鈍く光る。

「貴方なんかがアイ先生と・・・認めない・・認めない」

 宗介は、全身が寒気だった。左ポケットから慌てて財布を取り出すと手を上げてウェイターを呼ぶ。

「代金を。そして彼女に何か好きなものを」

 そう言って財布から一万円を取り出してウェイターに渡す。

「それじゃあごゆっくり」

 宗介は、シーに頭を下げると足早にラウンジを出る。シーは、立ち上がることなく宗介の背中を視線で追う。

「宗介ー!」

 ホテルの正面口でアイが右手を振っていた。

 今日は、ホテルでのディナーだからか、長い髪をアップにし、薄いネイビーのフォーマルドレスを着ていた。堪らなく愛しかったが、そんな場合ではない。

 宗介は、走ってくるアイの肩を抱くと正面口に向かって歩き出す。

「ちょっとどうしたの?」

「後で説明する。今日のディナーは別の場所にしよう」

 宗介は、短く告げるとホテル出て、タクシーを捕まえると逃げるようにその場を去った。

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