第7話 エピソード1 宗介(7)

「つまりアイさんを巡っての宗介さんとシーの三角関係への発展ですか?」

 看取り人は、興味深げに呟く。

「ちょっと歪ですがポピュラーで面白い展開ですね」

 宗介はその言葉に眉を顰める。

「三角関係なんて言葉・・・よく知ってるな」

 自分でも声に少しずつ力が入らなくなってきているのが分かる。心なしか身体に力が入らなくなり、時折、眠気が迫ってくる。

 宗介の言葉に看取り人は、顔を歪める。

「馬鹿にしてるんですか?」

「そういう訳ではない・・」

 宗介は、喉を押さえて笑う。

 笑いを堪えているのではない。笑うだけで疲れてしまうのだ。この病気が進行してから笑うのにどれだけの筋力を使うのかを思い知らされた。

 しかし、贅沢だと思う。幸福だと思う。

 俺は、死ぬ最後の数時間まで笑うことが出来る環境にいるのだから。

「いや、そう言う訳ではないんだ」

 宗介の声は、少し掠れていた。

「最近は、BLだ異種族恋愛だ、プラトニックだなんて流行ってるから三角関係なんて古臭いものに興味なんてないと思っていたんだ」

 今度は、看取り人が驚く番だ。

「そんな言葉良く知ってますね」

「こう見えて・・アニメとか好きでね。仕事の息抜きに見てたんだ」

 宗介は、ふうっと大きく息を吐く。

 呼吸が続かない。

 鼻から酸素を繋いでなかったらとっくにチアノーゼを起こしてるだろう。

 看取り人は、宗介の意外な面を見て目を丸くしている。

 そういう仕草は高校生だな、と思う。

 自分にはなかった可愛げのある高校生。

「・・・時間が無くなりそうだから話しを進めるぞ」

「・・・お願いします」

 看取り人が感情の起伏のない真顔に戻る。

「期待を裏切って申し訳ないが、この話しは三角関係にはならない。むしろそうなれる展開だったら良かったと思える話しだよ。少なくても俺は・・・」

 そう・・・三角関係のような恋愛に恋愛が重なるような可愛らしく、ありきたりなものならどんなに良かっただろう。

 しかし、この話しはそうはならない。

 だからこそ宗介は話したいのだ。

 この誰にも話すことの出来ない真っ直ぐに歪んだ純愛を。


 次の日から宗介は、部活の練習が終わった帰り道にアイと合流し、茶トラ猫に餌をやりに行った。

 餌は、アイが用意してくれた。

 何でも中学校の頃に猫を飼っていたそうで、安くて美味しい缶詰とかをよく知っているらしい。

 それならアイが飼えばいいと進言したが「うちの大学の寮ってペット禁止なの」と少し寂しそうに言った。ちなみに宗介の家は、犬を3匹飼っているので猫の入り込む隙がなかった。

 2人は、猫に餌をやりながらたわいも無い話しをした。

 その内容のほとんどを占めているのがお互いの自己紹介を兼ねたエピソードだ。

 宗介は、自分が公務員夫婦の間に生まれて兄弟がいないこと、小学校の頃から犬を飼っており、大分、老いてきて最近では眠っていることが多いこと、中学時代の夏休みを利用して1人でテントと道具を持ってキャンプに行った事を話した。キャンプの件では中学生が1人旅なんていけないと教師らしくアイに怒られるも母方の祖父母の家の近くの川で監視下の元に行ったと弁明すると、アイも渋々納得して頷いた。

 アイの話しも似たようなものだが自分の話しなんかよりも遥かに面白かった。

 アイは、3人兄弟の末っ子でで父親が会社員で母親がピアノの講師であること、兄2人は既に独立しており、次兄は海外勤務で長男は地方で結婚し、甥と姪が1人ずついること。小学校の時に友達数人で近所の川の土手を歩いて他県まで歩き進みながらツチノコ探しをしていたら大きなアオダイショウが出てきたことに驚いて走って逃げ出したこと、ジュニア野球チームに所属し、レギュラーで1番で打っていたこと、そして中学3年生の頃、一時期、自分のことで両親や兄弟との関係が上手くいかなくなり、悩んだ末に寮のある高校に入ってそこからずっと一人暮らしをしている事、現在は、母親と兄達とは上手くいっているけど、父親とは口を聞いていないなど話さなくてもいいようなことまで話してくれた。

 宗介は、彼女の話しを面白く聞いた。

 特に突出したことがある訳ではない。なのにどうしてかその話しの一つ一つがとても魅力的に感じたのだ。もっと聞きたいと思ってしまったのだ。

 その中でも1番印象深く残っているのはクマノミの話しであった。

 

「桑の実?」

 宗介は、眉根を寄せて首を横に傾げる。

「桑の実じゃなくてクマノミ」

 アイは、イントネーションを強調してもう一度言う。

 アイは、茶トラ猫に餌をあげる為に猫と視線を合わせるようにしゃがみ、宗介は、ベンチに座って、足を組み、2人を見下ろす。

「温かい珊瑚礁に住む小さな魚よ。一生をイソギンチャクの中で過ごすの」

 今でこそ日本で最も有名な魚の一種だが当時はよっぽどの熱帯魚マニアの間でしか知られていなかった。

 案の定、宗介は悔しそうな表情を浮かべる。自分が知らないことを彼女が知っていることに腹が立った。

「その魚がどうしたんです?こいつに上げるんですか?」

 柔らかく解した缶詰の中身を美味しそうに食べる茶トラ猫を見ながら言う。

「そんな訳ないでしょう」

 アイは、呆れたように言う。

「この間の休みにね。大学の友達と水族館に行ったの。その時見たクマノミがとてと可愛くてね。君に教えて上げようと思ったのよ」

「それはありがとうございます」

 宗介は、紙のように薄っぺらいお礼を言う。

 正直、熱帯魚になんて将来興味を持つことはない自信がある。大学入試のテキストにでも出るなら興味は湧くがそんな可能性は今、この瞬間に隕石が落ちるくらいあり得ない。

 しかし、アイは、そんな宗介の思惑なんて気にもかけずに話しを続けた。

「そのクマノミってね。雄性成熟なんだって」

「ゆう・・なんですって?」

 宗介は、思わず聞き返す。

 アイは、悪戯した子どものように笑う。

「雄から雌に変化するって意味よ。学年成績トップの君でも知らないことってたくさんあるんだね」

 彼女の言葉に宗介は、恥ずかしかさに頬を赤らめる。

 彼女と話すようになってからどれだけ頬を赤らめてきたことだろう?しかし、恥ずかしいと感じてもそれを屈辱と感じることがなかった。彼女が馬鹿にする目的で揶揄っている訳でないということも勿論あるが彼女と同等に話せているのが楽しいのだ。


(俺はどうしてしまったんだ?)


 宗介は、自分に問いかける。

 しかし、当然答えなんて帰ってはこなかった。

 そんな宗介の心境など一行も読み取らずにアイは、話しを続ける。

「クマノミはね。小さいうちはみんな雄で大きくなるとその中で1番身体の大きなクマノミが雌になるの。そして1番大きな雌が死ぬと2番目に大きな雄が雌になるの」

「・・弱く小さい生物が繁殖していく為の進化の過程か」

 確かに面白い生態だ。その方法ならどんなに捕食者に数を減らされたとしても最終的には子孫を残すことが出来るのだ。

「せんせ・・アイさんは生物学にも興味があるのですか?」

 確か専攻は古文だったと思ったが・・。

「そんなんじゃないわよ・・」

 アイは、形の良い唇を尖らす。

「ただ、ロマンチックだなって思ったの?」

 宗介は、露骨に訝しんだ表情を浮かべる。

「ロマンチック?」

 どの角度から見ればこの話しがロマンチックだと思うのだ?

「だって成長して好きな相手が出来れば性別すら変えて結ばれるんでしょ?これって壮大な愛じゃない?」

 アイは、目を輝かせて大きく両手を広げる。

 その仕草に茶トラ猫がびっくりして逃げてベンチの中に隠れる。

「愛って・・・」

 宗介は、嘆息する。

「ただの進化の過程で得ただけでしょ?そこに感情なんてないでしょう」

 大体からしてセックスに快楽や感情を求めるのなんて人間だけなのだ。生物のほとんどは子孫繁栄の為の行為だ。

 そんなものに意味なんて・・・。

 しかし、宗介の言葉に今度はアイが嘆息する。

「まったく・・・難解な方程式や文章が読み取れる癖に感情や想像力は本当にないのね」

 アイは、身体を起こして膝をぐっと伸ばす。

 そしてじっとで宗介を見る。

 その強い目に宗介は、思わず唾を飲み込む。

「貴方は、もっといろんな感情がある事を知りなさい」

 その口調は、教えを問う教師というよりももっと近しいもの、姉のような、もしくは親のような口調であった。

「貴方は勉強が出来る。運動も出来る。でも、人の気持ち読み取るのはまだまだ未熟よ」

 未熟・・・そんな言葉を誰から言われたことがあっだだろうか?

「貴方はもっと他者に興味を持ちなさい。人と接しなさい。そうすれば貴方はもっと大きくなれる。成長出来るわ」

 宗介は、アイの目から逃げることが出来なかった。

 アイの目から出ている感情はいったい何なのか・・?

「・・・分かりました」

 宗介は、負けたように弱々しく言う。

 宗介の言葉を聞いてアイは小さく微笑む。

「頑張ってね。次に会う時にどれだけ学ぶことが出来たか教えて」

 宗介は、火に当てられたように目を大きく開く。

「次・・・って?」

 宗介の言葉にアイも驚いたように目を丸くする。

「私、明日で実習終わりよ。知らなかったの?」

 宗介は、胸に大きな穴が穿かれるような痛みを感じた。

「と、言っても来年の夏にはもう一度、実習に来るけどね。それまでこの子の面倒よろしくね」

 そう言ってベンチの下で蹲る茶トラ猫を見る。

「明日は友達が実習終了のお祝いしてくれるらしいから来れないの。貴方がもう少し感情を学べている事を期待してるわ」

 そう言って彼女はにっこりと笑った。

 宗介は、「はいっ」と答えるもその声には何の力もこもってなかった。

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