委縮

 彼女の名前は、エルマ・クレーズ。伯爵家の令嬢で王立学院卒業後、侍女として王妃に仕えた。そして、一回目ではアデライトが婚約者となり、王宮で暮らすようになるとアデライト付きの侍女になった。今は、ミレーヌと同じ二十八歳の筈である。

 流石に面と向かっての罵倒や、暴力はなかった。

 だが一切褒めることも労うこともなく、むしろ少しでも妃教育の時にミスをすると、冷ややかに見られたりため息をつかれたりした。そして、事あるごとにこう言われた。


「片親の方は、これだから……もっと殿下にふさわしくなるように、頑張って頂かないと」


 母は確かにいないが、それでも基本の礼儀作法は教わったし、褒めても貰えた。

 けれど王宮では、亡き母や父を引き合いに出されて責められる。それ故、アデライトは混乱して思い詰めた。


(お母様は、私が出来ない子だから励ます為に、わざと褒めてくれたのかしら?)

(どうしよう……私が駄目なせいで、お母様やお父様が悪く言われてしまう……)


 そして悩んだ末、アデライトはこれ以上、両親が悪く言われないように妃教育に精進した。おかげで王立学園に入る頃には言われなくなったが、今度はリカルドがサブリナにばかり構い、今まで以上にアデライトを顧みなくなったので「殿下一人引き留められないとは、情けない」や「せめて妃教育は完璧にして、王妃様の役に立って下さい」などとため息と共に言われた。

 ……巻き戻った今、婚約者はサブリナなのでエルマは言葉の内容こそ違えど、同じように事あるごとに口を出してため息をついていたと思われる。


「一回目の時は、ただ黙って我慢していましたが……サブリナのように、解雇する道もあったんですね」

「そうだね」


 王都まで送ってくれた馬車を降り、侍女や護衛を送り返し――学生寮に入るまでの間、アデライトは隣で浮いているノヴァーリスと話をしていた。


「もっとも解雇されたからと言って王都から、領地に戻られると困りますし……サブリナが散財していると証言が取れそうですので、雇うことにしました。身の回りの世話は任せますが、部屋は別ですし」

「……アデライト?」

「はい?」

「抱きしめていい?」

「……ええ」


 不意にノヴァーリスがそう言ってきたのに、迷ったのは一瞬で――すぐに頷いたのに、ノヴァーリスは浮かんだままアデライトを抱きしめた。そして、アデライトの耳元で囁いた。


「君が決めたことだから、止めないけれど……私は傍にいるし、君は一回目の君じゃない。ここまで来るのに努力をした、最高の淑女だ。責められる隙はない。それでも責めてくるなら、単なる揚げ足取りの馬鹿だ」

「ノヴァーリス……ありがとうございます」


 ひんやりとした感触に包まれて、力が抜けて――そこでアデライトは、自分がエルマに会うことに緊張して委縮していたことに気が付いた。巻き戻ってからは初めて会うが、一回目の時の恐怖が我知らず残っていたのだろう。

 そんなアデライトを気遣い、励ましてくれたノヴァーリスに、アデライトは微笑んでお礼を言った。そしてまた鞄を手に歩き出した。

 侍女なのに、エルマは寮の外でアデライトを待っていなかった。問い詰めても、アデライトの部屋の準備という言い訳をされるだろう。解雇されたとは言え、王宮で働いていたエルマは領地に引きこもっていたアデライトを見下していると思われる。

 そんな彼女にこれ以上、舐められないようにしよう――そう決意したアデライトの口の端は、挑むように上がっていた。

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