第5話 あなたには、わからない
「ディオモルト王国の敗戦は、嘘だったというの?」
アンは騎士に誘導されて、砦から少し離れた場所にいました。
「ええ、だからあれは、助命嘆願を聞いて、驚いて戻ったパナス軍でしょう」
木々の向こうから、再会を喜ぶ声が聞こえてきます。
「あなたのお父上も兄上も、殿下も、ちゃんと戻ってこられたはずです」
さぁ愛しき方々の元へどうぞ、とでも言うように、騎士は道を譲ります。
一刻も早く家族と婚約者の無事を確認したい気持ちを抑えて、アンは問いかけました。
「どういうこと? 何故ディオモルトが負けたなんて。お父様たちが処刑されるだなんて嘘を?」
「聞かない方がいいですよ、どうせ、あなたには理解できません」
「聞かなければ、なおのこと分からないわ!」
珍しく声を荒げたアンに、男は歪んだ笑いを向けました。
「俺も、あなたを愛しているからです」
アンは一歩下がり、ゆっくりと首を左右に振りました。男の言った通り、まるで意味が分かりません。
「戦勝をアン様に伝えよと命じられ、本当に眠らずに三日三晩走り通しました。あなたが喜ぶ顔が見たかった」
だけど、気付いたんですと騎士は続けます。
「パナスは勝って家族も殿下も戻ると知れば、あなたは喜んで、そして俺のことなんか忘れるでしょう」
「私……忘れたりしないわ」
そういう意味じゃありません、と騎士は再び笑いました。哀しい笑い方でした。
「だから逆のことを。戦に負けたと伝えました」
「そんなことをして、何になるというの」
アンの声は震えていました。
「あの晩、あなたの寝顔を眺めることができましたよ。朝日がのぼるまで、ずっと見ていました」
アンは騎士の頬を平手で打ちました。はじめて人を叩いた手のひらはジンと痺れました。
「そんなことのために、パナスの民が全ての財を差し出した時も、老人たちが必死で砦へ登る間も、ずっと黙って見ていたのですか!」
「そうです。できれば最後に私を連れて逃げてと、すがってほしかったところですが、残念です」
アンは懐から護身用の短剣を抜きました。いざという時に、自分の喉を突くことくらいにしか使えないかよわい刃です。
それでもアンは今、パナスの命運を預かる者です。この男の行いを許すわけにはいきません。
「なんて浅はかなことを……命をもって償いなさい」
姫が振りかぶった手は、簡単に男につかまれて、後ろの木へ押し付けられます。ナイフは音もなく地面に落ちました。
「あなたに殺されるのは本望ですが、それはダメです。俺の血なんかで、けがれないでください」
「愛しているとか、けがれるなとか、勝手なことばかりっ……!」
「そうです勝手なんですよ。あなたが手に入らないことなんか最初から分かってる。だからせめて、忘れられないほど傷つけてやりたかった」
「理解……できないわ」
だから最初からそう言ったじゃないですかと、男はあざわらいます。
自分の選択のおろかさと無力さを悔やんで、アンはぽろぽろと涙をこぼしました。その雫を騎士の指先がぬぐいます。
そして、柔らかくおさえつけたままのアン姫のてのひらに、触れるか触れないかのくちづけをしました。
「褒めると後で悔やむと、忠告したはずです。さぁ行きましょう。殿下が俺を裁いてくれます」
男はどこかが痛むのを必死でこらえているような、そうかと思えば、まったく全てに満足してしまったかのような顔をしていました。
「私は……あなたを許さないわ」
「はい、許さないでください。永遠に」
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