閑話 途上は昏く、終着は陰湿に
夜闇が広がる道の先、等間隔に瓦斯灯だけが頼りなく途上を照らし出していた。
ゆらり、ゆら。暗がりに塗り潰された向こうから、揺れる灯りと砂利を踏みしめる足音が響く。
「
「うむ。どうにも、
やはり、何か問題が起きているのは事実のようだな」
「旧家の方々からの無心も……」
「判っておる。……年明けまでには、何とか朗報をお届けしたいものだが」
料亭で行われた退屈なだけの談合の帰り。その途上の会話であった。
所領持ちの華族たちに独占されていた利権であったが、現在では洲議の権限下で
――
水行の地が握る地下水脈の管理権が、洲議たちの優位性を保証しているのだ。
これは旧家、
「全く。どいつもこいつも、保守的なものが多い。
もう少し革新を求める気概は持てんものか」
「旧来の派閥が堅すぎますからね。
水脈が吐き出す金子の流れは、それだけで利権を維持できますし」
「水源に縋るだけの無能が!」
吐き捨てる
どうにも、上手く事態が動かせない。苛立ちからか、
星すら見えない、不安を掻き立てるような闇の向こう。
瓦斯灯が照らし出す奥に、待たせておいた蒸気自動車が浮かび上がる。
料亭からの距離は数分も無いはずだ。
周囲から圧し潰してくる塗炭の闇に、
腹心は
「……その
「悪くないですね。見た目よりも燃料は入りますし、燃え方も具合が良い。
どうやって空気を入れ換えているのか、風防にも煤が付いていない。
「
船乗りの粗野な扱いに容易く耐えると、向こうの商人が胸を張った一品だ」
腹心の応えは満足のいくものだったか、
「
「……無事に過ごしてはいるそうですが、基盤を築くに信頼は足りていないと。
運悪く難破しただけの学生たちですので、先進国の知識を学ぶくらいは許されても外交権限はありませんし」
数年前、
北境海の海流に流されるままだった彼らが、幸運にも
「――この
北土の大国を、雪に埋もれた辺境と見る馬鹿どもに見せつけてやりたいわ」
「御深慮、察するに余りあります」
「流行りばかりで世事に疎い南部だけ交易の口が開かれているなどという不公平、許容できている奴等の気が知れん。
見ていろ。
後、北境海に港を開拓すれば、
「向こうの外交官殿は何と?」
「――北方港が拓かれれば、私の着任に期待を寄せると。
領事館の移設にも、前向きに返事を戴いておる」
――
莫大な富を生むであろう港湾に君臨する。八家すら一目置き、四院も意見が無視できない存在。
目算では10年後にそうなっているであろう自分に酔いしれ、後部座席に大きく身を沈めた。
その夢想に酔う
気付いたところで、現実から都合よく視線を背けるだけであろうが。
――代表としての名称は何が良いであろうか?
つらつらと埒も無く思案し、
「北辺監査方統括、
――どうだ、良い響きだと思わんか? ん」
有頂天に口にしながら、準備を終えて運転席に乗り込んだ運転手へと戯れに声を掛けた。
話が見えずに眼を白黒とさせる相手を置き去りに、対面へと座った腹心の男が太鼓を持つ。
「全く以って
「はは。そうだろう、そうだろう」
問答と云うよりも戯れ言の応酬。運転手に出発の意を込め、
事実この日は、
野望にもうすぐ手が掛かる。成し得た偉業と共に
「――
車内に満ちる浮かれた気分は、闖入者の声に敢え無く霧散した。
制止する間も無く扉が引き開けられ、声と共に誰かが
短髪に浅黒い肌をした小兵の男性。車内に闖入したというのに、邪気の無い笑顔を
「な、何だ、貴様!」
「俺を知らない? かっ! 嘆かわしい、これでも家名だけは売れているのが自慢でね。
――まぁ。実情は? と訊かれれば、ご覧の有り様ではあるが」
和装の奥襟。その奥から覗く、
毒気を感じさせない笑顔と裏腹の物騒な存在に気圧された
相手の心情を理解してか、……それともそんな事には興味も無いのか。
黙り込んだ
「いやね。娘が主家に青田買いされた時なあ、我が家にも日の目が向くと慶んだものだが。こうなると一向に洲都から帰ってこようとしない。
郷里に顔を出せとせっついても、年の明けに面倒くさそうな表情を浮かべたままときた。
――まぁ、そうなっても仕方の無いくらいに田舎ではあるんだが」
誰も期待していない身上話を聞かされたとて、反応のしようがない。
男性の論点がずれた独り語りは続く。
酒の匂いはしないが、料亭の多い地域からして酔漢の類か。少しばかり緊張が解けた腹心と
「済まないが、
「今年もそうだ。年度の報告に上がったってぇのに、娘はさっさと入れ違いで央都の学院に向かっちまったってぇんだから薄情な話だよ。
――まぁ、そこで聴かされた情報に騒いでたんで、娘の不在に気付いたのは一日経った先刻だったんだがね」
「済まないが!」
男性が口にしている民衆芝居の蓮っ葉じみた伝法調に、最初の緊張が薄れた腹心がやや強い語調を投げる。
言葉が尻切れ蜻蛉に断ち切られ、男性の視線が腹心の方へと向いた。
「何でぃ」
「誰かと勘違いしていないだろうか? 此方は洲議の、」「
肩を竦めた返事と共に、勘違いの線は消える。
しかし、強引に乗り込まれた挙句、聞かされたのは興味も無い己語りだ。
流石に困惑から黙り込まざるを得なくなった腹心に代わり、仕方なしに
「私を知っているなら人違いの線は無いな。
――これでも忙しい身、手短になら用件を聞いてやる」
「お、話が分かる御仁だ、嬉しいねぇ。
実の所、俺の名前を知ったら、全員が全員、話を長引かせようとせがんできてね。
こっちも気ぃ遣いさぁ、元から長話を誤魔化そうとするのが癖になっちまった」
恐らく、嘘を交えるのは好まない類いなのだろう。
だが、追従する気もない。眼光を強めて
空気を読んだのか、男性も軽く肩を竦めて視線を天井に向けた。
「三ヶ岬の領地。――応。北の岸壁辺りに
邪魔なんだよなぁ、退いてくんない?」
「は。語るに落ちたな。大方、依頼主は周辺の領主か。
――断る。あれは
既得権益に縛られた封領地の虫共に意見される謂れはない」
惚け顔の男性から投げられた要請を、
こういった類との鉄火場も、
退けと云われて怯むほど、
「既得権益はお互い様だろう。
――水利権を独断で手放して央都の旧家に尻尾振った時点で、お互い様のどっこいさ」
「水利権の移譲は、
貴様如きが意見を語る資格はない」
「騙るも何も。北方港のために土地選定はするなってことだ。
その港だって、許可を央都、資金を
「貴様っ、崇高な私の理念を、俗人の尺度で嗤うか!」
どこまで実状を掴まれているのか。突かれて困る事実を口にされて、
――特に
雨月にすら伝えていない事実が露見している。現実を受け止められず、
陥った窮状に、半ば腰を浮かして激昂を見せる。
感情の制御を意図的に外し、上位精霊の威圧を余すことなく男性にぶつけた。
口塞ぎを目的とした威圧による封殺。車内という限定空間での交渉に逆転の目を見るための
「その尺度でしか動いていないから嗤ってんだよ、凡俗。
北土が欲しいのは、自国の都合で好きに通れる大洋に繋がる不凍港だ。――
「貴っっ、様ぁぁっ!!」
己の半生を掛けた野望を嗤い飛ばされ、
金撃符。急激に膨れ上がる内圧に、蒸気自動車の扉が弾け飛ぶ。
緊急時の手順に従い腹心が水撃符を引き抜く瞬間を背に、
金生水。相生関係を利用した威力の上積みは陰陽師の技術であるが、暴走前提で行使するなら呪符を励起するだけでも可能な方法である。
凍てつく衝撃を覚悟して地面に伏せる
扉を舐める青白い焔。確かに励起した呪符が結果を伴わないまま無為に散る光景に、
「――娘が央都行きで入れ違いになってくれたのは、良い誤算だったかもな」
じゃり。
人間一人を殺して崩れる様子の見えない口調が、一層不気味に
「こういった汚れ仕事は、余り女子供に見せたいものじゃないからねぇ」
「く、く。私を殺したところでどうとなる。
――
劣勢に打開も見えない状況、
「どんな非難を受けようとも、世界に
「――ああ。良いんだ、良いんだ、んな事ぁ」
本心を糊塗した
真に迫ったその叫びを、それでも男性は迷惑そうに掌を払って返した。
「そもそも、
「な、 、に」
「本命の理由は別に有るんだ。
まぁ、
「ふ、巫山戯るな! 私の野望を踏み躙るのが次いでだと!?
そんな暴論、受け入れられる訳も無いだろう!」
どうでも良さそうな男性の呟きは、それでも
死の間際すら忘れて、
「認められるか、こんな仕打ち!
名前も知らん
「正確にゃあ、前座ですらない。
総てが終われば、
――ああ、あったなそんなのも。で忘れてしまう程度だ」
如何、叫ぼうとも、男性の口調は崩れてくれない。
分の悪さに、立ち上がった
僅かに間合いが開くも、直ぐさまに男性の一歩が詰める。
相手が見せる揺るがない一歩。確かに窺える技量の差を敢えて無視し、
彼我の距離は、
相手に悟られないよう気息を整え、
脇構え。攻めにも護りにも移れるように、歩法を中庸に保つ。
「お。逃げる
良いねぇ。生き汚いのは、華族にとっちゃ美徳だしな」
「――――逃げる?
決然と吐き捨て、
励起と同時に、水気の塊が男性の顔面へと向かう。
単純な呪符の攻撃が通用しないことは想定済みだ。故に、この水撃符は目晦ましの価値しかない。
――本命は、
腰から素早く
「
水気の三日月が
戦闘の素人である
視界を塞ぐ水撃符に対処しても、
圧倒的な優位から来る相手の油断を完璧に突いて、
――散。
「……………………は?」
夜闇を断ち切る斬閃が水撃符諸共に
音すらなく舞い散る精霊光。想像が一切つかない初めて見る事象に、
「姑息だが、良い
少なくとも、俺は好きだぜ」
わざと
――二つ扇に一枝の梅花。
その現実を理解できないまま、
その度に相手の白刃が閃き、水撃符は燃えるだけの紙へと変えられていった。
やがて、手持ち全ての水撃符が青白いだけの焔と散った頃、そこに残るのは男性と肩で息をする
「……
全てを悟ったらしい
男性。――
「死ぬ理由についちゃ、あの世でゆっくりと考えてくれや。
まぁ、表向きの理由は事故になるし、探ったところで
「ふ、ふ。
理不尽な暴力による結末、悔しさのあまり
だが、最後に残ったその抗弁すら、
「
勘違いしているようだが、
「何、」
「帝国主義の
短刀を正眼に構えて、
戦闘の素人である
「
自慢じゃないが、大陸と殺り合った数だけ見れば
自領に引き籠っているように見える理由は、基本的に
その総ては、
八家第七位、
「巫山戯、 、 !!」
だが、その
くるり。視界が回る。
「――つまんねぇ仕事だぜ、全く。
娘に嫌われてまで、続けたい家業じゃ無ぇなぁ」
急速に意識が暗闇へと呑まれていく中、
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